清澄白河近辺には史跡も多いが、特に史跡と言うほどではないけれどムードある建築が豊富で、町並みを見ているだけで散歩が楽しい。古いものと新しいものが同居している。庭園・公園もあって、住んでみたいと思うほどだ。「白河」というのは、江戸時代の老中、白河藩主松平定信から来ている。定信の墓所が霊巌寺(れいがんじ)という寺にある。もっとも地名となったのは昭和の初め頃だという。深川江戸資料館に近いところにあり、多くの人が通っているけど、寺を訪れる人は少ない。

霊巌寺は明暦の大火で、日本橋の霊厳島から移転したという。ここの文化財は、松平家墓所(国史跡)と江戸六地蔵5番目の地蔵菩薩像。定信墓所は近づけないように囲われている。松平定信は寛政の改革を主導した人物で、僕はどうも好きになれない。まあ地名になるほどの知名度はあるということだろう。江戸六地蔵って、全然知らないんだけど、18世紀初頭に作られ5つが現存しているという。

霊厳寺の前は「江戸資料館通り」で、深川めし屋などが並んでいる。資料館そのものは単なるビルだから省略。前に見てるから、見学も略した。清澄白河駅にあった広告で、だいたいこんな展示かと判ると思う。立体的展示が多く、面白いことは面白いけど、まあ何度も見なくてもいいかな。

近代建築で面白いのが「深川図書館」。清澄庭園の裏あたりにある。出来たのは1909年だと言うから、100年を超えている。その後改修はしているようだが、随所にレトロ感覚が残る。階段のステンドグラスも美しい。

もう一つが「清洲寮」。1933年に作られた民間集合住宅で、一階には今はお店も入っているが、上の方は今も貸し部屋になっているようだ。実に不思議な感じだが、清澄白河には合っている。

清澄庭園の周辺は2階建てのレトロなムードの建物が並んでいる。こんな感じ珍しい。

こういう風情ある建物や元工場みたいな懐古物件がこの地区には多い。近くの木場公園に「東京都現代美術館」があることで、ここにもギャラリーが増えてきた。そこに「サードウェーブ」と呼ばれるコーヒー店が集まり、東京でも注目の地区になっている。「第三の波」というのは、アメリカで言われている言葉で、インスタントが第一、スタバなど「シアトル系が第二、コーヒーをワインのように芸術品として品質管理するようなものを第三と呼ぶらしい。一番有名な「ブルーボトルコーヒー」が下の一枚目。混んでたから飲んではいない。昔の清澄庭園の半分は「清澄公園」として開放されている。ここも木が立ち並んで気持ちいい空間。こんな感じが都心に残っていた。



霊巌寺は明暦の大火で、日本橋の霊厳島から移転したという。ここの文化財は、松平家墓所(国史跡)と江戸六地蔵5番目の地蔵菩薩像。定信墓所は近づけないように囲われている。松平定信は寛政の改革を主導した人物で、僕はどうも好きになれない。まあ地名になるほどの知名度はあるということだろう。江戸六地蔵って、全然知らないんだけど、18世紀初頭に作られ5つが現存しているという。




霊厳寺の前は「江戸資料館通り」で、深川めし屋などが並んでいる。資料館そのものは単なるビルだから省略。前に見てるから、見学も略した。清澄白河駅にあった広告で、だいたいこんな展示かと判ると思う。立体的展示が多く、面白いことは面白いけど、まあ何度も見なくてもいいかな。




近代建築で面白いのが「深川図書館」。清澄庭園の裏あたりにある。出来たのは1909年だと言うから、100年を超えている。その後改修はしているようだが、随所にレトロ感覚が残る。階段のステンドグラスも美しい。



もう一つが「清洲寮」。1933年に作られた民間集合住宅で、一階には今はお店も入っているが、上の方は今も貸し部屋になっているようだ。実に不思議な感じだが、清澄白河には合っている。



清澄庭園の周辺は2階建てのレトロなムードの建物が並んでいる。こんな感じ珍しい。




こういう風情ある建物や元工場みたいな懐古物件がこの地区には多い。近くの木場公園に「東京都現代美術館」があることで、ここにもギャラリーが増えてきた。そこに「サードウェーブ」と呼ばれるコーヒー店が集まり、東京でも注目の地区になっている。「第三の波」というのは、アメリカで言われている言葉で、インスタントが第一、スタバなど「シアトル系が第二、コーヒーをワインのように芸術品として品質管理するようなものを第三と呼ぶらしい。一番有名な「ブルーボトルコーヒー」が下の一枚目。混んでたから飲んではいない。昔の清澄庭園の半分は「清澄公園」として開放されている。ここも木が立ち並んで気持ちいい空間。こんな感じが都心に残っていた。


