尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

旧芝離宮庭園ー東京の庭園④

2019年11月22日 21時07分25秒 | 東京関東散歩
 「東京の庭園」ミニシリーズの4回目は旧芝離宮庭園浜松町駅から徒歩1分で、駅からすごく近い都立庭園だ。その割に空いていて、お昼時に行ったけど、すごくガラガラだった。実は都立9庭園の中で、ここだけ行ったことがなかった。近くに広大な浜離宮があって、芝離宮は存在感が薄い。浜離宮は25万㎡もあって、4万㎡ほどの芝離宮は小さい感じがしてしまう。しかも周りがグルッと大きなビルになってしまって、囲まれた感じがしてしまうのだ。大きな池を回る池泉回遊式庭園
   
 園内に小高くなった山が作られていて、そこから庭園を見渡せる。そこが見どころだが、面積が小さい割に池が大きいから面白みが少ない。池をグルッと回るだけだし、池を撮ればビルの影が映り込む。これじゃ「インスタ映え」しにくいのかなと思った。日本式庭園は「池泉」が大切だから、水の得られる場所に作られた。今では別荘は高原かなんかに作るが、昔は海や川沿いの低地に作られたことが多い。芝離宮の池はもともとは海水を取り込んだ汐入湖だったが、今は締め切って淡水の池になっている。 
   
 上の写真の1枚目が海水の取水口だったところ。ここは江戸初期の大名庭園で、国の名勝に指定されている。元は埋め立て地で、1678年に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領した。幕末には紀州徳川家の屋敷で、明治になって有栖川宮家を経て、明治8年に宮内省が買い上げ、翌年に芝離宮となった。1924年に皇太子(後の昭和天皇)の結婚記念で東京市に「下賜」され、公開された。大名庭園の名残を残す4本の石柱が残っている。大久保忠朝が小田原藩主の頃、後北条氏に仕えた戦国武将・松田憲秀旧邸の門柱を運び入れたものだという。茶室の柱だったらしい。
 
 池に映るビルの影は下の写真を見れば印象的。南に東京ガス、北に汐留ビルがある。すぐ近くに劇団四季自由劇場がある。それより高速道路をはさんで、すぐ隣に都立芝商業高校がある。昔は隣に東京都公文書館があった。そこは研修で行った記憶があるが、そう言えば芝商は行ったことないな。(東京都公文書館は、今は世田谷の元玉川高校校舎に移転している。)
   
 芝離宮庭園は、正式には「恩賜」が庭園に前に入る。岩崎家が東京市に寄付した清澄庭園は「恩賜」が付かない。宮内庁管理の「皇居東御苑」は実は江戸城だが、これはまだ「恩賜」されていないわけだ。皇室から東京市に寄付されたのは戦前のことだから、わざわざ「恩賜」と言い続けるのもどうなんだろうか。国民主権の社会にふさわしくないと思うけど。ここには弓道場もあるが見なかった。曇天の日で、その影響もあってか、池に映るビルばかり印象に残った感じ。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする