堀川惠子さんの「原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年」(文春文庫)を読んだ。2015年に出た本で、その年の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。2018年7月に文庫化されたので買ったんだけど、去年はつい読みそびれてしまった。今年こそは読もうと思って、重い読後感をずっしりと抱えている。
堀川さんの本では、2013年に出た「永山則夫 封印された鑑定記録」を読んで、「究極のカウンセリング」を書いた。堀川さんは2005年まで広島テレビで勤務し、その後はフリーのディレクターとして活躍している。もともと広島時代から、広島の被爆者を取材していた。その後フリーになって、死刑囚からの手紙と取り組んで以後、死刑問題のドキュメントが多くなっている。つまり、テーマが「原爆」と「死刑」に特化している。どうしても重い印象になるから、つい敬遠して読んでない人が多いと思う。
(堀川惠子さん)
この「原爆供養塔」という本は、広島市の平和公園の一角にありながら、あまり取り上げられることのない「原爆供養塔」という存在にスポットを当てている。供養塔の成立にさかのぼり、やがて毎日喪服を着て清掃を続けた佐伯敏子という人物の生涯をたどる。1919年に生まれた佐伯敏子は、原著刊行時には存命だったが、その後2017年10月3日に97歳で亡くなっている。早く父を失い貧困に陥り、前半生は波瀾万丈だった。そして、8月5日には、たまたま姉の家に疎開させていた幼い長男のところへ行っていた。日帰りするはずが、その日は子どもが離さずに泊まって行くことにした。
そのことが運命を分けた。市内に残っていた母親や義父母は原爆の直撃を受けた。(なお夫は出征中。)敏子自身も早速猛火の市内に家族捜索に向かい、「入市被爆」を受ける。多くの家族を失い、自身の健康も危うくなる。そんな生活の中、原爆供養塔を世話することを自らの定めのように続けてきた。僕は高校2年の夏休みに広島を訪れ、「広島平和会館原爆記念陳列館」を見た。(名前は覚えてないんだけど、1972年当時はそう言っていたらしい。現在は広島平和記念資料館。)しかし、その時は原爆供養塔は見なかった。当時はほとんど知られていなかったと思う。佐伯敏子という人は、ウィキペディアに長い記述があるが、僕は今までほとんど知らなかった。
(原爆供養塔)
この本で判ることは、広島市も(当初は予算不足も大きかったけれど)原爆による死者ときちんと向き合ってこなかったんじゃないかということだ。供養塔の地下には多くの遺骨が納められていたが、市の担当者も気味悪がって入りたがらない。鍵を持てるようになって、佐伯敏子が骨壺を調べ始めると個人の特定につながる情報が多く残されていた。敏子は自ら遺骨返還に乗り出すが…。健康状態もあって市内近辺しか回れなかった敏子に代わり、著者が遠くの住所の人を訪ね始める。そうしたら…判らないことだらけ。そもそも、情報にある住所がなかったり。じゃあ、そもそも一体誰が情報を書きとどめたんだろうか。後半はミステリーみたいな探査行になる。そして朝鮮半島出身者の遺骨、沖縄出身者の遺骨…と日本社会の深部が見えてくるのである。
この本は文庫本で400頁を超える。だけど、これほど読んでよかったと思う本も珍しい。多くの人に読んで欲しいけど、僕でさえ買って一年放っておいたわけで、なかなか読み始めるのも大変だろう。本そのものは多くの図書館にあると思うから、手に取ることは難しくない。問題はもう「原爆の悲惨さ」は何となく知ってる感じがして、今さら感を持つ人が多いんじゃないか。しかし、一人一人の「生」の重さはかけがえがなく、改めてきちんと向き合う機会を与えてくれた「原爆供養塔」は実に貴重な本だった。
なお、僕が今までに読んだ中で是非読んで欲しいのが、関千枝子「広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち」(ちくま文庫)である。この本は今も文庫などで入手しやすいはず。80年代に書かれた本で、著者はクラスメートの中でたまたま生き残った。このような本は世界の人にぜひ読んで欲しいと思う。世界に核兵器の悲惨さを伝えていくことが、改めて日本人の使命だと強く思った。
堀川さんの本では、2013年に出た「永山則夫 封印された鑑定記録」を読んで、「究極のカウンセリング」を書いた。堀川さんは2005年まで広島テレビで勤務し、その後はフリーのディレクターとして活躍している。もともと広島時代から、広島の被爆者を取材していた。その後フリーになって、死刑囚からの手紙と取り組んで以後、死刑問題のドキュメントが多くなっている。つまり、テーマが「原爆」と「死刑」に特化している。どうしても重い印象になるから、つい敬遠して読んでない人が多いと思う。
(堀川惠子さん)
この「原爆供養塔」という本は、広島市の平和公園の一角にありながら、あまり取り上げられることのない「原爆供養塔」という存在にスポットを当てている。供養塔の成立にさかのぼり、やがて毎日喪服を着て清掃を続けた佐伯敏子という人物の生涯をたどる。1919年に生まれた佐伯敏子は、原著刊行時には存命だったが、その後2017年10月3日に97歳で亡くなっている。早く父を失い貧困に陥り、前半生は波瀾万丈だった。そして、8月5日には、たまたま姉の家に疎開させていた幼い長男のところへ行っていた。日帰りするはずが、その日は子どもが離さずに泊まって行くことにした。
そのことが運命を分けた。市内に残っていた母親や義父母は原爆の直撃を受けた。(なお夫は出征中。)敏子自身も早速猛火の市内に家族捜索に向かい、「入市被爆」を受ける。多くの家族を失い、自身の健康も危うくなる。そんな生活の中、原爆供養塔を世話することを自らの定めのように続けてきた。僕は高校2年の夏休みに広島を訪れ、「広島平和会館原爆記念陳列館」を見た。(名前は覚えてないんだけど、1972年当時はそう言っていたらしい。現在は広島平和記念資料館。)しかし、その時は原爆供養塔は見なかった。当時はほとんど知られていなかったと思う。佐伯敏子という人は、ウィキペディアに長い記述があるが、僕は今までほとんど知らなかった。
(原爆供養塔)
この本で判ることは、広島市も(当初は予算不足も大きかったけれど)原爆による死者ときちんと向き合ってこなかったんじゃないかということだ。供養塔の地下には多くの遺骨が納められていたが、市の担当者も気味悪がって入りたがらない。鍵を持てるようになって、佐伯敏子が骨壺を調べ始めると個人の特定につながる情報が多く残されていた。敏子は自ら遺骨返還に乗り出すが…。健康状態もあって市内近辺しか回れなかった敏子に代わり、著者が遠くの住所の人を訪ね始める。そうしたら…判らないことだらけ。そもそも、情報にある住所がなかったり。じゃあ、そもそも一体誰が情報を書きとどめたんだろうか。後半はミステリーみたいな探査行になる。そして朝鮮半島出身者の遺骨、沖縄出身者の遺骨…と日本社会の深部が見えてくるのである。
この本は文庫本で400頁を超える。だけど、これほど読んでよかったと思う本も珍しい。多くの人に読んで欲しいけど、僕でさえ買って一年放っておいたわけで、なかなか読み始めるのも大変だろう。本そのものは多くの図書館にあると思うから、手に取ることは難しくない。問題はもう「原爆の悲惨さ」は何となく知ってる感じがして、今さら感を持つ人が多いんじゃないか。しかし、一人一人の「生」の重さはかけがえがなく、改めてきちんと向き合う機会を与えてくれた「原爆供養塔」は実に貴重な本だった。
なお、僕が今までに読んだ中で是非読んで欲しいのが、関千枝子「広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち」(ちくま文庫)である。この本は今も文庫などで入手しやすいはず。80年代に書かれた本で、著者はクラスメートの中でたまたま生き残った。このような本は世界の人にぜひ読んで欲しいと思う。世界に核兵器の悲惨さを伝えていくことが、改めて日本人の使命だと強く思った。