教育とか学校と言うのは、世の中で一番あれこれ論じられてるテーマの一つだろう。小説やドラマなんかにもよくある。誰にも自分なりの経験があるし、子供や孫が行くから年を取っても関心事である。それぞれ何か思ってることが多いのである。しかし、教員を長くやったものの立場から言うと、「論じられていない学校のテーマ」は数多いと思う。日本の学校は、学校教育法により設置され、教育内容は学習指導要領で基本が定められている。最近問題になっている小学校の英語教育とか中学体育の武道必修化も、学習指導要領が変わったことから来ている。行事や部活動も書いてあるし、教科書や国旗国歌の問題も、考え方はそれそれでも、「学習指導要領をめぐる問題」であることは共通している。
しかし、実際の学校にとっては「学習指導要領」で触れられていない問題が大きな意味を持っていることがある。例だけあげておくと、「そうじ」と「教員の異動」である。(その問題はいずれ別に書きたい。)そして、教育内容を定めるものである以上、指導要領に書いてあるはずがない言葉もある。代表が「放課後」である。多分多くの人にとって、学校の思い出の大きな部分が「放課後」だろう。部活や行事の準備、補習や進路活動…などもそうだけど、いじめやケンカのいやな思い出もあるかもしれないが、チョコをあげたり手紙を渡したり、図書室で本を読んだり、誰もいない教室から校庭の部活を見てたりする時間である。学校と言う場所が多くの人にとって大切なのは、友達や先生となんでもない会話ができるそういう時間空間が存在しているということにあると思う。(だから、学校を学力向上とか公務員の規律などということだけで測ってはならないと強く思う。)
ところで、三部制高校では、教師からすると「放課後」がない。生徒からすると「放課後がない」生徒と「放課後がありすぎる」生徒がいる。実にアンバランスである。教師にとって、昼休みは昼食か勤務前、夕休みは会議。他の時間帯はすべて授業である。(むろん自分の授業がない「空き時間」はあるけれど。)そうじや毎日のホームルームはない。それは夜間定時制も同じだけど、クラスごとの授業だから生徒はつかまえやすい。三部制の単位制高校では授業が生徒ごとにバラバラだから、生徒をつかまえるのが難しいのである。(三部制でも簡単なホームルームを行うところがあるかもしれないが。)授業だけは出てくるけれど、行事や部活は参加しない(しづらい)生徒も多くて、そういう生徒はお昼や夕方ですぐ帰るので「放課後がない」。一方、朝の生徒でも部活のために夕方まで残っていることがある。また上級生になるにつれ、必履修を取り終り特色授業をピンポイントで取るようになるので、授業のない時間帯が生じることがある。普通の学校では、授業時間中に生徒がウロウロしていれば「サボリ」であるが、三部制では合法的な空き時間があるわけである。「放課後がありすぎる」わけである。こうして生徒の活動が教師には見えづらく、生徒がどこで何をしているかがつかみづらい学校になってしまうのである。
教師にとって、生徒の放課後に当たるのが「空き時間」である。空き時間の重要性の研究、というのもあまりないと思うけど、教師にとって非常に大切な時間である。たまった事務処理をしたり、授業の教材研究をしたりすることが一番多い。特に最近は面倒な提出書類が増えてしまったし、三部制では前回書いたように持ち授業が多いので授業準備に追われる。どこの学校も最近はそうだと思うけど、特に三部制高校では常に追われているような気持ちで仕事をしている。しかし、空き時間の一番大事な役割は、教員どうしのちょっとした連絡や情報交換であると思う。この「茶飲み話」がなければ組織としての学校がうまく回らない。それを教育行政は理解していないだろうと思うけれども。
ところが、三部制では勤務が2交代だからなかなか会えない教員が多い。しかも、2時間連続授業だから(自分が朝からの勤務だとすると)、自分が5・6時間目が授業、もう片方の先生が夜勤務で7・8時間目が授業だったりすると、その日にはちゃんと話ができない。まあ実際は少し残ったりメモを残したりするわけだが。こういう仕組みになってるので、生徒の情報もつかみにくく、教員間の情報交換もやりにくい。じゃあ何で学校が回っているかというと、行事などもクラスではなく有志参加で教師もクラス全員を指導する場面が少ないのである。進路情報を求める生徒や検定前の補習に参加したい生徒は、それなりにちゃんと来るわけである。だから授業だけでいい生徒には余計なものが少ない「自由な学校」だろうし、勉強や部活に熱心に取り組みたい生徒もそれなりに自分のペースでできる学校であるわけだ。でも教師からすると、全員を把握しなけらばならない場面もある。例えば翌年の時間割を作る「履修指導」などが代表だけど、生徒のなかには連絡が難しい生徒がかなりいて大変な思いをすることになる。
空き時間も2時間(45分×2だから90分だけど)あるので、事務仕事や授業準備だけではどうしても飽きてくるときがある。そこで時々やっていたのは、「健康と研修を兼ねた校内散歩」と自分で言っていた単なる見回り。校内態勢を組んで皆で回るときもあるけど、自分だけでも気分転換のために散歩するわけ。図書室によって最近入った本をみるだけでもいいから、そういうことをして行かないと生徒の様子が見えない。何してるんだかという生徒(別にルール違反をしているわけではないけど)を多数発見できるし、誰も知らなかった意外性抜群のカップルを発見することもある。けっこう「バカップル列伝」を書けると思う。まあ、そういうのも教師の仕事の中にあるわけだ。(カップルを発見することではなく、生徒のようすを見まわること。)そういうのは管理職の見えないところに存在するもので、だから校長が上から見ていて教師の仕事を数値で評価することなどできやしないし、してはならないと思う。(この項あと一回続く。しかし、旅行に行くんで、少し後になります。)
しかし、実際の学校にとっては「学習指導要領」で触れられていない問題が大きな意味を持っていることがある。例だけあげておくと、「そうじ」と「教員の異動」である。(その問題はいずれ別に書きたい。)そして、教育内容を定めるものである以上、指導要領に書いてあるはずがない言葉もある。代表が「放課後」である。多分多くの人にとって、学校の思い出の大きな部分が「放課後」だろう。部活や行事の準備、補習や進路活動…などもそうだけど、いじめやケンカのいやな思い出もあるかもしれないが、チョコをあげたり手紙を渡したり、図書室で本を読んだり、誰もいない教室から校庭の部活を見てたりする時間である。学校と言う場所が多くの人にとって大切なのは、友達や先生となんでもない会話ができるそういう時間空間が存在しているということにあると思う。(だから、学校を学力向上とか公務員の規律などということだけで測ってはならないと強く思う。)
ところで、三部制高校では、教師からすると「放課後」がない。生徒からすると「放課後がない」生徒と「放課後がありすぎる」生徒がいる。実にアンバランスである。教師にとって、昼休みは昼食か勤務前、夕休みは会議。他の時間帯はすべて授業である。(むろん自分の授業がない「空き時間」はあるけれど。)そうじや毎日のホームルームはない。それは夜間定時制も同じだけど、クラスごとの授業だから生徒はつかまえやすい。三部制の単位制高校では授業が生徒ごとにバラバラだから、生徒をつかまえるのが難しいのである。(三部制でも簡単なホームルームを行うところがあるかもしれないが。)授業だけは出てくるけれど、行事や部活は参加しない(しづらい)生徒も多くて、そういう生徒はお昼や夕方ですぐ帰るので「放課後がない」。一方、朝の生徒でも部活のために夕方まで残っていることがある。また上級生になるにつれ、必履修を取り終り特色授業をピンポイントで取るようになるので、授業のない時間帯が生じることがある。普通の学校では、授業時間中に生徒がウロウロしていれば「サボリ」であるが、三部制では合法的な空き時間があるわけである。「放課後がありすぎる」わけである。こうして生徒の活動が教師には見えづらく、生徒がどこで何をしているかがつかみづらい学校になってしまうのである。
教師にとって、生徒の放課後に当たるのが「空き時間」である。空き時間の重要性の研究、というのもあまりないと思うけど、教師にとって非常に大切な時間である。たまった事務処理をしたり、授業の教材研究をしたりすることが一番多い。特に最近は面倒な提出書類が増えてしまったし、三部制では前回書いたように持ち授業が多いので授業準備に追われる。どこの学校も最近はそうだと思うけど、特に三部制高校では常に追われているような気持ちで仕事をしている。しかし、空き時間の一番大事な役割は、教員どうしのちょっとした連絡や情報交換であると思う。この「茶飲み話」がなければ組織としての学校がうまく回らない。それを教育行政は理解していないだろうと思うけれども。
ところが、三部制では勤務が2交代だからなかなか会えない教員が多い。しかも、2時間連続授業だから(自分が朝からの勤務だとすると)、自分が5・6時間目が授業、もう片方の先生が夜勤務で7・8時間目が授業だったりすると、その日にはちゃんと話ができない。まあ実際は少し残ったりメモを残したりするわけだが。こういう仕組みになってるので、生徒の情報もつかみにくく、教員間の情報交換もやりにくい。じゃあ何で学校が回っているかというと、行事などもクラスではなく有志参加で教師もクラス全員を指導する場面が少ないのである。進路情報を求める生徒や検定前の補習に参加したい生徒は、それなりにちゃんと来るわけである。だから授業だけでいい生徒には余計なものが少ない「自由な学校」だろうし、勉強や部活に熱心に取り組みたい生徒もそれなりに自分のペースでできる学校であるわけだ。でも教師からすると、全員を把握しなけらばならない場面もある。例えば翌年の時間割を作る「履修指導」などが代表だけど、生徒のなかには連絡が難しい生徒がかなりいて大変な思いをすることになる。
空き時間も2時間(45分×2だから90分だけど)あるので、事務仕事や授業準備だけではどうしても飽きてくるときがある。そこで時々やっていたのは、「健康と研修を兼ねた校内散歩」と自分で言っていた単なる見回り。校内態勢を組んで皆で回るときもあるけど、自分だけでも気分転換のために散歩するわけ。図書室によって最近入った本をみるだけでもいいから、そういうことをして行かないと生徒の様子が見えない。何してるんだかという生徒(別にルール違反をしているわけではないけど)を多数発見できるし、誰も知らなかった意外性抜群のカップルを発見することもある。けっこう「バカップル列伝」を書けると思う。まあ、そういうのも教師の仕事の中にあるわけだ。(カップルを発見することではなく、生徒のようすを見まわること。)そういうのは管理職の見えないところに存在するもので、だから校長が上から見ていて教師の仕事を数値で評価することなどできやしないし、してはならないと思う。(この項あと一回続く。しかし、旅行に行くんで、少し後になります。)