卒業式の話以来、学校のことを書いてきた。まだまだあるんだけど、ちょっとお休みしたい。その間に「大阪維新の会」のこととか、死刑執行再開の問題を書きたいと思いながら書けないでいる。そういうことも書いておきたいが、東京新聞に出ていた話を。
追悼としては、まず東京新聞論説主幹の清水美和さんが亡くなったことに触れておきたい。10日、すい臓がんで死去。58歳。ええっ、つい最近まで書いてたじゃない。ビックリ!「清水美和」と何だか女性日本画家かなんかにいそうな名前だけど、「よしかず」と読んで中国の専門家である。一般向きの本をしては、ちくま新書で「『中国問題』の核心」「『中国問題』の内幕」という本が出ている。大変判りやすい。「中国農民の反乱」で2003年にアジア・太平洋賞。2007年に一連の中国報道で日本記者クラブ賞、と東京新聞の訃報にある。
僕も中国を中心とした清水さんのコラムは必ず目を通していたが、それと同時に訃報に「脱原発などの社論形成にも力を尽くした」とある。原発だけでなく、東京新聞が市民の視線に立つ報道を続けていることは大いに評価されるべきだと思う。今中国の政治、経済の行く末が大変気になる時期に清水さんを失うことは日本にとって大きな損失である。
一方、12日の夕刊に「1万日登山 挑んだ雄姿 達成目前 死去の男性しのぶ」という記事が載っていた。ええっ、「毎日登山家」の東浦奈良男(ひがしうら・ならお)さんが亡くなっていたのか。昨年末と記事にある。86歳。
この人のことは、前に「山と渓谷」に特集記事があり知っていた。写真家吉田智彦という人がこの人を追いかけて、『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』(山と渓谷社)という本にまとめている。その写真展が、登山用品店のモンベル名古屋店で開かれている。今後各地を回り、東京では11月に渋谷店で行われるという。
と言っても全然知らない人が多いと思う。三重県伊勢市の人で、1984年に印刷会社を定年退職してから、連続登山を始めた。と言っても三重県だからそう高い山があるわけではない。「低山」ということになるが、自宅から山頂まで全部歩くから大変な難行苦行である。それを毎日行うのである。健康のためとか山が好きというだけなら、毎日は行かないだろう。僕だったら、関西の名山、大峰とか大台ケ原、奈良の山々や琵琶湖の周辺などにも足を伸ばしたくなると思う。そうすると準備や移動のための日が生じて、「毎日登山」ができない。ただ、低山ばかりではと思ったのか、毎年富士山に登ったという。自宅周辺で登ってから夜行で富士へ、登って降りて夜行で帰り、次の日はまた自宅周辺。これには驚いた。「毎日」を続けるためなのである。
かくして98年に5000日に到達。1万日連続登山をめざしていたが、9738日の記録で途切れたという。昨年6月に登れなくなったという話である。27年間の大記録。これは誰にも破れないだろう。だって、雨の日も風の日も、台風が来ようが登るのである。低山であっても、そういうことが誰にできるか。「毎日登山家」なのであった。これは「行」というべきか。僕にははっきり言ってよく理解できない部分があるが、人間というものの中にあるすごい精神力に触れる思いがする。そういう人が亡くなった。
追悼としては、まず東京新聞論説主幹の清水美和さんが亡くなったことに触れておきたい。10日、すい臓がんで死去。58歳。ええっ、つい最近まで書いてたじゃない。ビックリ!「清水美和」と何だか女性日本画家かなんかにいそうな名前だけど、「よしかず」と読んで中国の専門家である。一般向きの本をしては、ちくま新書で「『中国問題』の核心」「『中国問題』の内幕」という本が出ている。大変判りやすい。「中国農民の反乱」で2003年にアジア・太平洋賞。2007年に一連の中国報道で日本記者クラブ賞、と東京新聞の訃報にある。
僕も中国を中心とした清水さんのコラムは必ず目を通していたが、それと同時に訃報に「脱原発などの社論形成にも力を尽くした」とある。原発だけでなく、東京新聞が市民の視線に立つ報道を続けていることは大いに評価されるべきだと思う。今中国の政治、経済の行く末が大変気になる時期に清水さんを失うことは日本にとって大きな損失である。
一方、12日の夕刊に「1万日登山 挑んだ雄姿 達成目前 死去の男性しのぶ」という記事が載っていた。ええっ、「毎日登山家」の東浦奈良男(ひがしうら・ならお)さんが亡くなっていたのか。昨年末と記事にある。86歳。
この人のことは、前に「山と渓谷」に特集記事があり知っていた。写真家吉田智彦という人がこの人を追いかけて、『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』(山と渓谷社)という本にまとめている。その写真展が、登山用品店のモンベル名古屋店で開かれている。今後各地を回り、東京では11月に渋谷店で行われるという。
と言っても全然知らない人が多いと思う。三重県伊勢市の人で、1984年に印刷会社を定年退職してから、連続登山を始めた。と言っても三重県だからそう高い山があるわけではない。「低山」ということになるが、自宅から山頂まで全部歩くから大変な難行苦行である。それを毎日行うのである。健康のためとか山が好きというだけなら、毎日は行かないだろう。僕だったら、関西の名山、大峰とか大台ケ原、奈良の山々や琵琶湖の周辺などにも足を伸ばしたくなると思う。そうすると準備や移動のための日が生じて、「毎日登山」ができない。ただ、低山ばかりではと思ったのか、毎年富士山に登ったという。自宅周辺で登ってから夜行で富士へ、登って降りて夜行で帰り、次の日はまた自宅周辺。これには驚いた。「毎日」を続けるためなのである。
かくして98年に5000日に到達。1万日連続登山をめざしていたが、9738日の記録で途切れたという。昨年6月に登れなくなったという話である。27年間の大記録。これは誰にも破れないだろう。だって、雨の日も風の日も、台風が来ようが登るのである。低山であっても、そういうことが誰にできるか。「毎日登山家」なのであった。これは「行」というべきか。僕にははっきり言ってよく理解できない部分があるが、人間というものの中にあるすごい精神力に触れる思いがする。そういう人が亡くなった。