2020年3月14日、東京の山手線に39年ぶりに新しい駅が誕生した。それが「高輪ゲートウェイ」と名付けられた時には、何だか違和感を感じたものだ。開業後、一回通り過ぎたけれど、特に用事もないので下りたことはまだない。品川駅から高輪ゲートウェイ駅にかけては、開発計画が進行中で2024年に完成予定となっている。ところで、その工事中の2019年に、驚くべき遺跡が発掘された。今は「高輪築堤遺跡」と呼ばれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/35/36/43e39b4a76d383e004ea4c1f861c6eb5_s.jpg)
これは1872年(明治5年)に開業した日本最初の鉄道(新橋ー横浜間)のための海上築堤だったのである。僕は鉄道敷設の詳しいことを知らなかったので、今まで海上に通したことも知らなかった。その後埋め立てが進められ、現在ではずいぶん陸地になっているけど、明治当初はそこはまだ海だったのである。当時を描く錦絵にも陽子が描かれていて、それがほぼ当時のまま見つかったのだから驚くしかない。これはそのまま残すべき貴重な遺跡だ。
(当時の錦絵に見る築堤)
今まで何度も貴重な遺跡の保存運動が起こり、時に保存が決定されたものの、今は失われてしまった考古遺跡は数知れない。もちろんすべての遺跡を保存することはできない。かつて人が住んだ後は数限りなくあるのだから。しかし、佐賀県の吉野ヶ里遺跡や青森県の三内丸山遺跡は保存され、学術的価値を残しただけでなく一大観光地にもなっている。(本来はそれぞれ工場団地や野球場の建設途中で発見された。)しかし、「高輪築堤」はそれらと全く違った特色がある。大都市のど真ん中にある「近代化遺産」であり、私企業(JR東日本)の所有地という点である。
(築堤発掘状況)
現時点ではJR東日本側は「一部保存」を考えている。ちょうど2月23日に、再開発計画を変更し、築堤の一部「第七橋梁」などを現地保存することを表明した。しかし、日本考古学会は会長名で声明を発表し、「高輪築堤跡は日本だけでなくアジアの近代化の過程をも示す、世界史的にも稀有な遺跡です。近代史・科学技術史・国際交流史における価値は、 疑問の余地なく国史跡あるいは 国特別史跡に相当すると私たちは考えます。J R 東日本は自社の誕生の地であるこの遺跡の重要性を認識すべきであり、 東アジア最初の鉄道の遺跡として、世界に対しても全体を保存する責務があります。」と訴えている。
日本考古学会の「高輪築堤跡の全面保存を求める会長声明」だけでなく、歴史系学会の共同組織である「日本歴史学協会」の諸学会、産業遺跡学会など、多くの歴史系学会が全面保存を訴えている。ところで、萩生田文科相が2月16日に現地を視察し、現地で保存公開するように促した。自民党内にも保存を求める議員連盟が16日に発足している。福井照議員は「明治の先輩の心が1000年後に分かってもらえるような残し方、開発の仕方を目指したい」と述べたという。
そこに見られるのは、「偉大なる明治維新」を顕彰するナショナリズムである。明治のの鉄道遺産は近代化の「光」の面が強調されやすい。それを全く免れるのは難しいだろう。しかし、保存運動がナショナリズム高揚に回収されないような、もっと民衆的な保存運動の高まりが必要だ。特に東京は震災、戦災を経て、歴史的アインデンティティを持ちにくい都市になってしまった。この高輪築堤は「明治日本の産業革命遺産」に追加指定される価値があると思う。「世界遺産」の価値がある遺跡を一部保存、移転で終わらせてはならない。
「観光」的価値も大きいのだから、大きなビルを建てる以上の価値ある開発計画を作れるはずだ。ともすれば「歴史学」「考古学」は「城」「古墳」のような大きな政治的遺構を重視しがちだ。「鉄道」も政治的、軍事的な意味を持ったとはいえ、基本は民衆の生活や産業に関連したものである。僕は「歴史に関心を持つ東京都民」として書いている。全国的、世界的価値を持つとは言え、当該の都民の盛り上がりがなくては成果は望めない。多くの歴史ファン、また鉄道ファンが全面保存を望む声を挙げれば効果があるのではないだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5b/eb/7758557422d71a2b641dbb0870061955_s.jpg)
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これは1872年(明治5年)に開業した日本最初の鉄道(新橋ー横浜間)のための海上築堤だったのである。僕は鉄道敷設の詳しいことを知らなかったので、今まで海上に通したことも知らなかった。その後埋め立てが進められ、現在ではずいぶん陸地になっているけど、明治当初はそこはまだ海だったのである。当時を描く錦絵にも陽子が描かれていて、それがほぼ当時のまま見つかったのだから驚くしかない。これはそのまま残すべき貴重な遺跡だ。
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今まで何度も貴重な遺跡の保存運動が起こり、時に保存が決定されたものの、今は失われてしまった考古遺跡は数知れない。もちろんすべての遺跡を保存することはできない。かつて人が住んだ後は数限りなくあるのだから。しかし、佐賀県の吉野ヶ里遺跡や青森県の三内丸山遺跡は保存され、学術的価値を残しただけでなく一大観光地にもなっている。(本来はそれぞれ工場団地や野球場の建設途中で発見された。)しかし、「高輪築堤」はそれらと全く違った特色がある。大都市のど真ん中にある「近代化遺産」であり、私企業(JR東日本)の所有地という点である。
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現時点ではJR東日本側は「一部保存」を考えている。ちょうど2月23日に、再開発計画を変更し、築堤の一部「第七橋梁」などを現地保存することを表明した。しかし、日本考古学会は会長名で声明を発表し、「高輪築堤跡は日本だけでなくアジアの近代化の過程をも示す、世界史的にも稀有な遺跡です。近代史・科学技術史・国際交流史における価値は、 疑問の余地なく国史跡あるいは 国特別史跡に相当すると私たちは考えます。J R 東日本は自社の誕生の地であるこの遺跡の重要性を認識すべきであり、 東アジア最初の鉄道の遺跡として、世界に対しても全体を保存する責務があります。」と訴えている。
日本考古学会の「高輪築堤跡の全面保存を求める会長声明」だけでなく、歴史系学会の共同組織である「日本歴史学協会」の諸学会、産業遺跡学会など、多くの歴史系学会が全面保存を訴えている。ところで、萩生田文科相が2月16日に現地を視察し、現地で保存公開するように促した。自民党内にも保存を求める議員連盟が16日に発足している。福井照議員は「明治の先輩の心が1000年後に分かってもらえるような残し方、開発の仕方を目指したい」と述べたという。
そこに見られるのは、「偉大なる明治維新」を顕彰するナショナリズムである。明治のの鉄道遺産は近代化の「光」の面が強調されやすい。それを全く免れるのは難しいだろう。しかし、保存運動がナショナリズム高揚に回収されないような、もっと民衆的な保存運動の高まりが必要だ。特に東京は震災、戦災を経て、歴史的アインデンティティを持ちにくい都市になってしまった。この高輪築堤は「明治日本の産業革命遺産」に追加指定される価値があると思う。「世界遺産」の価値がある遺跡を一部保存、移転で終わらせてはならない。
「観光」的価値も大きいのだから、大きなビルを建てる以上の価値ある開発計画を作れるはずだ。ともすれば「歴史学」「考古学」は「城」「古墳」のような大きな政治的遺構を重視しがちだ。「鉄道」も政治的、軍事的な意味を持ったとはいえ、基本は民衆の生活や産業に関連したものである。僕は「歴史に関心を持つ東京都民」として書いている。全国的、世界的価値を持つとは言え、当該の都民の盛り上がりがなくては成果は望めない。多くの歴史ファン、また鉄道ファンが全面保存を望む声を挙げれば効果があるのではないだろうか。