アメリカのミステリー作家、ローレンス・ブロック(2018~)の「石を放つとき」(二見書房)が2020年12月の終わりに出ていた。全然気付かないで、ついこの間大型書店で見つけて買って帰った。これはブロックの代表的なシリーズ、マット・スカダーものの最新作「石を放つとき」(2018)と今まで書かれた短編の代表作を集めた「夜と音楽と」(2011)を日本で合本したものである。翻訳はすべて田口俊樹氏で、名訳で読むスカダーとニューヨークの移り変わりに心打たれる。
ミステリーというのは謎の解決を堪能するジャンル小説だが、もう「石を放つとき」を読むときにはそんなことは二の次だ。マット・スカダーはいつからか、作者ローレンス・ブロックと同じ年という設定になった。そうすると80歳を超えているわけで、この作品でも「足が痛む」とか「体力が落ちた」とかいつも愚痴っている。だから、昔のように大変な事件を扱うわけにはいかない。もちろん「事件」はあるわけだが、その謎の解決のために昔の知人を思い出し、旧知の人物が語られる。その意味ではスカダー「最後の事件」になるような気がする。
ローレンス・ブロックは単発作品もあるが、ほとんどはシリーズものを書いてきた。泥棒バーニイ・シリーズや殺し屋ケリー・シリーズもすごく面白いけれど、やはり「マット・スカダー・シリーズ」が一番だと思う。警官だったスカダーは、ある日強盗を追っていて発射した銃弾が弾けてヒスパニックの少女に当たってしまった。法的な責任はないものの、それをきっかけにスカダーに警官を辞め、家庭も崩壊した。酒に溺れながら、探偵免許もないまま頼まれて一人ニューヨークを駆け回る日々。ニューヨークの裏面を描く「酔いどれ探偵」としてシリーズは始まった。
(ローレンス・ブロック)
最高傑作「八百万の死にざま」(1982)をはさみ、しばらくシリーズは休止した。そして再開されたとき、スカダーは「断酒」していた。断酒グループの集会に参加しながら、相変わらず頼まれた事件を調べる生活が続く。ニューヨークの実在の店が出てきて、ジャズなどの話も多い。スカダーものに出てきた店をめぐる人もいる。妻と別れた後は事件で知り合った彫刻家のジャン・キーンと交際した時期があるが、そのうち消滅。やがて過去の事件に絡んで、「美人で賢い元コールガール」というエレイン・マーデルと再会する。二人はウマがあって結婚して、すでにもう長い。
「夜と音楽と」にある短編で判るけど、二人はイタリア旅行やオペラ鑑賞など関係はずっと良好だ。だから最近は謎解き以上に、エレインや不思議な因縁の友人ミック・バルーとの交友の話が多い。それが滋味深くて読み飽きない。だから今回の「石を放つとき」も僕は面白くてたまらないけど、やっぱりシリーズの経緯を知らないと面白みが少ないかもしれない。だけど、前半の「夜と音楽と」は傑作短編ばかりで、ミステリーファンだけの楽しみにしておくのはもったいない。
謎解きの妙味、人生の不可思議、社会的関心がほどよいバランスでブレンドされていて、これは傑作だと思うような短編ばかり。特に「窓から外へ」「バッグ・レディの死」「夜明けの光の中に」は現代に書かれた短編ミステリーの最高峰だろう。今までローレンス・ブロックの短編集も文庫で出ているから、大部分は読んでるはずだが細部はもう忘れている。過去の警官時代の事件を語る「ダヴィデを探して」「レット・ゲット・ロスト」も奇想が見事に着地する。短編だから内容に触れるわけにいかないのが残念。
ミステリーと言えるかどうかの境界線にあるのが「バットマンを救え」と「慈悲深い死の天使」だ。前者では元警官たちが雇われて、ニューヨークの街頭でバットマンの違法商品を没収していく。売っているのはほとんどがアフリカから来た若者だ。著作権違反だから没収されても仕方ないわけだが、スカダーは次第に疑問を持つ。買い上げる方が安いぐらいなのに、なんで元警官を雇って没収して回るのか。後者はエイズで余命わずかの人が集まるホスピスに謎の「死の天使」がいるとか。彼女が見舞いに来ると患者が死ぬ。ホスピスなんだから死んでもおかしくないけれど、それにしてもあり得ないような確率だ。果たして彼女の正体は?
そんな中に小品の表題作「夜と音楽と」がある。マットとエレインがオペラ「ラ・ボエーム」を見に行って、エレインは悲しくなる。何度も見ているんだからミミが死ぬのは判ってみているんだけど、それが悲しい。そのまま二人は終夜でやってるジャズの店に行って夜明けまでジャズを聞く。ミステリーじゃなくて、ニューヨーク気分を味わうための小品。朗読会用によく使うという。野球のヤンキースやメッツ、バスケのニックス、ニューヨーク近代美術館など、いかにもニューヨーカーの話題もたっぷり。恐らくマット・スカダーものもこれが最後かと思えば、贅沢なボーナス・トラックを堪能できる一冊だった。
ミステリーというのは謎の解決を堪能するジャンル小説だが、もう「石を放つとき」を読むときにはそんなことは二の次だ。マット・スカダーはいつからか、作者ローレンス・ブロックと同じ年という設定になった。そうすると80歳を超えているわけで、この作品でも「足が痛む」とか「体力が落ちた」とかいつも愚痴っている。だから、昔のように大変な事件を扱うわけにはいかない。もちろん「事件」はあるわけだが、その謎の解決のために昔の知人を思い出し、旧知の人物が語られる。その意味ではスカダー「最後の事件」になるような気がする。
ローレンス・ブロックは単発作品もあるが、ほとんどはシリーズものを書いてきた。泥棒バーニイ・シリーズや殺し屋ケリー・シリーズもすごく面白いけれど、やはり「マット・スカダー・シリーズ」が一番だと思う。警官だったスカダーは、ある日強盗を追っていて発射した銃弾が弾けてヒスパニックの少女に当たってしまった。法的な責任はないものの、それをきっかけにスカダーに警官を辞め、家庭も崩壊した。酒に溺れながら、探偵免許もないまま頼まれて一人ニューヨークを駆け回る日々。ニューヨークの裏面を描く「酔いどれ探偵」としてシリーズは始まった。
(ローレンス・ブロック)
最高傑作「八百万の死にざま」(1982)をはさみ、しばらくシリーズは休止した。そして再開されたとき、スカダーは「断酒」していた。断酒グループの集会に参加しながら、相変わらず頼まれた事件を調べる生活が続く。ニューヨークの実在の店が出てきて、ジャズなどの話も多い。スカダーものに出てきた店をめぐる人もいる。妻と別れた後は事件で知り合った彫刻家のジャン・キーンと交際した時期があるが、そのうち消滅。やがて過去の事件に絡んで、「美人で賢い元コールガール」というエレイン・マーデルと再会する。二人はウマがあって結婚して、すでにもう長い。
「夜と音楽と」にある短編で判るけど、二人はイタリア旅行やオペラ鑑賞など関係はずっと良好だ。だから最近は謎解き以上に、エレインや不思議な因縁の友人ミック・バルーとの交友の話が多い。それが滋味深くて読み飽きない。だから今回の「石を放つとき」も僕は面白くてたまらないけど、やっぱりシリーズの経緯を知らないと面白みが少ないかもしれない。だけど、前半の「夜と音楽と」は傑作短編ばかりで、ミステリーファンだけの楽しみにしておくのはもったいない。
謎解きの妙味、人生の不可思議、社会的関心がほどよいバランスでブレンドされていて、これは傑作だと思うような短編ばかり。特に「窓から外へ」「バッグ・レディの死」「夜明けの光の中に」は現代に書かれた短編ミステリーの最高峰だろう。今までローレンス・ブロックの短編集も文庫で出ているから、大部分は読んでるはずだが細部はもう忘れている。過去の警官時代の事件を語る「ダヴィデを探して」「レット・ゲット・ロスト」も奇想が見事に着地する。短編だから内容に触れるわけにいかないのが残念。
ミステリーと言えるかどうかの境界線にあるのが「バットマンを救え」と「慈悲深い死の天使」だ。前者では元警官たちが雇われて、ニューヨークの街頭でバットマンの違法商品を没収していく。売っているのはほとんどがアフリカから来た若者だ。著作権違反だから没収されても仕方ないわけだが、スカダーは次第に疑問を持つ。買い上げる方が安いぐらいなのに、なんで元警官を雇って没収して回るのか。後者はエイズで余命わずかの人が集まるホスピスに謎の「死の天使」がいるとか。彼女が見舞いに来ると患者が死ぬ。ホスピスなんだから死んでもおかしくないけれど、それにしてもあり得ないような確率だ。果たして彼女の正体は?
そんな中に小品の表題作「夜と音楽と」がある。マットとエレインがオペラ「ラ・ボエーム」を見に行って、エレインは悲しくなる。何度も見ているんだからミミが死ぬのは判ってみているんだけど、それが悲しい。そのまま二人は終夜でやってるジャズの店に行って夜明けまでジャズを聞く。ミステリーじゃなくて、ニューヨーク気分を味わうための小品。朗読会用によく使うという。野球のヤンキースやメッツ、バスケのニックス、ニューヨーク近代美術館など、いかにもニューヨーカーの話題もたっぷり。恐らくマット・スカダーものもこれが最後かと思えば、贅沢なボーナス・トラックを堪能できる一冊だった。