ウッディ・アレン監督の新作映画「マジック・イン・ムーンライト」。夢のような設定で、夢のように楽しく展開する、他愛ないけど、楽しく見られるウッディ・アレンのロマンチック・コメディ。

ウッディ・アレン(1935~)は本年12月をもって80歳になるけど、未だに毎年のように新作映画を作っている。2013年の「ブルー・ジャスミン」ではケイト・ブランシェットにアカデミー主演女優賞を、2011年の「ミッドナイト・イン・パリ」では自身3度目のアカデミー脚本賞(他の2本は「アニー・ホール」と「ハンナとその姉妹」)を獲得した。そういう映画だから、このブログでも大きく取り上げてもいいはずなんだけど、結局書かなかった。特に大きな理由があるわけでもないんだけど、「パリ」は趣向に寄りかかりすぎで、「ブルー」は全盛期の鋭さには届かなかったと思ったのである。(どっちもキネ旬5位になったけど、最近海外映画は不作の年が多い。)ウッディ・アレンはこんなもんじゃなかったとつい思ってしまう。それもやむを得ないわけで、黒澤明やフェデリコ・フェリーニが晩年にどんな作品を作ろうが、かつての偉大な作品に敬意を表して、全部見に行った。いちいちけなしたりする気はなくて、全盛期に及ばずとも巨匠の新作が作られれただけで喜ばしいではないか。
今回の「マジック・イン・ムーンライト」は、南仏コート・ダジュールのお城のようなお屋敷に展開するロマンチック・コメディ。象を舞台上から消してしまう大マジシャン、中国名だけど実は英国人のスタンリー(「英国王のスピーチ」のコリン・ファース)が、友人に頼まれて謎の若き女性霊能者ソフィ(「バードマン」のエマ・ストーン)の仕掛けを暴きに出かける。友人もマジシャンなんだけど、自分には見抜けなかった、もしかしたら本物の霊能者かもというのである。スタンリーはいかにも天才肌の尊大なタイプで、仕掛けがあるに決まってる、自分なら見抜けると出かけていく。ソフィが滞在するお屋敷では、息子がすっかりソフィにいかれて求婚中。ソフィは貧乏から抜け出す絶好のチャンス到来なんだけど…。
後はお決まりの展開だけど、それをどうこう言うのは寅さん映画で「何でいつも好きになっては振られるのか?」などとマジメに疑問を持つようなものである。美しい景色(コート・ダジュールが出てくる映画は山のようにあるけど、海が見えるだけで現実を超えるようなムードになってくる)を見ながら、そこにクラシック・カーや時代物のファッションが散りばめられた画面が楽しい。何故か天文台があり、雨に濡れてさまよっていく天文台に入っていく忘れられないシーンの素晴らしさ。これは近年の作の中でも成功したシーンではないか。だましだまされ結ばれてをひたすら楽しめばいいではないか。
ウッディ・アレンは今までに40数本の監督作があるが、(テレビ映画や短編をどう数えるか、また脚本・主演はしていて事実上アレン作品的な映画もあるうえ、結局日本では正式に公開されなかった映画も存在するので、数を確定する意味が少ない)、そのほとんどを見て来た。70年代当初に、アメリカでユダヤ系のジョークを連発する注目すべきコメディアンがいて、舞台に出たり小説も書いてるけど、最近は映画にいっぱい出ている、監督もしているという話が伝わってきた。僕が最初に見たのは、アレンの監督ではないけど、「ボギー!俺も男だ」(ハーバート・ロス監督)のボギー(ハンフリー・ボガート)をマネする演技。なるほど、これがウッディ・アレンかという登場ぶりだった。その後、「スリーパー」や日本公開はだいぶあとになるが「SEXのすべて」(ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう)などを見ると、バカバカしい時の北野武のように陽気でバカげた、笑えないジョークがいっぱいの映画で、けっこう好きだった。
その後、ニューヨークを描くのは俺だ的なマジメ映画、アメリカのベルイマンとでも呼ぶべき超マジメ映画を連発してビックリさせたが、それはもちろん凄いけど、やっぱり「ひたすら楽しい」映画が多い。「カメレオンマン」「カイロの紫のバラ」「ラジオ・デイズ」などの80年代に連発した映画の面白さは素晴らしいの一言につきた。90年代に入ると、どうも創作力に衰えがあるかという感じもしてきたが、21世紀のブッシュ時代にはヨーロッパに出向いて新作を作った。本国以上にヨーロッパで尊敬されるウッディ・アレンだから、米国を離れて甦ったかのような充実ぶりが戻ってきた。英国が舞台の「マッチポイント」が凄くて、後はまたロマンティック路線だけど、スカーレット・ヨハンソンとかペネロペ・クルズ(「それでも恋するバルセロナ」でアカデミー助演女優賞を取ってしまった)とか「旬の女優」を連れてくる「女たらし」ぶりも健在で、まあ、そういうのも含めて楽しんで見られる映画。(それにしてもエマ・ストーンはスタンリーのセリフにもあるように、目が大きすぎるかな。)
ところで、映画そのものとは関係ないけど、現代は“Magic in the Moonlight”である。邦題はtheが抜ける。それはどうなんだろうか。どうせ原題そのままなんだったら、「マジック・イン・ザ・ムーンライト」にすべきではないのだろうか。まあ、日本語には定冠詞はないんだから、抜いていいとも言える。「ザ」と“the”では発音が違うと言えば、そうも言えるわけだし。しかし、何より「月明かりのマジック」とかではダメなのか。英語を生かしたいなら「ムーンライト・マジック」の方がよくないか。

ウッディ・アレン(1935~)は本年12月をもって80歳になるけど、未だに毎年のように新作映画を作っている。2013年の「ブルー・ジャスミン」ではケイト・ブランシェットにアカデミー主演女優賞を、2011年の「ミッドナイト・イン・パリ」では自身3度目のアカデミー脚本賞(他の2本は「アニー・ホール」と「ハンナとその姉妹」)を獲得した。そういう映画だから、このブログでも大きく取り上げてもいいはずなんだけど、結局書かなかった。特に大きな理由があるわけでもないんだけど、「パリ」は趣向に寄りかかりすぎで、「ブルー」は全盛期の鋭さには届かなかったと思ったのである。(どっちもキネ旬5位になったけど、最近海外映画は不作の年が多い。)ウッディ・アレンはこんなもんじゃなかったとつい思ってしまう。それもやむを得ないわけで、黒澤明やフェデリコ・フェリーニが晩年にどんな作品を作ろうが、かつての偉大な作品に敬意を表して、全部見に行った。いちいちけなしたりする気はなくて、全盛期に及ばずとも巨匠の新作が作られれただけで喜ばしいではないか。
今回の「マジック・イン・ムーンライト」は、南仏コート・ダジュールのお城のようなお屋敷に展開するロマンチック・コメディ。象を舞台上から消してしまう大マジシャン、中国名だけど実は英国人のスタンリー(「英国王のスピーチ」のコリン・ファース)が、友人に頼まれて謎の若き女性霊能者ソフィ(「バードマン」のエマ・ストーン)の仕掛けを暴きに出かける。友人もマジシャンなんだけど、自分には見抜けなかった、もしかしたら本物の霊能者かもというのである。スタンリーはいかにも天才肌の尊大なタイプで、仕掛けがあるに決まってる、自分なら見抜けると出かけていく。ソフィが滞在するお屋敷では、息子がすっかりソフィにいかれて求婚中。ソフィは貧乏から抜け出す絶好のチャンス到来なんだけど…。
後はお決まりの展開だけど、それをどうこう言うのは寅さん映画で「何でいつも好きになっては振られるのか?」などとマジメに疑問を持つようなものである。美しい景色(コート・ダジュールが出てくる映画は山のようにあるけど、海が見えるだけで現実を超えるようなムードになってくる)を見ながら、そこにクラシック・カーや時代物のファッションが散りばめられた画面が楽しい。何故か天文台があり、雨に濡れてさまよっていく天文台に入っていく忘れられないシーンの素晴らしさ。これは近年の作の中でも成功したシーンではないか。だましだまされ結ばれてをひたすら楽しめばいいではないか。
ウッディ・アレンは今までに40数本の監督作があるが、(テレビ映画や短編をどう数えるか、また脚本・主演はしていて事実上アレン作品的な映画もあるうえ、結局日本では正式に公開されなかった映画も存在するので、数を確定する意味が少ない)、そのほとんどを見て来た。70年代当初に、アメリカでユダヤ系のジョークを連発する注目すべきコメディアンがいて、舞台に出たり小説も書いてるけど、最近は映画にいっぱい出ている、監督もしているという話が伝わってきた。僕が最初に見たのは、アレンの監督ではないけど、「ボギー!俺も男だ」(ハーバート・ロス監督)のボギー(ハンフリー・ボガート)をマネする演技。なるほど、これがウッディ・アレンかという登場ぶりだった。その後、「スリーパー」や日本公開はだいぶあとになるが「SEXのすべて」(ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう)などを見ると、バカバカしい時の北野武のように陽気でバカげた、笑えないジョークがいっぱいの映画で、けっこう好きだった。
その後、ニューヨークを描くのは俺だ的なマジメ映画、アメリカのベルイマンとでも呼ぶべき超マジメ映画を連発してビックリさせたが、それはもちろん凄いけど、やっぱり「ひたすら楽しい」映画が多い。「カメレオンマン」「カイロの紫のバラ」「ラジオ・デイズ」などの80年代に連発した映画の面白さは素晴らしいの一言につきた。90年代に入ると、どうも創作力に衰えがあるかという感じもしてきたが、21世紀のブッシュ時代にはヨーロッパに出向いて新作を作った。本国以上にヨーロッパで尊敬されるウッディ・アレンだから、米国を離れて甦ったかのような充実ぶりが戻ってきた。英国が舞台の「マッチポイント」が凄くて、後はまたロマンティック路線だけど、スカーレット・ヨハンソンとかペネロペ・クルズ(「それでも恋するバルセロナ」でアカデミー助演女優賞を取ってしまった)とか「旬の女優」を連れてくる「女たらし」ぶりも健在で、まあ、そういうのも含めて楽しんで見られる映画。(それにしてもエマ・ストーンはスタンリーのセリフにもあるように、目が大きすぎるかな。)
ところで、映画そのものとは関係ないけど、現代は“Magic in the Moonlight”である。邦題はtheが抜ける。それはどうなんだろうか。どうせ原題そのままなんだったら、「マジック・イン・ザ・ムーンライト」にすべきではないのだろうか。まあ、日本語には定冠詞はないんだから、抜いていいとも言える。「ザ」と“the”では発音が違うと言えば、そうも言えるわけだし。しかし、何より「月明かりのマジック」とかではダメなのか。英語を生かしたいなら「ムーンライト・マジック」の方がよくないか。