尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ヘイトクライムとしての「異邦人」ーカミュ「異邦人」をめぐって④

2021年03月15日 22時56分58秒 | 〃 (外国文学)
 カミュの「異邦人」は今も力を持っているし、現に読まれている。それは極端に省略された文体の魅力が大きい。「ヘミングウェイが書いたカフカ」と誰かが評したらしいが、確かに「ハードボイルド」な文体で作られた不条理世界である。しかし、あまりにも作品内に情報が少ない。主人公ムルソーの名前も、アラブ人の被害者の名前も出て来ないのは前回までに書いた通りだ。それを考えると、「ムルソー」に関しては作品に書かれていない部分が隠されていると思われる。

 「異邦人」が昔から「不条理殺人」「動機なき殺人」と言われてきたのは何故だろうか。ムルソーは作品の中で「それは関係ない」「自分はなんとも思わない」などと何度も口にする。そういう主人公はそれまでに見られなかった。だからムルソーをいかに理解するべきか、多くの人が戸惑った。しかし、僕は70年代以後の若者が「三無主義」などと呼ばれた時代を覚えている。「三無」とは「無気力、無関心、無責任」のことで、それまでの若い世代はやる気があって社会的な関心が強いと思われていたのである。

 今から考えれば、それまでの世代の方が歴史的に特殊なのである。しかし、第二次世界大戦前後の時期は若者の政治的関心は高かっただろう。自分たちの世代が戦地に赴くのだから。「異邦人」が書かれた当時は、フランスはドイツに敗北し南部にヴィシー政権が存在していた。植民地アルジェリアもドイツ寄りのヴィシー政権が支配していた。(その後1942年11月に連合軍がモロッコ、アルジェリアに上陸し、1943年前半には連合軍が北アフリカを制圧する。)そのような時代に、ムルソーは何ら社会的関心を示さない。「元祖しらけ世代」と言うべきか。
(現在の装丁の新潮文庫)
 この小説は2部に分かれていて、第一部で「事件」、第二部で「裁判」が描かれる。そういう構成のミステリーは山のようにあるだろう。しかし、「異邦人」裁判は初めから結論が決まっている。それは一見「動機なき殺人」だった。だから検察官は理解出来ず、ムルソー個人を事件の原因と見なした。ムルソーはその結果「精神的な母親殺人犯」に仕立てられた。「動機」が何で問題になるかと言えば、近代的な刑法では「殺人」には「殺意」の立証が必要だからだ。

 「殺意」は「未必の故意」でも構わない。「未必の故意」とは、絶対に殺してしまいたいという強い殺意ではなくても、「このままでは死んでしまうかもしれない」「死んでしまっても構わない」と思って、殴る蹴るなどを続けた場合である。その場合は「傷害致死」ではなく、「殺人」が適用される。ムルソーの場合、銃撃一回ならば「過失致死」「傷害致死」「過剰防衛」を主張できたかもしれないが、その後に4発の銃弾を撃っている。「未必の故意」の適用は避けられないだろう

 ムルソーは動機を「太陽のせい」と答えた。通常の殺人事件、現実にもたくさん起こり、小説でも何度も描かれてきた「痴情のもつれ」や「怨恨」「金銭」ではないから、一般常識にとらわれると理解出来ない。しかし、現実には様々な「動機が理解出来ない」事件は数多い。例えば「ホームレスの人に面白半分で投石を繰り返す」というような事件である。被害者個人に恨みはないし、そもそも名前も知らない。「動機」を追求しても、確実な意味での「殺意」は出て来ない。
(昔の装丁の新潮文庫)
 そういう事件は「ヘイトクライム」(憎悪犯罪)に近いだろう。「ホームレス」を下に見ているから、そういう事件が起きる。学校のいじめ事件などでも、一見「動機なきいじめ」に見えても「強い者が弱い者を排除する」ことに違いない。「動機なき殺人」と言って、自分より強い者を襲ったケースはあるのか。「太陽のせい」なら、無差別に自分の友人知人を襲うのではないか。何故ムルソーはアラブ人を銃撃したのか
 
 作品内のムルソーの行動を検証すると、あれほど何事にも無関心、無気力な応対をしている彼が「レエモン」関係だけ自ら行動している事実に注目する必要がある。周辺で評判が悪く、「ヒモ」と言われている。これは「女衒」(ぜげん)のような者で、風俗業に女性をあっせんして金を取るのだと思う。レエモンは自分では「倉庫業」と言っていて、そういう仕事もしているのかと思うが他に裏仕事があるのだろう。映画で見てもレエモンは裏社会の人間のような風貌をしている。

 そんなレエモンと何故付き合うのか。強い者に逆らえないのか。いや、ムルソーは職場の上司にはパリ行を断っている。さらに、ムルソーはレエモンに頼まれて女に「呼び出しの手紙」を書く。女がやってきて、レエモンが暴力で対応して大騒ぎになって警察が来る。事情を知らないマリーは「警察を呼んで」とムルソーに頼むが、彼はそれは意味ないと断る。だが、その後ムルソーは頼まれて警察にも出掛けてレエモンに有利な証言をする。

 レエモンに頼まれた場合だけ、ムルソーは行動的になるのである。そして、その事件の後に「女の兄」が仲間たちと現れてレエモンにつきまとうようになった。それは「文化的対立」でもあり、「民族的対立」でもある。暴力を振るったのはレエモンなのだから、レエモンこそが謝罪しなければならないはずだ。ムルソーは明らかに「女性蔑視」的な部分があるから、同時に現地のアラブ人も下に見ていたことだろう。それは特に書かれていないが、貧民街に育ったムルソーには自明のことだったと思う。

 そして浜辺で彼らは出会う。衝突になってレエモンはナイフでケガをする。その後、ムルソーは何故か現場に戻って再び「女の兄」に会う。レエモンが持っていたピストルはムルソーが持っていた。再会したときにムルソーはナイフを見て恐怖に駆られて、ピストルを発射する。「動機なき殺人」なんかじゃなくて、それ以前から続いた民族的対立の結果だと理解する方が自然ではないか。特に不思議な読み方ではなく、原作を自然に読んでいけば、今ではそのような理解になるような気がする。つまり、あの事件は「ヘイトクライム」だったのだと思う。
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