以下の記事は2012年2月5日に投稿したものを基にしている。「建国記念の日」とは何かという由来を解説したものだ。10年経って時代も変わったし、また載せてもいいかなと思う。古い記事は読まれないが、自分ではまだ意味があると思うものもある。2022年の「建国記念の日」はニュースでもほとんど報道されていない。ニュースは「コロナ」と「北京五輪」ばかりである。今日はスノーボード(ハープパイプ)で平野歩夢が金メダルを獲得したというニュースを大きく報じている。コロナ禍で今年は「奉祝派」も「反対派」も大きな集会を開けずニュースにも出て来ないのだろう。
2月11日は「建国記念の日」になっている。この日は、1873年(明治6年)に「紀元節」(きげんせつ)と定められた。戦後になって廃止されたが、占領終了後から紀元節復活運動が起こった。天皇中心に歴史を考える「皇国史観」の代表的な祝日だったから、「神の国」復古を警戒する幅広い反対運動が起こった。古代オリエント学者として有名だった三笠宮(昭和天皇の末弟)も疑問を表明した。(三笠宮は弟宮として陸軍に従軍して、中国戦線での日本軍の蛮行を見聞し批判した。戦後、歴史学に進み、文明の起源であるオリエント研究を行った人物である。)1966年、佐藤栄作内閣によって「強行採決」により成立、1967年から実施された。
(国会での強行採決)
もはや「紀元節」と言われても判らない人が大多数だろう。だから「建国記念の日」がなぜ2月11日なのかを知らない人も増えていると思う。「建国記念日」と言ってしまう人も多い。これは「大間違い」で、単なる「うっかりミス」では済まない。「の」を落とすことは許されない。法律制定(祝日法改正)時に、「建国記念日」から、反対論に配慮して「の」を入れた経緯があるからだ。「の」がない場合、「2・11が建国の日だ」ということになる。それは「非科学的」なので、自民党内閣としても一字加えた。「建国の日」ではなく、「建国を記念するための日」と取り繕うために。
2月11日は「日本書紀」で初代天皇とされる神武(じんむ)天皇が即位した日として「紀元節」とされた。それが何で「歴史的に間違い」なのだろうか。「書紀」では紀元前660年(とされる年)1月1日に即位したとある。それを太陽暦に直すと、2月11日になるという。もちろん、それは歴史的にはありえない。考古学的には、縄文時代末期か弥生時代初期である。(弥生時代の開始時期には論争がある。)何にせよ、国家形成以前であることは明らかだ。「国家」が存在しない以上、「大王」(オオキミ、後の「天皇」)もいない。だから神武天皇は伝説の人物である。(真の初代天皇は、10代崇神(すじん)天皇ではないかという説が強い。ただし、天皇陵古墳の発掘調査ができない現在は、不明なことが多い。)
(建国記念の日奉祝集会=2016年)
では、何で紀元前660年なのか。現在の通説では、中国の辛酉革命説の影響とされる。辛酉は「しんゆう」と読み、中国で大事件が起こるという「かのと・とり」の年のこと。特に1260年ごとに重大事があるとされ、601年の推古天皇9年が辛酉の年だった。「日本書紀」ではそこから1260年さかのぼらせたと考える。何で推古天皇時代から数えるかなど疑問もあるものの、「神武天皇即位」という出来事があったわけではない。だから、「2月11日」という日付には、歴史学的に全く意味がないということになる。
その年を基準にする数え方を「皇紀」と呼ぶ。昭和15年、つまり1940年は皇紀2600年に当たった。当時は「皇紀2600年祭」と言われる行事が挙行され、ホントは最初の東京オリンピックが開かれるはずだった。(日中戦争中の日本に余裕がなく、五輪を返上した。1939年には第二次大戦も始まって、五輪は中止となった。)それはさておき、歴史的には何の意味もないとしても、「日本は天皇を中心とした神の国」だから、伝説に基づく祝日もありと考える人がいるかもしれない。しかし、その場合こそ、2月11日には何の意味もない。旧暦の1月1日に即位したと記載されているのであって、毎年旧暦の元日(旧正月)を「建国記念日」にしないとおかしい。「日本書紀」の日付を太陽暦に直して、その日を祝日にする意味が理解できない。
(大阪の反対集会チラシ=2021年)
大昔の「日本」は、中国の史書に「倭国」と表記される国だった。その「倭国」という国家ができ、後に「天皇」という称号を名乗る王家が形成されていった。(「王」の名乗りは、当初は「やまと言葉」で「オオキミ」だった。漢字表記は「大王」。)それは確かに一つの「建国」であるが、「倭国」には、沖縄(後に琉球王国が建国される)と北海道(蝦夷地と言われた)や、東北地方の北部も入っていない。そもそも「ヤマト政権」誕生を全国民で祝うべきなのかという疑問がある。
「国にも誕生日が欲しい」なんて言う人が時々いる。しかし、誕生日を祝う風習自体が、明治以後の西洋のマネであって、日本の伝統ではない。(もともと日本では「数え年」である。生まれたら1歳で、正月が来たら年齢がアップする。だから個別の誕生日を意識するわけがない。旧暦には「うるう月」があって、誕生日を何月何日と決める意味がない。)外国の王家は途中で王朝が交代してるから、王朝の開始の日が判る。日本の保守派は「天皇家が男系で続いている」ことを重視している。そういう国では、真の初代天皇がいつ位に就いたかなんて、判らないものだ。日本は「そのくらい歴史の古い国」なのだ。戦前にあった「紀元節」自体が、日本の伝統ではない。(明治以前にはなかった。)
思えば、「国歌」君が代とか、「靖国神社」とか、いずれも日本の伝統ではない。明治時代に人工的に作ったものを「日本の伝統」だとする「創られた伝統」である。ありがたがることを強要するのはおかしい。これらは西洋列強に対抗するために「作られたものなのである。最近は神話を本気で信じる(?)人までいるようである。ちゃんとした本を読まないのである。そして「国家神道」(こっかしんとう)がいかに恐ろしい力を及ぼしたかも知らない。こういう日を祝おうという人は「真に伝統を尊ぶ」人ではなく、「近代の帝国主義者」なんだろうと思っている。
2月11日は「建国記念の日」になっている。この日は、1873年(明治6年)に「紀元節」(きげんせつ)と定められた。戦後になって廃止されたが、占領終了後から紀元節復活運動が起こった。天皇中心に歴史を考える「皇国史観」の代表的な祝日だったから、「神の国」復古を警戒する幅広い反対運動が起こった。古代オリエント学者として有名だった三笠宮(昭和天皇の末弟)も疑問を表明した。(三笠宮は弟宮として陸軍に従軍して、中国戦線での日本軍の蛮行を見聞し批判した。戦後、歴史学に進み、文明の起源であるオリエント研究を行った人物である。)1966年、佐藤栄作内閣によって「強行採決」により成立、1967年から実施された。
(国会での強行採決)
もはや「紀元節」と言われても判らない人が大多数だろう。だから「建国記念の日」がなぜ2月11日なのかを知らない人も増えていると思う。「建国記念日」と言ってしまう人も多い。これは「大間違い」で、単なる「うっかりミス」では済まない。「の」を落とすことは許されない。法律制定(祝日法改正)時に、「建国記念日」から、反対論に配慮して「の」を入れた経緯があるからだ。「の」がない場合、「2・11が建国の日だ」ということになる。それは「非科学的」なので、自民党内閣としても一字加えた。「建国の日」ではなく、「建国を記念するための日」と取り繕うために。
2月11日は「日本書紀」で初代天皇とされる神武(じんむ)天皇が即位した日として「紀元節」とされた。それが何で「歴史的に間違い」なのだろうか。「書紀」では紀元前660年(とされる年)1月1日に即位したとある。それを太陽暦に直すと、2月11日になるという。もちろん、それは歴史的にはありえない。考古学的には、縄文時代末期か弥生時代初期である。(弥生時代の開始時期には論争がある。)何にせよ、国家形成以前であることは明らかだ。「国家」が存在しない以上、「大王」(オオキミ、後の「天皇」)もいない。だから神武天皇は伝説の人物である。(真の初代天皇は、10代崇神(すじん)天皇ではないかという説が強い。ただし、天皇陵古墳の発掘調査ができない現在は、不明なことが多い。)
(建国記念の日奉祝集会=2016年)
では、何で紀元前660年なのか。現在の通説では、中国の辛酉革命説の影響とされる。辛酉は「しんゆう」と読み、中国で大事件が起こるという「かのと・とり」の年のこと。特に1260年ごとに重大事があるとされ、601年の推古天皇9年が辛酉の年だった。「日本書紀」ではそこから1260年さかのぼらせたと考える。何で推古天皇時代から数えるかなど疑問もあるものの、「神武天皇即位」という出来事があったわけではない。だから、「2月11日」という日付には、歴史学的に全く意味がないということになる。
その年を基準にする数え方を「皇紀」と呼ぶ。昭和15年、つまり1940年は皇紀2600年に当たった。当時は「皇紀2600年祭」と言われる行事が挙行され、ホントは最初の東京オリンピックが開かれるはずだった。(日中戦争中の日本に余裕がなく、五輪を返上した。1939年には第二次大戦も始まって、五輪は中止となった。)それはさておき、歴史的には何の意味もないとしても、「日本は天皇を中心とした神の国」だから、伝説に基づく祝日もありと考える人がいるかもしれない。しかし、その場合こそ、2月11日には何の意味もない。旧暦の1月1日に即位したと記載されているのであって、毎年旧暦の元日(旧正月)を「建国記念日」にしないとおかしい。「日本書紀」の日付を太陽暦に直して、その日を祝日にする意味が理解できない。
(大阪の反対集会チラシ=2021年)
大昔の「日本」は、中国の史書に「倭国」と表記される国だった。その「倭国」という国家ができ、後に「天皇」という称号を名乗る王家が形成されていった。(「王」の名乗りは、当初は「やまと言葉」で「オオキミ」だった。漢字表記は「大王」。)それは確かに一つの「建国」であるが、「倭国」には、沖縄(後に琉球王国が建国される)と北海道(蝦夷地と言われた)や、東北地方の北部も入っていない。そもそも「ヤマト政権」誕生を全国民で祝うべきなのかという疑問がある。
「国にも誕生日が欲しい」なんて言う人が時々いる。しかし、誕生日を祝う風習自体が、明治以後の西洋のマネであって、日本の伝統ではない。(もともと日本では「数え年」である。生まれたら1歳で、正月が来たら年齢がアップする。だから個別の誕生日を意識するわけがない。旧暦には「うるう月」があって、誕生日を何月何日と決める意味がない。)外国の王家は途中で王朝が交代してるから、王朝の開始の日が判る。日本の保守派は「天皇家が男系で続いている」ことを重視している。そういう国では、真の初代天皇がいつ位に就いたかなんて、判らないものだ。日本は「そのくらい歴史の古い国」なのだ。戦前にあった「紀元節」自体が、日本の伝統ではない。(明治以前にはなかった。)
思えば、「国歌」君が代とか、「靖国神社」とか、いずれも日本の伝統ではない。明治時代に人工的に作ったものを「日本の伝統」だとする「創られた伝統」である。ありがたがることを強要するのはおかしい。これらは西洋列強に対抗するために「作られたものなのである。最近は神話を本気で信じる(?)人までいるようである。ちゃんとした本を読まないのである。そして「国家神道」(こっかしんとう)がいかに恐ろしい力を及ぼしたかも知らない。こういう日を祝おうという人は「真に伝統を尊ぶ」人ではなく、「近代の帝国主義者」なんだろうと思っている。