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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「一世一元」は「創られた伝統」-元号を考える③

2018年10月15日 23時03分36秒 |  〃 (歴史・地理)
 「元号」は日本の伝統なのだろうか? もちろん伝統だからといって、何もずっと守り続ける必要はない。でも「伝統」と言われると一応大切にするというか、「保護」するべき対象のようなニュアンスが出てくる。「伝統芸能」とか「伝統工芸」とか。でも、その反面「滅びゆく伝統」「伝統が消えてゆく」というイメージもある。伝統って何だろうか?

 その前に「元号」について簡単にまとめておこう。日本にはいくつの元号があったのだろうか? 僕は全然知らないし、日本史の教員でも知ってる人はまずいないだろう。知ってる意味がないから、当然である。調べてみると、231あったということになっている。しかし、これは南朝を正統とした場合で、北朝を入れると247だという話である。天皇が何人いたかという問題と同じで、南北朝時代をどう考えるかで数が変わる。(現在の天皇は125代目とされている。)

 天皇の場合は神話的な「天皇」をどう考えるか、また即位したかどうか不明の天皇の扱いなどで人数が変わってくる。元号の場合は、歴史史料が存在する時代なんだから数は正しいと思うかもしれない。でも「最初の元号」とされる「大化」は存在が疑わしい。その後断絶をはさんで「白雉」(はくち)、「朱鳥」(あかみとり、しゅちょう)という元号があったとされるが、これも疑わしい。多くの木簡が出ている時代だが、同時代の文字史料が一つも出て来ない。あったとしても朝廷内部のごく小さな場でしか使われていなかったのは間違いない。

 それにしても、701年の「大宝」以後の約1300年間は続いているので、「時間の長さ」を伝統と言うなら、これは紛れもなく伝統である。しかし、当時すでに仏教が日本に伝来していたわけだが、幕末期の国学者は仏教を否定して「神仏分離」を主張した。その考えを当てはめるならば、中国文明を受け入れる前こそが真の日本になるはずで、元号も否定しないとおかしくなる。

 多くの日本人からすれば仏教を否定するのは行き過ぎで、明治初年に「廃仏毀釈」があったが、その後もお寺は残り続けてきた。同じようにずっと続いてきた「元号」は伝統と言えるだろうか? そう言えるには、元号が多くの人に使われ人々になじんでいたかどうかを考える必要がある。それがどうも疑わしいのである。江戸時代以前の人々はあまり元号を使わなかったようだ。現代人も江戸以後の元号、「元禄」「享保」「天明」「天保」などの方がなじみ深いんじゃないか。

 日本で長く続いてきた「元号」は、明治以後の「一世一元」ではない。改元には朝廷の関与が必要で、江戸時代であっても幕府の一存で改元できたわけではない。でも「同じ天皇の間は同じ元号」というのは、近代以後に創設された制度だ。幕末だけ見ても、ペリーが来た時代の「嘉永」の次が「安政」、続いて「万延」「文久」「元治」「慶応」と続いた。激動期だからこそ、度重なる改元が行われた。中でも「万延」なんて、1860年4月8日から1861年3月29日までと一年もなかった。大江健三郎の「万延元年のフットボール」がなかったら、誰も覚えていないだろう。

 「伝統」と思われている中には、近代になって「そのようにあるべきもの」として再構成されたものが多い。そもそも「近代国家」「国民国家」が近代の「発明」なんだから、それ以前にはなかった「伝統」を作って権威化を図るのも当然だ。そういうものを「創られた伝統」と呼ぶ。この概念はイギリスの歴史家エリック・ホブズボームとテレンス・レンジャーによる「創られた伝統」(The Invention of Tradition、1983)で知られるようになった。世界中どこの国家にも、多かれ少なかれ「伝統の発明」(原著の直訳)があるんだろうと思う。

 日本の近代で言えば、国家にも誕生日が必要だとして、無理やり創設された「紀元節」(現在の「建国記念の日」)なんかが代表的な「創られた伝統」だろう。もちろん「国歌(君が代)」「国旗(日の丸)」も日本の真の伝統ではなく、近代になって「創られた伝統」である。同じように「一世一元」も天皇の存在を可視化するために本来の伝統的元号制度を換骨奪胎したものと言える。それどころか、「夫婦同姓」や「家制度」なども実は近代になってからの制度だったと思われている。そう考えると、元号制度を日本の伝統とみなすためには、一世一元をやめるべきだろう。
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死刑廃止集会と「マラー/サド」観劇

2018年10月14日 22時51分40秒 |  〃 (冤罪・死刑)
 2018年10月13日(土)の記録。10月にも関わらず暑い日が続いていた。ようやく週末から涼しくなったが、ずっと曇っている。13日に「響かせあおう 死刑廃止の声」という死刑廃止の集会に行った。夜に国会前でキャンドル・アクションがあるということだったが、終了前に抜けてイタリア文化会館で精神障害者当事者による演劇「マラー/サド」を見に行った。

 10月10日は「世界死刑廃止デー」である。毎年その前後に死刑廃止の集会が開かれているが、ここしばらく行ってなかった。今年は袴田事件の再審却下オウム真理教死刑囚の大量処刑があったので、他のことに先がけて行こうと思っていた。アムネスティや日弁連、「袴田巌さんの再審を求める会」などのアピールに続き、安田好弘弁護士とジャーナリスト青木理氏の討論、ダースレイダーとDJオショウによる「Rapで歌う!死刑囚からあなたへ」と第一部は盛りだくさん。

 安田・青木対談は「オウム13人執行で時代はどう変わるか」と題されていたが、聞いていると「もうすでに変わっていた」ということかと思った。大きな反発もなく、それどころか大きな議論は何もなく、いつの間にか「そういうこともあったよね」になっていないか。これほどの大量処刑は明治末の大逆事件以来だというのに。麻原彰晃は「心神喪失」状態じゃなかったのか。法曹界ではそう思っている人がほとんどだというが、それなら「違法」な執行だったことになる。再審申請中、恩赦出願中の処刑は許されるのか。そんな議論がどこでも起きない。

 この集会に合わせて、「死刑囚による表現展」が開催される。「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金」によるもので、今年が14回目。その公開選評が毎回第二部で、太田昌国氏の司会で、他に加賀乙彦池田浩士北川フラムの各氏が参加した。選考委員には他に香山リカ、川村湊、坂上香の3氏がいるが所用で欠席。それでも先の4人の顔ぶれは、知ってる人には超豪華である。別会場で絵画展が開かれていたが、死刑囚の描いた絵の澄明さにいつも驚かされる。

 選評会の冒頭で抜けてイタリア文化会館に向かった。集会の会場は星稜会館。ここは日比谷高校の同窓会が基になって作られたところで、日比谷高校の真裏。最寄り駅は永田町だが、実は初めてなので少し迷ってしまった。イタリア文化会館は九段下だから、地下鉄半蔵門線で2駅。これは雨じゃなけりゃ歩いていこうと思っていた。国会図書館や国立劇場など何度も来てるのに、どうもこの周辺は頭に入ってない。スマホを見ながら、国会図書館、最高裁、イギリス大使館、千鳥ヶ淵と歩いて、イタリア文化会館へ。ちょっと寒かったが、格好の散歩コースじゃないか。
 
 「マラー/サド」というのは、ドイツ人のペーター・ヴァイスの書いた戯曲「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」という恐ろしく長い名前の略称。これをイタリアのボローニャ市の実際の精神障害者たちが演じるというもの。イタリアで精神病院を廃止した「イタリア精神保健法」(バザーリア法)の制定40周年記念プログラムである。もちろんイタリア語による公演で、舞台上方に字幕が出た。無料公演で、満員だったのでキャンセル待ち登録をしておいたら数日前に入れるというメールが来た。

 1964年初上演で、1967年にはイギリスの有名な演出家ピーター・ブルックによって映画化された。日本では1968年に公開され、ベストテン5位に入っている。僕はその映画を学生時代にどこかで見て刺激を受けた。ジャン=ポール・マラーはフランス革命の指導者の一人で、ジャコバン派として恐怖政治を進めた。1893年にジロンド派を支持する女性、シャルロット・コルデーによって暗殺された。浴槽に入っているところを刺殺された姿はダヴィッドの絵に描かれ有名である。

 一方のマルキ・ド・サドはサディズムの語源となったことで知られる貴族作家だが、虐待や風俗破壊で何度となく刑務所や精神病院に入れられた。この劇は1808年、つまり暗殺事件の15年後にシャラントン精神病院で、その当時実際に入院させられていた(そして1814年にそこで亡くなる)サド侯爵が患者たちを演出して暗殺事件を再現するという趣向になっている。二重、三重の仕掛けをほどこして、革命と自由に関する対話がスリリングに繰り広げられる。マラーは革命と独裁を擁護し、サドは徹底した個人主義者としてマラーを批判する。

 基本的にはそういう構図の劇だが、今回は舞台が檻になっていて、始まる前の館長などのあいさつも鉄格子の向こうというのに驚く。その後もミュージカル仕立てで進み、皆の歌が素晴らしい。舞台奥には「革命万歳」「自由」といった字が書かれている。脚色・演出ナンニ・ガレッラとあるが、かなり脚色してあるように思う。1時間超で終わったけど、もっと長かったと思うし。様々な方向で演出が可能な劇なんだと思う。このボローニャ市の「アルテ・エ・サルーテ」という劇団の場合、明らかに「世界は変えられる」、イタリアでは精神保健のあり方を大きく変えられた、劇中の精神病院はこの国にはもうないというメッセージを感じた。

 上演後に観客との対話もあったのだが、1時からの集会に始まって7時過ぎとなると、もう疲れてしまった。今日は終わり。何を食べるか決めかねて、つい神保町まで歩いてしまってカレーを食べて帰った。さすがにテーマが重いので疲れたなと思った日だった。もうブログ書く元気はないと思って翌日に延ばした次第。「マラー/サド」の提出したテーマは今も生きていると思った。それは死刑問題にも共通すると思うし、インクルージョン(inclusion)ということを考えた一日だった。
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歴史のものさしとしての西暦ー元号を考える②

2018年10月12日 23時26分43秒 |  〃 (歴史・地理)
 元号を日本の歴史の中で考える前に、「歴史のものさし」をどう考えるかの問題を見ておきたい。多くの人にとって書くまでもないことかと思うけど、案外歴史として考えていない人もいると思う。僕はある時点から授業の最初の時間に、「成績評価の方法」「授業の進め方」などとともに「歴史のものさし」について触れるようにしてきた。「西暦」「元号」をちゃんと読めない生徒だっているのだから、最初に言っておかないとまずいと思うようになったのである。

 「西暦」は「西洋暦」のことだが、もともとはキリスト教世界であるヨーロッパでできた「キリスト紀元」である。もっとも歴史学の立場では、イエスの誕生は紀元前4年だろうと考えられている。(なお、イエスを救世主(キリスト)と信じる宗教がキリスト教なので、授業ではイエスとしか言わない。)日本では太陰暦(旧暦)による明治5年12月6日を、明治6年1月1日とする太陽暦に変更した。だから西暦1873年と明治6年は全く同じ年である。今じゃ当たり前すぎて意識しないけれど、西暦以外の暦を残している国では両者が全然違うことが多い。

 日本では西暦と元号が全く同じ年月日となり、どっちで表記しても同じだから、「どっちを使うか問題」が逆説的に生じてくる。元号を使う暦が太陰暦のままだったなら、「伝統として残そう」という人がいたとしても、主要な行政文書は西暦にするしかなかっただろう。次の元号がどうなるか、早く発表することに反対する勢力があるので、今どんどん西暦の使用が広がりつつある運転免許証も西暦表記にするそうだし(2019年3月頃から)、鉄道の定期券などもそうだ。「平成33年まで有効」なんて免許証はおかしいし、居住する外国人も増えているのだから当然だろう。

 新元号を「早く発表することに反対する勢力」とは、普通に考えたら元号廃止派かと思うと、そうじゃない。「天皇絶対主義者」の方が現天皇の間に新元号を決めることに反対している。その結果、元号自体が使われなくなるわけである。まあ世の中はそういうもんだから放っておけばいいと僕は思っている。今後はますます西暦表記じゃないと生活が不便になってくる。もう平成と西暦をすぐ変換できる人の方が少ないだろう。今後は「昭和57年生まれの人は新元号14年に何歳になるのか」と言われても、もう誰も判らない。1982年生まれは2032年に50歳になるというだけの計算だから、西暦なら誰でも暗算できる。行政文書も西暦にしないと理解できなくなる。

 世界には西暦以外にもいくつかの暦が存在している。「イスラム暦」(ヒジュラ暦)はその代表だが、ここでは詳しい解説は省略する。イスラム教の正しい理解を広めるのは歴史教育の大きな課題だが、だからと言ってイスラム暦だけで世界を理解することはできない。何しろ太陰暦なので、毎年ずれてくるのである。2018年10月12日は、ヒジュラ暦1441年2月1日になるらしい。(自動変換サイトが存在するので今調べてみた。)これでは日本の生活ができない。でも、そういうカレンダーが世界にあるということは知っておいた方がいい。
 (イスラム暦カレンダー)
 キリスト暦にも通常の西暦であるグレゴリオ暦と、帝政ロシアで使っていたユリウス暦がある。ロシア社会主義革命を「十月革命」と呼んでいたけど、グレゴリオ暦では11月になるので、今の教科書では「十一月革命」とも書いてある。ソ連時代には「ソビエト連邦暦」という不思議なものもあったという。実は仏教にも「仏暦」がある。釈迦の死んだ年を元年とするものだが、面倒なことにタイやカンボジア、ラオスでは紀元前543年が仏暦元年、ミャンマーやスリランカでは紀元前544年が仏暦元年と一年違っているという。これじゃ面倒で使いようがない。

 現代の日本でも「西暦はキリスト暦だから、天皇を頂くわが国では元号を使うべし」とか言ってる人がまだいるようだ。でもこの問題はもう解決済みだろう。昔ビデオテープの方式にVHSベータというのがあった。ソニーが開発したベータの方がいいんだといつまでも主張する人もいたけど、世界の大勢はVHS方式になってしまった。僕が今でも持ってる昔のビデオは全部VHS。でもいつの間にかビデオテープというもの自体がなくなって、DVDになってしまった。ビデオプレーヤーはもうどこも作っていない。西暦も同じで、良いも悪いも世界がそうなってるんだから仕方ない。

 世界各国は皆西暦表記を使ってるんだから、行政文書が元号だと面倒なだけ。頭の中で西暦に変換しないと歴史を通じた何十年単位の発想ができない。これは大変な「非関税障壁」だ。こういう問題にこそ「生産性」という言葉を使うべきなのである。行政に対する文書をいちいち元号で書いてるとすれば、それだけで生産性を低くしてしまう。百年単位で途切れることがない西暦を使わないと、百年単位の発想ができないのである。歴史を数直線上に表す場合、一番簡単なのが西暦。歴史上の出来事を「比較する」ためには西暦を使うしかない。この先がまだあるんだけど、長くなったからこの辺で。この程度のことは歴史の授業で最初にふれるべきだ。
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世界認識の障壁-元号を考える①

2018年10月11日 22時49分02秒 |  〃 (歴史・地理)
 2019年5月1日から「元号」が変わるはずである。1979年6月12日に公布された「元号法」という日本で一番短い法律がある。その法律によって、以下の通りに決まっている。
1 元号は、政令で定める
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める
 附則として、「この法律は、公布の日から施行する。」「昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。」というのが付いてるけど、法の条文としてはたった31文字しかない。

 これほどわけのわからない法律も珍しい。要するに「天皇の交代」によって元号を改める。つまり「一世一元」を法律化しただけで、元号の目的や決め方などは何も書いてない。1979年、昭和54年というのは、「平成」になる10年前。そろそろ昭和天皇の後をどうするか考えておかないと、と政府が考え始めていたわけである。そして「平成」も30年。天皇の代替わりが2019年5月にあると決まったから、元号法により元号も変わる。しかし、国会の審議や議決は必要ない。

 「元号」というシステムはもともと古代中国で始まり、中華文化圏で続いてきたが、今も存在するのは日本だけである。「皇帝の支配は空間だけではなく時間にも及ぶ」という制度だから、本質的に民主主義と相容れない。日本にだけ残ったというのも、何やら暗示的である。次の元号はもう水面下で政府の誰かが考えているんだろうけど、いつ発表するかも秘密だ。「平成」になった時に、あっという間に「商標登録」が殺到した。だから、ある程度秘密は必要だろう。でも元号を続けることだけ法律で決めて、元号そのものは国会と無関係というのもおかしいのではないか。

 それはともかく、2018年5月からは毎日が「平成最後」である。「10年ひと昔」が3つ分で「一世代」になるわけだから、なんかノスタルジー(懐古)に浸りたい人が出てくるのも判らないではない。しかし、夏ごろから「平成最後の夏」なんて言って回る人が増えてきた感じがする。もうテレビでは「平成を振り返る」みたいな番組もある。このままでは、仕組まれた「平成最後ブーム」が来年にかけて起こってきそうだ。それはどんな意味を持つのか、冷静になって考えておきたい。

 昭和天皇が死んだ1989年というのは、まさに世界が激動した年だった。世界の激動と昭和天皇の死は全く何の関係もない。だけど「平成懐古」では「世界激動」にはほとんど触れられない。これからもっと目にするようになるはずの「小渕官房長官が平成の字を掲げる映像」に始まり、日本国内のバブル崩壊の映像、そして小室哲哉や安室奈美恵の引退などとつなげていく…という展開がすぐに予想される。「平成」をテーマにした時点で世界認識がドメスティックになってしまう

 1989年と言えば、11月9日の「ベルリンの壁崩壊」である。それに続いて、「東欧革命」が起こり、東ドイツ(当時)、ブルガリア、チェコスロバキア(当時)とソ連寄りの「社会主義」政権が平和的に崩壊した。最後にルーマニアで武力衝突が起こり、チャウシェスク政権が崩壊した。その前に「ソ連」でゴルバチョフによる「ペレストロイカ」が起こり、第二次世界大戦後に長く続いた「米ソ冷戦」は終結した。その時に「歴史の終わり」と言った人もいたが、現実は希望を裏切り続けた。1990年の夏にはイラクのクウェート侵攻が起こり、中東情勢が世界を変える時代が始まった。
 (ベルリンの壁に立つ人々)
 1989年5月、中国で民主化を求める学生たちが天安門広場に集まっていた。しかし民主化運動は6月4日になって戦車で弾圧された。この「天安門事件」は30年経っても中国では自由に語ることができない。その間中国の経済発展は目覚ましく、GDPの規模自体は日本を抜いて世界第2位となった。今や米国とともに世界の2大強国となったことを誰も疑わない。ヨーロッパでは終わった冷戦も、東アジア地域では終わらなかった。30年経って、中国の大国化をどう考えるか。
 (天安門広場に集まった人々)
 1989年から30年、日本人が一番考えないといけない問題は、冷戦終結から始まった「グローバル化」、そして「中国の大国化」ではないかと思う。「平成最後」をことさらに言挙げする人々は、そういうことに触れない。というか、世界認識を国内に留めること、ドメスティックにすること、それが元号の仕組みなんだなと改めて思ってしまう。自分で気をつけていないと、いつの間にか世界で孤立していることに気づかなくなる。

 多分あるだろうなと思って探したらやっぱり見つかった。文科省の資料である。2017年7月に出た「平成33年度大学入学者選抜実施要項の見直しに係る予告について」という文書がある。「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」という法律は、2017年6月に成立している。正式な退位日時は決まってなかったけれど、平成は30年か31年の途中で終わることは誰でも知っていた。文科省の進める大学入試改革と言えば、英語の4技能を評価するために民間の検定などを活用すると言ってるものだ。それを「平成33年度」から実施するって言うけど、そんな年は存在しない。英語を重視する=日本を国際化するとか言ってるけど、頭の中は国内問題しか考えてないことが明白だ。2021年度って言わなきゃ判らないだろうが。(元号の問題を何回か続ける。)
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根本がおかしい「ふるさと納税」

2018年10月10日 23時17分06秒 | 政治
 「ふるさと納税」という制度がある。僕はこの仕組みが根本的におかしいと思っていて、いつかちゃんと書きたいと思っていた。最近は映画や本の感想が多かったけど、そろそろ硬い問題を書きたいなと思って、まずは「ふるさと納税」から。一応解説をしておくと、「納税」というけど「寄付」である。しかし、普通の寄付金減税と違って「ふるさと納税」は2千円を除いて所得税や住民税(翌年課税分)が減額される。「返礼品」が高額な場合、かえってもうけになってしまう。近年はその「返礼品」が高額になり、競争にようになって「官製通販」などと言われていた。

 利用者は2015年に100万人、16年には250万人を超え、寄付金額は15年に1千億、16年には2500億円を超え、2017年は3600億円にもなった。2015年から激増したのは「ふるさと納税ワンストップ特例制度」が作られたからである。それまでは確定申告が必要だったが、自治体に申請書を提出するだけでよくなったのである。その場合住民税だけが減額される。そこで都市部の自治体では「住民税が流出する」という悲鳴も上がるようになった。東京都杉並区では昨年度は13億9千万、今年度予測では18億7千万が流出するとしてポスターも作っている。

 担当の総務省では、9月11日に「高額返礼品は法で規制する」という方針を打ち出した。今までも「3割を超えないように」と通知していたが、守らない自治体もあるとして、法律で「地場産品に限る、3割以内」と決めるという。この「ふるさと納税」制度は、2007年5月に第一次安倍政権の菅義偉総務相が創設を表明した。つまり現在の菅官房長官の「功績」になっているので、今の時点で制度そのものの廃止は考えられないのである。だから返礼品規制などについてあれこれ言う人はたくさんいるが、制度そのものを論じなくなっている。

 北海道の厚真町では地震で大きな被害を受けた。その後「ふるさと納税」が激増し2億円を超えたという。返礼品もないという。そんなケースをどう考えるべきか。そういう仕組みはあってもいいんじゃないかと思う人が多いと思う。でも僕は違うと思う。「ふるさと納税」システムを利用する限り、現在居住している自治体の住民税が減額される。何の見返りも求めず、ただ厚真町を金銭的に支援したいと思うなら、普通に寄付金を送ればいいんじゃないだろうか。しかし、自治体に寄付金を送っても減税されない。関連のNPOなどに寄付しても確定申告をしないと減税にならない。

 「ふるさと納税」という仕組みがある限り、簡単に支援できるシステムを多くの人が利用するだろう。それを責めることはもちろんできない。でも、その分地元の自治体に「被害」を与えてしまう。だから、地元の学校に子どもを入れていたり、地元の福祉制度を利用しているような人は「ふるさと納税」を利用しないのではないだろうか。地震や豪雨などの災害支援のための募金はいくつもある。そういう時に募金すればいいわけで、何も「ふるさと納税」にしなくてもいいだろう。

 納税は国民の義務である。(憲法に書いてある。)国税もそうだけど、地方税も同じだ。税金によって国や地方の様々な仕組みが運営されている。超富裕層になれば、もう国家に対する帰属意識も少なくなり、資産は海外に移しているかもしれない。しかし、そこまではいかない「富裕層」は国家に対する帰属意識は持っていても、住んでいる自治体にはあまり帰属感がないと思う。地方ならともかく、都市の高層マンションに住んでるような人は「たまたまそこに建っていた」から買っただけで、地元との交流もない場合が多い。子どもは私立に通い、親も高い老人福祉施設を買える。地元自治体の教育、医療、福祉などを支える意識が乏しくなっても当然だ。

 一方、貧困層はもともと住民税が課税されないか、税額も少ない。わざわざ「ふるさと納税」を利用する意味がない。だから「ふるさと納税」を利用しているのは、おおよそのところ「富裕層」なんじゃないかと思う。つまり「都市の自治体の住民税を都市の富裕層に移転する」のが「ふるさと納税」である。よく保守系政治家は「権利ばかり主張して義務を果たさない」などと「戦後社会」を批判する人がいる。しかし、不思議なことに高額所得者の所得税はどんどん減額されてきた。今度は住民税も大幅に減額される仕組みを作った。おかしいのではないだろうか。自民党政権では「富裕層」は国民の義務を果たさなくてもいいのである。

 しかし、生まれ育った地域を支援したいと考える人がいるのは当然だろう。地方の特産品を大いに盛り上げるのもいいと思う。じゃあ、どうすればいいのか? 「地方創生」が国の目標だというんだったら、所得税を減額するだけでいいのである。本当はすべての人が確定申告するべきなんだろうが、住民税はできているんだから「簡単に所得税を減額する仕組み」もできないはずがない。「ふるさと納税」は寄付金の使い道を特定できることがある。しかし、本来は国税でこそ使い道を決めさせて欲しいところだ。「イージスアショア」とか「原発推進」じゃなくて、自分で望む政策を指定して国税を払える制度こそ必要なんじゃないだろうか。
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バート・レイノルズ、シャルル・アズナヴール等ー2018年9月の訃報

2018年10月09日 20時58分59秒 | 追悼
 2018年9月は比較的訃報が少なかった。樹木希林をその時に書いたから、同じく俳優との訃報から。まずアメリカのバート・レイノルズ。1936~2018.9.6、82歳。1980年前後にアクション映画のスターとして「キャノンボール」などで知られた。演技で評価されたのはポール・トーマス・アンダーソンのデビュー作「ブギーナイツ」で、アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。ポルノ映画業界の裏を描いた映画で、バート・レイノルズは「ポルノの巨匠」を演じた。
 
 僕の思い出にあるのはロバート・アルドリッチ監督の「ロンゲスト・ヤード」だ。9月にあった「ぴあフィルムフェスティバル」でアルドリッチ作品が特集され、黒沢清監督が「キッスで殺せ」の後で講演した。その時に学生時代に見た「ロンゲスト・ヤード」や「北国の帝王」などの魅力を語っていたのだが、僕も全く同じ。「映画表現論」で、講師の蓮見重彦が「ロンゲスト・ヤード」を見なければならないと力説するから宿題みたいな感じで見た。元アメフトスターで今は刑務所暮らしの男が、囚人アメフトチームにのめり込む。バート・レイノルズの自堕落な感じが良かった。

 中国の名優、朱旭(チュウ・シュー、1930~2018.9.15,88歳)が亡くなった。日本では山崎豊子原作のNHKドラマ「大地の子」の養父役が一番知られているだろう。でも僕は東京国際映画祭で主演俳優賞を獲得した呉天明監督「變臉 この櫂に手をそえて」(1996)が大好きだった。「變臉」は「変面」で、仮面の早変わりをする大道芸。「変面王」と呼ばれる名人を演じて圧倒的な存在感だった。他にも「心の香り」「こころの湯」「王様の漢方」などの映画に出ていた。

 寺山修司の「天井桟敷」の俳優だったサルバドール・タリが9月27日に亡くなった。70歳。もちろん画家のダリに似たヒゲだったことで寺山が付けた芸名で、本名は川筋哲朗。

 フランスの歌手、俳優だったシャルル・アズナヴールは、取り上げるかどうか迷ったけれど、まあ書いておくことにしたい。というのも、命日が9月30日夜から10月1日朝までのどこかで、どっちかというと10月1日らしい。月ごとにまとめるなら来月回しにするべきかも。でも、そう細かくこだわることもないだろう。94歳だから本来は驚くものではないが、何しろ9月に来日公演をしていたので驚いた。さすがに最後の公演になるだろうと思ったが、高いから行かなかった。
 
 もともとは「アズナヴ―リアン」(Aznavourian)で、これはアルメニア人に特徴的な「末尾にアン」の姓である。一番思い出すのはトリュフォー監督の映画「ピアニストを撃て」のピアニスト役。兄弟は犯罪者で、巻き込まれていく。僕はあまりフランスの「シャンソン」と言われるジャンルを知らないけど、1946年にエディット・ピアフに見いだされたという。英語でも歌を作り世界的に知られた。国籍は変えてもアルメニア人意識を持ち、アルメニアに協力してきた。パリで行われた国家追悼式にはアルメニアのサルキシャン大統領も参列した。

 文楽三味線の鶴沢寛治(9.5没、89歳)、日本舞踊の花柳寿南海(はなやぎ・としなみ、9.11没、91歳)は人間国宝だった。芸の中身はよく知らないけど。
 
井出正一(いで・しょういち)、2日没、79歳。1993年に自民党を離党して「さきがけ」結成に参加。自社さ連立内閣で厚生相を務めた。一時さきがけ代表を務めた。井出一太郎の長男。
高見敏弘、6日没、91歳。那須にアジア、アフリカの青年指導者養成のためアジア学院創設。
小藤田千栄子(ことうだ・ちえこ、11日没、79歳)、映画評論家。
小田裕一郎、17日没、68歳。作曲家。代表作に「青い珊瑚礁」。
山本KID徳郁(やまもと・きっど・のりふみ)、18日没、41歳。総合格闘家。ガンで死去。
元原利文、21日没、87歳。元最高裁裁判官。弁護士出身で一票の格差訴訟などで多くの反対意見を書いた。
小野竜之介、27日没、84歳。「新幹線大爆破」を書いた人。
藤田洋、28日没、84歳。演劇評論家。
渚ようこ、28日没、歌手、年齢非公表。クレイジーケンバンドと組んだり、若松孝二や森山大道らとコラボする仕事をした。新宿ゴールデン街で「汀」という店をやっていた。
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必読感動本、岩城けい「Masato」

2018年10月06日 22時47分04秒 | 本 (日本文学)
 久しぶりに先が気になってどんどん読んだ。いろいろと思うこと、感動するところが多く、多くの人に読んで欲しいと思った。そんな本が岩城けいMasato」だ。2105年に出て、坪田譲治文学賞を受賞した。2017年10月に集英社文庫に入った時に買ったままだった。なんだかほんのちょっと前に買った気がするけど、もう一年経っていた。スラスラ読めるし、もっと早く読めばよかった。

 主人公は日本から父の仕事でオーストラリアに引っ越した小学生、安藤真人。その男の子の視線で物語が進行する児童文学だから、とても読みやすい。日本にいたらもう6年生なのに、英語が判らないからと現地の学校の5年生に入る。中学生の姉は高校受験を控えて日本人学校に通うのに、真人は「英語ができるようになると便利」と現地の学校に行くことになる。日本の友だちとは学年も違ってしまうし、英語は全然判らない。学校じゃ「スシ、スシ」といじめてくるヤツがいる。

 「Masato」が「マサァトゥ」と呼ばれると、自分じゃないみたい。突然外国でいじめられっ子に転落した真人が、何とか居場所を見つけて「マット」と呼ばれるようになるまでの苦闘。だけど、何とかそうなったときには家庭での居所がなくなる。ネイティヴの少年英語を駆使できるようになったとき、もう自分の気持ちは英語の方がうまく言える感じ。日本語で聞く親に対し、英語で答える。もともと「英語ができるようになって欲しい」と親が現地の学校に行かせたのに、現実に英語ができるようになると「日本語で言いなさい」と怒られる。この矛盾に真人は戸惑う。

 サッカースクールコンサート(というけど、劇の公演)、あるいは日本から連れてった柴犬のチロ(これが泣かせるエピソード)なんかを通して、真人は大きく成長していく。それは同時に親との葛藤の始まりだった。一体真人はどういう選択をするのか。姉は日本に戻って、「山岡女子学園」を受験する。「山女」は制服も可愛くて、大学にもつながってて、就職率もいい。親たちは英語を話せると何かと便利だと言う。真人は思うんだけど、山女って英語に似てる

 岩城けい(1971~)は大学卒業後にオーストラリアに住んでさまざまな職業に就いた。2013年になって「さようなら、オレンジ」を発表し、太宰治賞、大江健三郎賞を受けた。この本は出た時に読んで非常に感銘を受けた。実際に長年オーストラリアに住んでいる実体験があるので、具体的な細部の記述がすごくリアル。夏と冬の逆転した季節感、日本人社会の実態、現地の学校のようす。どれもすごく面白いけど、やはり「学校教育のあり方」をめぐる違いが一番考えさせられる。計算問題も答えだけじゃなくて、なんでそうなるかの説明が大事なのである。

 も一つ、「英語ができる」と日本じゃ簡単に言うけど、それはどういうことかという問題。日本語での思考能力、自我発達の前に外国の小学校に通わせれば、当然「子どもとして生き抜く」ために現地の言葉で自我を形成して行ってしまう。親はテレビで海外で見られるNHKを見てしまい、現地のテレビを見ない。だからクラスのテレビやアイドルの話題に真人は付いていけない。日本で持ってたゲーム機も、電圧が違うから使えないので日本に置いてきた。ホント最初の頃の真人はチロだけが頼りだ。そんな状況をどう乗り切るかの、これはサバイバル冒険小説でもある。

 これは今いろいろと悩んでいる中学生、高校生、あるいはその親にはぜひ読んで欲しい小説だ。そして学校の教師、教育を論じたい政治家や日本の英語教育に関係している人、まだ読んでない人は是非読まないといけない。「国際化」や「英語」の意味について、じっくり考えるきっかけになると思う。こういう時って、英語でこういうんだという発見もいくつもある。
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データで見る沖縄知事選

2018年10月05日 23時47分34秒 |  〃  (選挙)
 地方選挙に関してはあまり書かないようにしているんだけど、9月30日に行われた沖縄県知事選は今年最重要の選挙に違いないから、少しデータを見ておきたい。データを調べずにあれこれ憶測する人もいるものだから。沖縄県知事選は元々任期満了選挙が11月ごろに予定されていたが、翁長雄志前知事が8月8日に死去したため早まった。その選挙では、衆議院議員だった玉城デニー氏が39万6541票で当選した。これは沖縄選挙史上の最多得票だった。
 (当選後の玉城氏)
 政権側が推した前宜野湾市長の佐喜眞淳氏の得票は31万6321票だった。どっちが勝つにせよ、もう少し僅差になるかと思っていたので、8万票差は予想以上だった。玉城氏の得票率は55.07%。今回の知事選の投票率は63.24%だった。2014年は64.13%で、2006年以来6割を超えている。前回の翁長氏の得票は36万0820票、得票率は51.7%だった。

 佐喜眞氏が辞任した宜野湾市では市長選も行われた。そっちは佐喜眞氏の後継、松川正則氏が2万6214票で当選した。玉城陣営の推した仲西春雅氏の得票は2万975票。一方、宜野湾での知事選の得票を見てみると、佐喜眞氏が2万6644票玉城氏が2万2373票で、宜野湾では佐喜眞氏が優勢だった。しかし、得票をよく見ると「佐喜眞」「松川」票はほぼ同数である。一方、「玉城」「仲西」票は玉城票が2千票多い。投票率を見ると、知事選が65.69%、市長選が64.26%で、同じ日に同じ場所で選挙したのに1%違う。市長選は無効票も千票ほど多い。つまり、普天間基地の地元である宜野湾市でも、知事選で玉城と書くためだけに2千人近くが投票に行ったのである。

 ここで有権者数を調べてみたい。当日の有権者数は、115万8602人である。前回の2014年は、109万8337人。6万人ほど増えているが、その理由は「18歳選挙権」である。18歳に選挙権が引き下げられた初めての選挙は、2016年の参議院選挙だった。その時の有権者数は、115万5811人だった。2017年の衆院選時は、115万8940人。これは選管のホームページにある数字で、在外者も含めたもの。これを見ると、ここ2年間ほぼ同じ。時々「選挙目当てに住民票を移す不正」があると言い立てる人がどっち側にいる。でも、そんなことはないわけである。

 辺野古の地元、名護市も見ておこう。9月20日現在の名護市の有権者は、4万9445人である。得票は、玉城氏が1万6796佐喜眞氏が1万5013票。1783票で玉城氏が優勢である。一方、2月4日に行われた市長選では、政権側が擁立した渡具知武豊氏が2万389票、翁長氏支持の現職稲嶺進氏が1万6931票で、反翁長知事派が勝利した。玉城票と稲嶺票はほぼ同じと見ていい。一方、渡具知票は佐喜眞票より5千票も多い。これはなぜだろうか。

 有権者数を見ると、2018年市長選時は、4万9372人。さらにさかのぼって、2017年の衆院選時は、4万9199人。2016年の参院選時は、4万9022人。全部ほぼ同じである。今時「不正流入」を計画する陣営があるとは思えないが、実際に不審な変動はない。4万9千人は同じで、100人単位の動きはあるが自然な変動と考えられる。一方、大きく違うのは投票率である。知事選の投票率は、65.04%。市長選は76.92%である。17年衆院、16年参院はともに55%前後だった。

 2014年の前回市長選は、有権者数は4万6582人、投票率76.71%。市長選は4人に3人は選挙に行くのである。選挙権が20歳だった時代なので、有権者は3千人近く少ない。前回の市長選結果は、稲嶺進1万6971票、末松文信1万5684票。稲嶺票は14年、18年でほとんど変わらない。有権者が増えているので、得票率は減っている。一方、反稲嶺(親政権)票は4700票も増えている。新しく増えた10代だって全部が政権支持ではないだろう。投票率はほぼ同じなので、2~3千人の有権者が前回と支持を変えたのである。投票率が知事選より10ポイント多いことで判るように、市長選では相当激しい働きかけがあったのだろう。

 18歳選挙権後に行われた全県選挙は、2016年の参院選しかない。その時は「オール沖縄」勢力の推す伊波洋一35万6355票を得た。投票率は54.46%だった。2014年知事選で翁長氏が獲得したのは、36万0820票。「オール沖縄」勢力は、このように35万前後の得票力がある。しかし、名護市長選で見られたように、今年に入ってほころびも見えていた。病身の翁長氏が候補として知事選に臨んでいた場合は、政権側に切り崩されていた可能性もあるのではないか。2017年の衆院選の比例区票を見てみると、自民=16万0169、公明=8万6896、維新=4万4101で、計29万票ほどが佐喜眞氏の基礎票と考えられる。31万6千を獲得したので、それなりに基礎票は獲得した。

 こうしてみると、得票数が多いのは、一つには「18歳選挙権」で有権者数が増加したことであり、投票率が6割を超えて前回並みだったこと。台風で直前の運動ができなくなり、政権側の物量作戦でひっくり返すことができなかった。翁長氏の「弔い合戦」ということで、県民の心に訴えるものがあった。玉城氏の知名度は宜野湾市長の佐喜眞氏よりも高かったと思われる。佐喜眞氏陣営が菅官房長官を先頭に「携帯電話の料金を4割下げる」などと、知事の権限に関係ない宣伝をしたこと。これらの様々な要因が集まって、39万もの票が集まったと考えられる。

 巨大台風が近づき、期日前投票にズラッと並ぶ異例の知事選だった。その中で、ここで政権側の思う通りにしてはいけないという有権者が多かった。翁長氏が投げかけたものが、亡くなったことで改めて県民の心に響いた。そういうことかなと思うが、宮古島、石垣島など先島諸島では佐喜眞氏が勝っている。そのことの意味は別に考えて行かないといけない。
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アニエス・ヴァルダ「顔たち、ところどころ」

2018年10月04日 23時07分54秒 |  〃  (新作外国映画)
 沖縄知事選のデータ分析を書くつもりだったが、時間がかかりそうだから今日見た映画の話。是枝裕和監督の映画上映シリーズをずっと見てたんだけど、3日連続で2本立てを見たら疲れてしまった。そこでアニエス・ヴァルダの「顔たち、ところどころ」というフシギに面白いドキュメンタリーを見に行った。近々上映も終わりそうだが、すごく魅力的で心が解放されるような映画だった。

 アニエス・ヴァルダ(Agnès Varda、1928.5.30~)は、今では「ヌーヴェルヴァーグの祖母」なんて言われるフランスの女性監督である。「シェルブールの雨傘」などを作ったジャック・ドゥミと結婚していたが、夫の死後もずいぶん映画を作っている。最近は劇映画じゃなくて、自由なタッチのエッセイのような映画を作っている。今度の映画は中でも変わっていて、アーティストの「JR」という人物と一緒にフランス各地を周っていく。年の差54歳のアート旅である。

 JRという人を映画の解説で見ると、「10代の頃からグラフィティ・ペインティングをはじめ、17歳のときにパリの地下鉄で拾ったカメラで自分と仲間たちの写真を撮って街の壁に貼り付けるになる。自らを「photograffeur=フォトグラファー+グラフィティ・アーティスト」と称し、いまや世界で最も注目されるアーティストの一人となった気鋭のアーティスト」だそうである。「写真スタジオ搭載トラック」に乗って旅して、会った人の写真を撮る。それを拡大して印刷し、外壁に貼っていく。

 日本だったら、景観保護だの個人情報だのうるさいことになりそうだけど、なんかフランス人は鷹揚。大きな顔が貼り出されても、誇りに思ってる。もっともそういう人だけ出ているんだろうけど。フランスの田舎道が魅力的で、北の方にも南の方にも出かける。炭鉱町、農村、海辺、港では港湾労働者たちと会って、男の労働者じゃなくて妻の写真を撮る。この奥さんたちもすごい人ばかり。カルティエ=ブレッソンの墓に参ったり、途中で衝突もあるけど、アート珍道中が続く。

 JRはずっと黒メガネをしてるけど、そうなるとアニエス・ヴァルダが思い出すのはジャン=リュック・ゴダール。ゴダールの「はなればなれに」のパロディで、車いすに乗ったヴァルダをルーブル美術館で押してゆく楽しいシーンもある。昔ゴダールが黒メガネを外したシーンを撮影したヴァルダは、しばらく会ってないゴダールに会いに行こうという。そしてJRの黒メガネも外した顔も一度取りたいという。さて、ゴダールとは会えるか?JRの素顔は?

 軽いタッチだけど、なんか滋味がある。そんな映画。アニエス・ヴァルダは映画史上最高の女性監督だろう。最近デジタル版が再公開されたが、最高傑作「幸福」の素晴らしい恐ろしさは今も鋭かった。「5時から7時までのクレオ」(1961)も何度見ても新鮮だ。「歌う女・歌わない女」(1977)や「冬の旅」(1985)は公開以来見てないけど、すごい映画だった。こういう年齢の老い方は素晴らしいなと思える映画。そしてやっぱりフランス映画の魅力。
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青山文平「半席」、大江戸ホワイダニット

2018年10月03日 22時57分33秒 | 〃 (ミステリー)
 青山文平(1948~)は2015年に「つまをめとらば」で直木賞を受賞した。最近文春文庫に収録されたので読んだけど、なかなか面白い時代小説だった。青山氏は作家としては遅いスタートで、2018年12月に70歳となる。主に時代小説を書いている。しかし、2016年刊行の「半席」は「このミステリーがすごい」で4位に選出された。時代小説だけど、ミステリーでもあるらしい。ぜひ読んでみたいと思っていたら、9月末に新潮文庫に早くも入ったので、さっそく読んでみた。

 これはとても面白かったけど、同時に実に不思議なミステリーだった。あまりに不思議なので、紹介してみようかと思った。そもそも題名の「半席」が意味不明だ。主人公は25歳の徒目付(かちめつけ)の片岡直人。幕臣は「旗本」と「御家人」に分けられるが、将軍にお目見えできない御家人としてはなんとか出世して旗本になりたい。直人の父は少し出世したけど、一つの役にしか付けなかった。出世して二つの役に付くと、子々孫々旗本扱いになるという。その出世は父子一つずつ果たして合算してもいいので、直人はいま「半席」なのである。

 だから直人としては、徒目付を早く脱してもっと上を目指したい。そこへ上役の内藤雅之が「もう一つの裏仕事」を振ってくる。美味しそうな旬の魚の料理とともに、不思議な事件を探るように依頼してくるのである。「目付」はなんでも調べる役だけど、刑事事件としては「自白」で終わってしまう。だけど「動機」が判らない。そんなとき、どうにも気になって仕方ない人がいて、ひそかに調べ直して欲しいと依頼してくる。そんな調査である。それも老人がらみの意味不明な事件ばかり。
 (青山文平)
 冒頭の作品は、なんと89歳にもなって現役の幕臣がいて、72歳の養子がいるのに隠居もしない。一緒に釣りに行っていて、その89歳の方が突然いかだを走り出して水に落ちて死んだ。養子の方は現場にいなかったし、目撃者がいて事故死は疑えない。だけどなんで走り出したかが判らない。そんな話なんだけど、そもそも昔はさっさと隠居するのがルールかと思っていたら、定年がなかったのか。他の作品では90歳を超えた人もいるとある。

 これはミステリーとしては「ホワイダニット」である。「動機」が問題で、「なぜ」が判らないという話である。時代は文化年間、19世紀初期である。舞台は江戸の下町が中心で、間違いなく「時代小説」でもある。でも同時に、これらの連作は今までにない「老人小説」なのである。事件を起こすのは老人ばかり。いや若い武士も、あるいは町人も事件を起こすだろうが、「なぜ」が判らず調査を頼まれるのが老人がらみの事件ばかりなのである。

 それらは皆不思議な話ばかりで、「なぜ」が判ってもスッキリ感があまりない。意外な真相に潜む「武士の不思議さ」が立ち上がってくるとき、現代とはあまりに違う価値観にビックリする。そんな話ばかりが集まっている。「真桑瓜」「蓼を喰う」が中でも真相解明の切れ味が優れている。また魚料理のおいしそうなこと、季節感を感じる描写にも目が離せない。とにかく読後感としては、かつて読んだことがない「独自のミステリー」ということになる。
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