尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

『ウィダの総督』と映画『コブラ・ヴェルデ』ーブルース・チャトウィンを読む⑤

2022年07月05日 21時06分59秒 | 〃 (外国文学)
 ブルース・チャトウィンを読むシリーズ最後に『ウィダの総督』(The Viceroy of Ouidah、1980)を取り上げる。著者最初の小説で、日本に最初に紹介された本でもある。それが芹沢高志、芹沢真理子訳で1989年に出された『ウィダの総督』(めるくまーる社)だが、その後旦敬介訳『ウィダの副王』(2015、みすず書房)も出された。僕は『総督』の方を読んだが、単に地元の図書館にそっちしかなかったのである。確かに翻訳はちょっと古い感じがするが、特に大きな問題もないと思う。これはドイツのヴェルナー・ヘルツォーク監督によって映画化された『コブラ・ヴェルデ』(1987)の原作である。

 ウィダと言われて判る人は少ないだろう。アフリカ西部、ベナン共和国にある港である。ベナンそのものが、僕にもよく判らない。ナイジェリアの西にある南北に細長い国である。ナイジェリアとガーナの間に二つの国があって、東がベナン、西がトーゴ。鳥取県と島根県がどっちだか判らない人が世の中にはいるらしいが、ベナンとトーゴは僕にも難しい。昔はフランスが支配して「ダオメ」(ダホメ)と言われたが、1975年にベナン人民革命党によるクーデタが起こり「ベナン人民共和国」に変わった。チャトウィンが訪れた時代には金日成の肖像が飾られているような時代だったのである。

 なんでベナンに行ったかというと、その辺りの旧地名が「奴隷海岸」だったように、アメリカ大陸に多くの奴隷を送り込んだのがウィダ港だったのである。チャトウィンは19世紀初めに権勢を振るってウィダの「総督」と呼ばれたブラジル人を取材していた。しかし、滞在中にクーデタ騒ぎがあり、傭兵に間違えられて外国人は拘束された。その時の様子が『どうして僕はこんなところに』に書かれているが、そこで尋問される恐怖の場面は恐ろしい。誰が信用出来て出来ないのかが判らないのである。独裁政権の恐ろしさを実感する場面だ。1990年に社会主義政権は崩壊し、国名は今はベナン共和国になった。
(ウィダの歴史博物館)
 小説『ウィダの総督』は決して判りやすい本ではない。チャトウィンとしても初の本格小説で、まだ技術的に完成されていないと思う。これはウィダ総督になったフランシスコ・マヌエル・ダ・シルヴァの一族百年を描く小説だが、『黒ヶ丘の上で』の本格的リアリズムと違って、マジック・リアリズム的な世界である。アフリカで有力者の娘をめとらされ子どもが生まれる。彼はブラジルに戻りたいのだが、やがて排除されていく。アフリカで黒人娘に子どもを産ませるぐらいしか楽しみがなく、60数人の子が生まれた。一族は続いて、100年後にも集まりを持っている。そんなグロテスクな世界を描くのである。

 ブラジルで貧しい生まれの少年が、いかにしてアフリカの奴隷商人になったか。ブラジル東北部の乾燥地帯で貧農に生まれたフランシスコは、幼くして父母を失う。何とか生き抜いて有力者の知遇を得るが、何かと物議を醸す彼はアフリカに送ろうということになる。当時ダホメ王国との関係が悪化していて、戻ってきた白人はいなかった。イギリスが奴隷貿易を禁止しようという時代に、アフリカでも彼は生き抜いた。それはダホメ王国の国王に気に入られたからだ。奴隷を贈られる代わりに、ブラジルから銃を輸入して王に献呈する。王は軍隊を強化して近隣民族を攻撃して、捕虜を奴隷として白人に渡す。奴隷貿易というのは白人が黒人を捕まえたのではなく、現地の黒人王国が奴隷を集めていたのである。

 しかし、ダホメ王は身勝手で、なかなか従順にならないフランシスコを捉えるように命じる。獄につながれて死刑を宣告されたが、王の甥が反乱を起こすために彼を逃がす。そして、女性を集めて軍事訓練を施して国王を襲撃する。これが史実でも有名な「ダホメ王国のアマゾネス軍団」というものらしい。ヘルツォーク監督の『コブラ・ヴェルデ』では、ここら辺が見どころとなっている。実際のダホメ王の末裔を王役にキャスティングして、色彩鮮やかな女性軍団を動かしている。原作者のチャトウィンは、体調が悪かったにもかかわらず、監督に誘われてガーナまでロケを見に行った。(人民共和国時代のベナンではロケできなかったんだろう。)そして王に原作をプレゼントしたりしている。
(『コブラ・ヴェルデ』のフランシスコ)
 ヘルツォーク監督は今年80歳になるということで特集上映が行われた。『コブラ・ヴェルデ』もやってるので見に行った。『フィツカラルド』という超絶的傑作が好きで、ヘルツォーク監督作品はかなり見たはずなんだけど、これはどうも見た記憶が蘇らない。1990年公開とあるから、仕事が最も忙しかった時代で見逃したか。原作は娘の回想、ブラジルの少年時代などが長いが、映画はアフリカ時代に絞っている。アフリカの民族世界のドキュメンタリーみたいな感じもする映画だが、原作にある男の狂騒は伝わってくる。原作者チャトウィンは、主演のクラウス・キンスキーはイメージに合ってないと言っている。

 クラウス・キンスキー(1926~1991)は若い時にヘルツォークと同居生活をしていた時代がある。その後二人が活躍するようになると、『アギーレ/神の怒り』『フィツカラルド』など代表作に主演した。結局5本に出て、『コブラ・ヴェルデ』が最後になった。死後に『キンスキー、我が最愛の敵』(1999)というドキュメンタリーも作っている。しかし、チャトウィン『どうして僕はこんなところに』を読むと、撮影中に監督がキンスキーに切れてしまった。あまりにも暴力行為が多かったという。ただ、役柄そのものが奇怪なもので、画面でも王の暴力にさらされている。あれじゃ精神的におかしくなるだろう。

 一応記録として残しておこうと書いたけれど、読んでみる人も少ないだろう。他にチャトウィン作品としてはオーストラリアの先住民アボリジニーの世界観に迫る『ソングライン』があるが、かなり長いようなのでちょっと敬遠。他に評伝が出ている。いずれ読んでみたいと思っているけど、図書館が駅から遠いので、暑い夏には行きたくないのである。ブルース・チャトウィンという作家は長命したら、20世紀後半を代表する作家の一人になったのは間違いない。残された『パタゴニア』だけで永遠に読まれ続ける作家となった。まずはそれを読んでみて欲しい。魅力を感じて、他の作品も読んでみたいと思うだろう。
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