尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「統一教会」をめぐる問題ー「安倍事件」考③

2022年07月17日 22時17分44秒 | 政治
 大和西大寺駅前で安倍元首相を銃撃した容疑者は、「宗教団体」にからむ個人的な恨みによる犯行だと早くから報道された。これは取り調べに当たった警察当局しか知らないことだから、警察側から恐らく「人心安定」のため非公式に伝えられたものだろう。そのため、政治的な背景がある事件というよりも、個人的怨恨による「逆恨み事件」だというような報道が続くことになった。

 もっとも片山さつき元総務相は14日にTwitterで「警察庁長官に『奈良県警の情報の出し方等万般、警察庁本庁でしっかりチェックを』と慎重に要請致しました。これ以上の詳細は申せない点ご理解を」と書き込んだという。「霞ヶ関を肌で理解する者同士の会話です。皆様の感じられた懸念は十分伝わっています。組織に完璧はありませんが、国益を損なう事はあってはなりません。」とあって、今ひとつよく理解出来ないけれど、警察情報が漏れすぎだという圧力だと考えられる。「霞ヶ関を肌で理解する者同士」というところに、「忖度せよ」という圧力があるんだろう。

 当初「宗教団体」の名前が日本では報道されなかった。まあ確認が取れないうちは実名報道が難しいということなんだろう。僕は当初から「統一教会」(世界基督教統一神霊協会)だろうなあと思った。ちょっと前に「神道政治連盟議員懇談会の「同性愛差別冊子」問題」(2022.7.1)に、以下のように書いたばかりである。「(神政連議員懇で配布された冊子の)著者は在日韓国人のキリスト教神学者と思われ、「神道政治連盟」とは相反する宗教的立場に思われる。しかし、自民党右派は昔は統一協会系の勝共連合と深い関係を持っていた過去がある。韓国系キリスト教とはなじみがあるのかもしれない。」
(天宙平和連合に寄せた安倍元首相のビデオメッセージ)
 自民党右派と「統一教会」との深いつながりは、90年以前から政治に関心があった人には、「公然の秘密」というより「常識」というべき事柄である。(なお、「世界基督教統一神霊協会」の略称が「統一教会」である。あるいは「統一協会」と書くこともある。前記記事では「協会」としたが、略称としては「教会」と表現することが多いようなので、今後はそちらを使用したい。)もう多くの証言や文書が明らかになっていて、それは否定しようがない。しかし、ずいぶん昔の話になってきて、マスコミ関係者でも若い人は「合同結婚式」など知らないんだという。92年には桜田淳子が参加して大問題になった。
(「統一協会」への恨みと語る容疑者)
 しかし、僕も今は「統一教会」とは言わないというのは知らなかった。今は「世界平和統一家庭連合」(Family Federation for World Peace and Unification)という。しかし、組織は同じだから改名はなかなか(宗教団体を管轄する)文科省が認めなかった。第2次安倍政権になって認められたということである。この「家庭連合」が記者会見して、「安倍氏が会員だったことはない」「友好団体にメッセージを頂いたことはある」「別法人である友好団体と本法人を混同して、安倍氏が関係あると思い込んだのではないか」などと発言した。それを受けてかどうか、マスコミは「関係があると思い込んだ」などという表現をしている。

 しかし、その後「全国霊感商法対策弁護団」が記者会見で指摘したように、「別法人」と言っても同じビルに本部があり、関係者も共通する。「事実上の同一団体」的な側面が強いのは常識だ。昔から、宗教組織の「統一教会」、政治組織の「国際勝共連合」(および傘下の新聞「世界日報」)、そして「ハッピーワールド」(高麗人参や壺などを販売)などの関連企業、関連のNPO、ボランティア団体「世界平和女性連合」「世界平和連合」「天宙平和連合」などは表裏一体をなしている。「世界平和」などを掲げているから、うっかり協力すると、実は反共の宗教団体だったという仕掛けである。
(霊感商法対策弁護団の会見)
 しかし、91年の「ソ連崩壊」で「勝共」という旗印の意味が薄れた。日本では95年にオウム真理教事件が摘発され、カルト教団への警戒が強まった。統一教会の創始者である文鮮明(ムン・ソンミョン)が2012年に亡くなって、まだ組織はあるのかもしれないが、極めて弱体化していると思い込んでいた。しかし、「霊感商法」などの被害者は近年も発生しているという。今もなお、被害が起きているのに、何故大きな問題にならなかったか。警察の捜査対象にはならなかったのか。今後解明されるべきだろう。
(文鮮明と韓鶴子)
 もっとも安倍晋三氏が統一協会に極めて近いというのは、ちょっと違うのかもしれない。本当に近かった、というか「育てた」と言うべきは岸信介元首相だろう。安倍氏が国会議員に初当選したのは1993年だから、すでに冷戦終結後。もう統一教会の役割が終わろうとする頃だ。安倍氏が「会員になったことはない」のは当然である。もともと信仰に結ばれた関係ではなく、相互に利用する関係である。教団側は「広告塔」として、政治家側は「票」や「人員」目当てである。統一教会は大きな票を持っているわけではないから、熱心な運動員を出してくれるということだろう。そこにお互いに利用価値があった。

 「家庭連合」と改名してからは、「同性愛否定」「夫婦別姓反対」「性教育反対」などに力を入れていたようである。これは自民党右派の主張と同じだが、「神道政治連盟」なども同じ考えなんだろうから、どっちが影響を与えているのかは不明である。要するに、「家庭連合」は「日本会議」や「神道政治連盟」などと同じような主張をしていて、安倍時代の自民党政治家には違和感が少なかっただろう。「霊感商法対策弁護団」は「天宙平和連合」に安倍元首相がメッセージを送った(2021年9月12日)ことに抗議する文書を送ったと言うが、議員会館の安倍事務所では受け取りを拒んだという。このような素っ気なさ、反対派にまともに対応しない姿勢は、いつものこととは言え、いかにも「安倍的」である。

 「家庭連合」(旧統一教会)系の諸団体に賛同するのは、「霊感商法」などの被害者に対して誠実とは言えない。そのことを前提にして、いくら寄付するか、何をいくらで買うかは、「信仰」の問題が入り込むので対応が難しい面がある。ある意味、財産を放棄することは「神の国」に近づく道だろう。しかし、現代社会では親が宗教団体にはまると子どもが大学へ行けなくなる。人生設計が狂うわけだが、それは親が早く亡くなったり、経済的に破綻した場合も同じである。親の経済力によらずに高等教育が受けられる社会をつくることこそ、急務というべきだろう。

 安倍氏は第一次政権では「再チャレンジ出来る社会」を掲げた。(「再チャレンジ担当相」を置いた。)自分だけは数年後に「再チャレンジ」に成功したが、2期目以降の政権では、「再チャレンジ」出来る仕組みを作ることに熱心だったとは言えない。「身を切る改革」などと言う前に、政治に出来ることはもっとあったのではないかと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする