フローベールの「感情教育」を読んだから、続けて「サラムボー」(中條屋進訳)を読んでみた。「ボヴァリー夫人」(1857年)に次いで、1862年に刊行された第2長編である。2019年秋に新訳が岩波文庫から刊行された。だから今も読むべき作品なのかと思うと、内容的にトンデモ小説だった。叙述も細かすぎて読みにくい。古代カルタゴを舞台にしているのだが、確かな原史料がないところをずいぶん工夫しているらしいが、学術的には全然無意味だという。
(表紙の絵はミュシャ「サラムボー」)
フローベールと言えば、まずは「ボヴァリー夫人」の徹底したリアリズムで世界文学史に名高い。しかし、それだけと思われたくなかったようで、次には大昔のカルタゴの壮麗にして悲惨極まる宗教儀式や戦いの経過を描いた「サラムボー」を書いた。これはほとんど「スプラッター」である。血みどろの大惨劇の連続で、驚き呆れるしかない。いくら何でもやり過ぎだ。「ボヴァリー夫人」や「感情教育」の作家というイメージを完全に裏切るすさまじい描写の連続である。
(表紙の絵はスュラン「ハミルカル軍の戦象による蛮人たちの虐殺」)
カルタゴと言えば、ローマ共和国との3回に渡る「ポエニ戦争」が名高い。特にハンニバルがアルプス山脈を越えて象軍団でイタリアに攻め込んだ第2次ポエニ戦争が有名だ。ところが「サラムボー」は、ローマとの戦いに敗れた後、傭兵が反乱を起こしたという歴史書の1行の記述から想像力で全てを作り出した。ハンニバルの父ハミルカル・バルカの娘が「サラムボー」で、神殿の中で汚れなく育てられている。ところがハミルカルの館で開かれた饗宴で、傭兵のリーダーのマトーがサラムボーを見初めてしまう。
(カルタゴ遺跡)
マトーはサラムボーに恋い焦がれ、我が物にしたいと望む。カルタゴは傭兵に支払う金をケチって、約束違反に怒る傭兵はマトーらに率いられて反乱を起こす。城砦に囲まれたカルタゴをめぐり一進一退の戦況が続く。水道橋を忍び込んで神殿を襲ったり、周辺部族を巻き込んだ象軍団の戦争など興味を引かれる描写もある。だが宗教的な細かな話が多く、追い詰められたカルタゴの生け贄のシーンなど読むのが苦しい。何のためにこんな本を読むのだろうかとさえ思う。フローベールを読み始めたから、これも読んでしまいたいという気持ちだけで読み切った。一般的には読まなくていいと思う。
当時のフランスではかなり受けたという。カルタゴ風ファッションも流行したというが、もちろん想像で作られたものである。カルタゴのあるチュニジアは、「サラムボー」発表当時はオスマン帝国から事実上独立したチュニス君侯国が憲法を制定して近代化政策を進めていた。フローベールは1858年に実際にチュニジアを旅行してカルタゴを訪れている。チュニジアがフランスの保護領となるのは、1881年のことだ。だから、まだ相当先のことで、「植民地幻想」のようなものは感じられない。だが第二帝政期の海外進出熱のようなものも隠れているのかもしれない。
フローベールの他に入手しやすい本には、「三つの物語」(光文社古典新訳文庫)と「紋切型辞典」(岩波文庫)がある。他にもあるけれど、特に研究者でもない者が読むこともないだろう。「三つの物語」は名前通り三つの短編が入った作品集。面白いのは最初の「純な心」だけ。これを読むと、リアリズム作家というのと同じぐらい宗教作家でもあったと思わされる。「紋切型辞典」は読まなくても良かった。「悪魔の辞典」ほど面白くない。これでフローベールが終わると思うとホッとする。僕は「感情教育」が抜群に面白かった。
(表紙の絵はミュシャ「サラムボー」)
フローベールと言えば、まずは「ボヴァリー夫人」の徹底したリアリズムで世界文学史に名高い。しかし、それだけと思われたくなかったようで、次には大昔のカルタゴの壮麗にして悲惨極まる宗教儀式や戦いの経過を描いた「サラムボー」を書いた。これはほとんど「スプラッター」である。血みどろの大惨劇の連続で、驚き呆れるしかない。いくら何でもやり過ぎだ。「ボヴァリー夫人」や「感情教育」の作家というイメージを完全に裏切るすさまじい描写の連続である。
(表紙の絵はスュラン「ハミルカル軍の戦象による蛮人たちの虐殺」)
カルタゴと言えば、ローマ共和国との3回に渡る「ポエニ戦争」が名高い。特にハンニバルがアルプス山脈を越えて象軍団でイタリアに攻め込んだ第2次ポエニ戦争が有名だ。ところが「サラムボー」は、ローマとの戦いに敗れた後、傭兵が反乱を起こしたという歴史書の1行の記述から想像力で全てを作り出した。ハンニバルの父ハミルカル・バルカの娘が「サラムボー」で、神殿の中で汚れなく育てられている。ところがハミルカルの館で開かれた饗宴で、傭兵のリーダーのマトーがサラムボーを見初めてしまう。
(カルタゴ遺跡)
マトーはサラムボーに恋い焦がれ、我が物にしたいと望む。カルタゴは傭兵に支払う金をケチって、約束違反に怒る傭兵はマトーらに率いられて反乱を起こす。城砦に囲まれたカルタゴをめぐり一進一退の戦況が続く。水道橋を忍び込んで神殿を襲ったり、周辺部族を巻き込んだ象軍団の戦争など興味を引かれる描写もある。だが宗教的な細かな話が多く、追い詰められたカルタゴの生け贄のシーンなど読むのが苦しい。何のためにこんな本を読むのだろうかとさえ思う。フローベールを読み始めたから、これも読んでしまいたいという気持ちだけで読み切った。一般的には読まなくていいと思う。
当時のフランスではかなり受けたという。カルタゴ風ファッションも流行したというが、もちろん想像で作られたものである。カルタゴのあるチュニジアは、「サラムボー」発表当時はオスマン帝国から事実上独立したチュニス君侯国が憲法を制定して近代化政策を進めていた。フローベールは1858年に実際にチュニジアを旅行してカルタゴを訪れている。チュニジアがフランスの保護領となるのは、1881年のことだ。だから、まだ相当先のことで、「植民地幻想」のようなものは感じられない。だが第二帝政期の海外進出熱のようなものも隠れているのかもしれない。
フローベールの他に入手しやすい本には、「三つの物語」(光文社古典新訳文庫)と「紋切型辞典」(岩波文庫)がある。他にもあるけれど、特に研究者でもない者が読むこともないだろう。「三つの物語」は名前通り三つの短編が入った作品集。面白いのは最初の「純な心」だけ。これを読むと、リアリズム作家というのと同じぐらい宗教作家でもあったと思わされる。「紋切型辞典」は読まなくても良かった。「悪魔の辞典」ほど面白くない。これでフローベールが終わると思うとホッとする。僕は「感情教育」が抜群に面白かった。