2017年の中国映画「迫り来る嵐」が1月上旬に公開された。こんな題名の映画をやるから、嵐が解散しちゃうじゃないかなんて言われてるとかいないとか(ウソ)。習近平政権の影響か、最近の中国映画は元気がない。エンタメ系作品はともかく、シリアスな中国映画が少なくなった。(代わって韓国映画がまた面白くなったけど。)でも、中国映画にも注目はしている。2017年の東京国際映画祭で、主演男優賞と芸術貢献賞を受賞したこの作品は見逃せない。風邪で寝てた間に見やすい時間の上映が終わっちゃって、もうロードショーも最終盤だけど、これは見ておきたい。

数年前に「薄氷の殺人」という映画があったが、「迫り来る嵐」も似た感じがある。あるいは中国版「殺人の追憶」(ポン・ジュノ監督の韓国映画)という宣伝も当たっている。とにかく画面が暗い。内容も暗い。暗くて重いから、忘れがたく心の奥に届くのである。冒頭で男が出所してくる。ユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン)という名前である。身分証明書を作るため漢字を問われる。「余国偉」と書くらしい。そんな男が何をしたというのか。
この映画が今までにないのは、殺人事件を追うミステリーでりながら、「刑事もの」じゃないことだ。1997年、香港返還の年。20年前の中国のある地方都市は、まだ国営企業が中心で現代化が進んでいない。町を支配するのは大きな製鋼所で、ユィはその会社の警備員である。備品を窃盗する者は絶対に許さず犯人を捕まえる。だから「余名探偵」と会社で呼ばれている。そんな町で連続女性殺人が起きて、ユィはわがことのように事件にのめり込んでゆく。
警官でもないのに自主的に捜査を始めたユィは、遺体発見場所を見に行ったり、犯人が女性と知り合ったかもしれない場所(街頭のダンスホールみたいなところ)に行く。そして謎の男に遭遇したり、被害者に共通性を見出したりする。そして次第にユィは暴走してゆく…。こんなに画面も展開も暗い映画も珍しい。寒そうに雨が降り続くから北の方かと思うと、ラストにこの年は南の方も寒波が来たと字幕が出る。香港に行けるようになるのかというセリフもあるから、案外南の方らしい。しかし明るいシーンは全くなく、人物の暗い情念を映し出すような画面になっている。
1976年生まれのドン・ユエ(董越)の初めての監督・脚本作品。犯罪映画というジャンルから新しい才能が出てくることがある。共同体の崩れゆく中国社会の揺らぎを犯罪という視角で切り取っている。ドン・ユエは作家性の高さを感じさせる妥協のない映画を作った。一体何が現実なのか幻想なのか、それすら判らないラストも素晴らしい。まだ粗削りながら、要注目だと思う。

数年前に「薄氷の殺人」という映画があったが、「迫り来る嵐」も似た感じがある。あるいは中国版「殺人の追憶」(ポン・ジュノ監督の韓国映画)という宣伝も当たっている。とにかく画面が暗い。内容も暗い。暗くて重いから、忘れがたく心の奥に届くのである。冒頭で男が出所してくる。ユィ・グオウェイ(ドアン・イーホン)という名前である。身分証明書を作るため漢字を問われる。「余国偉」と書くらしい。そんな男が何をしたというのか。
この映画が今までにないのは、殺人事件を追うミステリーでりながら、「刑事もの」じゃないことだ。1997年、香港返還の年。20年前の中国のある地方都市は、まだ国営企業が中心で現代化が進んでいない。町を支配するのは大きな製鋼所で、ユィはその会社の警備員である。備品を窃盗する者は絶対に許さず犯人を捕まえる。だから「余名探偵」と会社で呼ばれている。そんな町で連続女性殺人が起きて、ユィはわがことのように事件にのめり込んでゆく。
警官でもないのに自主的に捜査を始めたユィは、遺体発見場所を見に行ったり、犯人が女性と知り合ったかもしれない場所(街頭のダンスホールみたいなところ)に行く。そして謎の男に遭遇したり、被害者に共通性を見出したりする。そして次第にユィは暴走してゆく…。こんなに画面も展開も暗い映画も珍しい。寒そうに雨が降り続くから北の方かと思うと、ラストにこの年は南の方も寒波が来たと字幕が出る。香港に行けるようになるのかというセリフもあるから、案外南の方らしい。しかし明るいシーンは全くなく、人物の暗い情念を映し出すような画面になっている。
1976年生まれのドン・ユエ(董越)の初めての監督・脚本作品。犯罪映画というジャンルから新しい才能が出てくることがある。共同体の崩れゆく中国社会の揺らぎを犯罪という視角で切り取っている。ドン・ユエは作家性の高さを感じさせる妥協のない映画を作った。一体何が現実なのか幻想なのか、それすら判らないラストも素晴らしい。まだ粗削りながら、要注目だと思う。