ちょっと前まで、東京を初め全国には外国人観光客があふれていた。政府は外国人観光客を増やす政策を取っていたし、「爆買い」という言葉もあった。京都や鎌倉では観光客が増えすぎて困っているという話もあった。浅草の仲見世通りを見る限り、確かに大幅に増えていたようだが、新型コロナウイルス感染拡大で全く消え去った。日本からも出国できなくなり、外国からも入国できなくなった。日本だけではなく、世界各国で往来が停まってしまった。朝日新聞の別冊「GLOVE」5月版では「世界同時鎖国」と特集を名付けた。そんなことが起きると思っていた人は誰もいないだろう。
(「GLOVE」表紙)
それどころか、「マスク」が「戦略物資」になってしまった。日本では人件費が高い「ものづくり」を外国に移転し続けてきた。だから外国が輸出をストップすると、多くの物が国内で払底してしまう。やがて国内生産も始まったし、中国の感染状況が落ち着けば輸入も再開されたようだが、一時は「マスク」品切れが大問題だった。ヒトだけでなく、モノであっても、予想できない危機に陥ると、結局は「国境」で閉ざされてしまうのか。世界の感染状況も「国ごと」に発表される。情報をまとめる権限が国家ごとになっているからだ。現代の世界は、やはり「国民国家」で成り立っているのだ。
「プレコロナ世界」では、むしろ「国家の地位低下」が取り沙汰されていた。欧米各国ではどこも指導者の支持率低下が見られ、右派の伸張が著しかった。右派は「ナショナリズム」を主張するが、それは国家への信認を意味しない。むしろ移民の受け入れを進める「現代国家」に敵意を示し、現存の国家機構解体を主張することが多い。右派は国家ではなく、「民族」「信仰」に価値を見出す。「人権」をベースにして、国籍を問わない福祉政策を行う「現代国家」は「敵」なのである。
ヨーロッパでは「EU」が機能しなかった。イギリスが脱退したばかりのEUで、統合の価値を示すことが出来なかったと思う。イタリアやスペインで爆発的に感染が増加したときにも、相互に援助することは難しかった。どの国も自国の状況に対応するだけで精一杯だったのである。自由に行き来できるはずだったのに、やはりヨーロッパでも国境を閉ざすことになった。肝心の時に役に立たないのでは、欧州統合も行き詰まるのか。そうでもないだろう。今後の加盟を望む国では、経済状態から加盟を諦めることは出来ない。EU内の大国も、米ロ中への対抗上「EU」を必要とする。だから今後も緩やかに「EU拡大」が進行するだろう。抜けられるのは、アメリカとの関係があるイギリスだけだ。
(問われるEU)
結局「衛生政策」を実行するのは、「国家」しかないのである。ここでいう「国家」とは、「実効支配」を確保している「領域政権」である。リビアやイエメンでは統一政府がない状態が続いている。そうなるとウイルス感染状況も判らない。時々感染が広がっているという報道も見られるが。また、歴史的、政治的事情から多くの国から「国家」として承認されていない「台湾」は、「事実上の国家」としての信用力が増すことになった。21世紀は「国家を超えた世界」が実現するように言っていた人もいたが、やはり「国家」の枠内で人は生きていたのである。
コロナ危機で生活が困窮した人をどう救うべきか。この問題に取りあえず答えを出せるのは、「国家」(および「地方政府」)だけだった。世界的組織は貴重だけど、人々を直接把握できない。NPOやヴォランティアも大切だが、全員を対象に出来ない。「特定給付金」とか「持続化給付金」などの「対策」(または「無策」)に関わるのも国家だけだ。国家を運営する「行政」は、選挙を通して国民が(タテマエ上は)成立させる。それはつまり我々は「国家」に包摂されていて、抜けられないということでもある。
国家を超える規模を持つ「多国籍企業」、特に「GAFA」と呼ばれるアメリカの大企業の問題も考えないといけないんだけど、長くなるしテーマが拡散するので別に機会にしたい。今回の問題で僕が一番考えさせられたのは、やはりまだ「国民国家の時代」だったんだということである。インターネットだの、多国籍企業だの、何だか21世紀は国家を超えていたように思わないでもなかった。でもイザとなると、国境は閉ざされてしまうのである。
(「GLOVE」表紙)
それどころか、「マスク」が「戦略物資」になってしまった。日本では人件費が高い「ものづくり」を外国に移転し続けてきた。だから外国が輸出をストップすると、多くの物が国内で払底してしまう。やがて国内生産も始まったし、中国の感染状況が落ち着けば輸入も再開されたようだが、一時は「マスク」品切れが大問題だった。ヒトだけでなく、モノであっても、予想できない危機に陥ると、結局は「国境」で閉ざされてしまうのか。世界の感染状況も「国ごと」に発表される。情報をまとめる権限が国家ごとになっているからだ。現代の世界は、やはり「国民国家」で成り立っているのだ。
「プレコロナ世界」では、むしろ「国家の地位低下」が取り沙汰されていた。欧米各国ではどこも指導者の支持率低下が見られ、右派の伸張が著しかった。右派は「ナショナリズム」を主張するが、それは国家への信認を意味しない。むしろ移民の受け入れを進める「現代国家」に敵意を示し、現存の国家機構解体を主張することが多い。右派は国家ではなく、「民族」「信仰」に価値を見出す。「人権」をベースにして、国籍を問わない福祉政策を行う「現代国家」は「敵」なのである。
ヨーロッパでは「EU」が機能しなかった。イギリスが脱退したばかりのEUで、統合の価値を示すことが出来なかったと思う。イタリアやスペインで爆発的に感染が増加したときにも、相互に援助することは難しかった。どの国も自国の状況に対応するだけで精一杯だったのである。自由に行き来できるはずだったのに、やはりヨーロッパでも国境を閉ざすことになった。肝心の時に役に立たないのでは、欧州統合も行き詰まるのか。そうでもないだろう。今後の加盟を望む国では、経済状態から加盟を諦めることは出来ない。EU内の大国も、米ロ中への対抗上「EU」を必要とする。だから今後も緩やかに「EU拡大」が進行するだろう。抜けられるのは、アメリカとの関係があるイギリスだけだ。
(問われるEU)
結局「衛生政策」を実行するのは、「国家」しかないのである。ここでいう「国家」とは、「実効支配」を確保している「領域政権」である。リビアやイエメンでは統一政府がない状態が続いている。そうなるとウイルス感染状況も判らない。時々感染が広がっているという報道も見られるが。また、歴史的、政治的事情から多くの国から「国家」として承認されていない「台湾」は、「事実上の国家」としての信用力が増すことになった。21世紀は「国家を超えた世界」が実現するように言っていた人もいたが、やはり「国家」の枠内で人は生きていたのである。
コロナ危機で生活が困窮した人をどう救うべきか。この問題に取りあえず答えを出せるのは、「国家」(および「地方政府」)だけだった。世界的組織は貴重だけど、人々を直接把握できない。NPOやヴォランティアも大切だが、全員を対象に出来ない。「特定給付金」とか「持続化給付金」などの「対策」(または「無策」)に関わるのも国家だけだ。国家を運営する「行政」は、選挙を通して国民が(タテマエ上は)成立させる。それはつまり我々は「国家」に包摂されていて、抜けられないということでもある。
国家を超える規模を持つ「多国籍企業」、特に「GAFA」と呼ばれるアメリカの大企業の問題も考えないといけないんだけど、長くなるしテーマが拡散するので別に機会にしたい。今回の問題で僕が一番考えさせられたのは、やはりまだ「国民国家の時代」だったんだということである。インターネットだの、多国籍企業だの、何だか21世紀は国家を超えていたように思わないでもなかった。でもイザとなると、国境は閉ざされてしまうのである。