9月1日の「関東大震災」の日が近づいてきた。加藤直樹氏の『トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(2019.6、ころから、1600円)を読んだ。「ころから」は出版社の名前。加藤直樹氏は、大震災時の虐殺現場を訪ね歩いた『九月、東京の路上で』の著者である。劇団燐光群の坂手洋二氏によって舞台化され、見た感想を書いた。
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「なかったことにしたい人」と言っても、外地で起こった戦時中の出来事と違い、首都のど真ん中で白昼公然と起こったことである。普通は誰も否定など出来ないと考える。実際「諸説ある」わけではない。歴史学界では相手にされていないトリック本の工藤美代子『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』(2009、産経新聞出版)と、その文庫化とされる加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック、2014)があるだけである。文庫化で著者名が変わるのはおかしいが、この両人は夫婦である。後者の本には少し加筆があるらしいが、内容的にはほぼ同じだという。
「なかった」本は、この「夫婦で一冊」みたいな本しかない。だが、それだけで「諸説ある」とみなす政治家がいる。そして「政治的中立」と称して、真実から目を背ける人もいる。著者はブログ等で今までも批判してきたが、今度書籍化することにした。今まで工藤夫妻の本が存在することが政治的に利用されてきたからである。だから、その本のトリックはこうですよと指摘する本が必要なのである。この本は、朝鮮人虐殺事件の全体像を示す本ではない。「虐殺があった」ことを証明する本でもない。それは政治的立場を超えた「常識」である。どうすれば「虐殺はなかった」などと言えるかの「トリック究明本」である。
僕は「なかった」本は読んでない。さすがに金と時間のムダだと思い、買わなかった。加藤氏「トリック」は、すべての引用を元の本にあたり、さらに元の史料集に載っていない原典にも当たっている。すごく根気の要る作業だが、誰かがやるべき作業を公刊した加藤氏の苦心のほどがうかがわれる。僕はこの本を読んで、今さら「虐殺はなかった」なんて本を書くとは、それなりの「知能犯」かと思っていたが、とんでもない「粗暴犯」だったのに驚いた。もちろん言論の世界ではあるから、「粗暴犯」というのはおかしいけれど、その手口の悪質さのレベルがすごい。
この本で判るのは、「なかった本」の著者が「虐殺がなかった」と自分では思い込んでいるのではなく、本当は虐殺があったことを知っているということだ。何でそう判断出来るかというと、自分に都合のいいように史料を改ざんしているからである。都合が悪い部分を「略」と書かずに、ひっそりと消して引用する。元の史料に当たる人は少ないだろうから、そんなものかと思ってしまう。あるいは、当時の地方新聞に掲載された「デマ記事」を「証拠」とする。しかし、引用元の資料集には、それは震災当時の混乱の中で書かれた間違い記事で、後に当局の調査で間違いと判ったという説明がある。
そういう資料集を引用してるのだから、およそマトモな読解力があれば「震災に伴う朝鮮人暴動など存在しなかった」ことは理解できるはず。知っていて書いていると判断出来る。例えてみれば、冤罪事件資料集に「自白調書」が掲載され、その後新鑑定で「自白」が否定され再審で無罪になったとする。その資料集から「自白調書」だけを「引用」して有罪と書くようなものである。
この問題の研究のベースとなった「現代史資料」の第6巻「関東大震災と朝鮮人」(みすず書房、1965)という資料集がある。(この問題だけじゃなく、現代史の様々なテーマに関する膨大な資料集である。)夫妻の本もそこから引用して「謝辞」まで書かれているというから、ブラックユーモアの世界である。しかも、編者である姜徳相、琴秉洞両氏の名前は隠され、「みすず書房」としか書かれてないという。
夫妻の「なかった」本は、要するに「本当に朝鮮人による暴動があった」「だから日本人の正当防衛である」という荒唐無稽な主張らしい。しかし、争いがあったという証言は一つもなく、自警団による一方的な暴力の犠牲者ばかりだ。それより何より、暴動があったら軍や警察の出番であって、住民が勝手に殺したら虐殺でしょうが。歴史を知らないから、そんな愚説を言える。朝鮮人労働者は集住していなかった。大地震がいつ起こるかは誰も判らないから準備することが出来ない。学生などで「独立運動」傾向のある朝鮮人は警察の厳しい監視が付いていた。そういう警察の動向は文書で残されていて、今では公刊されている。映画になった「金子文子と朴烈」のグループも監視されていて、震災後に「保護」された。
笑うに笑えない本だが、この問題だけでなく「フェイク言説」の作られ方の本として大切だと思う。自分で買うのもいいけど、朝日新聞の書評にも載ったので地元の図書館でリクエストして読んでみるのがいい。すぐに読み終わるし、難しいところもない。ただ、こんなヒドイ手口で本を書く人がいるんだとビックリすること請け合い。
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「なかったことにしたい人」と言っても、外地で起こった戦時中の出来事と違い、首都のど真ん中で白昼公然と起こったことである。普通は誰も否定など出来ないと考える。実際「諸説ある」わけではない。歴史学界では相手にされていないトリック本の工藤美代子『関東大震災 「朝鮮人虐殺」の真実』(2009、産経新聞出版)と、その文庫化とされる加藤康男『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』(ワック、2014)があるだけである。文庫化で著者名が変わるのはおかしいが、この両人は夫婦である。後者の本には少し加筆があるらしいが、内容的にはほぼ同じだという。
「なかった」本は、この「夫婦で一冊」みたいな本しかない。だが、それだけで「諸説ある」とみなす政治家がいる。そして「政治的中立」と称して、真実から目を背ける人もいる。著者はブログ等で今までも批判してきたが、今度書籍化することにした。今まで工藤夫妻の本が存在することが政治的に利用されてきたからである。だから、その本のトリックはこうですよと指摘する本が必要なのである。この本は、朝鮮人虐殺事件の全体像を示す本ではない。「虐殺があった」ことを証明する本でもない。それは政治的立場を超えた「常識」である。どうすれば「虐殺はなかった」などと言えるかの「トリック究明本」である。
僕は「なかった」本は読んでない。さすがに金と時間のムダだと思い、買わなかった。加藤氏「トリック」は、すべての引用を元の本にあたり、さらに元の史料集に載っていない原典にも当たっている。すごく根気の要る作業だが、誰かがやるべき作業を公刊した加藤氏の苦心のほどがうかがわれる。僕はこの本を読んで、今さら「虐殺はなかった」なんて本を書くとは、それなりの「知能犯」かと思っていたが、とんでもない「粗暴犯」だったのに驚いた。もちろん言論の世界ではあるから、「粗暴犯」というのはおかしいけれど、その手口の悪質さのレベルがすごい。
この本で判るのは、「なかった本」の著者が「虐殺がなかった」と自分では思い込んでいるのではなく、本当は虐殺があったことを知っているということだ。何でそう判断出来るかというと、自分に都合のいいように史料を改ざんしているからである。都合が悪い部分を「略」と書かずに、ひっそりと消して引用する。元の史料に当たる人は少ないだろうから、そんなものかと思ってしまう。あるいは、当時の地方新聞に掲載された「デマ記事」を「証拠」とする。しかし、引用元の資料集には、それは震災当時の混乱の中で書かれた間違い記事で、後に当局の調査で間違いと判ったという説明がある。
そういう資料集を引用してるのだから、およそマトモな読解力があれば「震災に伴う朝鮮人暴動など存在しなかった」ことは理解できるはず。知っていて書いていると判断出来る。例えてみれば、冤罪事件資料集に「自白調書」が掲載され、その後新鑑定で「自白」が否定され再審で無罪になったとする。その資料集から「自白調書」だけを「引用」して有罪と書くようなものである。
この問題の研究のベースとなった「現代史資料」の第6巻「関東大震災と朝鮮人」(みすず書房、1965)という資料集がある。(この問題だけじゃなく、現代史の様々なテーマに関する膨大な資料集である。)夫妻の本もそこから引用して「謝辞」まで書かれているというから、ブラックユーモアの世界である。しかも、編者である姜徳相、琴秉洞両氏の名前は隠され、「みすず書房」としか書かれてないという。
夫妻の「なかった」本は、要するに「本当に朝鮮人による暴動があった」「だから日本人の正当防衛である」という荒唐無稽な主張らしい。しかし、争いがあったという証言は一つもなく、自警団による一方的な暴力の犠牲者ばかりだ。それより何より、暴動があったら軍や警察の出番であって、住民が勝手に殺したら虐殺でしょうが。歴史を知らないから、そんな愚説を言える。朝鮮人労働者は集住していなかった。大地震がいつ起こるかは誰も判らないから準備することが出来ない。学生などで「独立運動」傾向のある朝鮮人は警察の厳しい監視が付いていた。そういう警察の動向は文書で残されていて、今では公刊されている。映画になった「金子文子と朴烈」のグループも監視されていて、震災後に「保護」された。
笑うに笑えない本だが、この問題だけでなく「フェイク言説」の作られ方の本として大切だと思う。自分で買うのもいいけど、朝日新聞の書評にも載ったので地元の図書館でリクエストして読んでみるのがいい。すぐに読み終わるし、難しいところもない。ただ、こんなヒドイ手口で本を書く人がいるんだとビックリすること請け合い。