尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

三部制高校で働くということ①

2012年04月03日 23時36分35秒 |  〃 (教育問題一般)
 「六本木高校でのお仕事」を書いた時に「補遺」が必要だなと思った。その話。教育に限らず「現場の細部」を語らないと、実態を無視した空論を交わすことになりやすい。だから自分が忘れないうちに、書いておきたいなと思ったわけである。思ったことは、「三部制高校」というシステムそのものの問題を書かなくてはいけないということである。

 都教委は多くの夜間定時制をつぶして「三部制高校」を作ってきた。元々東京には、代々木高校という三部制高校があった。芸能人が多数在籍したことで知られる。(例えば木村拓哉、中居正広、原田美枝子等。)しかし、「高校改革」の名のもとに2004年に閉校している。ところがその後、あちこちに三部制を作り、今では10校以上ある。東京が全国で他と大きく違っているのは、中高一貫校と三部制高校をたくさん作ったことである。その意味は、僕にはまだよく判断できない。

 三部制にもいくつかあって、都教委が「チャレンジスクール」と呼ぶ学校は、総合学科であるという点と入選に学科試験がなく面接と作文で選考するという特徴がある。六本木高校もそれだが、今書きたいのはそのことではなく、「三部制」という形態の問題

 三部制というのは、1日を午前、午後、夜間の三部に分け、それぞれ4時間ずつの定時制課程を置く高校である。夜間定時制が三つ、時間を違えて同居しているようなもんだけど、他部の授業も取れることにして3年卒業を可能にする。だから時間割も朝から通しで、1時間目から12時間目までと呼ぶ。学年制の全日制では、朝から来ないと遅刻となり、授業の欠席が多いと進級できない。でも三部制だと、昼過ぎに来て夕方までいれば(つまり5~10時間目まで授業を取れば)、時間を違えて6時間授業の高校に入ったのと同じである。これは朝が弱い生徒には朗報である。夜更かししたり生活が乱れたりするばかりではなく、病気で朝から来られない生徒はたくさんいるのだから。

 だから生徒にとっては、三部制がいいという点はある。でもそれを教師から見ると、難しい点が多々あることが実感されてくる。まず教師がそろわない。朝から夜まで授業があるわけだから、教師も朝から夕方までと、昼から夜までの2交代制で勤務するわけである。教員が全員いるのも、昼から夕方までしかない。しかし三部そろって同じ学校だから教育課程は共通で、会議で授業や生徒指導の共通理解をはかる必要は他の学校より高い。よって、夕方(夕休み)は毎日会議となる。職員会議と研修が水曜日、他に校務分掌部会(教務、生活指導、進路指導など各部の会議)、年次会(学年会)、これで3日。他の2日には「総合学習」にあたる科目の打ち合わせである。(これは全員ではないが。)夕休みと言うのは、午後の授業が終わった後、1時間10分の休みを置いている時間帯のことである。部活動もそこしかそろわない。だから、教員が熱心に指導することはなかなか難しい。部活はともかく、午後部の担任は、毎日のように会議だから生徒と話す時間がない。ショート・ホームルームもないのである。1時間しか取れない職員会議の時間に、最近は都教委から降りてくる全員研修が多い。情報管理についてとか不祥事防止月間とかで20分くらいも誰もが知ってる話を聞かされる。「学校経営の妨害」そのものである。職員会議が定時で終わらないと、夕方の授業がある先生だけ中座して出ていくことになる。これではこの三部制と言うシステムはおかしいと思う教員が多くなるはずである。

 会議もそうだけど、授業の持ち方もそうである。朝や夜は全員の教員がいない。だけど生徒に必要な必履修授業はおかないといけない。だから全日制の大きな学校なら、専門の日本史だけやってるようなことが可能だけど、三部制では全く不可能。社会(地理歴史、公民)や理科は科目の専門性が高いが、それと関係なく、世界史、日本史、地理、現代社会などのなかから一人で三つは担当しないと時間割が組めない。一方、人権、歴史探訪、新聞の読み方などの特色科目がある。また総合学習や担任が担当する「産業社会と人間」という科目があり、それは持たない年もあるけど、短期集中講座は全員が持つ。だから一年に5つか6つの科目を担当することになるのである。後半の方の科目はともかく、重要な科目が3つも4つも入ってくるのは、本当いうと大変すぎる。勘弁して欲しいんだけど、仕方ない。それでもやっていけるのは、「生徒が来ない」からだとしか思えない。不登校の生徒が急に来られるわけではなく、必履修科目はいっぱい登録するけれど学年末には半分くらいになっている。その分成績処理の手間がなくなるわけである。

 だからこの三部制と言うシステムは、教師から見ると相当の無理があると思わざるを得ない。いくつかの点は改善が可能だろうけど、本質的に三部で同じことをやるというシステム自体がかなり厳しい。部ごとの募集ではないので、全体で合格を決めてから希望に応じて部の合格を決める。そうすると、夜間部の希望が少なく、第二希望、第三希望で回る生徒が多くなるのが実情である。だから夜の部はなくしてもいいのではという人もいるけど、それは無理だろう。夜間定時制をつぶし過ぎた都の教育政策は、国連の人権委員会でも取り上げられた論点である。都は定員に満たない夜間定時制を三部制に移行させたというタテマエだから、夜間枠をこれ以上削減することは問題なのである。(夜間だけ給食があるのを昼間の生徒にも食べさせたいという意見もあるが、夜間の給食は「定時制通信制教育振興法」による法的裏付けがある施策なので、やはりそれも無理だろう。)

 ところで、その朝勤務と夜勤務、A勤とB勤と言っているが、これにも問題がある。行事の日などは全員A勤務になる。時には前日夜9時過ぎまで勤務で、翌日朝8時半頃から勤務時間と言う日があったりする。そういう勤務形態も問題なんだけど、それを任期中に変更するかという問題も大きい。変えない学校もあるらしいが(つまりその学校に勤務する限り、原則としてずっと朝からか、昼からかに限定される)、六本木高校では途中で変わることを原則としている。そうすると、昼間は全員いるから昼間部の担任は変わらないことが可能だけど、朝や夜の担任は勤務時間が変わると必ず変わることになる。でも1年、2年と担任してきて生徒を一番判っている担任が、卒業生が出る年になって変わることになる。だから場合によっては3年までやって、4年で変わるということもある。どういうのが一番いいかは決められない。僕も勤務を変わることが悪いとは思ってない。朝も夜も見てみることも大事だと思う。でも、進路を前にして必ず担任が変わってしまうという方針もどうなんだろうか。クラス替えがないので担任が変わることも意味があるが、ただでさえ不安感を持ちながら不登校を克服しようとしている生徒が多い。担任が変わるとか変わらないとかで不安になってカウンセラーにも話が行くような場合もあった。この問題には正解はないと思うけど、難しい。

 都教委は異動にあたって、教員歴で一回は島か定時制にという方針を打ち出している。しかし、子育てや介護をかかえていると、島の勤務は難しい場合が多い。夜間定時制も無理な場合、三部制定時制課程で昼だけ勤務するということがおきる。人によっては、夜の勤務が難しい。また朝からの勤務が難しい場合もあるだろう。それぞれの家庭事情を無視して、勤務時間を原則通り変えていくのは問題が多い。授業の持ち方や勤務のあり方が特殊で大変なこともあって、早めに異動する教員が増えてしまうのかもしれない。この三部制と言うシステムは、教員内部から見ると、かなり限界に近い気がする。ということをまず報告。
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岩下志麻のトークショー、岩下志麻の映画

2012年04月01日 22時15分18秒 |  〃  (旧作日本映画)
 31日に、池袋の新文芸坐で岩下志麻のトークショー。司会は最近「岩下志麻という人生」を出した共同通信の立花珠樹。昨年の梶芽衣子ショーでも司会を務めていた。ここでは書かなかったが、新文芸坐では2月に八千草薫の特集があり、そこで八千草薫のトークショーがあった。八千草さんは1931年生まれでもう80歳を超えている。しかし、なんという若々しく瑞々しい感性と美貌を保ち続けているのだろうと感嘆した。近作にも出演している。
(岩下志麻)
 岩下志麻は1941年生まれ。驚くほど若々しい様子に女優という職業の素晴らしさと大変さを感じる。とにかく美人で、女性映画の松竹で60年代を支えた大女優の一人である。清張ミステリーや「極道の妻たち」シリーズなどで美人に止まらない役柄をこなしてきた。でも、映画史的には篠田正浩監督と結婚、篠田映画の傑作の主演、助演をつとめたことが一番大きなことだろう。「心中天網島」、「はなれ瞽女(ごぜ)おりん」などが代表。これらは本当に素晴らしい。あまり成功していたとは思えないが「卑弥呼」とか「桜の森の満開の下」といった作品も忘れがたい。篠田作品にはほとんど出ていて、女性映画ではないと助演に回っているが、いつも重要な役柄を見事に演じてきた。
(「秋刀魚の味」)
 62年に小津安二郎の遺作「秋刀魚の味」に出演した。小津作品最後のヒロインという歴史的意義がある。「テストが100回」とは今回も話に出たが、有名なエピソードである。しかし一番心に残ったのは、「はなれ瞽女おりん」の話である。水上勉の原作で、生まれたときから目が見えず「ごぜ」と呼ばれる放浪の芸人として生きる女性の話である。神と結婚したということで男との交わりは許されない。男とつきあったおりんは、集団と離れて一人「はなれごぜ」として生きなければならない。

 この目が見えないという難役中の難役をどう演じたか。普段から目をつぶり、盲学校を見学に行き、視覚がない人生に近づく。人間の耳は左右で少し聞こえが違い、それで身体のバランスがずれてくるという。それを感じ取り演技に生かしたと言っていた。映画を見るときにはストーリーに入れ込んできちんと確認するのを忘れてしまった。途中で脱走兵と思われる原田芳雄とめぐり合い旅を共にする。その原田芳雄との共演の思い出があまりないという。後で聞くと、原田芳雄は目が見えない役の岩下に配慮して、撮影ではない時もできるだけ見られないように努めていたという。すごい配慮ができる人だ。
(「はなれ瞽女おりん」)
 「はなれ瞽女おりん」は当日夜に再見したが、やはり素晴らしい映画だった。77年ベストテン3位。(1位は「幸福の黄色いハンカチ」、2位が新藤兼人の「竹山ひとり旅」、4位が「八甲田山」。)宮川一夫の撮影、武満徹の音楽などのスタッフが超一流。それより社会批判の志の深さが身に沁みる。大正時代の北陸から越後、信州の話である。山や海も美しい。雪も映画では美しい。しかし、人の世は厳しい。

 今回「古都」も再見した。この映画は3回目か4回目で、大好きな映画である。川端康成原作で北山杉が見事。岩下志麻は一人二役で、双子の役。片方は捨てられ、帯の店の一人娘として育つ。二人が出会い、どのように交流していくか。そこに結婚や親の問題も絡みながら進んで行く。基本的に悪い人は出てこないが、話は気品を保ちながら運命を感じるという意味でスリリング。成島東一郎の撮影、武満徹の音楽も印象的で、中村登監督のていねいな演出が生きている。アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。岩下志麻が若い時にいかに清楚で気品があったかを永遠に残す映画でもある。最近は昔の俳優のトークショーが多く、そういう機会は逃さないようにしたいと思っている。
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