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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

イタリア映画「LORO 欲望のイタリア」とベルルスコーニ政権

2019年11月25日 22時31分36秒 |  〃  (新作外国映画)
 パオロ・ソレンティーノ監督のイタリア映画「LORO 欲望のイタリア」は、イタリアの元首相シルヴィオ・ベルルスコーニ(1936~)を描く大作だ。157分もあって少し長すぎかなとも思うが、政治と人間の欲望を見つめた問題作である。イタリア映画界ではヴィスコンティやフェリーニなどの大巨匠時代が遠く去って、監督や俳優の知名度が今ひとつの感じだが、僕はイタリア映画が好きでよく見ている。

 イタリア映画界の新しい巨匠と言うべき存在がパオロ・ソレンティーノ(1970~)と今年「ドッグマン」が公開されたマッテオ・ガローネ(1968~)だろう。ソレンティーノは「グレート・ビューティー/追憶のローマ」でアカデミー賞外国語映画賞を受賞した他、「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男」(2008)や「グランド・フィナーレ」(2015)などが代表作。いずれも怪優ともいうべきトニ・セルヴィッロが主演している。「グレート・ビューティー」や「グランド・フィナーレ」は驚くべき映像美で世界を見つめる。一方、「イル・ディーヴォ」は汚職まみれの保守政治家アンドレオッティ元首相を描いた。今回の「LORO」は両者の融合で、ベルルスコーニ元首相をテーマにしているが、サルデーニャの映像美も忘れがたい。

 「LORO」の意味が判らないが、プログラムを読んだら「彼ら」という意味だとあった。恐らくはベルルスコーニを取り巻く「彼ら」でもあり、地震被災(2009年のラクイラ地震が描かれる)などを生き延びるイタリア庶民の「彼ら」でもあるだろう。ベルルスコーニと妻のヴェロニカは実在の人物だが、冒頭でほとんどの人物と事件は架空だといったお決まりの断りが出る。ベルルスコーニと言えば、セックススキャンダルと放言汚職、職権乱用、脱税等の疑惑まみれの政治家として悪名高い。失脚中のベルルスコーニに対して、取り巻き連が美女を集めてパーティを開く趣向など興味深く描かれる。
(ベルルスコーニ本人)
 ベルルスコーニは元々イタリアを代表する大実業家だった。建設業界で頭角を現し、その後テレビに進出して全国放送を行う民放を複数所有していた。サッカーのACミランの会長としても知られる。無名の人物が実業界で成功したのは、マフィア資金の洗浄に関わったからだという噂もある。イタリアでは1990年代初期に「政界再編」が行われた。それまでの中道右派、中道左派政権幹部がほとんど汚職に絡んでいたことが暴露され、既成政治家が権力を失った。その時にベルルスコーニが保守派を結集して「フォルツァ・イタリア」(頑張れイタリア)を結成し、政界に進出したのである。

 何回か失脚と復権を繰り返したので、調べてみると4回首相に選出されている。2回と3回は続いているので、実際は2回失脚して2回復権したことになる。最初が1994年5月から95年1月の短期政権。2回目は2001年6月から05年4月。続いて05年4月から06年5月までの5年間の長期政権。これで終わりかと思ったら、2008年5月から2011年11月までの第4次政権が成立した。この間、左派政権と交互に国政を担当したが、内政面では数多くの訴訟で起訴されて対応に追われた。最終的には2011年に未成年者売春罪職権乱用罪で起訴され政界引退を表明した。2013年には議員資格を剥奪されている。ただ子どもを各マスコミの代表にして隠然たる影響力を保持しているとされる。

 そんなベルルスコーニを映画化してしまえるイタリアもすごい。その女性差別的言動や性的スキャンダルなど、ドナルド・トランプのさきがけとも言えるだろうが、むしろ日本人としては田中角栄を思い出させる。今もなお、一種の「人気者」として記憶される「角さん」のような陽性のイメージもこの映画のベルルスコーニに見られる。今もなおベルルスコーニが一定の「人気」を保ち続ける秘密を探る映画でもある。そこがブッシュ(子)政権のチェイニー副大統領を描いた「バイス」と違うところだ。

 「バイス」は政界情報としては興味深いが、政治的メッセージを込めた映画だった。「LORO」は「彼ら」という題名が示すように、もっと複雑な視点を持っている。裸の美女が多数出て来るが、主人公を断罪していないように思われる。セックスシーンも多いけれど、それは注意深くベルルスコーニではない。むしろ映画内でベルルスコーニは振られている。「口のにおいが祖父に似ている」なんて言われちゃって。しかしラストで彼が言うには、「真相は私と彼女の祖父は同じ入れ歯洗浄剤を使っているということだ」。そうかもしれないが、やはり「老い」が彼をむしばんでいる。だからこそ権力に執着もするんだろう。主にサルデーニャ島の別荘にいた時期を扱っていて、その映像の美しさも印象的だった。
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