金沢に初めての旅行。新幹線で上田まで行ってバス。行きは飛騨高山、帰りは白川郷に寄って、金沢は駅前のホテルに2泊。食事なしで安いホテルだけど「全部込みで2万円」という旅行を見つけて、これは安いと思った。実は金沢は初めて。これで泊まったことがない県は本州では福井県だけとなった。(あとは高知、福岡、大分、佐賀、長崎。)
例年なら兼六園も桜咲く季節だけど、今年はどこ行っても寒い。土曜日の白川郷なんか雪が降っていた。初日の高山も雨模様。ここは30年前に来ている。その時は、オークヴィレッジの夏休みに行って、そこから富山の利賀で行われた第1回世界演劇祭へ。そして奈良の「交流(むすび)の家」(ハンセン病回復者の宿泊施設)へ行って、そのまま韓国のハンセン病回復者定着村のワークキャンプ。一体いつ家に帰ったんだか、という青春放浪大旅行だった。よって、高山の詳しいことは忘れてしまった。少なくとも、まだ「飛騨牛」とか「高山ラーメン」でいっぱいではなかった。
一応、古い街並みを歩いた。ラーメンは細麺すぎ。
お勉強になったのは、「飛騨高山まちの博物館」という無料の広い博物館。古い蔵を利用して、いろいろな展示があるが、多すぎるかも。「飛騨の匠」の意味を初めて知った。これは「飛騨出身のすぐれた職人技術」のことだと思っていたが、実は奈良時代以前からあるらしい「朝廷の制度」だった。飛騨の職人技術を都の建設に使うために、庸調を免除する代わりに労役として都で働かせるという「公の制度」。個人のすぐれた職人技のことではないのである。
金沢は駅前のホテルだったので、駅にある「百番街」などのおみやげショップ街が役立つ。この駅の壮大なまでの広場建築は一見の価値あり。全体的に古い中に新しいものが生きる文化力が生きた町。人口は46万ほど。駅前に時計があり、デジタルかと思えば、実は水で時刻を表現している。写真では判りにくいかもしれないけど、ちょっと驚きの仕掛けである。
2日目、朝は雨、というよりみぞれ交じり。これはこれはと思いながら、降水確率8割では一日雨だなあと思った。ホテルを出るころに雨があがっていたので、とりあえずは兼六園へ。1972年、高校生の時の一人旅で岡山後楽園を見ている。そして水戸偕楽園は行ってない。日本三景なんか一つも見てない。山と温泉中心の年が多かったもので。兼六園は何が「兼六」なんだか行ってみてよく判った。東京の大名庭園は大体行ってるけど、ここがベストだと思う。「眺望」があるのが大きい。庭園だけならどこでも作れるが、町を見下ろせるのは立地が限られる。まあよくつかわれる場所の写真だけど。
斜めの松。
ところで、兼六園のすぐ近くにある金沢神社に「金城霊澤」という泉がある。これは「芋掘り藤五郎」という伝説があるところで、これが「金沢」という地名の由来だそうである。そこから県立美術館、歴史博物館を見る。歩いて香林坊(繁華街)へ。ここには「109」がある。お昼を食べて、まだ天気が持ってるから、武家屋敷へ。そして尾山神社へ出て、近江町市場へ。写真の変な三層の建物が神社の山門。ちょっとびっくりの和洋折衷。明治になってできた「利家とまつ」を祀る神社である。写真の銅像が前田利家である。よくみると、背中に変な袋を背負っている。これは「母衣」(ほろ)というものである。戦いの中で本陣と前線を行き来したりする役目で、敵味方にも識別できる色付きのものを背負った。精鋭の武士が務めることが多かったということで、信長軍団には「黒母衣衆」「赤母衣衆」がいた。利家は赤母衣衆のトップだった。いや、実はこれまで知らなかったんだけど。
市場を見てもまだ天気が持っている。ならば、ひがし茶屋街まで歩こうということで、途中の「泉鏡花記念館」を見て行く。金沢三文豪というのが、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星である。いずれも記念館がある。他にも鈴木大拙(禅を広めた仏教哲学者)の記念館もある。人材を輩出したといえば言えるけど、では読んでるかというと読んでない。秋声や犀星の映画化作品は見てるけど、読んでるのは鏡花だけかなあ。でも、鏡花はすごく変な作家だと思うけど。玉三郎の舞台や映画で知ってる人が今は多いだろうと思う。記念館のすぐ近くに、「声」と書かれた不思議な建物が。チラシを見たら、「朗読小屋 浅野川倶楽部」とある。いやあ、朗読専門館などと言うものがあるとは、金沢の文化力である。川を渡り、ひがし茶屋街を歩く。風情は素晴らしい。今は完全に観光化していると思うけど。翌日バスで寄った金箔のお店にある「黄金の茶室」の写真とともに。
金沢は戦災を受けず古い城下町の街並みが残っている。しかも江戸時代を通じて「加賀前田百万石」の治世が変わらなかった。そこで生まれた長い年月をかけた文化力が今も生きている。今回は行かなかった「金沢21世紀美術館」というのも面白いらしい。県立音楽堂も駅前にあるし、県立能楽堂まである。「アンサンブル金沢」という日本初のプロ室内管弦楽団として有名なところである。そういうところだとは聞いていたが。町を歩き回っているとコンビニが少ない。コンビニより古道具屋や仏壇屋の方が多いかもしれないという不思議な町である。金箔はほぼすべて金沢で作られているという。金箔関係や和菓子や九谷焼のおみやげは多いけど、あとの産業は何だろうか。
翌日は白川郷を経て帰る。ここがまた雪景色。多分今シーズン最後。と思えば、まあいいか。グチャグチャの雪解け道よりも大雪の方がきれいなんだろう。でも寒い。もちろん「合掌造り」の世界遺産集落である。外国人観光客が多いことにびっくり。アジア系もヨーロッパ系も。雪も魅力なのかもしれない。「かまくら」も作られていた。明善寺の資料館は上まで上がれて付近を一望できる。お寺の方にはってあった紙とともに。
例年なら兼六園も桜咲く季節だけど、今年はどこ行っても寒い。土曜日の白川郷なんか雪が降っていた。初日の高山も雨模様。ここは30年前に来ている。その時は、オークヴィレッジの夏休みに行って、そこから富山の利賀で行われた第1回世界演劇祭へ。そして奈良の「交流(むすび)の家」(ハンセン病回復者の宿泊施設)へ行って、そのまま韓国のハンセン病回復者定着村のワークキャンプ。一体いつ家に帰ったんだか、という青春放浪大旅行だった。よって、高山の詳しいことは忘れてしまった。少なくとも、まだ「飛騨牛」とか「高山ラーメン」でいっぱいではなかった。
一応、古い街並みを歩いた。ラーメンは細麺すぎ。
お勉強になったのは、「飛騨高山まちの博物館」という無料の広い博物館。古い蔵を利用して、いろいろな展示があるが、多すぎるかも。「飛騨の匠」の意味を初めて知った。これは「飛騨出身のすぐれた職人技術」のことだと思っていたが、実は奈良時代以前からあるらしい「朝廷の制度」だった。飛騨の職人技術を都の建設に使うために、庸調を免除する代わりに労役として都で働かせるという「公の制度」。個人のすぐれた職人技のことではないのである。
金沢は駅前のホテルだったので、駅にある「百番街」などのおみやげショップ街が役立つ。この駅の壮大なまでの広場建築は一見の価値あり。全体的に古い中に新しいものが生きる文化力が生きた町。人口は46万ほど。駅前に時計があり、デジタルかと思えば、実は水で時刻を表現している。写真では判りにくいかもしれないけど、ちょっと驚きの仕掛けである。
2日目、朝は雨、というよりみぞれ交じり。これはこれはと思いながら、降水確率8割では一日雨だなあと思った。ホテルを出るころに雨があがっていたので、とりあえずは兼六園へ。1972年、高校生の時の一人旅で岡山後楽園を見ている。そして水戸偕楽園は行ってない。日本三景なんか一つも見てない。山と温泉中心の年が多かったもので。兼六園は何が「兼六」なんだか行ってみてよく判った。東京の大名庭園は大体行ってるけど、ここがベストだと思う。「眺望」があるのが大きい。庭園だけならどこでも作れるが、町を見下ろせるのは立地が限られる。まあよくつかわれる場所の写真だけど。
斜めの松。
ところで、兼六園のすぐ近くにある金沢神社に「金城霊澤」という泉がある。これは「芋掘り藤五郎」という伝説があるところで、これが「金沢」という地名の由来だそうである。そこから県立美術館、歴史博物館を見る。歩いて香林坊(繁華街)へ。ここには「109」がある。お昼を食べて、まだ天気が持ってるから、武家屋敷へ。そして尾山神社へ出て、近江町市場へ。写真の変な三層の建物が神社の山門。ちょっとびっくりの和洋折衷。明治になってできた「利家とまつ」を祀る神社である。写真の銅像が前田利家である。よくみると、背中に変な袋を背負っている。これは「母衣」(ほろ)というものである。戦いの中で本陣と前線を行き来したりする役目で、敵味方にも識別できる色付きのものを背負った。精鋭の武士が務めることが多かったということで、信長軍団には「黒母衣衆」「赤母衣衆」がいた。利家は赤母衣衆のトップだった。いや、実はこれまで知らなかったんだけど。
市場を見てもまだ天気が持っている。ならば、ひがし茶屋街まで歩こうということで、途中の「泉鏡花記念館」を見て行く。金沢三文豪というのが、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星である。いずれも記念館がある。他にも鈴木大拙(禅を広めた仏教哲学者)の記念館もある。人材を輩出したといえば言えるけど、では読んでるかというと読んでない。秋声や犀星の映画化作品は見てるけど、読んでるのは鏡花だけかなあ。でも、鏡花はすごく変な作家だと思うけど。玉三郎の舞台や映画で知ってる人が今は多いだろうと思う。記念館のすぐ近くに、「声」と書かれた不思議な建物が。チラシを見たら、「朗読小屋 浅野川倶楽部」とある。いやあ、朗読専門館などと言うものがあるとは、金沢の文化力である。川を渡り、ひがし茶屋街を歩く。風情は素晴らしい。今は完全に観光化していると思うけど。翌日バスで寄った金箔のお店にある「黄金の茶室」の写真とともに。
金沢は戦災を受けず古い城下町の街並みが残っている。しかも江戸時代を通じて「加賀前田百万石」の治世が変わらなかった。そこで生まれた長い年月をかけた文化力が今も生きている。今回は行かなかった「金沢21世紀美術館」というのも面白いらしい。県立音楽堂も駅前にあるし、県立能楽堂まである。「アンサンブル金沢」という日本初のプロ室内管弦楽団として有名なところである。そういうところだとは聞いていたが。町を歩き回っているとコンビニが少ない。コンビニより古道具屋や仏壇屋の方が多いかもしれないという不思議な町である。金箔はほぼすべて金沢で作られているという。金箔関係や和菓子や九谷焼のおみやげは多いけど、あとの産業は何だろうか。
翌日は白川郷を経て帰る。ここがまた雪景色。多分今シーズン最後。と思えば、まあいいか。グチャグチャの雪解け道よりも大雪の方がきれいなんだろう。でも寒い。もちろん「合掌造り」の世界遺産集落である。外国人観光客が多いことにびっくり。アジア系もヨーロッパ系も。雪も魅力なのかもしれない。「かまくら」も作られていた。明善寺の資料館は上まで上がれて付近を一望できる。お寺の方にはってあった紙とともに。