尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

東京から江戸へ-「明治150年」を考える③

2018年10月24日 23時10分50秒 |  〃 (歴史・地理)
 1868年9月(慶応4年7月)に、江戸が東京に改称された。だから2018年は「東京150年」でもある。今や「トーキョー」は世界に冠たる大都市で、東京都民の中にも違和感を持っている人はほとんどいないだろう。しかし、僕は「伝統を残す」という意味では、もうそろそろ「江戸」に戻してはどうだろうと思っている。まあ現実性はないと思うけど、そういう提起である。

 1868年4月に、新政府軍が江戸城に無血入城した。その後も旧幕臣等の彰義隊が上野に立てこもり、5月15日に総攻撃された。その後、新政府軍は東北地方から北海道へと攻撃を続けてゆく。そのような戦争のさなかに、事実上の「占領軍」が「東京」に改称したわけである。僕が思い出すのは、1975年の北ベトナム軍のベトナム統一によって、「サイゴン」が「ホーチミン」に改称された事例だ。またソ連時代に「サンクトペテルブルク」が「レニングラード」とされた事例だ。

 もともと「東京」という言葉はおかしい。「西京」はどこなのか。「京」というのは「都」のことだから、日本に一つじゃないとおかしい。「京都」が日本の首都、あるいは天皇の居住地という意味だとするなら、明治以後は「江戸」を「京都」と呼ばなければおかしい。京都の方を「西京」または「旧京」に改名しなければおかしい。そうは言っても、京都、つまり「平安京」は何もないところに建設されたから、旧地名がない。もう世界に「KYOTO」で通っているから、それでいいだろう。

 世界的にも地名を元に戻すのは珍しくない。インドでは植民地時代の名前である「カルカッタ」を「コルカタ」へ、「マドラス」を「チェンナイ」に変更した。また「ボンベイ」も「ムンバイ」に変えた。これは現地のマラーティー語の表記だということだ。インドの東にあるミャンマーも以前は「ビルマ」と呼んだ。当時の首都「ラングーン」も「ヤンゴン」と改名された。軍事政権が改名したので批判も多かったが、英語風の表記を変更したということで次第に定着したと言えるだろう。

 ロシアでもソ連崩壊後に多くの都市の地名が変更された。「レニングラード」は帝政時代の「サンクトペテルブルク」に戻された。これなどは「聖ピョートル大帝市」をドイツ語で表記しているわけだから、「ペトログラード」で良かったんじゃないかと思う。他にも「ゴーリキー」が「ニジニ・ノブゴルド」、「スヴェルドロフスク」が「エカテリンブルク」など、ソ連時代の都市名はおおよそ旧称に戻されている。(全部ではない。)都市に党の指導者名を付けていた方が変だった。

 こうして見ると、世界的にも伝統的な地名に戻す動きが多い。「占領下の憲法」をあれだけ敵視する現在の政権ならば、やはり薩長官軍の占領下に変更された「江戸」を復権させることに異議はないだろう。(まあ自分が勝った側、変えた側にいる場合は別なのかもしれないが。)かつて大正時代に書かれた作家矢田捜雲の「江戸から東京へ」という何巻もある歴史シリーズがあったが(中公文庫から出ていたけど、未読)、これからは「東京から江戸へ」を目指すべきだと思う。

 ついでに書いておくと、戦前の「宮城」、現在の「皇居」という言葉もおかしい。天皇が居住しているのに間違いはないけど、それでは「首相公邸」みたいなものである。あそこは「江戸城」である。江戸城を徳川氏から取り上げて天皇が住むようになった。それは歴史の流れではあるだろうが、場所の名前としては江戸城と呼ぶべきではないか。
 (江戸城)
 また、単に「東京」を「江戸」に名前を戻すだけでなく、多くの人に不便を与えている「東京都」制度も解体するべきだろう。東京23区はいくつかの「政令指定都市」に分割するのがいいと思う。「江戸中央市」「東江戸市」「北江戸市」「南江戸市」などだけど、世田谷区など一区で人口が政令指定都市の基準を突破している区では、そのまま市に昇格するのもいいかもしれない。「東京都」は「江戸府」にする方が住民には利便性が高い。
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