ちょっと間が空いてしまったけれど、「三部制高校」の話の続き。三部制と言うか、単位制で定時制課程である高校はもともと、学年制の全日制高校にはなじみにくい生徒像を想定して作られている。だから当然そういう生徒が集まってくる。特に「チャレンジスクール」というタイプでは、調査書不要で学力検査を行わないから、不登校経験者が多く希望する。それらの生徒はどのような生徒だろうか。もちろん多様な生徒像であることを前提にしたうえで、やはり全日制高校とは違ったタイプが多くいるのは間違いない。
僕が一番感じたのは、「チャレンジスクール」に集う生徒には今までにもたくさん会ってきたということだった。中学でも全日制高校でも、また夜間定時制高校でも、様々な生徒がいた。身体的、知能的な障害を抱えた生徒は何人も教えてきた。しかし、今までの学校では「その一人の生徒にどう対応すべきか」という問題だったと思う。そういう場合、例えば身体的な障害(聴覚に障害があるなど)のある生徒に対しては、このように対応しようというような話は職員間で当然行われた。しかし、なかなか教員皆で理解することが難しい、発達障害や人格障害などの生徒には学校では手が回らない傾向があったと思う。大体、学習障害などという言葉は、僕の学生時代には聞いたことがなかった。しかし、今思い返すと、どこの学校にもいたなと思うわけである。大人数の生徒がいる学校では、発達障害の生徒は圧倒的に少数である。多くの生徒が進路や部活動に熱心に取り組む中一方で、いわゆる「問題行動」生徒(「非行傾向」という意味である)も一定程度いてその対応に追われる。だから数としては少ない「奇異な行動をする生徒」が目に入って来ないのである。一杯いたけれども、「あいつは変人だ」で済ませてしまい、学校で共通理解して対応を考えるべき生徒としては見えてこないのである。
夜間定時制高校は、本来は経済的に大変で昼間に働きながら夜学ぶという生徒を想定しているわけだが、もうずいぶん前からそういう生徒は数少なくなっている。学力的に低い生徒や問題行動を起こして高校を一度中退した生徒などがいて、さらに最近は外国出身生徒が増えている。その中に、発達障害などの生徒も当然いるのだが、多少周りとなじめない不思議な行動が多い生徒でも、生徒自体が少ないうえに学校行事などが少ないので、あまり目立たずに「ちょっと変わった生徒がいるな」と思われながら、なんとか卒業して行ったりする。一クラス30人で、学年制だから学校に来られない生徒は退学、留年していくので、卒業までにだんだん減ってくる。20人もいなければ、さまざまな生徒がいても、それは「さまざまな生徒がいるな」としか思われないわけである。
ということで、三部制高校。ここは定時制課程で一クラス30人なのだが、数的には全日制高校に近いくらいの生徒がいる。そうすると、今までの学校では「個人的に変わった生徒」だったのが、量的に増大した結果「学習障害」「自閉症」などの生徒が多数存在することが見えてくるのである。さらに、精神的に不安定な生徒(うつ傾向の生徒)、人間関係などに不安感を持っている「不安神経症」傾向の生徒、精神面ではないけれど身体的に病弱ですぐ来られなくなる生徒などが多く存在する。
ところで、発達障害があるというのと、性格的にちょっと「変人」であるというのは見極めがむずかしい。さらに、神経症であるか、統合失調症であるか、うつ傾向が強いのか、あるいは家庭状況に問題があり通常の人間関係の学びが不十分であるのか、身体的に病弱で様々な社会体験を積むことなく来てしまったため一見とっつきにくいのか、経済的に大変で恵まれない暮らしをして常に脅えているようになったのか。このあたりの違いは、専門の診療を受けても見極めが難しい。医者が変わると、全然診断が違うこともある。自己認識も様々で、自分では何とも思ってない人もいるし、不安を抱えながら毎日やっとの思いで通っているケースもある。ただ、お互いに大体は不登校経験者であると判っているので、こういう高校では自分を飾る必要がないということは大きいのではないかと思う。
こうして書くと、みんな障害や病気のように感じるかもしれないが、もちろんそうではない。「特色授業」にひかれて受けた生徒も多いし、不登校でもなんでもないが経済的に大変で希望した生徒もかなり多い。(例えば、午前部に入って昼からはアルバイトしたいと考えるわけである。夜間定時制だと夜の勉強になるが、ここだと午前の勉強だけで卒業できる。)また芸能活動をするために三部制高校を希望する場合もある。特に六本木高校は演劇やダンスの授業もあるし、山手線内にあるという地の利から芸能活動をしている生徒がかなりいた。卒業まで行かなかった生徒も多いけれど。
そして多分一番多いのは、人間関係のちょっとしたつまづきで不登校になったものの、環境が変われば何の問題もないかのごとく毎日楽しそうに登校できる生徒である。「問題もないかのごとく」と書いたように、突き詰めていくとやはり多少の「問題」はあることが多いと思う。人間関係が苦手だったり、自分のこだわりが強い部分があって、自分でもそのことが心配だったりする。しかし、それを言えば、親や教師も含め大人でも結構同じような問題を抱えているわけだけど。
そして、これらの生徒を理解するための「研修」が当初は非常に多かった。それは役に立ったけれど、それで理解を深めた障害を抱える生徒の中で、どれだけが卒業できたかという問題は残ると思う。結局、単位制であるとはいえ、学校に登校できない生徒は卒業はできない。そうすると、生徒像からするとどうしても全員が卒業まで行くのは非常に難しいという風に思う。教員は生徒の症状を完全に理解するのは難しいけれど、その生徒が登校できる(精神的、身体的)態勢にあるか、どう支援していけばいいかはある程度判るのではないかと思う。
そういう経験を異動した次の学校で生かすことができるのだろうか。僕はこれだけ三部制を作った都教委の意図がよくわからない。生徒理解の経験が他で生きることが重要だと思っているのだが。中学、高校で進学重視、競争重視を進めれば、当然その態勢にのっていけない生徒が増えてくるはずである。そこでそういう生徒の受け皿を作っておくという意図であるのかもしれない。それでは都の教育全体としては、本末転倒ではないかという感じがする。(今日で終わるかと思ったけど、さらにもう一回。)
僕が一番感じたのは、「チャレンジスクール」に集う生徒には今までにもたくさん会ってきたということだった。中学でも全日制高校でも、また夜間定時制高校でも、様々な生徒がいた。身体的、知能的な障害を抱えた生徒は何人も教えてきた。しかし、今までの学校では「その一人の生徒にどう対応すべきか」という問題だったと思う。そういう場合、例えば身体的な障害(聴覚に障害があるなど)のある生徒に対しては、このように対応しようというような話は職員間で当然行われた。しかし、なかなか教員皆で理解することが難しい、発達障害や人格障害などの生徒には学校では手が回らない傾向があったと思う。大体、学習障害などという言葉は、僕の学生時代には聞いたことがなかった。しかし、今思い返すと、どこの学校にもいたなと思うわけである。大人数の生徒がいる学校では、発達障害の生徒は圧倒的に少数である。多くの生徒が進路や部活動に熱心に取り組む中一方で、いわゆる「問題行動」生徒(「非行傾向」という意味である)も一定程度いてその対応に追われる。だから数としては少ない「奇異な行動をする生徒」が目に入って来ないのである。一杯いたけれども、「あいつは変人だ」で済ませてしまい、学校で共通理解して対応を考えるべき生徒としては見えてこないのである。
夜間定時制高校は、本来は経済的に大変で昼間に働きながら夜学ぶという生徒を想定しているわけだが、もうずいぶん前からそういう生徒は数少なくなっている。学力的に低い生徒や問題行動を起こして高校を一度中退した生徒などがいて、さらに最近は外国出身生徒が増えている。その中に、発達障害などの生徒も当然いるのだが、多少周りとなじめない不思議な行動が多い生徒でも、生徒自体が少ないうえに学校行事などが少ないので、あまり目立たずに「ちょっと変わった生徒がいるな」と思われながら、なんとか卒業して行ったりする。一クラス30人で、学年制だから学校に来られない生徒は退学、留年していくので、卒業までにだんだん減ってくる。20人もいなければ、さまざまな生徒がいても、それは「さまざまな生徒がいるな」としか思われないわけである。
ということで、三部制高校。ここは定時制課程で一クラス30人なのだが、数的には全日制高校に近いくらいの生徒がいる。そうすると、今までの学校では「個人的に変わった生徒」だったのが、量的に増大した結果「学習障害」「自閉症」などの生徒が多数存在することが見えてくるのである。さらに、精神的に不安定な生徒(うつ傾向の生徒)、人間関係などに不安感を持っている「不安神経症」傾向の生徒、精神面ではないけれど身体的に病弱ですぐ来られなくなる生徒などが多く存在する。
ところで、発達障害があるというのと、性格的にちょっと「変人」であるというのは見極めがむずかしい。さらに、神経症であるか、統合失調症であるか、うつ傾向が強いのか、あるいは家庭状況に問題があり通常の人間関係の学びが不十分であるのか、身体的に病弱で様々な社会体験を積むことなく来てしまったため一見とっつきにくいのか、経済的に大変で恵まれない暮らしをして常に脅えているようになったのか。このあたりの違いは、専門の診療を受けても見極めが難しい。医者が変わると、全然診断が違うこともある。自己認識も様々で、自分では何とも思ってない人もいるし、不安を抱えながら毎日やっとの思いで通っているケースもある。ただ、お互いに大体は不登校経験者であると判っているので、こういう高校では自分を飾る必要がないということは大きいのではないかと思う。
こうして書くと、みんな障害や病気のように感じるかもしれないが、もちろんそうではない。「特色授業」にひかれて受けた生徒も多いし、不登校でもなんでもないが経済的に大変で希望した生徒もかなり多い。(例えば、午前部に入って昼からはアルバイトしたいと考えるわけである。夜間定時制だと夜の勉強になるが、ここだと午前の勉強だけで卒業できる。)また芸能活動をするために三部制高校を希望する場合もある。特に六本木高校は演劇やダンスの授業もあるし、山手線内にあるという地の利から芸能活動をしている生徒がかなりいた。卒業まで行かなかった生徒も多いけれど。
そして多分一番多いのは、人間関係のちょっとしたつまづきで不登校になったものの、環境が変われば何の問題もないかのごとく毎日楽しそうに登校できる生徒である。「問題もないかのごとく」と書いたように、突き詰めていくとやはり多少の「問題」はあることが多いと思う。人間関係が苦手だったり、自分のこだわりが強い部分があって、自分でもそのことが心配だったりする。しかし、それを言えば、親や教師も含め大人でも結構同じような問題を抱えているわけだけど。
そして、これらの生徒を理解するための「研修」が当初は非常に多かった。それは役に立ったけれど、それで理解を深めた障害を抱える生徒の中で、どれだけが卒業できたかという問題は残ると思う。結局、単位制であるとはいえ、学校に登校できない生徒は卒業はできない。そうすると、生徒像からするとどうしても全員が卒業まで行くのは非常に難しいという風に思う。教員は生徒の症状を完全に理解するのは難しいけれど、その生徒が登校できる(精神的、身体的)態勢にあるか、どう支援していけばいいかはある程度判るのではないかと思う。
そういう経験を異動した次の学校で生かすことができるのだろうか。僕はこれだけ三部制を作った都教委の意図がよくわからない。生徒理解の経験が他で生きることが重要だと思っているのだが。中学、高校で進学重視、競争重視を進めれば、当然その態勢にのっていけない生徒が増えてくるはずである。そこでそういう生徒の受け皿を作っておくという意図であるのかもしれない。それでは都の教育全体としては、本末転倒ではないかという感じがする。(今日で終わるかと思ったけど、さらにもう一回。)