尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

佐藤賢一のフランス王朝史3部作

2019年08月12日 22時29分44秒 |  〃 (歴史・地理)
 「王妃の離婚」(1999)で第121回直木賞を受けた佐藤賢一は、その後も主にフランス史を舞台に旺盛な作家活動を続けている。長大な「小説フランス革命」(単行本で全12冊、文庫本だと全18冊)完結以来数年、今度は「ナポレオン」3部作の刊行も始まった。佐藤氏は歴史ノンフィクションも多い。もともと東北大学大学院博士課程フランス文学専攻を修了していて、原文史料を読みこなせる。そんな佐藤氏が書いてきたフランス王朝史が、「カペー朝」(2009)、「ヴァロワ朝」(2014)に続き、「ブルボン朝」(2019)で完結した。(いずれも講談社現代新書)。

 フランスの王様に特に大きな関心があるわけじゃない。しかし、重要国のフランスの王朝を歴史的にたどるのも大事かとまとめて読んだ。「カペー朝」(250頁)、「ヴァロワ朝」(365頁)に続き、「ブルボン朝」(450頁)とどんどん長くなって行く。「ブルボン朝」など、もう新書とは思えない厚みである。フランスの王様と言えば、ルイ14世ルイ16世ぐらいしか思い浮かばない。それが「ブルボン朝」だから、一般的にはそれだけ読めばいい気がする。でも、歴史というのは「創業期」こそ面白い。名前もよく知らない「カペー朝」や「ヴァロワ朝」にこそ知らないことを知る楽しみがある。

 フランスの王様は、みんな「ルイ」ばかりという思い込みがある。18世までいるが、実はフランス以前の西フランク王国から数えているとは意外。「メロヴィング朝」とか「カロリング朝」というのがフランク時代にあるが、そのカロリング朝に「ルイ」が5人いる。「フランス」最初の「カペー朝」は「ルイ6世」から始まるのだ。名前は「肥満王」である。列聖されているという「聖王ルイ9世」もいた。でも「アンリ」とか「フィリップ」という王も案外多い。「美男王フィリップ4世」という人もいる。

 佐藤氏はカペー朝を個人商店に例えている。確かに地図を見ると、カペー朝時代はパリ周辺の小領主でしかない。一応「フランス王」なんだけど、個別の領主権に介入できない。日本史で言えば、室町時代後半の足利将軍みたいなもので、畿内にしか勢力が及ばない。一応全国的な権威があることになってるけど。ヨーロッパ史でよく判らないのは、「王権の相続」である。王国があって、王家があるんじゃない。王家があって、領地はその私有物である。王族は他の王朝と政略結婚を繰り替えして、後継者の男子がいないと、領地が女子に相続されて転々とする。

 カペー朝からヴァロワ朝への交替(1328年)は、直系が絶えた時に前王の弟の息子、つまり王の従兄弟が継いだから、王朝の交替というほどではない。日本で言えば徳川家康直系から、紀州の吉宗が継いだ時なんかもっと遠い。天皇家でも似た例がある。でもフランス史でここを王朝交替と考えるのは、実は前王の娘がイングランド王エドワード2世と結婚していて、イングランド王も王位を主張したからだ。これが「英仏百年戦争」のきっかけである。ジャンヌ・ダルクは知ってても、時のフランス王は覚えてないだろう。その試練を乗り越えてフランス王として権威を確立したヴァロワ朝だが、今度は宗教改革の波がフランスを覆う。有名なサン・バルテルミーの虐殺など新旧の争いが絶えず、第8次宗教戦争まで続いた。

 1589年にヴァロワ朝最後のアンリ3世が暗殺され、ブルボン朝初代大王アンリ4世が即位した。王家の相続は、ヴァロワ朝時代に賢王シャルル5世がルールを定めた。外国勢力の介入を防ぐため、女系は認めず男系の王族に限定した。しかし多くの王家が絶えて、カペー朝時代に分かれたブルボン公家しか残っていなかった。もっとも女系ではもっと近い関係にあり、当時の人々もルール上アンリ4世が継ぐことは判っていたという。だが、重大な問題があった。アンリ4世はプロテスタントの家系だったのである。本人は過酷な人生行路をたどって、改宗を何度も繰り返している。最終的にはカトリックに何度目かの改宗をして収まった。そして「ナント勅令」を出して宗教戦争を何とか終わらせた。アンリ4世は確かに大王と呼ばれる資格がある。

 その次から「ルイ」ばかりになる。ルイ14世とルイ16世がいるんだから、当然ルイ13世ルイ15世もいるはずである。ちゃんと知ってる人は少ないだろうけど。「正義王ルイ13世」(1610~1643)は、「三銃士」の時代の王である。アンリ4世が暗殺され、幼少で継いだが摂政を務めた母と争いが絶えなかった。次が「太陽王ルイ14世」(1643~1715)で、同じく幼少で継いだため非常に長い治世となった。そのため、子どもどころか、孫も死んでしまって後継者「最愛王ルイ15世」(1715~1774)はひ孫である。ルイ14世は太陽王と言われるけど、ダンスが大好きで自分も踊ったという。自身をアポロン(太陽神)になぞらえたダンスをしたから「太陽王」なんだという。知らなかった。

 ルイ15世は興味深い。前後が有名で忘れられがちだが、特に女性関係などすごすぎ。14世、15世は戦争をやり過ぎた。宗教戦争もあり、ヨーロッパの大国が両陣営に分かれて大戦争が続いた。フランスだけ無関係というわけにも行かないだろうけど、これだけ戦争すればお金がなくなるのは当然だ。それがルイ16世時代に爆発する。まあ、そんなに悪い人じゃなかったんだと思う。革命を逃れて、ナポレオン後に「復古王政」で王位についたルイ18世シャルル10世が王権神授説を信じるウルトラ保守だったのに比べて、この二人の兄だったルイ16世の方がマシだったかも。この間、「王家あっての王国」から、次第に「国家あっての王」という考え方が一般的になって行く。次第に「近代国民国家」が近づいてくる。その長い長い大河ドラマのフランス編である。
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