ベルギーで社会派映画を作り続けているダルデンヌ兄弟の新作「その手に触れるまで」が公開された。溜まっていた新作が続々と公開され、あっという間に終わってしまう感じ。半分しか客を入れないんだから、よほどの全国的ヒット作以外はペイしない。字幕も入れて、いつでも上映可能な新作は、どんどん消費されると予想される。見逃したくない作品はこちらも頑張って見ておきたいと思う。
ジャン=ピエール(1951~)とリュック(1954~)のダルデンヌ兄弟は、「ロゼッタ」と「ある子供」でカンヌ映画祭最高賞(パルムドール)を取っている。他にも「息子のまなざし」で主演男優賞、「ロルナの祈り」で脚本賞、「少年と自転車」でグランプリを受賞していて、カンヌ映画祭と相性がいい。今回の「その手に触れるまで」は監督賞で、まだ賞が残っていたのか。テーマ的には移民や労働者の問題もあるが、圧倒的に「子ども」が多い。少年犯罪や虐待などを扱う映画が多い。
(監督賞受賞のダルデンヌ兄弟)
そんな映画は見るのも億劫で暗いだけなんじゃないかと思われるかもしれない。だがダルデンヌ兄弟の演出は独特で、ドキュメンタリー映画の撮影を同時に見ているような緊迫感がある。娯楽映画に多い「ワンパターン」展開ではなく、一体どうなるのか先読み不能な映像がテキパキと提示される。
「その手に触れるまで」は、上映時間84分と特に切り詰めた表現になっている。今回はなんとベルギーに住むイスラム教徒の家庭が舞台である。13歳の少年アメッドがあっという間に「過激化」してしまい、補習学校の女性教師を殺害しようとする。少年院に送られるが、彼は「更生」できるのだろうか。「一ヶ月前は普通にゲームばかりしていた」少年は、どうして宗教に目覚めたのか。でもそれは最後まで見ていても判らない。テーマは重大であるが、映画が与える情報は少ない。
ベルギーは北部がオランダ語、南部がフランス語だが、ダルデンヌ兄弟の映画はフランス語地帯を描いている。ウェブサイトを見ると、ブリュッセル西部のモレンベークという町は、人口10万のうち半分がイスラム教徒だという。そのほとんどはモロッコ系だとあるが、日本人には顔では判別できない。映画では描かれない「前史」がある。アメッドのいとこはテロに加わって「殉教」したらしい。家では両親が離婚し、それを契機に母はヴェールを脱ぎ酒も飲むようになった。アメッドは「識字障害」があったが、補習学校の先生が親身に教えてもらったという。
「導師」の影響からか、いとこの衝撃か、親への不満からか。お世話になってきた先生とも握手をしなくなる。「大人のムスリムは女性に触れない」とか言い出すようになった。先生はアラブの歌謡曲を使って現代アラビア語を学ぶ講座を作ろうとするが、導師は先生を「背教者」と呼ぶ。その影響を受けて、ナイフを持って先生の家に行って襲おうとするが果たせない。戻ると導師は組織をつぶす気か、自首しろと言う。ここで映画は少年院のシーンに飛ぶ。母との面会、農場での体験実習。最初は動物に触れることも出来ない。農場の少女ルイーズは親切に世話のやり方を教えてくれるけど。
ルイーズとの幼いやり取りからも、アメッドは最後までムスリム意識が強いと思われる。ただイスラム教の厳格性が悪いわけでもない。現代ヨーロッパ社会では、受け入れられないのかもしれないが。僕は最後までアメッドがよく判らなかったが、同時にヨーロッパではムスリム同士でも、教師が帰りに生徒と握手をするのにもビックリした。日本の塾では考えられない。これでは「ウイルス感染」が広がるわけだとも思った。そんなに高い権威を持つイスラム法学者でもない導師(近所の店主に過ぎない)が「背教者」を規定してしまえるのも驚き。正直言って理解出来ないことが多い。宗教をめぐる「文化」の違いは「異文化理解」では解決できない。表現は難しくないが、内容的に理解が難しい「問題作」。
ジャン=ピエール(1951~)とリュック(1954~)のダルデンヌ兄弟は、「ロゼッタ」と「ある子供」でカンヌ映画祭最高賞(パルムドール)を取っている。他にも「息子のまなざし」で主演男優賞、「ロルナの祈り」で脚本賞、「少年と自転車」でグランプリを受賞していて、カンヌ映画祭と相性がいい。今回の「その手に触れるまで」は監督賞で、まだ賞が残っていたのか。テーマ的には移民や労働者の問題もあるが、圧倒的に「子ども」が多い。少年犯罪や虐待などを扱う映画が多い。
(監督賞受賞のダルデンヌ兄弟)
そんな映画は見るのも億劫で暗いだけなんじゃないかと思われるかもしれない。だがダルデンヌ兄弟の演出は独特で、ドキュメンタリー映画の撮影を同時に見ているような緊迫感がある。娯楽映画に多い「ワンパターン」展開ではなく、一体どうなるのか先読み不能な映像がテキパキと提示される。
「その手に触れるまで」は、上映時間84分と特に切り詰めた表現になっている。今回はなんとベルギーに住むイスラム教徒の家庭が舞台である。13歳の少年アメッドがあっという間に「過激化」してしまい、補習学校の女性教師を殺害しようとする。少年院に送られるが、彼は「更生」できるのだろうか。「一ヶ月前は普通にゲームばかりしていた」少年は、どうして宗教に目覚めたのか。でもそれは最後まで見ていても判らない。テーマは重大であるが、映画が与える情報は少ない。
ベルギーは北部がオランダ語、南部がフランス語だが、ダルデンヌ兄弟の映画はフランス語地帯を描いている。ウェブサイトを見ると、ブリュッセル西部のモレンベークという町は、人口10万のうち半分がイスラム教徒だという。そのほとんどはモロッコ系だとあるが、日本人には顔では判別できない。映画では描かれない「前史」がある。アメッドのいとこはテロに加わって「殉教」したらしい。家では両親が離婚し、それを契機に母はヴェールを脱ぎ酒も飲むようになった。アメッドは「識字障害」があったが、補習学校の先生が親身に教えてもらったという。
「導師」の影響からか、いとこの衝撃か、親への不満からか。お世話になってきた先生とも握手をしなくなる。「大人のムスリムは女性に触れない」とか言い出すようになった。先生はアラブの歌謡曲を使って現代アラビア語を学ぶ講座を作ろうとするが、導師は先生を「背教者」と呼ぶ。その影響を受けて、ナイフを持って先生の家に行って襲おうとするが果たせない。戻ると導師は組織をつぶす気か、自首しろと言う。ここで映画は少年院のシーンに飛ぶ。母との面会、農場での体験実習。最初は動物に触れることも出来ない。農場の少女ルイーズは親切に世話のやり方を教えてくれるけど。
ルイーズとの幼いやり取りからも、アメッドは最後までムスリム意識が強いと思われる。ただイスラム教の厳格性が悪いわけでもない。現代ヨーロッパ社会では、受け入れられないのかもしれないが。僕は最後までアメッドがよく判らなかったが、同時にヨーロッパではムスリム同士でも、教師が帰りに生徒と握手をするのにもビックリした。日本の塾では考えられない。これでは「ウイルス感染」が広がるわけだとも思った。そんなに高い権威を持つイスラム法学者でもない導師(近所の店主に過ぎない)が「背教者」を規定してしまえるのも驚き。正直言って理解出来ないことが多い。宗教をめぐる「文化」の違いは「異文化理解」では解決できない。表現は難しくないが、内容的に理解が難しい「問題作」。