尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「感情教育」、青春のパリ・恋と革命-フローベールを読む②

2020年06月10日 22時21分41秒 | 〃 (外国文学)
 2019年春にフランス文学をたくさん読んでみた。長いこと読みたかったフローベールの「ボヴァリー夫人」にも挑戦した。確かにすごい傑作だったけれど、あまりにもこと細かな「糞リアリズム」に難渋して、読み終わるのに2週間も掛かってしまった。その時の感想は、「「ボヴァリー夫人」ーフローベールを読む①」(2019.6.12)に書いた。引き続いてフローベールの「感情教育」に進むつもりが、一呼吸入れることにしたら、もう一年経った。そろそろ読むか。
 
 「感情教育」(L'Éducation sentimentale)は以前に岩波文庫で読んだ。1848年の二月革命下のパリが描かれていることで有名で、読んでみたかったのである。でも20年以上前のことで、ほぼ忘れてしまった。今度は2014年に光文社古典新訳文庫で出た太田浩一訳で、非常に読みやすい翻訳だった。「都市小説」と呼んでもいい小説で、画像や写真も豊富で判りやすい。馬車の種類の多さには驚いた。それは画像で見ないと理解出来ない。「ボヴァリー夫人」よりも長い、上下巻合わせて1000頁もあるが、5日ぐらいで読み終わった。とても充実した読書体験だった。

 この本はフローベールの自伝的な要素も多いと言われている。パリに出てきた18歳の大学生フレデリック・モローの「青春のパリ彷徨」の書である。学問と恋、乱痴気騒ぎと政治論議、革命と出世欲、たくさんの出会いとたくさんの別れ…。誰しもが思い浮かぶ青春の日々が眼前に立ち現れてきて懐かしい。19世紀のフランス小説のことだから、お決まりのように「年上の女性への憧れ」が出てくる。主人公の人生は、ほとんどそれ一辺倒。だけど、やはりフランス小説に多い「高級娼婦」も「幼なじみ」も出てくる。優柔不断で押しが弱いフレデリックの恋は、なかなか苦労が実を結ばない。あるとき突然「モテ期」を迎えたりするのも「あるある」感いっぱいで切ない。

 主にフレデリックの恋愛模様で進行するが、政治論議も多い。この小説は1840年に始まり、主に1851年暮れまでが描かれる。書かれたのは1864年から69年で、69年に刊行された。フローベールは1821年生まれで(1880年没)、主人公フレデリックと同年齢である。1930年の七月革命で成立した国王ルイ=フィリップによる「七月王政」はもう行き詰まっていた。現王室を支持するか、正統ブルボン王朝復活を目指すか。王制を打倒して共和政を目指すか、それとも一挙に社会主義に進むか。復古派もいれば、空想的社会主義者も多い。恋愛とともに、青年たちは政治も熱く語り合う。そして1848年2月に市街戦が勃発し王政が倒れ、全ヨーロッパに波及した。
(1848年のフランス二月革命)
 フレデリックは市街戦には参加しない。革命勃発の日は、憧れのアルヌー夫人とデート出来る日だった。市街戦のためではなく、結局二人は出会えない。(十数年して再会した。)そこからフレデリックの恋愛は迷走していき、性と打算、金と名誉で揺れ動く。困ったもんなんだけど、フレデリックはどうも性格的に弱い。翻訳者の太田氏によると、学生に読ませてみると男子学生はフレデリックに同情的だが、女子学生は非難するらしい。それも道理で、臆病なのに打算的、いいところまで行ったと思うとダメにしてしまったり。歯がゆいけれど、男なら思い当たることが多い。

 二月革命後の政局は左右に激しく揺れ動き、6月には再び市街戦が起こる。かつての友人たちの立場も大きく変わる。一緒に青春を騒ぎ回った皆が、今度は敵味方に分かれてしまう。フレデリックも「高級娼婦」ロザネットに入れ揚げて、激動のパリを後にしてフォンテーヌブローに出掛けてしまう。そのシーンはとても印象的だ。パリ郊外のフォンテーヌブローの宮殿は美しいが、ロザネットは興味を示さない。森の奥へ出掛けるのも面白い。せっかく二月革命で旧秩序が崩れて、若い世代が大いに活躍するべきところ、こうしてフレデリックは人生を空費してしまう。
(フォンテーヌブロー宮殿)(フォンテーヌブローの森)
 有名な文芸批評家のティボーデはフレデリックのことを「フローベールから文学をマイナスした人物」と表現したという。なるほどなと納得した。フレデリックは時代を表現する「狂言回し」なんだろうから、実業界、政界、芸術界などに乗り出さないのも判る。ところで、フレデリックは夏目漱石に出てくる「高等遊民」みたいな存在だが、どうして生活が成り立つのか。一時は窮迫して故郷に引っ込むが、偶然「伯父さんの遺産」が転がり込む。この展開は都合良すぎかなと思った。とにかく巨編ながら、実に面白く読める傑作だ。英語風に言えば「センチメンタル・エデュケーション」という題名も心に訴えてくる。
コメント
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