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尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

カメル・ダーウド「もうひとつの『異邦人』」ーカミュ「異邦人」をめぐって②

2021年03月13日 20時33分28秒 | 〃 (外国文学)
 カミュ異邦人」をめぐる考察2回目。1回目に、原作には主人公(語り手)ムルソーの名前が書かれていないと書いた。映画で初めて「アルチュール」という名前が与えられた。ムルソーは殺人罪で裁かれるが、それでは彼によって殺されたアラブ人の名前は何だったか、答えられるだろうか。原作を読んでる人は多いだろうが、大部分の人は「いやあ、昔読んだから覚えてないなあ」と答えるかもしれない。何人かの人は「確か原作には名前が書かれていない」と言うだろう。そして、ほとんどいないだろうが、それは「ムーサー」だと言う人がごく少数いるかもしれない。

 実は原作には被害者の名前が書かれていない。ムルソーは死刑まで宣告されるというのに、何故か被害者の名前がどこにもない。それに対して、この殺されたアラブ人の立場に立って「被害者の家族」の立場から書かれた小説がある。アルジェリアの作家カメル・ダーウド(1970~)の「もうひとつの『異邦人』 ムルソー再捜査」である。2013年にアルジェリアで、2014年にフランスで刊行され、ゴンクール賞の「優秀新人賞」を受けた。日本でも2019年に鵜戸聡訳で、水月社から翻訳が出ている。この本によって、初めて被害者のアラブ人に名前が与えられた。それはムーサー・ウルド・エル=アッサースというのである。
(「もう一つの『異邦人』」)
 「もう一つの『異邦人』」は、被害者ムーサーの弟、ハールーンの語りとして書かれている。アルジェリアに今や数少なったと書かれているバーに毎日通いながら、老境のハールーンがインタビューする新聞記者に語っている。彼によれば、ムーサーとハールーンは二人だけの兄弟だった。アレレ、「被害者のアラブ人」には妹がいたはずじゃないのか。ムルソーの友人「レエモン」が彼の「女」(例によって原作には名前がないが、映画では「ヤスミン」とされている)をひどい目に遭わせたため、兄がレエモンにつきまとっていると書かれている。そしてムルソーがマリー、レエモンと海辺の友人を訪ねた日も、兄とその友人(?)が海辺にいた。

 これは一体どう理解するべきだろう。本の中でハールーンは、兄の死を書いた本を何度も読んでいると書かれる。だけど、他に姉妹はいなかったと断言するのである。「異邦人」で姉妹と書かれたのは、同じ街区に住むムスリム女性は皆姉妹であるということをフランス人が知らなかったのだとされる。そう言われると、なるほどそうかもと思わないでもない。もっともハールーンは自分でも嘘つきと自認していて、この本も知的な企みに満ちた本なので油断はできない。兄の死体はなくなってしまって、ついに発見されなかったと書かれている。そんなことがあるだろうか。浜辺の事件だから、満潮になったら死体が流されるということが絶対にないとはいえない。

 でもそういうことではなくて、植民地のアルジェリアにおいてアラブ人の死体が発見されないまま、支配者側のフランス人が起訴されるという事態が想定できるだろうか。最近公開されたフランス映画「私は確信する」という映画では、死体がないのに起訴された事件が描かれている。実在の裁判がモデルだというから、フランスに「死体なき殺人裁判」があるわけだ。日本でも死体未発見の事件もないわけではないが、「支配ー被支配」という関係の植民地で、被支配者が行方不明になったというだけでは、銃撃が確認されたとしてもフランス人を起訴するのは難しいだろう。
(カメル・ダーウド)
 この小説はまさに「異邦人」とポジとネガの関係にある。まず冒頭は「今日、マーはまだ生きている」と始まる。「きょう、ママンが死んだ」と始まる「異邦人」と正反対である。ムルソー、あるいはカミュ本人と同じく、ハールーンにも父がいない。兄ムーサーが殺されて、ハールーンは母と二人残される。幼かったハールーンは、無学な母と生きていくのに必死で、ついに結婚できなかった。母は残った息子を必要として、ハールーンを家につなぎ止めた。彼は独立戦争に参加できず祖国の英雄になりそこね、独立以後は日陰の人生を送らざるを得なかった。その点でもハールーンはまた「もう一人の異邦人」なのである。

 彼の人生にも「秘密」があった。ムルソーが殺人を犯したように、ハールーンも人を殺したことがあった。それはアルジェリア独立直後のことで、フランスへ帰った植民者の家に住んでいた彼らのもとへ、村に残ったフランス人が紛れ込んできた。そのフランス人ジョゼフを深夜に銃で殺害したのである。死体は母とともに庭に埋めた。村のフランス人がいなくなって、捜査はなされた。銃撃音が聞かれていてハールーンも捜査されたが、起訴されなかった。ムルソーと逆である。ハールーン親子は「フランス人に家族を殺された」ということが、「戦没者遺族」のような重みを持ち「水戸黄門の印籠」になるのだ。が、死は心の中にその後も住み着いてしまった。

 このようにムルソーと正反対でありながら、運命は似たような歩みを続けて行く。その結果ハールーンの人生も破壊されて、ムスリムには本来許されない飲酒癖をもたらした。そしてムルソーと同じく、彼は「無神論」に近づいていく。作者のカメル・ダーウドはもともとオラン(「ペスト」の舞台となったアルジェリア第二の都市)でジャーナリストとして活躍していた。常に反権力、反イスラム過激主義の立場に立ち、そのため反イスラム的とみなされて起訴されたり、イスラム政党から「死刑」のファトワ(宗教上の宣告)を受けたりしている。「異邦人」の正反対であるはずの「もうひとつの『異邦人』」もまた同じく祖国に受け入れられない「異邦人」の物語なのだ。

 当初は「この物語には二人の死者がいる」のに、世界的に有名になったのはあのフランス人で、自分の兄は名前さえ伝わらないとハールーンは怒っている。そのため彼は「ムルソー再捜査」を行い続けたが、残っている情報は手に入らない。同じくムーサーの足跡を追っていた女性教師メリエムが独立後に訪ねてきた。ハールーンは一時彼女と交際するものの、母は歓迎しない。この短いエピソードを除き、「弟」の人生はすっかり「兄の死」で壊されてしまった。しかし、次第に独立後のアルジェリアの歩みも彼が思ったようなものではなかったことが判ってくる。重ね合わされた幻滅の日々を生きてきたのである。

 この小説はカミュ「異邦人」を反転させ、もう一つの読み方を突きつける。その意味で非常に重要な意味を持つと思う。かなり読みにくい小説ではあるものの、そういう試みは大切だろう。死者に名前さえ与えられなかった「異邦人」を被害者の側から読み直すこと。それは大事だと思うが、同時にテクストとしての「もうひとつの『異邦人』」をも疑って掛かる必要がある。

 ムーサーは1942年に殺された(死体は未発見)とされるが、「異邦人」は1942年6月にパリのガリマール社から発売された。よって、ムルソーが事件を起こした夏は1941年以前でなければならない。この食い違いは、有名な本が出た頃に行方不明になった兄を小説内の人物だと「妄想」したという読み方の可能性を作者が埋め込んでいるのではないだろうか。
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ヴィスコンティ監督の「異邦人」ーカミュ「異邦人」をめぐって①

2021年03月12日 20時40分17秒 | 〃 (外国文学)
 柳町光男監督に「カミュなんて知らない」(2005)という映画がある。2005年のキネ旬ベストテンで10位に入っている。立教大学で撮影されているので、僕には懐かしい風景がいっぱい出て来る。今はなき「ここのつ」という蕎麦屋の店主役を柳家小三治がやっているのも面白かった。ところでユーロスペースでこの映画を見ていたとき、僕の後ろに座っていたカップルが「カミュって誰だっけ?」「ほら『変身』を書いた人じゃない」と言ってるのを聞いてしまった。ふーん、ホントに「カミュなんて知らない」んだなあと思ったものである。

 その映画は大学生が映画を製作する過程を映画にしている。テーマは少年犯罪で、動機を問われて「人を殺してみたかった」と答えた高校生が起こした実在の事件がモデルになっている。つまり、動機を問われて「太陽のせい」と答えたアルベール・カミュ異邦人」の主人公「ムルソー」こそが「知らない」と言われる中身だったのである。日本で起きた少年による「不条理殺人」を媒介にして、元祖不条理殺人の「異邦人」が思い出されているわけだ。

 「カミュなんて知らない」はずが、2020年になって世界的にカミュが思い出されることになった。パンデミックの中で「ペスト」が世界中で改めて読まれ始めたのである。僕は「異邦人」も「ペスト」も中学生の時に読んでいて、それ以来読んでない。その当時の「ペスト」は上下2分冊になっていて、字も小さいから、買い直して僕も読もうと思った。他の本を先に読んでいて、まだ積まれているけれど。この機会にカミュの他の本もまとめて読もうかと思って、まず「異邦人」を読んでみた。そうしたら問題がいろいろと出てきて、何回か掛かりそうな感じ。

 ところでルキノ・ヴィスコンティ監督による映画「異邦人」(1967)がデジタル修復されてリバイバル公開されている。ヴィスコンティ監督は1976年に亡くなっているが、今も人気が高くほとんどの映画がリバイバルされている。その中で「異邦人」と「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)だけが全然見られなかった。そこでまず映画について書きたい。映画「異邦人」は、僕は昔テレビで見た記憶があり、またどこかで映画も見たと思うが16ミリだったかもしれない。

 今回何十年ぶりに原作読んで、映画を見た。映画は基本的に「原作の完全映画化」だ。大長編の映画化だと、エピソードや登場人物を多少カットしないと時間が長くなる。ヘミングウェイ「殺し屋」みたいに短すぎると、映画化の際にストーリーを膨らませる。しかし「異邦人」程度の長さなら、まあほぼすべてを映像化出来る。しかし、もちろん違っていることもある。中でも最大の違いは、「ムルソーの名前」である。原作は一人称で描かれていて、ムルソーによる情報の取捨選択がなされている。その結果、ムルソー(姓)しか書かれていないという特殊な原作なのである。

 映画でも「一人称」の映画も存在する。しかし、映画には多額の資金が必要だから、有名な俳優をキャスティングしてヒットするようにする必要がある。客観的な描写にするならば、主人公に名前が必要だ。冒頭も違っていて、手錠姿で連れてこられ検事の調べを受けるところから始まる。その後、拘置所で名前が呼ばれるが「アルチュール・ムルソー」である。当初は英語版で公開されたからか、ウィキペディアには「アーサー・ムルソー」と書かれている。(今回はイタリア語版。)作者のアルベールと似ていて、アルチュール・ランボーも想起させるから、何か名前を付けるならふさわしい気がする。

 ムルソーはマルチェロ・マストロヤンニが演じた。1924年生まれだからムルソーには上過ぎるけれど、他には考えられないだろう。フェリーニの「甘い生活」で世界的スターになり、ピエトロ・ジェルミ監督の「イタリア式離婚狂想曲」ではアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。知名度と演技力から、他にはいないだろう。フェリーニ映画の印象が強いが、もともと戦後すぐにヴィスコンティに認められたという。ヴィスコンティの映画では「白夜」(1957)と「異邦人」しか出ていない。マストロヤンニが演じたことで、ムルソーが立派すぎてしまった感じはする。

 恋人というか「母の葬儀翌日に情交関係を持った」と非難されることになるマリーは、アンナ・カリーナが演じている。2019年に亡くなったアンナ・カリーナを思い出すときは、どうしてもゴダール作品になる。「女は女である」「女と男のいる舗道」「気狂いピエロ」などである。「異邦人」のことは忘れていたが、アンナ・カリーナだから原作以上に同情的になる。つまり映画は原作のエッセンスを改編した部分はないが、「不条理殺人」を犯したムルソーがいかに不当な裁きを受けたかという点が強調されている。今の僕の問題意識では、果たしてそれで良かったのだろうかと思う。

 原作をどう評価するかは後回しにして、それ以外の問題を先に書きたい。映画では「太陽のせい」をどのように描くか。ナイフに当たる陽光がムルソーの顔を照らす。そのギラギラッとした瞬間が心を狂わせる、と解釈できなくもないように。かつて黒澤明監督「羅生門」で、撮影監督の宮川一夫が木漏れ日を印象的に映し出した。「異邦人」の撮影は先月亡くなった名手ジュゼッペ・ロトゥンノである。撮影もあって、非常にうまく原作を映像化したなと感心した。

 どこでロケしたのかなと思って調べたら、昔の映画パンフの情報をネット上で紹介しているサイトがあった。それによると、アルジェリアの首都アルジェ、つまり原作通りだった。原作(1942年)から25年、独立戦争はあったものの当時のアパートなどがまだ残っていたという。独立当時のベン・ベラ政権は65年にクーデタで倒され、映画化時はブーメディエン政権だった。まだイスラム主義的な影響が強い時代ではないから、ロケが可能だったのだろう。今年公開された「パピチャ 未来へのランウェイ」に出て来るが、アルジェリアでは90年代に軍部とイスラム政党の間で激しい内戦があった。フランス人作家が書いた無神論者を描く原作は今では難しいのではないか。

 映画の前半は、細かく検討すると原作から抜けている箇所も多い。例えば、冒頭の取り調べシーンが終わると、ナレーションで「きょう、ママンが死んだ」と流れて、もう養老院のあるマランゴ行きのバスに乗っている。原作も説明が少ないが、映像だけだとさらに判りにくいから、時々ナレーションで説明される。原作ではアラブ人の姿がほとんど出て来ない。しかし映画のロケでは、否応なくアラブ人の姿がとらえられる。最初の方でムルソーが町を眺めて過ごす描写があるが、アラブ人は出て来ない。だが映像にはアラブ人が働いている姿が目に入る。「ムルソーが何を見ていないか」(あるいはカミュが何を書かなかったか)が映画で見て取れる。

 後半の裁判シーンでも原作では判らなかったことが判る。まず「陪審員」は全員が「高齢のフランス人男性」である。女性やアラブ人がいないのは予想出来るが、若い人もいない。傍聴者には女性もいるが、全員がフランス人である。「アラブ人殺害事件」を裁いたわけだが、一人も現地住民の傍聴者がいない。また裁判官が高いところにいるのは当然だが、検察官がその次に高く、弁護士は一段低いところにいる。(戦前の日本でも同様。)裁判官は弁護人の反対尋問を全然認めない。今ならこの訴訟指揮だけで、上訴審で破棄判決が出るだろう。

 ヴィスコンティは晩年に作った耽美的、頽廃的な「滅びの美」の印象が強くなったが、元々はミラノ公爵家出身ながら共産党員となって「赤い貴族」と呼ばれた。ネオレアリズモの旗手として、演劇や映画で活躍してきた。「異邦人」は原作をリアリズムで映像化した手際の良さは見事だが、原作を知っている人には、あまり刺激がない面もあるだろう。海外では映画賞などには恵まれなかった。日本では68年のキネ旬ベストテンで8位になっている。意外なことに、これが初のベストテン入選だった。以後はすべて入選し、「ベニスに死す」「家族の肖像」で2回ベストワンになった。「若者のすべて」「山猫」がベストテンに入ってないのはおかしいが、どっちも11位だった。
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国立演芸場で春風亭小朝を聞く

2021年03月10日 21時06分58秒 | 落語(講談・浪曲)
 国立演芸場3月上席の千穐楽。トリは春風亭小朝である。落語協会は大御所の元会長・鈴々舎馬風や気鋭の桃月庵白酒などを中心にコロナ感染者が出て休演期間があった。落語協会だけ出演の上野・鈴本演芸場は今も休業中である。白酒は今月から復帰し、浅草演芸ホール夜の部でトリを取っている。そっちは時間的に大変だから国立演芸場に行こうと思った。ここは時間が短くなっている(1時開始で3時半上がり)。椅子も他の寄席よりいいし、国立で料金が安い。「津波の霊たち」のような本を読んでいると、重さを抜く必要がある。
(春風亭小朝)
 春風亭小朝は1980年に36人抜きで真打に昇進した。その頃は落語に関心がなかったけれど、これは大きく報道された一般ニュースだった。そして80年代、90年代には、テレビでも大活躍していた。20世紀の終わり頃から落語を聞きに行くようになって、小朝も何度か聞いている。今も大スターだけど、昔ほどの勢いがなくなった感じもある。「春風亭」と打ち込むと、一之輔昇太に次ぐ3番目で、下に昇太の弟子の昇吉、小朝の弟子の「ぴっかり☆」が迫っている。どんな大名跡を継ぐのかと期待されていた小朝も、3月上席中に誕生日が来て66歳である。

 今日はたっぷり「男の花道」を語った。これは初めてで、昔映画にも何度もなったけど、そっちも掛け違って見ていない。映画と落語、講談では少し内容が違うようだが、基本は上方の歌舞伎役者が東上する途中で失明の危機におちいる。それを東海道の宿場町に同宿していた目医者が治す。江戸で大人気を取った中村歌右衛門は、かつての恩義を忘れず医者の危機に舞台をなげうち駆けつけようと思うが…。という話で、途中少し言い間違いもあるが、長い話を聞かせた。

 前座が終わって、最初が先に名前を書いた「ぴっかり☆」。☆までが芸名である。元女優だそうで、年をごまかしてAKB48の第一期オーディションに参加して最終予選まで残ったという。最後は秋元康に年齢を見抜かれたということになっている。二つ目ながら、すでに大人気らしいが僕は初めて。演題は「やかん」という、横町の隠居先生が言葉の由来を無理やり語呂合わせするバカ話。訪ねた八五郎を先生が「愚者」「愚者」と呼ぶから、やる人によっては嫌み感が出る。アイドル系のぴっかり☆がやると、おかしさだけ伝わる感じがした。若いようでも不惑が近いけど、二つ目も10年目。そろそろ飛躍が期待できそう。
(春風亭ぴっかり☆)
 トリの前に僕のごひいきの音楽パフォーマンスのだゆき。今日は座ってやったのが珍しい。今まで何回か聞いてるが、いつも立ってやっていた。毎回鍵盤ハモニカでコンビニの音を再現するけど、それは手始め。パイプオルガンに再現には驚いた。簡単に演奏できる楽器をいくつか持ってくるが、この人はアルト・リコーダーソプラノ・リコーダーを一緒に吹ける。一人合奏で「ふるさと」を吹くんだからすごい。でも音楽だけでない雰囲気に持ち味がある。
(のだゆき、立って二つのリコーダーを一緒に吹くところ)
 前半はぴっかり☆に続き、春風亭柳朝、曲芸の翁屋勝丸林家三平で終わり。三平は「悋気の独楽」という、嫉妬深い奥さんが浮気旦那の後を小僧に付けさせる話。三平はだんだん風貌が先代に似てきたと思う。去年も浅草で聞いたけど、三平はうまくなっている。中入り後は桂文雀。この人も初めてで、調べると持ちネタがたくさんあるらしい。今日は「歯ンデレラ」という新作で、お婆さんが合コンに行って入れ歯を落とす。それを妻を亡くした社長が拾って落としたお婆さんを探すという、実におかしくも哀しいバカ話である。これは笑えた。時間が短いから疲れなくていい。でも国立演芸場はやはり「寄席」っていう感じが薄いんだなあ。
(林家三平)(桂文雀)
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感動的な魂の書「津波の霊たち」(リチャード・ロイド・パリー)を読む

2021年03月09日 23時02分17秒 |  〃 (震災)
 その日、つまり10年目の3月11日が近づいてきて、マスコミの報道も増えてきた。巨大津波爆発する原発の映像は、もう二度と目にしたくないという人も多いと思う。だけど、忘れてしまっていいのかと言えば、それはやはり違うだろう。これからどんどん「その後に生まれた人」が小学生から中学、高校へと進学していく。日本に住む人は今後も永遠に伝えていかなくてはいけない。

 僕は今回「津波の霊たち 3・11 死と生の物語」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)という本を読んだ。著者のリチャード・ロイド・パリー(Richard Lloyd Parry、1969~)は、イギリス人のジャーナリストで「ザ・タイムズ」紙のアジア編集長・東京支局長を務めている。日本で殺害されたルーシー・ブラックマンさんの事件を追った「黒い迷宮」で評価された。原著「Ghosts of the Tsunami Death and Life in Japan」は2017年に出版され、2018年に翻訳された。翻訳は濱野大道(はまの・ひろみち)氏で、素晴らしい名訳。その本が2021年1月に文庫化された。

 この本の評判は翻訳が刊行された時に聞いていた。訳者あとがきまで入れると430頁もあり、値段も1020円する。文庫といえど、決して安くはない。内容だけでなく、字がずっしり詰まっている「重い」本だ。でもこの本は是非読んで欲しい。「読めばわかる、欺されたと思って読んで欲しい」と人に勧めたくなる。魂の書であり、心の奥底に響くものがある。震災に止まらず、日本人についてこれほど考えさせられる本は滅多にない。それが千円ちょっとで手に入るんだから、むしろ安いと言わなければいけない。嗜好品をちょっと後回しにして手元に置くべきだ。
(リチャード・ロイド・パリー氏)
 著者は3月11日には東京のオフィスにいた。高校生でホームステイしたときに人生初の地震を体験、以来何度も地震を経験したけれど、多くの日本人と同じく人生で最大の揺れだった。家族の無事を確認し、13日には早くも東北に自動車で向かった。東北自動車道は閉鎖されていたから、24時間かけて仙台にたどり着いたのである。以来何度も東北に通って取材を重ね、最終的に「石巻市立大川小学校」と「霊体験」を書いた。原発事故はあえて触れられていない。スマトラ大津波も取材した著者は、人生で二度と見るはずがない大津波をもう一回取材したのである。そして多くの犠牲が出た中でも、極めつけの悲惨である「大川小学校」の悲劇を深く取材した。

 そこでは多くの児童と教員が亡くなった。そのことは誰でも知っているから、正直言って読む前に気が重い感じがしてしまうのは仕方ない。震災で学校管理下で死亡した子どもたちは75名だったという。そのうち74名が大川小学校だった。逆に言えば、大川小学校以外ではほぼ児童生徒の安全は守られた。そこには偶然もあれば、奇跡もあっただろうが、普段の訓練が生きた学校も多い。震災で崩れた学校もなかった。津波被災地の学校でも、建物は無事だった。地震は自然現象だから、地震多発地帯では必ずまた起きる。その時どこにいるかを選べるならば、日本の学校にいることが一番安全だと著者は言う。それでも「大川小学校の悲劇」があった。
(地震前の大川小学校全景)
 だから原発事故と並んで、「大川小学校」に「日本の失敗」が見える。この本では裁判に訴え一審判決が出るまでが描かれた。大川小では学校がある地区だけでなく、周辺からスクールバスで通学する児童もいた。それぞれの地域で様々な違いがある。親たちの置かれた境遇も様々である。地震が起きた時間から、他地域で仕事をしていた親だけが助かり、複数の子どもが亡くなった家庭もある。一家ほとんどが亡くなった場合もあれば、地区の中には津波被害を受けなかったところもあった。子どもが複数いて、小学生だけが亡くなった場合もある。さらに遺体がすぐに見つかった人もいるし、一週間、1ヶ月して見つかった人もいる。ついに見つからないままの人もいる。

 様々な立場の違いがあって、連帯と分断が起こる。その中で「なぜ大川小学校の悲劇が起こったのか」に向き合っていない行政の姿が見えてくる。その中で立ちあがってくる人間模様が細かく描かれる。まさに目の前で語られるような言葉で描かれる。「チェルノブイリの祈り」を書いたアレクシーエヴィッチと同じく、ノンフィクションだけどこれは紛れもなく「文学」だ。先の訃報特集で関千枝子の「広島第二県女二年西組」を「僕が読んだ中でも最も心に響くノンフィクション」と書いたけれど、ここにもう一冊を追加する。あの本も「なぜ自分は生き残ったのか」を探る本だった。運命を探求する先に社会が見えてくる。

 この本がすごいのはさらに先があることだ。それは「霊の問題」である。そこは東北だった。遺体が見つからない親たちは、霊能力がある人に尋ね始める。警察なども、その結果を教えて欲しいと言う。他の地域では大災害時でもあまり聞かれないという。そして多くの人が不思議な現象を見聞きする。幽霊が乗ったタクシーなどの話である。内陸部の栗原市の住職、金田諦應(かねだ・たいおう)師は被災住民の相談に乗りながら、「除霊」をするようになる。「カフェ・ド・モンク」という、「文句」と「monk」(僧)、さらに好きなジャズピアニスト、セロニアス・モンクを掛けた「おしゃべりスペース」を開きながら、霊の問題を引き受ける金田師の存在感はすごく大きい。

 この本に出て来る多くの日本人も、口では「幽霊は信じてない」という。著者も心霊現象には否定的だというが、叙述はニュートラルな聞き書きに徹している。そこに深みがある。全体的に著者が外国人ジャーナリストであることが、この本の一番の読みどころなのは間違いない。例えば大川小学校の子どもたちは朝「行ってきます」と家を出て、親は「行ってらっしゃい」と見送った。別れの言葉と日本人に教えられる「さよなら」はこの場合強すぎる。学校への行き帰りのような場合は、「行って、また戻ってきます」の省略の「行ってきます」、「行って、また戻ってらっしゃい」の省略の「行ってらっしゃい」と言うと書かれている。いや、そうだったのか。そんなことを意識していた日本人は多分いないだろう。

 「英国ニュースダイジェスト」というサイトに 「2人の英国人が見たあの日のこと」が掲載されている。そこでリチャード・ロイド・パリー氏が最後に語ることは「政治」だった。「日本は私が知るほかのどの国よりも、自然災害に対する備えが整っています。遅れているのは政治です。私の経験から言うと、日本人は政治を自分たちからかけ離れているものと見なしているように感じます。まるで政治が「別の自然災害」であり、その国民は無力な犠牲者であるかのようです。しかし、民主主義下では、自分でリーダーを選び、そしてある程度のふさわしいリーダーを獲得するものです。」コロナ禍で心に響く指摘だ。再び書くが、必読の本だ。
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ミカ・カウリスマキ監督「世界で一番しあわせな食堂」

2021年03月08日 21時08分25秒 |  〃  (新作外国映画)
 ミカ・カウリスマキ監督のフィンランド映画「世界で一番しあわせな食堂」という映画が上映されている。ミカ・カウリスマキ(1955~)はアキ・カウリスマキ監督の兄だが、映画祭などでは弟の映画の方が評価が高い。ミカ監督はブラジルにはまって住んでいた時期が長く、「アマゾン」などの劇映画、「モロ・ノ・ブラジル」などの音楽ドキュメンタリーをブラジルでたくさん作っている。日本でも何本かは公開されたが、僕も見たかもしれないが覚えてない。

 最近はフィンランドに戻って映画を作っているようで、この映画はフィンランド北部のラップランドを舞台にしている。何もないようなところをバスが進んで行って、あるところでアジア系の父子と思われる二人が下りてくる。これが中国人チェンチュー・パック・ホング)と彼の子どもだった。食堂があるので二人は寄ってみる。チェンは「フォントロン」という人物を探しているという。食堂を経営するシルカアンナ=マイヤ・トゥオッコ)や食堂にいる客にも聞いてみるが判らない。

 食堂はランチ時だがビュッフェの中身はマッシュポテトとソーセージの煮込みだけ。美味しくなさそうで、子どもは手を付けない。疲れて宿を探すが、宿もない代わりに裏に空き家があると紹介される。何となく居着いてしまったチェンだが、「フォントロン」は見つからない。そもそも人名なのか、何で探しているのか。そんなある日に、中国人団体客を乗せたバスがやって来る。時間が狂って食べるところがないという。それを見ていたチェンがスープ・ヌードルだったら自分が作れると申し出る。大急ぎで作った麺は大好評で、ガイドは他のバスにも紹介すると言う。
(地元民も恐る恐る中華を食べる)
 チェンは実は上海の有名シェフだったのだ。シルカはその後もチェンに料理を頼むようになり、ランチに中華が出ることになった。地元の常連はフィンランド人が食べるものじゃないなどと腐しているが、恐る恐る口に運んでみると美味に魅せられてしまった。高齢者しかいないような過疎の村で、常連は皆体調が悪い。彼らの体がチェンの料理で健康になっていく。つまり「中華」と言ってもエビチリとか麻婆豆腐などではなく、「薬膳」である。クコの実をいっぱい使うし、ハーブを生かした体に優しいスープなどが多い。上の画像は近くの湖で釣ったパーチの甘酢餡かけ。
(サウナから湖に向かう男たち)
 チェンの料理で元気になった地元の常連は、今度はチェンを「フィンランドの名物」に誘う。それは料理ではなくてサウナだから、チェンは最初は驚くが次第に調子よくなっていく。そんな風にいつの間にか地元になじんでいくが、子どもをどうするか。そして探していた人はどうなるか。そもそも何でフィンランドまで来たのか。ラスト近くになって、それらの疑問が解けていく。しかし、今度は彼らをヴィザの期限切れではないかと狙う警官が現れる。
(チェンとシルカ)
 一体チェンはどうなるのかという風に映画は進んで行くが、まあラスト近くの展開は書かない。フィンランドの風景、トナカイが道に出て来る自然の中で生きる人々。だが過疎で住民は高齢化してアル中も多い。そんな村に訪れた「異人」によるおとぎ話のような物語。チェンはフィンランド語を話せないから、住民とはおおよそ英語で話す。お互いに英語の達人ではない設定だから、すごく簡単な会話である。逆に言えば、この程度の英単語を使ってある程度の意思疎通は出来る。その英語を聞くという映画でもある。中華料理を美味しく描く映画は今までもあったが、外国で薬膳を作るのは面白い。チェンはぼぼ「宇治原」そっくりでクイズを出したくなるのが困るけど。
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関千枝子、安田猛、鴨下信一他ー2020年2月の訃報②

2021年03月06日 22時51分37秒 | 追悼
 2020年2月の訃報、国内編。まずノンフィクションライターの関千枝子について。知らない人が多いかもしれないが、僕はこの人にずっと注目していたので。2月21日没、88歳。広島の県立第二高女に在学中、1945年8月6日にたまたま体調不良で家にいたのである。勤労動員中だった級友のほとんどはその日に亡くなった。その体験を取材した「広島第二県女二年西組」を1985年に発表し、日本エッセイストクラブ賞を受けた。この本は僕が読んだ中でも最も心に響くノンフィクションで、多くの人に読んで欲しい本だ。ちくま文庫に今も残っている。「ヒロシマの少年少女たち」など原爆関係の本の他に、「図書館の誕生」「この国は恐ろしい国」などの本を書いた。安倍前首相の靖国参拝を違憲とする「本物の政教分離裁判」などの原告にもなった。
(関千枝子)
 ヤクルト・スワローズのピッチャーだった安田猛が2月20日死去、73歳。独特の左サイドスローで的確にコントロールされた投球で知られた。松岡弘と並び、78年にヤクルトが初優勝し日本シリーズも制覇したときの主力投手だった。早大、大昭和製紙を経て、1972年にヤクルト・アトムズに入団。肘を痛めて速球が投げられず、むしろ超スローボールを身に付けた技巧派として活躍し、入団した72年には最優秀防御率新人王に輝いた。翌73年にも防御率第一位となり、81イニング連続無四死球の現在も破られていないプロ野球記録を作った。1981年まで現役で、通算93勝80敗17セーブ。引退後もスワローズ一筋に、コーチ、スカウト、スコアラー、編成部長を務めた。1978年には開幕投手を務め、その日の一回裏にヤクルトのヒルトンが二塁打を放った。観戦していた村上春樹がそれを見た瞬間に作家になろうと思ったというエピソードがある試合である。
(安田猛)
 1955年の全米テニス選手権ダブルスで優勝した宮城淳(みやぎ・あつし)が2月24日に死去、89歳。戦後の日本男子唯一の4大大会制覇である。この時はシングルスと別の会場で行われた特殊な経過もあった。デビスカップでも活躍し、引退後は早稲田大教授などを務めた。
(宮城淳)
 TBSで多くのドラマの演出を手掛けた鴨下信一が2月10日死去、85歳。「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」「高校教師」などを演出した。白石加代子の「百物語」シリーズの演出、「誰も『戦後』を覚えていない」などの著書もある。TBSで常務まで務めた。
(鴨下信一)
 俳優の嵯川哲朗が2月17日に死去、84歳。59年に劇団青俳に入団、63年に退団し、65年から東宝演劇部に所属。数多くの舞台、テレビに出演した。67年の大河ドラマ「三姉妹」の近藤勇役で人気を得たというが、僕は時代的に知らない。時代劇「大江戸捜査網」でも知られた。しかし舞台やドラマ以上に僕が覚えているのは洋画の吹き替えだ。ヘンリー・フォンダやバート・ランカスター、クリント・イーストウッド、ショーン・コネリーなど名だたる俳優の声をやっている。
(嵯川哲朗)
 声優、俳優の森山周一郎が2月8日死去、86歳。テレビや舞台で活動しながら洋画の吹き替えで活躍した。ジャン・ギャバンチャールズ・ブロンソン、「刑事コジャック」のテリー・サバラスなどで、渋い低音で人気があった。アニメ「紅の豚」の主人公をやったし、調べると大河ドラマにも何作も出ているのだが、僕には洋画のイメージが強い。
(森山周一郎)
 言語社会学者の鈴木孝夫が2月10日死去、94歳。慶応大学で井筒俊彦に師事し、留学の後慶大教授を勤めた。73年の岩波新書「ことばと文化」で知られ、他にも「ことばと社会」「閉された言語・日本語の世界」「武器としての言葉」など多くの一般向け著書がある。日本語や英語について多くの議論を書いたようだが、読んでないのでここでは書くことが出来ない。
(鈴木孝夫)
 ロシア文学者の川端香男里が2月3日死去、87歳。著書「ユートピアの幻想」や翻訳のザミャーチンわれら」、バフチンフランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化」などで、70年代の思想界に影響を与えた。チェーホフやプーシキンの翻訳も多い。旧姓は山本だが、川端康成の養女と結婚して川端姓となった。川端康成記念会理事長として、短編に与えられる川端康成賞を長く運営した。実妹に美術史家若桑みどりがいる。
(川端香男里)

 本人の写真が見つからないけれど、昔の映画監督二人の訃報があった。成沢昌茂が13日に96歳で死去。戦時中に松竹で溝口健二に師事、戦後の大映で溝口晩年の「噂の女」「赤線地帯」などの脚本を書いた。その後東映で内田吐夢監督の「浪花の恋の物語」「宮本武蔵」五部作などの脚本を書いている。監督作品もあるが、三田佳子主演の「四畳半物語 娼婦しの」(永井荷風原作)は哀切な名作だった。同じく東映で映画監督をした村山新治が14日死去、98歳。1957年に「警視庁物語 上野駅五時三十五分」で劇映画監督になり、ドキュメンタリータッチの「警視庁物語」シリーズを多く監督した。それらは最近評価が高いが、僕は1961年の佐久間良子主演「故郷は緑なりき」が素晴らしいと思う。これも哀切極まりない青春映画の傑作。90年代初期まで多くのテレビドラマも手掛けている。二人とも高齢で、まだ存命だったとは思わなかった。

加藤義和、5日死去、85歳。「加ト吉」創業者。75年から香川県観音寺市市長も4期務めた。
鄭敬謨(チョン・ギョンモ)が16日死去、96歳。ソウル生まれで、アメリカ留学後に米国防省に勤め、朝鮮戦争の休戦協議で板門店の通訳をした。韓国へ帰国後、軍事政権を批判して1970年に来日して韓国の民主化を訴えた。1970年代に多くの評論を書き著書も多かった。
池尾和人、21日死去、68歳。金融論が専門で、政府の審議会などで委員を務めた。
小森龍邦、26日死去、88歳。元社会党衆議院議員(2期)、元解放同盟中央本部書記長。社会党の中で左派的な立場にたって、90年代半ばに「新社会党」に移った。解放運動でも、社会党議員としても、毀誉褒貶があると思うけれど、戦後の社会運動史で知られた人ではある。
森本葵、28日死去、81歳。陸上男子800メートルで1964年に樹立した日本記録は93年まで破られなかった。東京五輪でも期待されたが、急性肝炎にかかって決勝進出を逃した。1969年に駒沢大学の陸上監督に就任し、2000年の箱根駅伝優勝をもたらす強豪校に育てた。
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クリストファー・プラマー、チック・コリアー2020年2月の訃報①

2021年03月05日 22時19分31秒 | 追悼
 2020年2月の訃報特集。今月はまず外国から。まず俳優のクリストファー・プラマーから。2月5日死去、91歳。死因は転倒による頭部打撃だった。もともとカナダの舞台俳優だったが、やがてブロードウェイに進出し、映画やテレビでも活躍した。舞台、映画、テレビそれぞれで演技賞を受賞している。僕も含めて多くの人がこの人の名前を覚えたのは「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐役だろう。家庭教師のジュリー・アンドリュースと結ばれて、ナチス侵略に抗して国外へ脱出する。中学生の僕には忘れがたい映画だ。その後、2010年に82歳の時に「人生はビギナース」でアカデミー助演男優賞受賞。さらに2017年の「ゲティの身代金」でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。88歳で最高齢記録である。
(クリストファー・プラマー)
 続いて映画関係の訃報を。イタリアの撮影監督、ジュゼッペ・ロトゥンノ。2月7日死去、97歳。60年代、70年代に巨匠映画の撮影をいくつも担当した。ヴィスコンティ若者のすべて」「山猫」「異邦人」、フェリーニサテリコン」「ローマ」「アマルコロド」、デ・シーカひまわり」など、そうそうたる映画が並んでいる。その後アメリカ映画に進出して「オール・ザット・ジャズ」や「ポパイ」などを担当した。撮影監督の名前など覚えてないだろうが、重要な仕事だ。
(ジュゼッペ・ロトゥンノ)
 続いてフランスの作家、脚本家ジャンクロード・カリエール、2月8日死去、89歳。学生の時にジャック・タチ監督「僕の伯父さんの休暇」のノベライズで認められた。その後ルイス・ブニュエル監督と知り合い、「昼顔」「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(アカデミー賞ノミネート)「欲望のあいまいな対象」などの脚本を書いた。他にも「ブリキの太鼓」「ダントン」「存在の耐えられない軽さ」などもこの人が書いた。大島渚の「マックス・モン・アムール」も書いた。ピーター・ブルックの台本もずっと書いていて、長大な「マハーバーラタ」は日本で翻訳されている。またウンベルト・エーコとの共著「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」という本もある。
(ジャンクロード・カリエール)
 ジャズピアニストのチック・コリアが2月9日に死去、79歳。この訃報が一番重大だという人も多いと思うけれど、僕はジャスのことをよく知らない。ジャズトランペッターの父の下でピアノを始め、68年にマイルス・デイヴィスのバンドに参加した。71年に「リターン・トゥ・フォーエヴァー」を結成した。72年に同名のアルバムを発表して大評判となった。これは僕も覚えている。少しは聞いていると思う。グラミー賞67回ノミネート、23回受賞。
(チック・コリア)
 レーガン政権で1982~89年にかけて国務長官を務めたジョージ・シュルツが2月6日死去、100歳。ニクソン政権で労働長官、財務長官などを務め、建設会社ベクテルの社長をはさんで、レーガン政権で国務長官に指名された。政権内ではハト派だったとされるが、もう僕はこの人の具体的な仕事ぶりは全然覚えてない。長生きしすぎて忘れられた典型。
(ジョージ・シュルツ)
 アメリカのポルノ雑誌「ハスラー」の創刊者、ラリー・フリントが2月10日死去、78歳。もともとはオハイオ州でストリップクラブを経営していて、クラブの会報を出すようになった。やがて経営悪化のため雑誌に専念して、全米向けの過激なポルノ雑誌を発行した。75年にジャクリーン・オナシス(ケネディ元大統領夫人)のヌード写真を掲載して爆発的に売れたが、78年に白人至上主義者に銃撃され下半身不随になった。映画「ラリー・フリント」のモデル。表現の自由の重要性を主張したが、過激なヌード写真を掲載したため「悪名高き人物」として知られている。
(ラリー・フリント)
 サウジアラビアの元石油相アハメド・ザキ・ヤマニが2月23日に死去、90歳。1962年にサウジの石油・鉱物資源相に就任し、73年の第四次中東戦争時の「石油戦略」を主導した。OPEC(石油輸出国機構)で石油価格の調整をして、70年代には日本で知らない人はいない有名人だった。王族出身ではないのに、ここまで世界で活躍した人は珍しい。しかし、1986年に解任されて、今ではある年齢以上の人以外は全然判らないだろう。
(ヤマニ)
メアリー・ウィルソン、8日死去、76歳。シュープリームス元メンバー。
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「孔子廟訴訟」、最高裁判決への疑問

2021年03月04日 23時13分11秒 | 社会(世の中の出来事)
 2020年2月24日に、最高裁大法廷が「孔子廟訴訟」の判決を言い渡した。原告側完全勝訴の「違憲判決」だった。この裁判に関しては、大法廷回付が報道されたときに、「沖縄孔子廟訴訟、大法廷へー右の「政教分離」訴訟」(2020.8.1)を書いて解説した。一週間前のニュースになったけれど、結果についても感想を書いておきたい。
(テレビニュースから)
 一番最初の判決は「原告適格性がない」として原告敗訴だったが、その後控訴審で差し戻し判決が出た。その後の2回目の一審・那覇地裁は「原告完全勝訴」で「市有地を無償提供するのは違憲」とした。続く二審・福岡高裁那覇支部は違憲判決を維持しながらも、「土地代金をいくらにするかは市の裁量」とした。今回はその二審判決を破棄して、「市有地の使用料576万円を免除したのは違憲」と一審の判断に戻した。原審(この場合は二審の福岡高裁那覇支部)の判断を変える場合は、刑事訴訟法によって「口頭弁論」を開かなければならない。

 口頭弁論を開くだけなら「小法廷」で審理してもいいのに、この訴訟はあえて「大法廷」に回した。だから本格的な憲法判断を行うのかと期待したが、今回の判決は2010年の「空知太神社訴訟」と同じ考え方だった。これは北海道滝川市にある「空知太(そらちぶと)神社」が市有地を無償で使用していたことを憲法違反とした。今回は神社ではなく、儒教施設であることが新しい問題だが、違憲判断の構造は「宗教施設が市有地を無償で使用する」ことで共通している。
(勝訴を報告する原告弁護団)
 僕はこの判決に少し違和感がある。憲法違反の判断は重い。行政行為の違憲判断は、どんなものであれ評価すべきだという考え方もあるだろう。だが今回の裁判を起こした人たちは、他の「政教分離」裁判も応援しているのだろうか。政教分離裁判はほとんどが「靖国神社」(あるいは「護国神社」)に関するものである。有力政治家が「私人」として靖国神社を参拝したり、真榊を奉納したりするのは、「私人」だから許されるのだろうか。それをおかしいと思わない人が、「儒教施設を無償で使わせるのはおかしい」と言うのは二重基準だと思う。

 「本土」にも儒教関係の施設がある。東京の「湯島聖堂」や足利の「足利学校」である。しかし、それらは「歴史的価値」があるからと判決は波及しないと楽観しているようだ。では今回の問題になった「久米至聖廟」は歴史的価値がないのだろうか。建物に歴史的価値がないのは、戦災で焼失したからだ。戦前のものがそのまま残っていたら、「史跡」や「歴史的建造物」などの扱いをされていたに違いない。戦争は国家が行った行為であり、その結果として米軍の攻撃を受け焼失した。苦労の末に再建したら、「歴史的価値がない」というのは残酷だ。その再建の経緯を含めて、この施設には歴史的価値があると僕は思う。
(今までの主要な政教分離訴訟年表)
 政教分離規定は、本来は近代における「国家神道」と政治の癒着を禁じる意味合いが強い。もちろん他の宗教にも国家(自治体)が関わってはいけないけれど、時代の変化によって今までにはないケースも起こりうる。日本は国策でインドネシアからの介護者を受け入れているが、その多くはイスラム教徒(ムスリム)だろう。今後もムスリムへの対応は無視できない。その時に公立福祉施設で「祈りの場」を設置したり、公立学校で「ハラール」(ムスリムに許された食事)対応の給食を出したりしてはいけないのだろうか。僕にはとてもそうは思えない。

 あるいは皇居で行われる宗教行事、例えば「大嘗祭」に公費が使われ公人も出席していることはどうなのだろうか。皇居は「国有地」なんだろうから、その中で宗教行為を行ってはいけないのではないか。今回の判決から考えれば、憲法違反になるはずではないのか。それらの訴訟こそ、政教分離訴訟の「本丸」だろう。今回の原告・弁護団にも是非支援してほしいものだ。
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映画「花束みたいな恋をした」と「あの頃。」ー魅力の青春映画

2021年03月03日 22時39分26秒 | 映画 (新作日本映画)
 最近「花束みたいな恋をした」(土井裕泰監督)と「あの頃。」(今泉力哉監督)を続けて見た。どちらも青春映画の佳作で、見た後に充実感が残る映画だった。今さら青春映画を見てもなあと敬遠しがちなんだけど、見れば昔のドキドキ感が戻ってくる。若い頃にベルイマンの「野いちご」や小津安二郎の「東京物語」などを見た時に、高齢者の心は了解出来た。逆もまた真なりである。ところで、これらの「コロナ禍前」映画を見ると、ちょっと前までの「飲み会」「ライブハウス」「握手会」などの「」な生活に感慨を覚えてしまった。

 「花束みたいな恋をした」は菅田将暉有村架純の主演だからヒットするに決まってる。1月末に公開され、10月以来続いていた「鬼滅の刃」の興行収入連続トップ記録を破った映画になった。坂元裕二のオリジナル脚本を、土井裕泰監督が軽快に演出した。坂元裕二は「東京ラブストーリー」など多くのドラマを手掛けた人で、映画でも「世界の中心で愛を叫ぶ」の共同脚本に加わった。土井裕泰は「のぶひろ」と読むと今回知ったが、テレビで「愛してくれと言ってくれ」「逃げるは恥だが役に立つ」などの話題作を手掛け、映画でも「ビリギャル」「罪の声」を監督した。

 映画は2015年に山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)が終電を(京王線明大前駅で)逃して出会うところから始まる。映画や音楽などの趣味が同じで付き合い始め、(調布市で)同棲し、大学を卒業。しばらくフリーターになるが、やがて就職し、2020年に別れるまでの5年間を弾むようなリズムで描き出す。二人の年月は「あるある」感いっぱいで、多くの人が身につまされるだろう。やはり脚本の功績が大きい。僕は小説の話題がいっぱいなのが嬉しかった。「本棚が同じ」と絹が言ってる。堀江敏幸柴崎友香小川洋子などの他、今村夏子が何度も言及される。今村夏子が新作を書くと話題になり、別れる頃に芥川賞を受けた。
(多摩川沿いで焼きそばパンを食べる)
 この映画を支えている「社会的仕組み」は、「性的許容度の拡大」と「親の経済的支援」である。麦は途中で新潟県長岡市出身と判るが、大学を卒業したら仕送りを止められる。「駅から30分」ながら広い部屋を借りられたのは、親の仕送りがあったからだ。絹は東京に住んでいるが、昔なら「学生結婚」しなければ一緒には住めないだろう。「同棲時代」というのは両方とも地方出身の話で、男が女の下宿に入り浸るならともかく、同棲するために東京在住の女子学生が新しい部屋を借りるというのは、現代でもかなりハードルが高いと思う。

 麦はイラストレーターになりたくて、仕事も少しあったが単価が安い。仕送りがない以上、フルタイムで働かないと部屋代が払えない。男の方が働くことで、長時間労働の中で二人のすれ違いが出て来る。土曜日にお芝居のチケットを取ってあったが、日曜に出張があり先輩に土曜に先乗りすると言われて行くしかない。二人で「希望のかなた」(アキ・カウリスマキ監督、2017年12月にユーロスペースで公開)を見に行くが、麦はあまり乗れない。本屋に行っても、つい「人生の勝機をつかむ」みたいな実用本を立ち読みしてしまう。「仕事人間」の「おじさん文化」が入り込みつつあるのだ。これは多くの人に起こることの「反復」である。うまいのは、だからこそ劇構造もいくつもの「反復」で語られることだ。ということは「復縁」もあるのかと深読み可能。

 一方、「愛がなんだ」など青春映画を多く作ってきた今泉力哉監督の「あの頃。」は正直言って内容的には判らないけれど、よく出来た快作だ。劔樹人あの頃。男子かしまし物語』という本の映画化。21世紀初頭、大阪でくすぶっていた劔(松坂桃李)が友だちに勧められた松浦亜弥のビデオを見てはまってしまう。ここから「ハロー!プロジェクト」(ハロプロ)の「推し」にはまった男たちの奇行愚行の数々を描く。もう年も行った男たちに訪れた仲間との遅れてきた青春の日々。

 しかし、ここでも夢のような日は永遠には続かない。それは「花束みたいな恋をした」と同じく、青春の日々はいずれ終わるという永遠の真理である。そこで一風変わったメンバーたちはいかに生きていくか。中でも仲野太賀演じる、こずるくて器の小さな「コズミン」(小泉)の悲劇は心に刻まれる。仲野太賀は「すばらしい世界」でも抜群で、今年の助演男優賞にふさわしい。僕は好きなスポーツや俳優、歌手などのファンクラブに入ったことが一度もない。「面白ければ良い」ので、どこかのチームが強すぎるのは嫌いだ。好きな女優はいたけど、一人に入れ揚げたりはしない。だから「あやや推し」の気持ちは本当には判ってない。でも、この映画はよく出来ていると思う。
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中国映画の傑作「春江水暖」、現代の山水画

2021年03月02日 22時28分07秒 |  〃  (新作外国映画)
 グー・シャオガン監督のデビュー作「春江水暖」はチラシで「驚嘆の傑作」と宣伝している。さて実際はどうなのかと言うと、見始めて少ししたら背筋を伸ばして刮目して見ることになる大傑作だ。何しろ映像が素晴らしく、カメラワークも超絶的。しかし単に映像美で見せる映画ではなく、現代中国の家族の変遷をじっくりと描き出す。そこが非常に興味深い。150分もある長い映画だが、2年間を掛けてロケしただけの素晴らしい映像を堪能できる。

 冒頭で一族が祖母の誕生日に集まっている。4人の男子がいるが、それぞれ境遇は様々で人生の浮き沈みがある。映画はたびたび大河を映し出すが、これは「富春江」と紹介される。町の名前は「富陽」である。場所が今ひとつ判らなかったが、後で調べると浙江省の省都・杭州だった。富陽は今は杭州市だが、元々は西にある町である。杭州湾に注ぐ銭塘江の異名が富春江だという。町は今再開発が進んでいて、アジア大会というセリフがある。知らなかったのだが、次回の2022年の開催地が杭州で、次々回がが名古屋・愛知県共催だった。

 監督は映画の舞台に住み、自分の知人をキャスティングして「現代の山水画」を取ろうと試みた。カメラは極端に長い移動を続ける。こんなすごいパンニングはちょっと思い出せない。特にジャン先生とグーシーの恋人同士を撮るシーン。ジャンは留学していたのに戻ってきて教師をしている。グーシーは冒頭の祖母の孫で幼稚園で働いている。二人の結婚はグーシーの両親に反対されているが二人の決意は固い。ジャンは川を泳ぐと言いだし、競争しようという。ジャンが泳ぎグーシーが上の道を歩く様子をカメラは延々とパンし続ける。泳ぎ終わっても、そのまま船に乗るまでカメラはずっと追い続ける。映画史上に残るような素晴らしいシーンだと思う。
(グーシーとジャン)
 この手法は14世紀の山水画の傑作「富春山居図」にインスピレーションを得たという。つまり絵巻物をめくるような感覚である。2年間にわたって季節を変えて撮影されていて、雪や霧、夜のシーンが美しい。まさに「山水画」の世界を現代に再現したような映像に感銘が深い。しかし、監督は単に故郷を美しく撮りたかったのではない。最近の中国の若い作家たち、ビー・ガンの凱里(貴州省)や故フー・ボーの大同なども故郷を舞台にしている。それらは現代中国の変貌を静かに見つめている。中国映画が広く世界で評価された30年ほど前には、「抗日戦争」や「文化大革命」といった「大きな歴史」が描かれることが多かったが、今はそういう時代ではない。
(グー・ジャオガン監督)
 映画で描かれる顧(グー)家の祖母は2度結婚して、言われるままに杭州に来た。男の子が4人いるのは、「一人っ子政策」以前なのである。4人のうち1人は未婚で、残り3人は結婚したが、子どもは一人だから孫は3人になる。その中の一人はダウン症である。その親の三男は離婚して障害児を抱えている。バクチに手を出して、兄弟に借金をしている困り者だ。長男は料理店を経営しているが、母を介護して妻が大変。お金のこともあって、子どものグーシーには教師ではなく金持ちと結婚して欲しい。次男は漁師で舟で暮らしている。

 人間関係が飲み込めてくると、どこも同じ「親の介護」と「子どもの結婚」で悩んでいる。一人っ子政策は終わったが、今後「一人っ子」が両親を支える時代がやって来る。その子どもが障害者だったら、さらに大変だろう。障害者対策は遅れている感じだった。それでも新しい風も吹いている。自分の意思で結婚相手を見つけるのは、昔はなかったと言われている。外観的にはビルが建ち並び、セリフでは地下鉄が杭州まで通じると言っている。

 しかし、家族関係などはなかなか変わらない。今の中国で党の政策を告発する映画は作れないだろう。今後も家族の移り変わりを見つめて、時代の変化を記録するアート映画が多くなるだろう。小津や成瀬を超える才能が現れる可能性を期待したい。なお、「水上生活者」はかつての日本には多くいて、昔の映画には時々出て来るが、今の中国にもたくさんいるようで興味深かった。またジャン先生は山水画を生徒に見せて、特徴を英語で言わせる授業をしていた。それは日本でも生かせる行かせるような優れた取り組みだと思った。
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