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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

多和田葉子、高瀬アキの「晩秋のカバレット2019」

2019年11月20日 22時50分25秒 | アート
 11月18日に両国のシアターΧ(カイ)で行われた多和田葉子(詩・朗読)、高瀬アキ(ジャズピアノ)の「晩秋のカバレット2019」の「ハムレット・マシーネ 霊話バージョン」というのに行ってきた。一体何なんだか、今ひとつよく判らないながらも、すごく刺激的で面白かった。そもそも「カバレット」って何だ。ウィキペディアを見ると、これは「キャバレー」(cabaret)でフランス語でダンスやコメディショーなどをするレストランやナイトクラブとある。ただドイツ語圏の「das Kabarett」は「文学的なバラエティー・ショー」のことだと出ている。それなら「なるほど」と納得できる。そういう感じの催しだった。
(多和田葉子)
 多和田葉子(1960~)はドイツ在住の作家で、日本語とドイツ語で小説、詩を書いている。1993年に「犬婿入り」で108回芥川賞を受けた。これは非常に面白かったが、その後読んでなかった。この間数多くの賞を受けているが、特に2018年に「献灯使」が全米図書賞を受けたことで、一気に評判が高くなった。一部では次の日本人ノーベル文学賞は多和田葉子だという呼び声も高くなっている。だからという訳でもないんだけど、「きずな」という都の退職会員向け雑誌に割引が載っていたので行ってみることにした。(千円が百円引き。)こんな催しがもう18回も続いているとは全然知らなかった。客席数300ほどだが、補助席まで満員で毎年来ているような人も多いようだった。

 今年は劇作家ハイナー・ミュラー(1929~1995)の「ハムレット・マシーネ」(Die Hamletmaschine)を基にしたものだった。誰?、何それ?という感じだけど、ミュラーはブレヒト以後最も重要な劇作家とウィキペディアに出ていた。東ドイツで活動したが当局と衝突して上演できず、西ドイツに招かれてミュラーブームが起こったという。「ハムレット・マシーネ」(1977)は代表作で、多和田葉子のハンブルク大学での修士論文テーマだった(来春日本で翻訳刊行される)と言っていた。もともと数ページのテクストで、「さまざまテクストからの引用や暗喩を織り交ぜたコラージュ的なモノローグ」なんだという。

 高瀬アキもベルリン在住で、ヨーロッパ各地でジャズや即興音楽で活躍して、多くの賞も受けている。単なる伴奏じゃなくて、お互いに掛け合いで進行するところもある。多和田作品には、言葉遊び的な部分、字や音声からの連想で発想が飛んでいくようなシーンが多いが、今回も「ハムレット・マシーネ」を基にしながらも、自由な詩の朗読として進行した。僕は時々はさまれるドイツ語も判らないし、原作も聞いたことさえなかった。どうにも評価の軸が見つからないんだけど、全然退屈しない。多和田葉子の朗読はきちんと書かれていたものだが、ピアノはほぼ即興だったとトークセッションで語られていた。

 章名だけ書いておくと、「第一章 家庭の事情」「第二章 水入らず」「第三章 美術館にて」「第四章 しゃあしゃあソーシャルメディア」「第五章 母の回収」となる。「ハムレット」を下敷きにしながら、どんどん発想が飛んでいく。「前衛朗読会」であり、多和田葉子、高瀬アキのセッションとも言える。と思ったら後ろの方から歌声が聞こえてくる。何だっけ、どこかで聴いた曲だけど…。パンフをよく見ると、小さな字で「ゲスト オペラ歌手中村まゆみ」と書いてあった。

 曲は「カルメン」と言われて、ああそうかと思った。「ハバネラ」や「闘牛士の歌」などのアリアじゃなくて、「第3幕への間奏曲」だった。言われても判らないかもしれないが、聴けば誰でも知ってる曲だ。最後がビゼーというのも判るようで判らない。結局僕には判らないんだけど、後のトークできちんと判っている人が多くて感心した。多和田さんは「朗読はやめられない趣味」だと言っていた。シアターΧだけじゃなく、早稲田大学やゲーテ・インスティテュートでもやってるらしい。「判らないけど、魂の奥に働きかけられた」感じなので、また今後も行ってみようかなと思った。
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