尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ハンセン病と教育

2015年02月07日 23時28分33秒 |  〃 (ハンセン病)
 ハンセン病回復者の国際ネットワークである「IDEAジャパン」主催で「ともに生きる 尊厳の確立を求めて」という集まりが行われた。「世界ハンセン病の日」サイドイベントで、国立ハンセン病記念館映像ホールで開かれた。今日はそれに行ってきたので、簡単に報告と紹介。なお、「IDEA」とは、「The International Association for Integration, Dignity, and Economic Advancement」の略で、「共生・尊厳・経済的自立のための国際ネットワーク」のこと。森元美代治さんが理事長を務めている。今回は、特に昨秋に刊行された佐久間健「ハンセン病と教育」(人間と歴史社)の著者で、IDEA理事でもある佐久間氏の講演があり、僕は是非聞いてみたいと思ったのである。
 
 会場のハンセン病記念館のある多磨全生園は、家から遠いので最近はあまり行ってないのが現状。僕は1980年に、FIWC関西委員会主催の韓国キャンプに参加して、韓国のハンセン病回復者定着村を訪れた。その時までは、あまりハンセン病を意識していなかったが、その頃から目につく本を買い求めるようになった。翌1981年の2月に、初めて韓国からも学生を招こうということになり、来日した韓国側のキャンパーとともに、長島愛生園邑久光明園、そして多磨全生園を旅してまわった。自分が教師になってからも、生徒を連れて全生園、あるいは後に開館したハンセン病記念館(ハンセン病国賠訴訟後にリニューアルされる前の記念館時代から)に何度も来ている。1996年の「らい予防法」廃止、2001年のハンセン病国賠訴訟勝訴の前から、「ハンセン病と教育」に関わってきたとは言えるわけだが、佐久間氏ほどのまとまった考察は今までに接したことはなく、今回非常に大きな感銘を受けた。

 集会では、まず村上絢子さんが「書くこと、伝えること」で世界の回復者の歩みを伝え、続いて佐久間さんの報告、最後に森元美代治さんによる「IDEAジャパン10年の歩み」が報告された。非常に熱心に活動を続けてきた森元さんも喜寿の年を迎え、今回が「特定非営利活動法人IDEAジャパン」としての最後の活動になるという。残念ながらやむを得ないことなのだろうが、今後も任意団体としては継続していくということである。森元さんの話は、FIWC関西委員会主催の「らい予防法廃止記念集会」以来、何度も聞いている。東京でも同様の集会を開いたし、最後の勤務校の「人権」の授業でも毎年生徒向けに講演してもらった。今後もお元気で全国の学校などで、できる限り講演して頂きたいと思う。

 少し内容を紹介したいのが、佐久間さんの講演。佐久間さんは1993年から東村山市で小学校教員を務めて、ハンセン病問題の学習を進めてきた。現在は都立の病弱児向けの院内分教室に勤務している。まず最初に昨年、福岡市で起こった「問題授業」の事件を紹介した。「ハンセン病は体が溶ける病気」などと教え、それをもとに児童が「怖い」「友達がかかったら離れておきます」などと感想の作文に書き、あろうことかそれを菊池恵楓園自治会に送っていたというのである。これは福岡できちんとしたハンセン病の知識が伝えられていないという問題があるということだが、教師であってもそうなのだから、一般社会ではまだまだ偏見が残っているのである。

 佐久間さんは「被差別体験」だけを教えると、「かわいそう」という感想で終わってしまいがちだと指摘する。そのため、ハンセン病回復者をステレオタイプ(紋切型)の弱者としてのみとらえてしまうことになり、新たな偏見も生じさせかねないというのである。そこで、「療養所において人間の尊厳を保つ」姿を示して「共感」することが必要だとする。「被差別体験」だけではダメで「抵抗体験」を取り上げないといけないのである。病気を教えるのが目的ではなく、その中で生き抜いてきた「人間」を伝えるのが、人権教育のめざすところなのだから。これはただハンセン病の学習だけの問題ではなく、人権教育の他の問題でももちろん同じだし、いじめ問題など身近な指導場面でも同様の考え方が必要である。

 歴史的に見ていくと、戦前には「健康診断」時に「らい」の疑いのある生徒を見つけることが、学校に求められる役割だったという。映画「小島の春」でも、小川正子による健診のシーンがある。その時に病気が見つかったら、どうなるかというと「療養所行き」の宣告となり、二度と社会復帰はかなわない(当時では。)それを学校教育が推進していたわけである。そのことを証明するのが、戦前の修身教科書の教師用書(今の指導書)に書かれていた「隔離の有効性」を伝える文言である。教師の役割として、ハンセン病者の隔離を進めることが当時の国家から求められていたわけである。それでも東村山の総学校には「慰問」を行った学校もあったという。戦後になって北海道北見の地で、民衆史運動を進めた小池喜孝氏は実はその体験が「民衆史運動の原点」と語っているという。僕は若い時に小池氏の本をずいぶん読んで影響を受けたが、この事実は知らなかった。この本の刊行は知っていたが、ようやく今日会場で求めたので、まだ読んでいない。でも、読んでからだといつになるか判らないので、まずは紹介しておく次第。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ビッグ・アイズ」と「紙の月」-盗みをめぐる映画

2015年02月05日 23時10分51秒 | 映画 (新作日本映画)
 ティム・バートンの新作「ビッグ・アイズ」は非常に面白い実話の映画化で、ティム・バートンにしてはなんか普通の映画という感じである。60年代のアメリカで非常に売れていたウォルター・キーンという「大きな目の女の子」で知られた画家がいて、実はその絵はすべて妻であるマーガレットが描いていたものだった。マーガレットをエイミー・アダムズが演じて、ゴールデングローヴ賞のコメディ・ミュージカル部門の主演女優賞を得た。(僕は彼女のファンなんだけど、残念なことにアカデミー賞にはノミネートされなかった。)夫のウォルターはクリストフ・ヴァルツで、「イングロリアス・バスターズ」でアカデミー助演男優賞を受けて、今ではすっかりドイツからハリウッドに移った感があるが、偽善者的人物を演じると抜群の、あの独特な存在感がとても生きている。

 もう一本、角田光代原作を吉田大八監督が映画化した「紙の月」を最近ようやく見たので、合わせて書いておきたい。宮沢りえが主演して東京国際映画祭で女優賞を受けた映画で、2014年のキネ旬ベストテン3位の選出されている。「最も美しい横領犯」というのがキャッチコピーで、初めから宮沢りえが銀行員として横領事件を起こす話だというのは知って見ている。この二つの映画は関係ないようでいて、「盗みとは何か」を描いている共通点がある。「自分が自分であるためには、何が必要か」という映画である。両者を比較して考えてみたいと思う。
 
 「ビッグ・アイズ」では、最初の夫の横暴から逃れてマーガレットがサンフランシスコに来るところから始まる。当時は妻の銀行口座も作れなかったという話で、だけど独自の絵を描き続けていたマーガレットは自分を捨てることが出来なかったのである。マーガレットは自分の絵をフリーマーケットに出して、ウォルターと知り合う。初めは画家のふりをして、次は「日曜画家」の不動産画家として、ウォルターはマーガレットに近づき、やがて二人は結婚する。当時は女性の名前では絵が売れないといいくるめ、僕たちはどっちも「キーン」(夫の姓)だと言って、「キーン」と署名した絵を彼は売り歩く。評判を呼んで、絵は大評判になり、ウォルターは名士となるが、その陰で絵を大量生産するマーガレットの存在は、絶対の秘密とされた。豪邸に住めるようになって、その秘密もやむを得ないとマーガレットも納得してはいたのだが…。だんだん横暴になってきて、前妻との間に子どもがいることも判り、様々なウソが彼の人生を覆っていることを知り、ついに逃げ出すことにする。

 マーガレットは、いわば「名前を盗まれた存在」である。名前を取り戻す戦いを最後に開始するが、そのてん末は映画で見てもらうとして、半世紀前頃は確かに女性の業績は「盗まれる」ことが多かっただろう。特に自然科学や人文科学などの研究者の世界では、女性研究者が見つけた新発見、新資料などを上司の有名男性が自分のものにしてしまうことは多かったと思う。この映画は絵画ビジネスの世界だけど、いかにもありそうな話である。この映画にリアリティを与えているのは、夫役のクリストフ・ヴァルツだと思う。ニセもので得た現世の幸福をいかにも自分の手柄と思い込める。「天性の詐欺師」に近い。「家族の秘密」としてDVが隠されてしまうことがあるのと同じく、夫のウォルターは現状を維持し続けるためにウソを続けることに何の苦痛も感じていない。そういう生き方である。

 一方、「紙の月」(この題名は、どうしてもピーター・ボグダノヴィッチの「ペーパー・ムーン」を思い出してしまうのだが)は、マジメな銀行員としか思えない梨花(宮沢りえ)が、いかにして横領犯になていったかの克明な記録である。1995年、阪神大震災の年、銀行はバブルがはじけて数年、不良債権問題が大変だったころの話である。夫の生活は、良い人である感じではあるが、索漠とした思いも感じている。そんな中で、「年下の愛人」ができ、頼られる存在として求められたら…。それがどんなにうれしいことか、人生に生きがいを呼び起こしてくれるか。そう言ってしまえば、それは判りやすい話である。でも、僕はこの映画、というか主人公にはどうしても判らない部分があった。最初に、大金持ちの石橋蓮司の家で、孫の光太(池松荘亮)に出会う。(池松は「愛の渦」「僕たちの家族」「海を感じる時」などにも出演して印象的な演技をしていて、2014年の助演男優賞にふさわしい活躍をした、今もっとも旬の若い男優である。)祖父は孫が頼んでも、大学の学費を出してくれないらしく、孫は学生にして多額の借金をしているという。その時に、たまたま祖父から預かった新規の定期預金分、200万の現金があった。

 この最初の動機は理解可能で、これは「犯罪」ではあるが「盗み」ではなく、「お金の正しい遣い方」とさえ言えるかもしれない。もし、その一件だけだったら、個人で返済も可能な範囲にとどまっただろう。だけど、やがて認知症の老女など、狙いはエスカレートしていき、その「盗んだ金」で高級ホテルに泊まったり、マンションを買ったりしてしまう。池松に対しては、自分はお金持ちなんだと説明しているのだが…。確かめてみると、池松は1990年生まれ、大して宮沢りえは1973年生まれで、まあ本人たちがいいんだったら傍がとやかく言うことではないかもしれないが、女性が17歳年上というのはあまりないカップルではあるだろう。まあ、不倫でも年の差でも、それだけなら別にいいんだけど、というか理解できるんだけど、でもその幸せは「盗み」の上に成り立っている。カネは本質においてすべて盗まれたモノなのかもしれないが。貨幣は人を自由にするか。僕はこれを判らないのは、自分が小心者なのだろうか。それとも正義感の問題か。あるいは、梨花にとって、光太は人生すべてを捨てるほどの魅力があるのだろうか。フィルム・ノワールに出てくる「ファム・ファタール」(運命の女)にならうと、破滅してもいいほどの「運命の男」だったのだろうか。そこが僕にはよく理解できなかったところで、でもそれが「犯罪」というもので、一種の「嗜癖」、依存症のようなものなのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「KANO」-台湾代表の甲子園

2015年02月04日 23時54分41秒 |  〃  (新作外国映画)
 知っていましたか?かつて、甲子園に、台湾代表が出場していたことを-。
 これが映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」のキャッチコピー。はい、知ってました。高校野球(当時は中等学校野球だけど)の歴史では、戦前は台湾、朝鮮、関東州などの代表校も出場していたし、この映画の題材となった1931年に準優勝した台湾代表嘉義農林のことも僕は聞いたことがあった。歴代の決勝戦の記録を見れば、すぐに気付くことである。僕も若い頃は高校野球の優勝校なんか全部知っていたのである。(今は昨夏の優勝校も思い出せない。調べたら大阪桐蔭かと思いだした。)
 
 細かいことはもちろん知らなかったわけだが、そのチームの快進撃を「完全映画化」したのがこの映画で、題名の「KANO」は嘉義農林の略称「嘉農」のことを指し、ユニフォームにアルファベットで書かれている。この快挙を成し遂げたのは、監督に就任した近藤兵太郎の力である。映画では永瀬正敏が熱演していて、台湾の映画賞である金馬奨(中華圏の映画を対象にしている)の主演男優賞に中華系以外で初めてノミネートされた。作品賞にもノミネートされたが、どちらも受賞は逃している。台湾では大ヒットしたが、「親日映画」だという角度からの批判もあったという。

 さて、この映画をどう見るか。製作総指揮・脚本はウェイ・ダーション(魏徳聖)で、「セデック・バレ」を監督した人。監督はマー・ジ-シアン(馬志翔)で、「セデック・バレ」にも準主役で出ていた俳優。劇場用映画の初監督作品である。日本統治時代の最大の抗日蜂起である「霧社事件」を扱った「セデック・バレ」については、2年前の公開当時に「映画『セデック・バレ』」を書いた。基本的に言えば、「セデック・バレ」が「反日映画」ではないように、「KANO」も「親日映画」というものではない。映画という娯楽作品に向いた題材を探して、日本統治時代に大々的な鉱脈を探し当てたという感じである。とにかく感動的な実話で、それを素晴らしく鍛えられた若者たちが演じている。スポーツ映画の醍醐味。

 大規模なオープンセットを作って当時の様子を再現しているが、セリフなどにも当時の表現をあえて使っている。例えば、台湾の先住民を「蛮人」と呼んでいる。だが、近藤監督は「蛮人」扱いするのではなく、「蛮人は足が速い」、「漢人は打撃が優れている」、「日本人は守備にたけている」、「理想的なチームができる」と言うのである。当時は嘉義の日本人にも、甲子園で取材する記者にも、民族差別的な考えがあった。だけど、近藤監督は野球がすべてであり、民族差別的な考えは全くなかったという。実際、甲子園に出場したチームのレギュラー陣は、日本人3人、漢人2人、高山族(先住民)4人という構成だった。先住民系の生徒は、日本語名を名乗りながら日本語がうまく発音できていないメンバーがそれで、そこもリアリティがある。

 ただスポーツ映画としては、多少の「デジャ・ヴ」(既視感)もある。それはさまざまの映画を見てきて、大体の構成が判っているからで、この映画も大方の感動スポーツ映画の枠に入っている。問題を起こしてスポーツ界から離れている訳ありの名監督、弱いチームに拾われ、鍛えに鍛えて、ついには最後の栄光を手に入れそうになるが…。という師弟の感動もので、特にボクシングに多いが、この映画はまさにそう。でも、高校野球という点で、青春映画というジャンルにも入るだろう。もちろん、歴史映画的な部分もあるけど、基本は青春スポーツものの傑作

 この映画の巧みなところは、甲子園2回戦で対戦した札幌商業の投手を好敵手として描き、彼が戦時中に軍の動員で嘉義に立ち寄るところ(実話ではない)を最初に描き、そこから昔の場面が始まるという構成にある。その結果、単に日本統治時代のエピソードを描くというだけでなく、民族を超えて野球に向き合う青春映画という側面が前面に出てくる。最後に「登場人物のその後」が出てくるが、台湾人は大体戦後も活躍しているのに対し、日本人は兵役に取られて戦死している。そこが残酷な真実である。多少、確かに日本統治の問題を問わな過ぎる部分も感じるが、それ以上に民族共生をうたいあげるという印象である。特に高校野球ファンには是非見て欲しい映画。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ミルカ」とインド映画の話

2015年02月04日 00時14分09秒 |  〃  (新作外国映画)
 昔の映画をよく見てるんだけど、今週は古い映画の特集が少ないのでまとめて新作映画を見て、まとめて書きたいと思う。公開直後に見ることはほとんどないんだけど、今回は映画のサービスデイに合わせてインド映画「ミルカ」を見たので、その話。インドのアカデミー賞で昨年14部門で受賞したという。ローマ五輪(1960)の400m走で金メダルを期待されながら4位に終わったミルカ・シンという実在の人物を描いた映画。「走れ、ミルカ。魂のままに。」映画大国の頂点に君臨した感動の一大叙事詩、というのがキャッチコピーである。実は僕はこの映画に不満があるのだが、それを含めて紹介しておきたい。なお、原題を直訳すると「走れ、ミルカ、走れ」だから、題名は「走れミルカ」にしてれば「走れメロス」っぽくて判りやすかったのに。ただの「ミルカ」では、「ミルカ」を見るか?とダジャレになっちゃう。
 
 インド映画の公開が多くなってきた。少し前までインド映画と言えば、突然歌とダンスが乱舞するミュージカルというか、いかにも異文化的な感じが多かったけど、最近はだいぶ変わってきた。この映画でも歌は流れるが、超絶ダンスシーンは出てこない。普通にリアリズムで描かれた「一大叙事詩」になっている。ミルカ・シンという人は1935年に今はパキスタン領になっている英領インド西北部のパンジャブ州に生まれた。1951年に陸軍に入隊して陸上競技を教えられ、コーチに認められて強化チームに加わった。400mのインド記録を更新し、1956年のメルボルン五輪に出場、そこでは予選で敗退するが、そこから不屈の努力を積み重ねた。1958年に東京で開かれたアジア大会で200mと400mで金メダルを獲得した。1960年にはフランスの大会で世界新記録を出し、まさにローマ五輪の金メダル最有力だったわけだけど、そこでは最後の最後に後ろを振り返り4位になってしまった一体なぜ彼はレース終了間際に後ろを見てしまったのか?

 というところで、話が変わる。五輪後にインドとパキスタンの間で友好スポーツ大会開催に合意し、インドのネール首相はミルカに団長としてパキスタンを訪れて欲しいと依頼するが、ミルカは固辞してしまう。首相に頼まれ、古くからのコーチなどがミルカを訪ねようと列車に乗って出かける。そこでミルカの過去を探っていく、というのがこの映画の構造である。(このシナリオは黒澤明の「生きる」の影響を受けているのではないかと思う。)そこで明らかとなるものは…。それは1947年の印パ分離独立時の大規模な難民発生と虐殺という悲劇だった。ミルカは常に頭の上に布で覆ったタンコブのようなものを乗せている。これは髪を切らないという戒律がある「シク教」の特徴で、要するに髪をまとめて乗せてるんだという。シク教というのは、15世紀後半にヒンドゥー教とイスラム教の特徴を取り入れて成立した宗教で、葯2300万の信者が主にパンジャブ地方に住むという。そのパンジャブ州は独立時に印パで真っ二つにされ、パキスタン側に住むシク教徒はイスラム教からの迫害を受け、インドに逃れるか改宗するしかなかった。そうでないものは殺された(と、この映画にはでてくる。)ミルカの父母も殺され、からくも姉とミルカが生き延びたのである。その逃亡時に、まず彼は走りに走って逃げたのだった。

 この映画は全体としては、驚くような出来映えになっていると思う。その成功を支えているのは、第一に主演したファルハーン・アクタルの演技である。この人は映画監督でもあり、また俳優や歌手としても活躍する人だという。日本でも公開された「DON 過去を消された男」「闇の帝王DON ベルリン強奪指令」などを作っている。もともと映画一家の出身だというが、この映画の出演をオファーされて驚異の肉体改造に挑戦し、18か月間トレーニングして体脂肪率5%という肉体を作り上げた。まさにミルカ本人(というか陸上選手)が走っているとしか思えない迫力は一見の価値がある。この映画を作り上げたのは、ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督。名前は絶対に覚えられそうもない。

 世界中の映画を見るのが僕は好きである。アメリカや日本だけでなく、特にアジアやアフリカ、ラテンアメリカの映画が公開されると、できるだけ見たいと思う。基本的には国際問題の理解という感じで、社会科のお勉強が好きなのである。インド映画もずいぶん見ている。岩波ホールで公開された巨匠サタジット・レイ監督作品は全部見ている。また1983年のアジア映画祭や1988年の大インド映画祭などでもかなり見た。アラヴィンダン監督「魔法使いのおじいさん」やグル・ダット監督「乾き」はそれで見た。シャーム・ベネガル監督の「ミュージカル女優」という作品も素晴らしく、そこで初めて歌と踊りの乱舞を見た。その後、日本でも「ムトゥ 踊るマハラジャ」が公開されてヒット、「マサラ・ムーヴィー」などと呼ばれるようになった。その中で最高だと思ったのは、マニラトラム監督「ボンベイ」という映画で、歌とダンスの洗練も最高だった。

 インド映画の楽しみはいくつかあるが、何と言っても「超美形の女優」である。アメリカでも日本でも、最近はもっと身近な、ちょっとファニー系の女優が多く、それはそれでいいけれど、インド映画のスターの美女ぶりは凄まじいの一語につきる。「ミルカ」にも出てくる。「ボンベイ」で出ていたコイララ(元ネパール首相コイララの姪にあたる)も凄い美女、最近では「ロボット」とか「マッキー」なんかも美形女優が出ていて、正直見てて楽しい。それがまあ、ひとつの見所とすると、もう一つが何と言ってもインド社会そのものの矛盾、良い方も悪い方もとにかく極端。それは中国にも言えるけど、中国映画ではさすがに抗日戦争や文化大革命にさかのぼらない限り、殺し合いはないだろう。でも、インドでは選挙のたびに人が死に、宗教対立で人が死ぬ。一方、「ロボット」という映画は世界最高のロボット映画でもあり、IT大国として世界に知られるインドの高度成長を世界に示している。その驚くべき世界を知ることは、われわれにとっても非常に大事だろう。

 でも「ミルカ」はどうなんだろう。完全にインド・ナショナリズムをうたいあげる「国策映画」ではないだろうか。いや、そこまで言うと言い過ぎかもしれないが、世界に羽ばたくインド経済を象徴するような自信に満ちた映画だと思う。パキスタンだけがシク教徒を迫害した感じに思えてしまうけど、その後ヒンドゥー過激派とシク教徒は対立し、ネールの娘インディラ・ガンディーはシク教徒に暗殺されるではないか。そういった側面は描かれず、ひたすらインド陸軍を持ち上げることに、どうも違和感が強い。現実のミルカ・シンは映画には出てこない五輪バレー選手と幸福な結婚をして、その間の子どもが日本でも活躍するプロゴルファー、ジーヴ・ミルカ・シンという人であるという。本人は今も現存で、自伝を書いてそれが映画のもととなっている。その現実の後日譚の幸福度が、この映画から批判性を削いでいる部分はあるだろうと思う。

 昨年来公開された作品では、僕は「バルフィ!人生を唄えば」が最高に心打たれる映画だった。まだ見てない映画も多いけれど。さて、僕の見たインド映画の傑作、「ボンベイ」はフィルムセンターの「現代アジア映画の作家たち」特集で上映される。3月3日(火)6時半、3月6日(金)3時の2回上映である。この映画はヒンドゥー教の男とイスラム教の女が恋に落ちて親に許されぬまま結婚してしまうが、宗教対立で大規模な暴動がボンベイで起き…という大波乱の社会派超メロドラマである。これほど危険なテーマを扱い、しかもうっとりするようなダンスシーンも見所。マニラトラム監督の他の社会派娯楽作品も上映される。一方、パキスタンのショエーブ・マンスール監督作品も上映される。見たことがないが、パキスタン社会やイスラム社会のタブーに挑む作品だという。宗教対立というと中東ばかり思い浮かぶ昨今だが、20世紀を顧みるとインド、パキスタンこそもっとも宗教対立で人命が奪われた地帯ではなかろうか。しかし、そのタブーというべきテーマに果敢にチャレンジする映画、しかも大娯楽作品として観客を動員する映画が作られているのである。この地域を考えることは、日本にとっても重要だし、「イスラム国」などのイスラム過激派問題を考える時にもヒントを与えてくれるに違いない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ジミー、野を駆ける伝説」

2015年02月02日 23時54分59秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ジミー、野を駆ける伝説」という映画は、イギリスのケン・ローチ監督(1936~)が今の世界に対して放った快作で、今こそ見て欲しい映画。常に労働者階級、名もなき民衆に心を寄せた映画を作り続けてきた巨匠ケン・ローチ、78歳にして今も健在なり。最高傑作だと思う「麦の穂をゆらす風」(カンヌ映画祭最高賞)で描いたアイルランド内戦の悲劇、そこから10年ほど経った1930年代アイルランドの農村が舞台である。自由で気高いひとりの男を印象的に描いて、今を生きるわれわれにメッセージを託した。
 
 1932年、ジミー・グラルトン(バリー・ウォード)は10年ぶりにアメリカからアイルランドに帰国した。内戦後に国外追放になっていたが、1932年の選挙で政権が交代し帰れるようになったのである。と言っても、このジミーという人物は有名な人物ではない。実在の人物だと言うが、ほとんど知られていない人物で、そういう「無名の人物」の高潔な志を描いたことが、この映画の最大の特徴であり感動するところである。では、ジミーという人は何をしたのか。政治的な革命家などではなかった。明らかに労働者、農民の運動を支持している人物だと描かれているが、やったことは「ジミーのホール」(原題)という文化活動の拠点を作ったことなのである。

 ジミーは老いた老母とともに静かに暮らしたかったように思うが、村の若者たちには「ジミーのホール」が伝説化していて、地主の娘を含む多くの人々が「是非再開して」と訴える。ジミーは久しぶりに廃屋になっていたホールを開けて、整備を始める。そこでは昔、詩を読み、絵をかき、ボクシングを練習し、何よりも音楽とダンスを楽しんだ。教会堂では得られない「文化の殿堂」であり、学びと楽しみの場であるとともに、皆が集って何でも語り合い恋と友情を育む場だった。しかし、それが地主階級とカトリック教会には警戒され、村に自由の風を吹かせる「共産主義者」であるとみなされ、ジミーは追放されたのである。こういう「文化運動」は日本でも、大正時代や戦後改革期に全国で数多く見られたものである。だんだん忘れられてしまって、映画などでも余り描かれないが、非常に大切なものだったと思う。

 ホールが再開されると、多くの若者を含めて多数が集まりダンスを楽しんだが、誰が来ているかを教会の神父はチェックしていた。教会の説教では、神父はホールは無神論者、共産主義者の場所であると説く。ジミーは教会に行って神父に「ホールの運営委員に加わって欲しい」と頼むが、神父はどうせ多数決で自分の意見は反対されると断る。ジミーの声望は高まり、地主に追い出された農民を救援するためジミーに演説して欲しいと頼まれる。内部ではどうするか、応えるべきか、それとも挑発と取られないようにするべきか、激論が交わされる。結局、農民について行ったジミーは頼まれて演説にたって、感動的なスピーチをした。そういう姿勢が村の支配勢力を怒らせて、弾圧が企まれていく。ある日、ホールは放火されて全焼し、神父の中にも「いまキリストが再臨したら、また十字架に掛けられる雰囲気だ」と批判する人も出てくる。ジミーは懺悔の場を借りて、神父にたいして「あなたの心には、愛ではなく憎しみの方が多い」と言い放つ。

 自由に生き、誠実に働き、私欲を求めず、皆のために生きたジミー。自由に歌い、自由にダンスができる環境を求めただけなのに。そして、神の名のもとに「愛ではなく憎しみを説く」者への痛烈な批判。今の日本へ、今の世界へ、心の底からのメッセージである。今だからこそ、特に痛感したのは「政教分離」という原則がどうして作られてきたかという問題である。宗教勢力が保守派、富裕層と結託し、神の名を利用して民衆を押さえつけ、自由な考えを持てないようにしてきたのである。だから、自分たちで芸術、スポーツ、娯楽を楽しむ場を作るという、それだけのことが憎しみの的となったのである。80年前にアイルランドで起こったことは、今の世界にも通じてしまうのは悲しい。ジミーはふたたび国外追放とされ、二度と戻ることはできなかったということである。1945年に亡くなり、どんな人物かもよく判らない、ホントに「伝説の人物」だったらしい。ジミーの「生きざま」が心に沁みとおる、忘れられない映画である。アイルランドの農村風景も美しく、心が洗われる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して」

2015年02月01日 23時44分02秒 |  〃  (新作外国映画)
 アルノー・デプレシャン監督「ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して」は非常にユニークな映画で、僕にはよく判らない部分も多かったんだけど、大事な映画だと思うから紹介しておく。これはフランスの映画監督デプレシャンがアメリカで撮った映画で、ある「アメリカ・インディアン」と精神分析医のほぼ二人のセッションで成り立っている。第二次大戦直後の1948年、ほぼ実話の映画化だという。渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。
 
 1948年、モンタナ州に住む「平原インディアン」ジェームス・ピカード(ジミー)は、第二次大戦から帰還した後、原因不明の様々な症状に悩まされている。カンザス州の軍病院に姉に連れられてやってくるが、医者は頭痛を戦傷の影響ではないかと考える。しかし、検査の結果、脳の機能障害は見つからない。「精神分裂病」(統合失調症)を次に疑うが、インディアンの症例にくわしくないので、診断が下せない。そんな時、フランス人(元はハンガリー系ユダヤ人)の精神科医ジョルジュ・ドゥグルーが人類学者としてアメリカ・インディアンの調査を行っているから、ジミーの診断に適任なのではないかという話になる。こうして「ジミーとジョルジュ」の対話が始まるわけである。

 最初は警戒していたジミーも、やがて自分の人生を語りはじめ、家族との関係(父は早く亡くなったこと、母や姉のこと、離れて暮らす娘がいること…)や見た夢のことなどを伝える。「君の部族では、夢は未来を告げる。われわれは過去を表わすと考えている。だから興味深い。」ジョルジュはジミーには通常の精神疾患はないことをすぐに見抜き、症状の原因は心理的なものと考え、カウンセラーとして接していくのである。というか、フランス人で医師の資格を認められず、それしかできない。時間はたっぷりとあり、ジョルジュは記録を克明に付けていった。その成果は、後に「夢の分析 或る平原インディアンの精神治療記録」としてまとめられた。これは文化人類学と精神分析学を融合した「民族精神医学」の出発点となった画期的な研究だという。「或る」という表記など、いかにも日本語訳があるかのような感じだが、この邦題は論文の中で定着しているけど実は翻訳されていないという。

 次第に、ジミーの女性関係の様々な側面が明らかになっていき、またジョルジュの方にもパリから愛人のマドレーヌが訪ねてくるといったエピソードがある。だんだん退院も近くなってくるが、そこでジミーはまた発作を起こす。そのきっかけと原因はなんだろう。ジョルジュはそれこそが、「心のケガ」、心的外傷だと結論づけるのである。こうして、脳機能障害や統合失調症ではない、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と今の言葉では表現されるだろう症状が戦争により現れていたというわけである。ここら辺が、僕には見ていて今一つ判ったようでわからない部分。そう言われればそうかとも思うが、映画を見ている範囲内では不明な感じも残る。だけど、非常に重大な問題を扱っている映画だと思う。今の日本の、「心の病」を考える時にもヒントがたくさん隠されている感じがする。うまく言語化できない感じで、できればまた見たいと思う。

 ジミーを演じるのはベニチオ・デル・トロ。「トラフィック」でアカデミー助演男優賞、「チェ」二部作ではチェ・ゲバラ役などで印象的な俳優である。元はプエルトリコ出身で、ネイティヴ・アメリカンではないけど、実にそれらしく演じている。なお時代を反映して映画の中では「インディアン」の用語で統一されている。ジョルジュを演じるのは、マチュー・アマルリックで、デプレシャン映画の常連である他、「潜水服は蝶の夢を見る」や「グランド・ブダペスト・ホテル」などに出演。最近ではポランスキーの新作「毛皮のヴィーナス」でも忘れがたい演技をしていた。(ポランスキー大好きの僕だが、この映画は判らなかったのでここでは書いていない。)また映画監督としても「さすらいの女神(ディーバ)たち」でカンヌ映画祭監督賞を得ている。アート系映画ファンなら、期待せずにはいられぬキャストで、がっぷり四つに組み合って大熱戦を繰り広げている。この演技も見所だろう。

 監督のアルノー・デプレシャン(1960~)は、リュック・ベンソン(1959~)やレオス・カラックス(1960~)などと同世代で、90年代以後のフランス映画を支える新しい監督のひとり。「そして僕は恋をする」「エスター・カーン めざめの時」「キングス&クイーン」「クリスマス・ストーリー」など作品がある。フランス映画ファン以外には、あまり知られていないかもしれない。僕も実を言えば、あまり好きなタイプの映画ではないことが多い。この映画は2013年のカンヌ映画祭に出品されたが無冠に終わった。賞を得たのは「アデル、ブルーは熱い色」や「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」、さらに「そして父になる」(是枝裕和)、「ネブラスカ」「罪の手ざわり」「ある過去の行方」などで、無冠に終わったのは「グレート・ビューティ―」や「毛皮のヴィーナス」「恋するリベラーチェ」「藁の盾」(三池崇史)など。納得できるような出来ないような。まあ、評価は人の行うこととして、少なくとも題材としてはものすごく興味深い映画だと思う。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

傑作ミステリー「その女アレックス」

2015年02月01日 21時33分55秒 | 〃 (ミステリー)
 ピエール・ルメートルその女アレックス」(文春文庫)は、フランスのミステリー小説の傑作だった。イギリス推理作家協会賞受賞作という触れこみで2014年9月に刊行され、年末のミステリーベストテンなどで軒並み1位となった。「史上初の6冠」などと宣伝されて、ベストセラーになっている。これはまあ文庫本だし、とりあえず1月中に読んでおきたいと思って月末に読み始めた。
 
 このミステリーは詳しく書くことができない。あらゆるミステリーが筋を書いてはいけないと思うけど、特にこの作品はそうだろう。なんて書きだすと、どんでん返しに次ぐどんでん返しなのか、フランスのジェフリー・ディーヴァーかなどと読む前に予断を与えかねない。まあ、途中で様相を変えていく物語には違いないけど、「意外な犯人」とか「叙述ミステリー(書き方の工夫で読者をだます目的の作品)などではない。ある意味ではまっとうな警察捜査小説である。

 ミステリーは圧倒的に英米のジャンルで、フランスと言われても昔のルパンは別格として、後はセバスチャン・ジャプリゾぐらいしか思い浮かばない。この著者ピエール・ルメートル(1951~)はミステリーも書くけど、元はシナリオ作家で、2013年には一般小説でなんとゴンクール賞を取っているという。翻訳は「死のドレスを花婿に」という本があるというけど、全然知らなかった。「その女アレックス」は2006年のデビュー作に続く、カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの2作目で、その後長編と中編が書かれている由。450頁ほどの作品で、読む前は読みにくいのかなと思っていたが、非常に読みやすい。「アレックス」側と捜査陣の話が交互に描かれていて、緊迫感を持ちながらどんどん読み進む。誘拐の話から始まるから、猟奇犯罪ものかと敬遠したくなる人もいるだろうけど、だんだん判ってくるけど、この小説のキモはそんなところにはない。

 ちなみに、「アレックス」というから男かと思うと実は女。警部のカミーユは女の名かと思うと、こっちは男。しかも、身長145センチとミステリー史上最も背が低い(?)警官ではないか。警部の母は有名な画家で、しかも極度のニコチン中毒だった。そのニコチンのせいで、子どもの背が伸びなかったということになっている。妊娠中の妻を犯罪で失う辛い過去があったが、その話が第一作らしい。その意味では順番に紹介して欲しかった気もするが、まあこの小説はそれ自体で成立している。警部の周囲には、これまた奇人というべきスタッフがそろっているが、ここでは触れない。

 捜査陣を翻弄する「アレックス」と読者には最初から判っている名前の女性。この女性の「秘密」とは何なのか。「秘密」なくして、この展開はありえないから、何かあるんだろうと思って読み進むが、最後の最後まで予測できる人はいないだろう。そのぐらい、今までに経験したことのない展開で、その「真実」には戦慄せざるを得ない。第1部から第2部に代わると、図柄がガラッと反転する。ここはミステリー通なら予測できなくはない。しかし、アレックスは第3部を残して死んでしまう。

 第3部は一体何のためにあるのか。いくつかの謎を残しながら、「そういうことだったのか」「それが狙いだったのか」というラスト。これでいいのかと悩みながら、真実と正義の狭間を読者も考え込まざるを得ない。猟奇的犯罪小説からシリアルキラー(連続殺人)ものへ、そして「ある悲しい家族の復讐譚」へと次々と変奏していく様は驚くしかない。読むとうなされる類の小説だから、ミステリー嫌いの人が無理に読む必要はないと思うし、「血が出てくるだけで画面を見れない」タイプの人は避けた方がいいけど、読み応えのある「オモシロ本」にして、魂に触れる「痛切」なミステリー。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする