尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

これは傑作、『わたしは最悪。』ーノルウェー女性の「自分探し」

2022年07月14日 22時15分25秒 |  〃  (新作外国映画)
 カンヌ映画祭女優賞米国アカデミー賞国際長編映画賞ノミネートの『わたしは最悪。』(英語題「The Worst Person in the World」)という映画が公開されている。まあ賞を取っているんだから、それなりに面白いだろうとは思って見に行ったが、始まってすぐ「オッ、思った以上の傑作だぞ」と居住まいを正して見ることになった。監督のヨアキム・トリアーは、デンマークの人だがノルウェーの首都オスロで撮影した「オスロ三部作」の3本目だそうである。『母の残像』『テルマ』という映画が日本で公開されたが、見てないので初めて。アカデミー賞で脚本賞にもノミネートされているのが凄い。

 冒頭では医学部の大学生だったユリヤレナーテ・レインスヴェ)は、解剖でつまづいて自分は医者向きじゃないと悟る。成績が良かったから医学部へ行ったって、ノルウェーでもそんなことがあるんだ。でも人間の体ではなく、心に関心があるんだと心理学部に転部。だけど、学問より表現を求めていたと気付いて写真の勉強に。こういう「自分探し」をしているうちに、大学の本屋でアルバイトしながら、何となく年取って段々30歳に近づいている。って、何だか日本でもありそうな設定である。
(ヨアキム・トリアー監督)
 最初にこの映画は12章とプロローグ、エピローグで構成されると出る。その連作小説的構成と巧みなナレーションによって、見る者は快調な流れに乗せられてしまう。ということで、天職にも運命の男性にも巡り会わなかったユリヤだが、ある日突然年上の漫画家アクセル(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)と出会ってしまう。女性嫌悪のようなコミックを描いて評判を取っている人で、最初の印象は悪かったが突然恋におちる。ただ、もう40歳過ぎのアクセルは身を固めたい願望がある。家族のパーティにも連れて行くし、子どもが欲しいという。でも、愛しているんだけど、今ひとつユリヤはそこまで踏み切れない。
(アクセルと)
 そんな時にたまたま知らないパーティに潜り込んだら、アイヴィン(ハーバート・ノードラム)と出会って、何だか気になる。そうしたら働いている本屋にアイヴィンと妻がやってくる。何故かアイヴィンにも惹かれてしまうユリヤ。ある日、突然アイヴィンに会いたくなって家を飛び出すと、世界は停まっている。つまり、街にいる人物は動かない中をユリヤだけが駆け抜けていく。オスロの街をリリカルに映し出す素晴らしいシーンだ。そして、アクセルに別れを告げてしまう。
(街を走るユリヤ)
 というように、ユリヤをめぐる小世界を描くだけだし、ユリヤは仕事も恋愛もどうなのよという話である。でも、キビキビした展開の構成が素晴らしいのである。脚本の妙である。撮影も素晴らしい。オスロの街をとても魅力的に描き出す。世界観に共鳴するわけでもなく、特に主張を強く打ち出すわけでもない。むしろ「最悪なわたし」を描いているわけだが、そこがアラサー女性「あるある」感いっぱい(なんだと思うけど)。もうずいぶん昔のことになってしまった僕にさえ、心に響いてくる。それがアートの力というもんだろう。
(アイヴィンとタバコの煙を渡しあう)
 ヨアキム・トリアー(1974~)は、デンマークの巨匠ラース・フォン・トリアーの遠縁なんだという。21世紀になって、映画やミステリー小説で北欧の活躍が素晴らしい。今年のアカデミー賞の国際長編映画賞は『ドライブ・マイ・カー』が受賞したが、出来映えは匹敵すると僕は思った。一体、彼女はどうなるの? 別れたアクセルは? など最後まで目が離せない。内容からして、やはり20代、30代ぐらいの女性観客の方が共感度は高いと思う。しかし、これを見逃すのはもったいなさすぎる。この語り口のうまさは絶品だ。そして、自分の人生も振り返ってみることになる。
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比例区票の検討、実は自公とも前回より減らしたー2022年参院選②

2022年07月13日 22時33分27秒 |  〃  (選挙)
 毎回行っている比例区票の点検作業。今回の比例区の投票総数は5302万7248票だった。全国の有権者は約1億500万人なので、1%違うと100万人ほど違ってくる。19年参院選は約5007万票21年衆院選は約5747万票だった。前回参院選より投票率が高く、その分300万票近く増えた。しかし、参院選は大体衆院選より低くなるので、21年衆院選より440万票減っている。
(22年参院選の結果)
 では各党を順番に見てみる。まず自民党だが、今回比例区で1826万票で、全体の34.43%になる。これは昨年の衆院選の得票率34.66%とほぼ同じである。ここでも安倍元首相銃撃事件は影響を与えなかったことが判るだろう。以下に最近5回の国政選挙の得票数を示す。(参院選後のカッコは獲得議席。)
 16年参院選→(17年衆院選)→19年参院選→(21年衆院選)→22年参院選 
 2011万(19)→(1856万)→1711万(19)→(1991万)→1826万(18) 
 
 6年前は2000万票を越えていたのに、その後は21年衆院選の1991万が最高である。衆院選と参院選は違うと言っても、去年から160万票減らしている。19年参院選は投票率が低く、3年前よりは110万票増やしたが、実は1議席減らしている。なお、6年前まで比例区は48議席だったが、3年前から50議席に増えた。今までの自民党の最多獲得議席は86年衆参同日選の22議席、最少は2010年の12議席である。2013年からは18、19、19、18となっている。今回は自民党大勝利というイメージを持っている人が多いと思うが、実は前回より比例区で減らしているのが事実である。
(個人名1位の自民党赤松健候補)
 公明党618万票ほどで、獲得議席は6議席だった。公明党も前回より1議席減らしている
 753万(7)→(698万)→654万(7)→(711万)→618万(6)
 16年参院選から減り続けていた得票が、21年衆院選で久しぶりに700万票台に載せた。しかし、今回は去年より100万票減らしている。獲得議席も1889年、2010年以来の3回目の6議席となった。まあ重点候補は6人だったが、7人に届かなかったのは痛いだろう。創価学会員の高齢化、コロナ禍で集会が難しい、公明党議員(遠山元衆院議員など)のスキャンダルなどもあるが、最大の要因は選挙区で自民党が堅調だったことだと思う。野党統一候補とし烈な選挙をしている時は、公明支持者をつなぎ止めるため「選挙区は自民党、比例区は公明党」と自民党支持者に訴えると言われる。今回はそれがなかったのだろう。

 次は野党を見る。立憲民主党は6年前にはなかった。6年前は民進党で11議席を獲得していた。
 17年衆院選から見ると、(1108万)→792万(8)→(1149万)→677万(7)
 衆院選では、まだそれなりの力があったものの、投票率が低かった前回参院選より120万票も減らして、議席も1減だから、やはり立憲民主党は敗北と言うべきだろう。原因がどこにあるかは、別に考えたいと思う。労働組合出身の候補は軒並み10万票以上の個人名得票があって、5人全員当選した。前回国民から出て落選した基幹労連は今回立民から出て当選。他には自治労、日教組、JP労連、情報労連である。組合以外の当選者は辻元清美と青木愛だけだった。労組は大切だが、これでは党勢が伸びない。
(比例区で当選した辻元清美候補)
 続けて国民民主党を先に見ると、316万票ほどで3議席。いずれも労働組合出身者で、当選したのは電力総連、自動車総連、UAゼンセン。電機連合の矢田稚子副代表は落選してしまった。3年前から30万票減らしてる。全国組織が頑張る参院選の方が比例票が出る体質なんだろうと思う。取りあえず労組3人ぐらいは当選させられる。だから脱原発の立民にまとまるより、電力総連には国民民主党が居心地良いんだろう。
 19年参院選から見ると、348万(3)→(259万)→316万(3)

 次に「日本維新の会」を見るが、16年参院選は「おおさか維新の会」だった。その時は515万票で、4議席だった。
 515万(4)→(339万)→491万(5)→(805万)→785万(8)
 「維新」は自民党と同じく、著名人を比例区で擁立したが、8人目の青島健太は3万3553票で当選した。これは今回の個人名最少得票当選者である。「維新」は785万のうち、708万が政党名得票だった。実に90.3%にもなる。政党名投票を呼びかけている共産党の91.8%には及ばないが、異例に高い。(なお、どの党も政党名得票が圧倒的に多いのだが、自民党、立憲民主党とも75%ほどである。)つまり、著名人を立てたからではなく、有権者は「維新」そのものに投票しているのである。
(投開票日に辞任を発表した「維新」の松井代表)
 共産党362万票ほどで、3議席
 602万(5)→(440万)→448万(4)→(417万)→362万(3)
 16年参院選から見ると、半減とは言わないが240万票も減っている。4割減である。今回は野党協力が不調で、共産党も全部ではないけれど、33選挙区に候補を立てた。しかし、比例票上積みにはつながらなかった。この党勢低調をどう考えるか、どう打開するか。きちんと党内で自由闊達な議論が行われなければならないだろう。

 れいわ新選組は、前回19年に228万票、21年衆院選は221万票、今回22年参院選は232万だった。数だけで言えば今までで一番多いけれど、220~230万票程度が上限なのかとも考えられる。毎回衆参選挙ごとに、山本太郎が辞任して出馬するわけにもいかないだろう。

 社民党は、2.37%の得票で、一応政党要件をクリアーした。
 154万(1)→(94万)→105万(1)→(101万)→126万(1)
 「福島瑞穂を当選させる会」としては1議席を確保したわけだが、今では「希少生物」になっているのは間違いない。3年後は福島瑞穂に匹敵する著名人を擁立出来るのか。3年後は厳しいのではないか。

 「NHK党」は、19年に152万票で1議席。2022年は125万で1議席。前回は3.02%で、今回は2.36%。どう考えるべきかは判らない。
 そして問題の「参政党」。177万票、3.3%で1議席を獲得した。何と社民、N党より多い。2023年の統一地方選で、地方議会に大量に進出するのではないかと思う。その議員から国政に出る人も出て来る。だが、単なる「極右」というより、「陰謀論」「カルト政党」化する可能性もある。「コロナワクチン反対運動」などを行うかどうか。「維新」はトランプの米共和党に近く、「参政党」はフランスの「国民連合」(旧国民戦線)ではないか。しかし、反外国人労働者の姿勢が「れいわ新選組」とも近く、左右を越えたポピュリズム政党の基盤を作っていくのかもしれない。

 いずれにせよ、自民党、立憲民主党、公明党、共産党がすべて19年参院選より1議席減らしているのをどう考えるべきだろうか。僕にはまだまとまった考えがない。何にせよ、安倍事件の影響はあったとしても、政党選択には影響しなかったと見るべきだろう。 
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意外!事前予測通りの結果だった参院選ー2022参院選①

2022年07月12日 22時44分38秒 |  〃  (選挙)
 2022年7月10日に行われた第26回参議院通常選挙は、選挙戦最終盤に安倍晋三元首相狙撃事件という驚くべき事件が起こった。結果的に自民党が圧勝し、単独過半数を獲得する大勝利となった。そこで、こう思っている人が多いのではないか。「死せる安倍元首相への追悼票が自民党に集中し、安倍氏の悲願だった憲法改正を可能とする議席を改憲派政党が獲得した。」このような言説を外国メディアも報じているし、何となく信じている人もいるだろう。それは本当なのだろうか。
(自民党が勝利した結果)
 どういうことが起これば、その説を証明できるだろうか。僕が思うには、 ①棄権するはずだった有権者が投票に参加して、投票率が上がる。②その有権者が自民党に投票することによって、比例区での自民党当選者が事前の情勢報道より明らかに増える。という二つのことが起きるのではないかと思う。なお、各地の選挙区はもともと自民党候補の優勢が伝えられていたため、安倍氏の事件が選挙結果に影響したかどうかの判定は難しいと思われる。
(投票率の推移)
 そのうち①の投票率に関しては、確かに増えている。今回は52.05%で、前回2019年の48.80%より3.25ポイント増えている。しかし、前回が特に低かったので、上記のグラフを見れば判るように、ここしばらくの「漸減」に戻っただけのようにも見える。細かく調べてみると、やはり地方の自民党の強い地区、つまり「結果が見えている」選挙区では5割を割っているところが多い。一方で、与野党激戦が伝えられた1人区、岩手、山形、新潟、長野、山梨などは軒並み55%ほどを記録している。合区された島根県は高いが、今回自民党候補がいなかった鳥取県は低い。このように選挙区事情により投票率もバラバラである。

 事件が起こった奈良県を中心に、近畿地方の投票率はすべて5割を越えている。しかし、近畿各県では比例区の投票先は和歌山を除き、「維新」が2割を上回っている。大阪、兵庫では第1党である。近畿地方の投票率が高かったのは、安倍事件の影響というよりも、「維新」人気が高かったためなのか判定が難しい。今回は都市部の投票率が比較的高かった。東京(56.5%)、神奈川(54.5%)を始め、愛知を中心に東海から、近畿に掛けて高くなっている。僕は東京がここまで高くなるとは思っていなかった。だから、無党派層がやはり選挙は大切だと思って投票率が上がった可能性はあると思っている。
(自民党本部の岸田首相)
 しかし、それは自民党への「同情票」ばかりではなく、非自民層も投票に行き、特に参政党、NHK党などを押し上げたのかもしれない。実際、3年前に議席を獲得した「れいわ新選組」「NHK党」に加えて、今回初参戦の「参政党」の3党だけで、全比例票の10.06パーセントを占めている。その分、「老舗政党」の獲得議席が減ることになる。「維新」が14.80%なので、4党で4分の1ということになる。今回は全部で10党が比例区で議席を獲得した。今までは9党が最多だったので、今回は新記録になる。

 投票率は確かに上がったが、②で挙げた「自民党への同情票の爆発」は起こらなかったと考えられる。それは今回の結果が「事前予測調査」の通りだったことから判明する。2021年10月の衆院選で、朝日新聞の事前予測はほぼ当たっていた。電話、携帯電話、独自調査に加え、インターネットでの調査を加えたということだった。今回も同様に調査を行ったのではないかと思う。 

 その事前調査の2回目の結果は、7月6日に報道されている。以下の通りである。「下限~上限」で示されている。

自民党  合計(56~65) 当選者63   うち比例区(15~19) 当選者18 
公明党  合計(12~15) 当選者13   うち比例区(6~8) 当選者6 
立民党  合計(12~20) 当選者17   うち比例区(5~8) 当選者7 
維新  合計(10~16) 当選者12    うち比例区(6~9) 当選者8 
国民党  合計(2~7) 当選者5    うち比例区(2~4) 当選者3 
共産党  合計(3~8) 当選者4    うち比例区(3~5) 当選者3 
れいわ  合計(1~5) 当選者3    うち比例区(1~4) 当選者2 
社民党  合計(0~1) 当選者1    うち比例区(0~1) 当選者1 
NHK党  合計(0~1) 当選者1    うち比例区(0~1) 当選者1 
諸派  合計(0~3) 当選者1     うち比例区(0~3) 当選者1 

 このように、すべての党が事前予測通りである。比例区でも自民党が爆発的に得票したわけではなかった。事前に予測された調査通りだったということは、自民党勝利の理由は安倍氏の事件ではなかったことを示している。むしろこの間岸田内閣の支持率がずっと堅調だったことが重要ではないか。安倍、菅政権から岸田政権への「擬似的政権交代」が有効だったこと。ウクライナ戦争など「国難」に立ち向かう「戦時下内閣」として政権を支えるムードがあったこと。コロナ禍が3年目を迎えて業界支援のため与党への期待票があったこと。そのようなことの複合として、もともと今回は自民党が好調だった。それがそのまま出たという参院選の結果だったように思われる。各党の盛衰は次回に。
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映画『リコリス・ピザ』、ポール・トーマス・アンダーソン監督の快作

2022年07月11日 22時18分19秒 |  〃  (新作外国映画)
 7月10日に行われた参議院選挙の結果については、データを検討して明日以後に書きたいと思う。安倍元首相狙撃事件に関しても、新しい情報がかなり出て来ているので、いずれまとめて考えたい。その前に見た映画のまとめ。見たのは土曜日だから、書かないと忘れてしまう。ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)監督の『リコリス・ピザ』(Licorice Pizza)である。僕はこの監督の映画がいつも好きで、今回もとても面白かった。70年代カリフォルニア再現映画で、まるで監督自身の青春を映画化したみたいだが、実は監督は1970年生まれ。題名の「リコリス・ピザ」は、当時カリフォルニア南部にあったレコード店チェーンだそうである。

 この映画は典型的な「ボーイ・ミーツ・ガール」の設定なんだけど、かなり変。何しろ15歳の少年が、10歳年上の女性を見初める。場所は高校で、ある日写真撮影がある。アメリカでも写真屋を呼んで各学年の写真を撮るなんてしていたのか。写真屋の助手として高校に来たアラナ・ケインアラナ・ハイム)は、生徒に手鏡やクシはいるかと聞いている。ゲイリー・ヴァレンタインクーパー・ホフマン)は鏡を借りるが、その後で今夜食事に行こうと誘う。アラナは相手にせず、そもそも食事代は持ってるのと聞く。そうすると、ゲイリーは映画を見るかと反問し、あの映画やテレビに出ていた子役が自分だと答える。
(走るゲイリーとモアナ)
 15歳にしてショーマンだったゲイリーは、君と出会ったのは運命だと熱く語る。君は何になりたいのと無邪気に迫ってくるけど、アラナは気持ちが乗らない。そんな時、母親がラスヴェガスで仕事のため、ニューヨークの仕事に付いて来られなくなる。そこでゲイリーはアラナを「付き添い」にしてニューヨークのテレビショーに出演する。ホントに芸能人だったんだ。ゲイリーに感化されてアラナも女優のオーディションを受けるようになる。そこでジャック・ホールデンショーン・ペン)というベテラン俳優と知り合い、映画監督のレックス・ブラウトム・ウェイツ)とも出会う。劇中で「トコサンの橋」は朝鮮戦争を舞台にした映画「トコリの橋」だろう。ウィリアム・ホールデンとグレース・ケリーが出演していた。ペンとウェイツが最高。

 一方、ゲイリーは単なる子役ではなく、なかなか商魂たくましい。ある日「ウォーターベッド」を町で見かけて試してみる。これは売れると思って、大々的な代理店を開業してアラナも雇う。アラナのお色気電話戦術もあって、大いに売れるけど…。相変わらずアラナはゲイリーを子ども扱いするが、ゲイリーは君は僕に会わなかったら今も写真屋の助手だと嫌みを言う。ある日、ジョン・ピーターズブラッドリー・クーパー)の家にベッドを運びに行く。この人は実在人物で、当時バーブラ・ストライサンドの夫だったプロデューサーである。その傲岸不遜な感じが面白い。着くのが遅れて夜になってしまったのは、1973年のオイルショックでガソリンスタンドが大混雑だったのである。アメリカでもそうだったのか。アラナの運転シーンが抜群。
(夜中にトラックを走らせる)
 なかなか自分にふさわしい仕事に出会えないアラナは、昔の知り合いをたどってカリフォルニア市長選に出馬しているジョエル・ワックス(ベニー・サフディ)の選挙活動のボランティアを始める。アラナはキャンペーン用の映像撮影を任され、ボランティアの中でも存在感を見せる。ゲイリーもボランティア事務所に顔を出すが、そこで聞いたのがカリフォルニアでピンボールが解禁されるという話。それまで何で禁止だったのか不思議だが、ゲイリーはまるでインサイダー情報を聞いたかのように、突如ピンボールを買い集めて、大きなピンボール場を開いてしまう。まさに「1973年のピンボール」である。
(ピンボール屋を開く)
 開場の日は大賑わいだけど、肝心のアラナがいない。アラナは選挙事務所でジョエル・ワックスに財布を忘れたから持ってきてと呼ばれている。果たしてアラナとゲイリーは如何に…。展開は快調で、全く退屈しない。70年代の「自分探し」が懐かしい。PTAの映画としては、判りやすくて通じゃなくても楽しめる青春映画。なんだけど、やっぱり15歳の芸能人少年が25歳を追いかけるって、基本設定は変である。ゲイリー役のクーパー・ホフマンはPTA映画に一番多く出た故フィリップ・シーモア・ホフマンの長男。撮影時17歳。アラナ役のアラナ・ハイムは姉二人とバンド「ハイム」をやってるミュージシャンで、グラミー賞にノミネートされたこともあるという。1991年生まれで、ホントはもっと年上。二人とも映画初出演でよくやっている。
(ポール・トーマス・アンダーソン監督)
 この映画は今年度のアカデミー賞で、作品賞、監督賞、脚本賞にノミネートされたが、受賞はしなかった。ニューヨーク映画批評家協会や英国アカデミー賞の脚本賞を受賞した他は、ノミネートに止まったことが多い。この監督の映画では、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』と前作『ファントム・スレッド』が一番完成度が高いと思う。『ブギーナイツ』や『インヒアレント・ヴァイス』なんかが僕は好き。今度の『リコリス・ピザ』もとても良いんだけど、正直言うと、主演の二人が僕の好みじゃないかも。(なお、劇中の日本食レストランの描写には疑問がある。)
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森崎和江、田沼武能、トランティニャン他ー2022年6月の訃報

2022年07月10日 20時54分25秒 | 追悼
 2022年6月の訃報。まず最初に、詩人、ノンフィクション作家の森崎和江から。6月15日死去、95歳。1958年に谷川雁上野英信らと雑誌「サークル村」を創刊。64年の大正炭鉱閉山まで谷川と同居したが、対立の結果、谷川雁は闘争から離れて東京へ行き英語教育の会社に勤めた。1976年に『からゆきさん』が大評判になって、僕はその時初めて森崎和江を読んだ。山崎朋子『サンダカン八番娼館』が評判だった時期で、僕は森崎の本は十分に理解出来なかった。その後『慶州は母の呼び声』『悲しすぎて笑う 女座長筑紫美主子の半生』を読んで感動した。しかし、詩集は読んでないし、評論も『闘いとエロス』『いのち、響きあう』など題名で敬遠。僕には森崎和江を評価出来ないんだけど、何だか重要なものあると思って最初に。
(森崎和江)
 写真家の田沼武能(たぬま・たけよし)が6月1日に死去、93歳。世界の子どもたちや東京の下町などを撮影したことで知られる。特にユニセフ親善大使の黒柳徹子の訪問に同行して、世界125国以上を回ったことで知られる。東京浅草の写真館の家に生まれ、東京写真工業専門学校を卒業後に木村伊兵衛に師事した。写真界の待遇向上に尽力し、「公表後10年」だった写真の著作権を他の著作物と同様にする法改正を求め続けて実現した。木村伊兵衛も土門拳も受けなかった文化勲章を写真界で初めて受章。
(田沼武能)
 俳優の佐野浅夫が6月28日に死去、96歳。1993年から2000年にかけて3代目「水戸黄門」役で知られる。1943年に18歳で劇団「苦楽座」に入団。この劇団が後の移動演劇隊「櫻隊」である。佐野は3月に徴兵されたが、櫻隊は広島で被爆し、丸山定夫、園井恵子ら劇団員が死亡したのである。戦後は劇団民藝に所属して活躍したが、71年に退団した。その後はテレビを中心に活躍した。50年代、60年代には脇役として多くの名作映画に出演していた。
(佐野浅夫)
 歌舞伎俳優の6代目澤村田之助が6月23日に死去、89歳。5代目田之助の長男に生まれ、64年に6代目を襲名。女形として活躍して、2002年に人間国宝に認定された。相撲ファンとして知られ、2003年から13年にかけて横綱審議委員会委員を務めた。何しろ伝説的名優として有名な6代目尾上菊五郎の膝の上で、双葉山が69連勝で敗れた一番を見ていたというから凄い。6歳の時である。
(澤村田之助)
 漫画家、脚本家、映画監督の石井隆が5月22日に死去した。「天使のはらわた」がヒットし、日活で映画化されるに際して脚本に参加した。いずれも「村木」という男が「土屋名美」という「運命の女」(ファム・ファタール)と出会って破滅していく物語である。『天使のはらわた 赤い教室』(1979、曽根中生監督)や『ラブレター』(1985、相米慎二監督)などの脚本で評価され、『天使のはらわた 赤い眩暈』(1988)からは監督も務めた。異業種出身にしては、光と影の美学を駆使した運命ドラマで観客を魅了した。『死んでもいい』(1992)、『ヌードの夜』(1993)、『ヌードの夜/愛は惜しみなく奪う』(2010)はベストテンに入選した。その暗い世界観に好き嫌いはあるだろうが、僕は結構好きだった。
(石井隆)
 映画プロデューサーの河村光庸(かわむら・みつのぶ)が6月11日死去、72歳。慶大中退後に出版社を設立、その後、映画配給に進出し、2008年に配給会社スターサンズを設立、韓国のヤン・イクチュン監督『息もできない』をヒットさせた。その後、映画製作にも乗りだし、ヤン・ヨンヒ監督『かぞくのくに』(2010)で成功、その後、『あゝ、荒野』『愛しのアイリーン』『新聞記者』『宮本から君へ』『MOTHER マザー』など数々の傑作を送った。昨年(2021年)も『茜色に焼かれる』『空白』とベストテンに2作入選し、近年最も注目されるプロデューサーだった。また『新聞記者』や『パンケーキを毒味する』(菅前首相のドキュメンタリー)など、政治的なテーマにも大胆に取り組んだ。『宮本から君へ』が出演者の薬物問題で文化庁の助成金を取り消された問題でも、国を相手に裁判を起こしていた。突然の訃報で大変残念。
(河村光庸)
 多くのアニメソングを手掛けたこと知られる作曲家、渡辺宙明(わたなべ・ちゅうめい)が、6月23日死去、96歳。東大で心理学を学ぶも音楽に関心を持ち、團伊玖麿、諸井三郎に師事した。50年代から多くの映画音楽を手掛け、中川信夫監督「東海道四谷怪談」、山本薩夫監督「忍びの者」などの音楽を担当した。その後、渡辺貞夫にジャズの理論を学び、独自の「宙明サウンド」と呼ばれるようになった。アニメでは「マジンガーZ」「秘密戦隊ゴレンジャー」「人造人間キカイダー」「野球狂の詩」「鋼鉄ジーグ」など多くの主題歌を手掛けた。
(渡辺宙明)
 ソニー元社長の出井伸之(いでい・のぶゆき)が6月2日死去、84歳。60年にソニーに入社、85年に大賀典雄に抜てきされ6代目の社長に就任した。ソニー初のサラリーマン社長だった。パソコンの「VAIO」やゲーム機「プレイ・ステーション」などのヒットで、ソニーを「ものづくり企業」からコンテンツ重視の企業に変身させた。98年から最高経営責任者(CEO)を兼任、00年にはCEOに専念した。しかし、出井時代は「栄光の前半」と「失墜の後半」に分かれると言われる。21世紀になって、技術畑ではない出井の経営方針が一貫せず、2003年にはソニーの株価が大暴落する「ソニー・ショック」が起きた。結局、社外取締役などから勇退を勧告され、2005年に退任し、ソニー初の外国人経営者ストリンガーが後任に選ばれた。
(出井伸之)
 フランスの俳優、ジャン=ルイ・トランティニャン(Jean-Louis Trintignant)が17日に死去、91歳。僕は若い時から、この人の出る映画が好きだった。コスタ=ガヴラス『Z』(カンヌ映画祭男優賞)、ベルトルッチ『暗殺の森』、クレマン『狼は天使の匂い』などで、端正な容貌と的確な演技が印象的だった。初期にはロジェ・ヴァディム監督『素直な悪女』『危険な関係』などで知られ、イタリア映画『激しい季節』(ズルニーニ監督)の戦時下の若者役が素晴らしかった。1966年のルルーシュ監督『男と女』で世界的人気を得た。その後は、1983年のトリュフォーの遺作『日曜日は待ち遠しい』が思い出に残る。2012年には80歳を超えてミヒャエル・ハネケ監督『愛、アムール』に主演してカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した。こうしてみると、若い頃から世界的な監督に重用され、重要な役を任されたことが印象的だ。フランスでは昨年ジャン=ポール・ベルモンド、今年にジャック・ペランが亡くなるなど、重要な俳優が相次いで亡くなった。
(ジャン・ルイ・トランティニャン)
田口富久治(たぐち・ふくじ)、5月23日死去、91歳。政治学者。名大名誉教授。マルクス主義の立場から、現代資本主義論や行政学を論じた。日本共産党員として丸山真男の近代主義を批判していたが、次第にユーロコミュニズムに近づいた。1979年の『マルクス主義国家論の新展開』をめぐって不破哲三と論争になり自己批判に追い込まれた。94年に離党して、丸山真男の立場に近づいたと言われる。僕は専門分野的にも党派的にも、特に深い関心を寄せてはいなかったので、一冊も読んでいない。
石井一、4日死去、87歳。元自治相、国土庁長官。衆議院11回、参議院1回当選。93年に自民党を離党して新生党に参加。新進党を経て98年に民主党に参加して、民主党副代表などを務めた。
松平直樹、11日死去、88歳。和田弘とマヒナスターズのボーカルとして、松尾和子と歌った「誰よりも君を愛す」でレコード大賞。同じく松尾との「お座敷小唄」、吉永小百合との「寒い朝」もヒットした。70年に独立し「松平直樹とブルーロマン」、83年にソロとなり、その後再びマヒナスターズを再結成していた。
坂東竹三郎、17日死去、89歳。歌舞伎役者。上方歌舞伎を支える女形として活躍した。
岩内克己(いわうち・かつき)、18日死去、96歳。映画監督。『エレキの若大将』以後、若大将シリーズを多く手掛けた。
森田貢(もりた・みつぎ)、18日死去、68歳。フォークグループ「マイ・ペース」ボーカル。代表作「東京」の「東京へはもう何度も行きましたね」の歌詞で知られる。
小田嶋隆、24日死去、65歳。コラムニスト。雑誌「噂の真相」にコラムを連載し、「反権力」「反骨」と言われた。10年前頃からTwitterで社会的発言を続けた。と言うんだけど、全然読んだことがない人で、評価の材料がない。
葛城ユキ、27日死去、73歳。歌手。83年の「ボヘミアン」が大ヒットした。
中野昭慶(なかの・てるよし)、27日死去、86歳。映画の特殊撮影技術(特技)監督。59年に東宝に入社し、62年に円谷英二の指名で特技助監督になった。69年に「クレージーの大爆発」で特技監督に昇進。1973年の「日本沈没」で知られる。他にゴジラシリーズ、「東京湾炎上」「火の鳥」など。81年にフリーとなって東映の「二百三高地」「大東亜帝国」「日本海大海戦」を手掛けた。1985年に金正日に招かれて北朝鮮で怪獣映画「プルガサリ」の特撮監督を務めた。
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衝撃の安倍晋三元首相暗殺事件ー日本でも起こった銃によるテロ

2022年07月08日 22時57分29秒 | 政治
 奈良市で選挙応援演説を行っていた安倍晋三元首相が銃撃され死亡した。日本ではあり得ないと思われていた驚くべき出来事だ。今の段階で書けることは限られているが、簡単に思うことを書いておきたい。政治家としての安倍晋三氏の業績を総合的に評価するのは早すぎるだろう。それはまだ「安倍時代」が「歴史」になっていないからだ。客観的に評価出来るには、もう少し時間の経過を必要とするだろう。今の段階では「毀誉褒貶」(きよほうへん)にあまり付き合わない方が良い。
(ヘリで搬送される安倍氏)
①「政治的なテロは絶対にあってはならない
②「犯行の具体的な状況が判明するまで、安易な予測や思い込みで発言しない方が良い

 今言えるのは、まずこの二つであり、これしか書けることはないのだから、書かない方が良いのかもしれない。だけど、これほどの大事件を書かずに済ませるわけにもいかない。僕は今日は何だか疲れてしまって家で休んでいた。ちょっとウトウトしていたら、12時半頃に買い物から帰ってきた妻から、安倍さんが撃たれたらしい、母親が騒いでいると聞かされた。90代半ばの老母は最近はテレビもあまり見なくなっていたが、こういうワイドショーが大騒ぎするようなときには元気が復活するのである。
(倒れている安倍氏)
 その時点で「心肺停止」と報道されていたから、回復は難しいんだろうなと思った。午後5時3分に死亡が確認されたが、その直前に安倍昭恵夫人が病院に着いたという。家族が来るまで何とか「治療を続けるフリ」をしたわけだろう。こう言うと何か悪く言うような感じだが、そうではない。最近久坂部羊氏の『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を読んだから、そう思ったのである。この本は多くの人に勧めたい本で、医者の立場から書かれた実態には共感を持つところが多い。そこで思うのは、銃撃され失血している患者に対し、心臓マッサージをしては逆効果ではないだろうか。

 その時すぐに思ったのは、駅前だし多くの聴衆がいたから、すごくたくさんの現場の映像があるだろうということだ。少し後にテレビを見たら、案の定各局で違う映像を流していた。そもそもNHKなど現場で撮影をしていたメディアも多かった。そこで銃撃シーンが流される。これは事前に注意を呼びかけるテロップが必要だと思う。何度も流されてショックを受ける人も出て来るのではないか。やがて犯人が特定され、犯人が現場で映っている画像もニュースで流された。こうなると、スマホや新聞じゃダメで、テレビで各局を見比べるのが一番だ。(Eテレとテレビ東京以外は全部ニュース特番だった。さすがテレ東。)

 その映像には容疑者も映っていた。それを見て、自分には出来ないなと思った。もちろんやる意思もないし、銃も持っていない。だけど、「動機」「凶器」に加えて「技能」がこの事件には必要だ。映像で見る限り、数メートルの距離があって、自分なら胸や首に当てることは難しいと思う。偶然当たることはあるだろうが、2発とも当てている。これは犯人に「技能」があったことを物語る。その後「元自衛官」と聞いて納得しかけたが、大分昔に3年間海上自衛隊にいただけだから、それだけで「技能」があるのかどうか。海上自衛隊でどれだけ射撃訓練をするのか知らないけど、15年以上前だからその後訓練していたわけではないか。
(容疑者を確保)
 どう考えても「明確な殺意」が感じられる。それは応援弁士が岸田首相だったとしても起こったことなのか。野党指導者だったら、どうなのか。安倍晋三氏に特に殺意を持っていたらしき警察情報の報道もあるが、「特定の宗教指導者」を敵視していたとも言われる。報道によれば、安倍氏の応援演説は昨日決まったという。本来は長野選挙区に行く予定が、長野の自民候補者のスキャンダルが週刊文春に出たので変更になったという。そうすると、犯人にとっても、警備当局にとっても、「偶然」が事件を起こしたという言い方も出来るのか。

 「一人一殺」的な犯行は、「左翼」ではなく「右翼」的な感じを与える。しかし、背後から自作の銃で狙撃するというのは「右翼」にはそぐわない感じもする。そこで考えられるのは、いわゆる政治的な団体に所属するような人物ではなく、むしろ「独自の思い込みで行動する」タイプ、もっと言えばネット用語でよく使われる「無敵の人」という概念である。そして読んだばかりの本、今回の直木賞候補になっている呉勝浩爆弾』という小説を思い出した。設定は全然違うけど、何だか現代日本の気分を考える時に共通点があるような気がする。ミステリー小説だと、捜索に向かった警察官が部屋に仕掛けられたトラップにハマる。そこまではなかったが、実際容疑者の部屋には爆弾のようなものもあって、近隣住民が避難しているという。

 警備の問題だが、安倍氏の警備に関しては、「前面でヤジを発する」、そして安倍氏と挑発合戦になるということを阻止するのが第一だったのではないだろうか。まさか背後から銃撃されることは想定していなかったのだろう。だけど、2発目まで撃たれてしまったのは、やはり警備当局の「失態」ではないかと思う。急きょ決まった演説で、準備不足はあっただろう。組織性のないテロはなかなか防ぐのが難しいと思うが、それでも背後にも十分警戒を怠らないようにするべきだったと思われる。

 今後の政界への影響などいろいろと考えるべきこともあるだろう。方向性としては、田中角栄病気後の中曽根政権ではないか。つまり岸田政権の独自性発揮、長期政権化が考えられる。実質上「最大のライバル」が突然消えたわけだから。それにしても、野党が分立して自民優位が動かない奈良県になんか行く必要があったのか。僕は本当は安倍氏はロシアに行って、「ウラジーミル」とサハリン2の問題を折衝するべきではないかと思っていた。これこそ「余人をもって代えがたい」ではないか。

 なお、参院選に関しては、自民党がどうせ勝つからいいやと思っていた一人区で、自民支持者が「追悼投票」に行くことが予測される。思った以上に圧勝になる可能性が高いのではないか。それにしても、今まで「民主主義」など一言も語らなかったような政治家が、みんな「民主主義の危機」だなどと語り出すんだなあと思う。プーチンやトランプにあまり持ち上げられてもなあとも。
*(頸部に2つの銃創があったと報道されたため、僕は「2発当たった」と判断してしまったが、1発目は当たらず2発目が当たったのではないかと思われる。散弾銃のようなもので、複数の銃弾が発射されるような自作の銃だったと思われる。左上腕部から体内に入った銃弾が、左右の鎖骨下にある動脈を損傷したことが致命傷になったと司法解剖結果が公表された。2022.7.9追記)
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『ナワリヌイ』、暗殺未遂の真相に迫る驚異の映画

2022年07月07日 22時40分15秒 |  〃  (新作外国映画)
 『ナワリヌイ』というドキュメンタリー映画が上映されている。まあ僕も映画というより、国際問題理解のために見たようなもんだけど、その内容の凄さに絶句した。チラシには「プーチンが最も恐れた男」とある。最もかどうかはともかく、ナワリヌイが殺されかけたのは間違いない。2020年8月20日に起こったその事件に関しては、以前「恐怖のノビチョクーロシアのナバリヌイ氏暗殺未遂事件」(2020.9.8)を書いた。その時点では「ナバリヌイ」と表記したが、ここでは映画に従って「ナワリヌイ」と表記したい。ラテン文字では「Aleksei Anatolievich Navalny」である。

 ロシア反体制派として世界に知られるアレクセイ・ナワリヌイ(1976~)は2009年以後に知られるようになった。もともとは弁護士で、民主主義政党「ヤブロコ」の党員だったという。やがて党を除名され、個人で活動するようになったが、政府や大企業幹部のスキャンダルを暴露して知られるようになった。2013年のモスクワ市長選に出馬して予想以上の善戦をして、政権の脅威と見なされるようになった。そのため何度も逮捕、起訴され、横領罪や詐欺罪などの罪を着せられている。2018年の大統領選に立候補しようとしたが、選挙管理委員会から立候補資格はないと判断された。

 映画は2020年8月20日の暗殺未遂を当時の映像で追っていく。ナワリヌイは西シベリアのトムスクからモスクワへ移動中の飛行機内で、突然昏睡状態に陥った。機体はオムスクに緊急着陸し、救急病院に搬送されたが、そこでもナワリヌイは意識不明だった。やがて病院側の反対を振り切ってドイツの病院へ移送され、そこで奇跡的に回復を遂げた。また24日にドイツの医師が毒物中毒であると発表し、9月2日にはドイツ政府が毒物はノビチョクであると証明されたと発表した。映画は飛行機内の緊迫を当時の画像で追うが、当時の衰弱ぶりを見ると回復はまさに奇跡だと思う。
(病室で)
 ノビチョクというのはロシアが望ましからざる人物を排除するときに使ってきた神経性毒物である。だから、このナワリヌイ暗殺未遂もロシア政府が関わっていたと推認できるわけだが、普通に考えてその論証は難しい。真相は闇の中へ葬られると誰もが予想していたわけだが、この映画を見るとナワリヌイ自身がその真相追究にチャレンジしている。協力者がいて、最初はどこかの国のエージェント(CIAやMI6のような)かと警戒したが、どちらかと言えば「パソコンオタク」みたいな人物だと見極めた。それは調査報道を行う「ベリングキャット」らしい。

 「ベリングキャット」はハッキング等は行わず、公開された情報のみを使うということだが、果たしてそれだけでここまで解明出来るのだろうか。そう思うぐらい、この映画で明かされた真相はすさまじい。まず、ナワリヌイと同様に飛行機で移動を繰り返す人を見つける。それらの人物は何者か。彼らはロシアのある病院(実は化学兵器製造施設)に関わっていた。やがて、個人名が特定され、それどころか携帯電話の番号まで突き止める。ホントにそんなことが可能なのか。

 そして、ついにナワリヌイ自身が彼らに電話してみたのである。そして驚くべし。何と一人の医者が「報告書を書かないといけないから、失敗の原因を教えてくれ」という問いに答えてしまった。その時の答えは、計画は万全だったのだが、途中で飛行機が緊急着陸するのが想定外だったというものだ。「失敗」は情報機関外部の事情で起こったと弁明したわけである。他の人は答えずにすぐに切ってしまったが、どうやら携帯電話番号は当たっていたらしい。この答えた医師はどうなったか。映画内では映画が公開されたら殺される、その前に亡命を申し出ると語られているが、実際どうなったかは不明である。
(電話がヒット!右は夫人)
 この暗殺計画は3年間準備されたという。当初は紅茶に入れられたと言われたが(紅茶しか摂取していなかったので)、映画ではパンツに仕掛けられたと言われている。最近よく見るペスコフ報道官は、この主張を「パンツに対するフロイト的執着」などと言っている。常識的に考えて、もともとロシア政府の関与は否定出来ないものだったが、それは事実だったと考えるべきだろう。映画だからフィクションや宣伝だろうと考える余地はない。刑事裁判で証拠にはならないが、政治的には証明されたと言って良い。内容的にプーチン自身の承認なくして起こりえないことも示唆される。当然だろう。

 ナワリヌイは完治まで静養したが、2021年1月17日に帰国を強行した。空港には支持者が詰めかけた様子が映像で示されるが、ナワリヌイは彼らの前に現れることが出来なかった。そのまま拘束され、執行猶予条件違反で刑務所に収容され、2022年3月に懲役9年が宣告された。今もなお拘束が続くが、獄中からウクライナ戦争反対を発信している。プーチンの「宮殿」と言われる黒海沿岸にリゾートなどの映像も発信して、反プーチン活動を続けている。しかし、生命の危機に見舞われているのは間違いない。

 2021年に「サハロフ賞」(欧州議会が設定した国際的人権賞)を受賞したが、式典には娘が代理で出席した。この映画を見ると、家族がナワリヌイを支援し続けていることが感動的だ。とにかく、ここまでやるか的な映画で、プーチン政権の本質を考える時にも是非見ておきたい映画だと思う。監督のダニエル・ロアーは『ザ・バンドかつて僕らは兄弟だった』というドキュメンタリー映画を作った人だという。
(サハロフ賞授賞式で)
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『現代社会の理論』ー見田宗介著作集を読む①

2022年07月06日 22時36分08秒 | 〃 (さまざまな本)
 見田宗介氏の著作を読み直す試みとして、80年代の論壇時評を集めた『白いお城と花咲く野原』について5月に書いた。一月一回ということで、定本見田宗介著作集の第1巻(2011年11月刊行)の『現代社会の理論』を6月下旬に読み直した。原著は1996年10月岩波新書から刊行されたもので、当時読んで大きな刺激を受けた。今もなお、そのスリリングな思考は意味を持っているけれど、刊行後25年以上も経って、抜けていた論点もあったように思った。

 まず書名の「現代社会」だけど、「近代社会」とは違う新しい概念として使われる。特にアメリカ社会学で「豊かな社会」「消費社会」「管理社会」「脱産業化社会」「情報化社会」などという言葉が使われた。第二次大戦後のアメリカ経済の発展、新しい社会のあり方を表わす言葉だったわけである。それは高度に発達した資本主義によってもたらされたが、物的な豊かさにおいて全世界の人々に大きな魅力を感じさせた。

 一方で、その「情報化/消費化社会」がもたらした「豊かさ」の裏側に「環境、公害、資源、エネルギー、南北の飢餓や貧困の巨大な実在」がある。多くの理論は、この両面の関係性について考えない。一方ではグローバル化による経済発展を称える論調があり、もう一方には環境などの観点から「現代社会の全面的な転換」を求める論調がある。これは確かに「冷戦終結」以後、21世紀初頭にかけての世界の思潮の論点だっただろう。
(原著)
 著者はそれらの論点を一つずつ考察していく。まず「情報化/消費化」だけど、我々はつい現代の高度に発達した現代経済を「健全な資本主義からの逸脱」と考えやすい。「堅実な物作り」を一国内で行っていた段階を標準とするなら、確かに現代は「行き過ぎ」だろう。しかし、資本主義の論理からすれば、「情報化」「消費化」に向かうのは必然である。そのことがアメリカの自動車業界で、分業による大量生産を行うフォードに対して、デザイン重視のゼネラル・モーターズが現れたときにはっきりした。
 
 つまり「情報化/消費化社会」こそが「初めての純粋な資本主義」なのである。マルクスはこの「資本制システムの自立と完成」を見ずに死んだ。資本主義の「形成途上の形態」を資本主義の本質と考えて、理論を構築したのである。(ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」の理論も不十分だったとされる。)ここら辺は非常に面白く、資本主義においては労働者階級の窮乏化から社会主義革命が必然的に起こると考えたマルクス理論が実現しなかった理由をよく説明していると思う。

 環境問題、「貧困」の問題は長くなるから省略する。資本主義が「外部」に負荷を負わせることで発展してきた歴史が解明される。ただし、単に「南の貧困」を論じるだけでなく、「北の貧困」「強いられた富裕」も指摘している。すでに高度に発達した社会になってしまった日本では、「お金」がなければ何も出来ない。もちろんスマホやテレビが無くても生きていけるが、社会的に必要な「情報」を得られないので、社会的な「相対的貧困」に陥る。我々は「お金がない」という「疎外」の前に、「お金を持たないと自由に生きられない社会」という「疎外」を生きている。

 ところで、いかに問題が(背後に)あろうと、「自由」で「豊かな」現代社会は世界の人々にとって、歴史上最も魅力的な社会である。この「自由」と「豊かさ」を手放すことなく、環境への負荷、「南」の資源収奪がない世界を築くことは果たして可能か。それは「情報化」「消費化」の中身を考察することによって、まさに「情報化」「消費化」こそ新しい社会を作る方向性を示すとされる。もっとも僕はこの辺の論理展開が難しくて、昔も今もよく判らない。正しいかどうかの判定も出来ない。多くの人が新たに読んでみて、著者の論点にチャレンジして欲しいと思う。

 この本が出た段階(1996年)には、まだインターネットはほとんど普及していなかった。「ウィンドウズ95」が前年に出ていたわけだから、ネット社会直前にあたる。この頃に高校生の就職指導をしていたが、生徒を緊急に呼び出す時は「ポケットベル」を使っていた。まだメール機能もカメラもなかった携帯電話は、ようやくこの頃から普及し始めていた。電子メール、インターネットがある程度普及してくるのは、2000年以後だろう。96年段階で「情報化」を先駆的に論じていたわけだが、2022年には「情報化」を未来へ向かって肯定的に捉えられるものだろうか。

 刊行当時は「冷戦」が終結し、ロシアや中国が世界市場に登場してきた段階だった。全世界に「マクドナルド」が進出して、「ビッグマック指数」が世界経済の指標とされたりした。マクドナルドが出店している国どうしの戦争は起こらないなどと言われていた。「情報」や「貨幣」は国境を越えて移動し、まさに「グローバルな世界」が実現したかに見えた。しかし、国境を越えてグローバルに移動するものは、他にもあったのである。それは「ウイルス」だった。

 パンデミックが起こった途端に、「現代社会」の裏に隠れていた「近代国家」が現れてきた。移動の自由などは、「近代国家」が一端制限を始めれば、現実に生きている人間を拘束してしまい、我々は「国家」に(時には「都市空間」に)閉じ込められてしまったのである。ここで気付くのは『現代社会の理論』では、「国家」がほとんど論じられていないことである。国家の「本質的暴力性」を論じなくては、現代社会を理解して次の社会を見通すことは不可能だと思う。

 ロシアのウクライナ侵攻、中国のウイグルや香港の抑圧などだけを想定しているのではない。アメリカでも日本でも、「最高裁の壁」が我々を拘束している。近代国家の原則である「三権分立」というタテマエから、最高裁の判決に近代国家の成員は拘束されてしまう。近代国家システムの「暴力性」をどのようにしたら超克出来るのか。または出来ないのか。それこそ我々がいま真剣に考えるべきことではないか。
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『ウィダの総督』と映画『コブラ・ヴェルデ』ーブルース・チャトウィンを読む⑤

2022年07月05日 21時06分59秒 | 〃 (外国文学)
 ブルース・チャトウィンを読むシリーズ最後に『ウィダの総督』(The Viceroy of Ouidah、1980)を取り上げる。著者最初の小説で、日本に最初に紹介された本でもある。それが芹沢高志、芹沢真理子訳で1989年に出された『ウィダの総督』(めるくまーる社)だが、その後旦敬介訳『ウィダの副王』(2015、みすず書房)も出された。僕は『総督』の方を読んだが、単に地元の図書館にそっちしかなかったのである。確かに翻訳はちょっと古い感じがするが、特に大きな問題もないと思う。これはドイツのヴェルナー・ヘルツォーク監督によって映画化された『コブラ・ヴェルデ』(1987)の原作である。

 ウィダと言われて判る人は少ないだろう。アフリカ西部、ベナン共和国にある港である。ベナンそのものが、僕にもよく判らない。ナイジェリアの西にある南北に細長い国である。ナイジェリアとガーナの間に二つの国があって、東がベナン、西がトーゴ。鳥取県と島根県がどっちだか判らない人が世の中にはいるらしいが、ベナンとトーゴは僕にも難しい。昔はフランスが支配して「ダオメ」(ダホメ)と言われたが、1975年にベナン人民革命党によるクーデタが起こり「ベナン人民共和国」に変わった。チャトウィンが訪れた時代には金日成の肖像が飾られているような時代だったのである。

 なんでベナンに行ったかというと、その辺りの旧地名が「奴隷海岸」だったように、アメリカ大陸に多くの奴隷を送り込んだのがウィダ港だったのである。チャトウィンは19世紀初めに権勢を振るってウィダの「総督」と呼ばれたブラジル人を取材していた。しかし、滞在中にクーデタ騒ぎがあり、傭兵に間違えられて外国人は拘束された。その時の様子が『どうして僕はこんなところに』に書かれているが、そこで尋問される恐怖の場面は恐ろしい。誰が信用出来て出来ないのかが判らないのである。独裁政権の恐ろしさを実感する場面だ。1990年に社会主義政権は崩壊し、国名は今はベナン共和国になった。
(ウィダの歴史博物館)
 小説『ウィダの総督』は決して判りやすい本ではない。チャトウィンとしても初の本格小説で、まだ技術的に完成されていないと思う。これはウィダ総督になったフランシスコ・マヌエル・ダ・シルヴァの一族百年を描く小説だが、『黒ヶ丘の上で』の本格的リアリズムと違って、マジック・リアリズム的な世界である。アフリカで有力者の娘をめとらされ子どもが生まれる。彼はブラジルに戻りたいのだが、やがて排除されていく。アフリカで黒人娘に子どもを産ませるぐらいしか楽しみがなく、60数人の子が生まれた。一族は続いて、100年後にも集まりを持っている。そんなグロテスクな世界を描くのである。

 ブラジルで貧しい生まれの少年が、いかにしてアフリカの奴隷商人になったか。ブラジル東北部の乾燥地帯で貧農に生まれたフランシスコは、幼くして父母を失う。何とか生き抜いて有力者の知遇を得るが、何かと物議を醸す彼はアフリカに送ろうということになる。当時ダホメ王国との関係が悪化していて、戻ってきた白人はいなかった。イギリスが奴隷貿易を禁止しようという時代に、アフリカでも彼は生き抜いた。それはダホメ王国の国王に気に入られたからだ。奴隷を贈られる代わりに、ブラジルから銃を輸入して王に献呈する。王は軍隊を強化して近隣民族を攻撃して、捕虜を奴隷として白人に渡す。奴隷貿易というのは白人が黒人を捕まえたのではなく、現地の黒人王国が奴隷を集めていたのである。

 しかし、ダホメ王は身勝手で、なかなか従順にならないフランシスコを捉えるように命じる。獄につながれて死刑を宣告されたが、王の甥が反乱を起こすために彼を逃がす。そして、女性を集めて軍事訓練を施して国王を襲撃する。これが史実でも有名な「ダホメ王国のアマゾネス軍団」というものらしい。ヘルツォーク監督の『コブラ・ヴェルデ』では、ここら辺が見どころとなっている。実際のダホメ王の末裔を王役にキャスティングして、色彩鮮やかな女性軍団を動かしている。原作者のチャトウィンは、体調が悪かったにもかかわらず、監督に誘われてガーナまでロケを見に行った。(人民共和国時代のベナンではロケできなかったんだろう。)そして王に原作をプレゼントしたりしている。
(『コブラ・ヴェルデ』のフランシスコ)
 ヘルツォーク監督は今年80歳になるということで特集上映が行われた。『コブラ・ヴェルデ』もやってるので見に行った。『フィツカラルド』という超絶的傑作が好きで、ヘルツォーク監督作品はかなり見たはずなんだけど、これはどうも見た記憶が蘇らない。1990年公開とあるから、仕事が最も忙しかった時代で見逃したか。原作は娘の回想、ブラジルの少年時代などが長いが、映画はアフリカ時代に絞っている。アフリカの民族世界のドキュメンタリーみたいな感じもする映画だが、原作にある男の狂騒は伝わってくる。原作者チャトウィンは、主演のクラウス・キンスキーはイメージに合ってないと言っている。

 クラウス・キンスキー(1926~1991)は若い時にヘルツォークと同居生活をしていた時代がある。その後二人が活躍するようになると、『アギーレ/神の怒り』『フィツカラルド』など代表作に主演した。結局5本に出て、『コブラ・ヴェルデ』が最後になった。死後に『キンスキー、我が最愛の敵』(1999)というドキュメンタリーも作っている。しかし、チャトウィン『どうして僕はこんなところに』を読むと、撮影中に監督がキンスキーに切れてしまった。あまりにも暴力行為が多かったという。ただ、役柄そのものが奇怪なもので、画面でも王の暴力にさらされている。あれじゃ精神的におかしくなるだろう。

 一応記録として残しておこうと書いたけれど、読んでみる人も少ないだろう。他にチャトウィン作品としてはオーストラリアの先住民アボリジニーの世界観に迫る『ソングライン』があるが、かなり長いようなのでちょっと敬遠。他に評伝が出ている。いずれ読んでみたいと思っているけど、図書館が駅から遠いので、暑い夏には行きたくないのである。ブルース・チャトウィンという作家は長命したら、20世紀後半を代表する作家の一人になったのは間違いない。残された『パタゴニア』だけで永遠に読まれ続ける作家となった。まずはそれを読んでみて欲しい。魅力を感じて、他の作品も読んでみたいと思うだろう。
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『どうして僕はこんなところに』ーブルース・チャトウィンを読む④

2022年07月04日 22時17分45秒 | 〃 (外国文学)
 まだブルース・チャトウィンを断続的に読んでいる。岩波ホール最後の映画になった『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』も面白かったけど、チャトウィンの本の方がもっと面白い。やっぱり『パタゴニア』が一番だと思うが、亡くなる直前にまとめられた短編集『どうして僕はこんなところに』(What Am I Doing Here?)も素晴らしい。1989年に出た本で、日本では池央耿・神保睦訳で1999年に角川書店から出た。2012年には文庫にもなったけど、全然知らなかった。今はどっちも古書しかないようで値段も高い。僕は地元の図書館で借りたが、400頁を越えて読後の充実感があった。

 短編集と言われているが、小説と言うより紀行、評伝、エッセイなど、彼が訪れた世界の秘境、あるいは世界的有名人などのスケッチを収録している。若い時期の論文風の文章もあるが、1988年に書かれたものが多い。89年の死を前にして、今まで心に残っていた場所や人物を書き留めたのである。ダラダラした文は一つもなく、透明で研ぎ澄まされた文章の切れ味が素晴らしいのである。アフリカでクーデタにぶつかって殺されかかった話は別に書くが、4章の「出会い」には6人の話が入っている。その一人が30年経ってチャトウィンの映画を作ったヴェルナー・ヘルツォークである。自作の映画化をガーナまで見に行ったのである。

 それより面白かったのは、ソ連の話。結局ソ連崩壊を見ないで死んだチャトウィンだが、ドイツ人団体客とヴォルガ川の船旅をしている。ドイツ人というのは、スターリングラードの生き残りとか、夫が戦死したなどのドイツ人が戦跡めぐりで参加しているのである。無論ソ連側の歴史史跡はファシズムへの勝利の栄光を称えるものばかりで、ドイツ人は居心地が悪いわけだが、それでも夫の死んだ場所を見たいという参加者がいるのだ。また、ヨーロッパ唯一の仏教徒であるカルムイク人にも出会っている。カルムイク共和国というのはカスピ海西北部にあって、ヴォルガ下流域にはよく商売に行くらしい。

 スターリン時代に迫害された作家ナジェージダ・マンデリシュターム(1899~1980)に会っているのも凄いなと思う。凄く印象的なんだけど、それより僕は建築家コンスタンチン・メーリニコフ(1890~1974)に会っているのに驚いた。死没年を考えると、20代前半に会いに行ったわけだ。20世紀初頭のロシア・アヴァンギャルド芸術の担い手の一人だが、よくもスターリン時代を生き延びたと思う。レーニン廟の棺をデザインしたり、1925年パリ万博のソ連館を設計するなど、ある時期までは当局との関係も悪くなかった。しかし、30年代後半に「形式主義」と批判され、以後細々と学校で教えながら、自分で設計した「自邸」に籠もって事実上の隠棲生活を送ったという。60年代後半に名誉回復されたが、その自邸を画像検索したら以下の素晴らしさ。
(メーリニコフ自邸)
 よく会ってるなと言えば、フランスの作家、政治家のアンドレ・マルロー(1901~1976)もいる。今ではほとんど読まれてないと思うが、ある時期までは世界文学全集には必ず入っていた。インドシナや中国での「冒険」を小説として発表し、スペイン内戦でも義勇軍に参加し長編小説「希望」を発表した。戦後はドゴール将軍に近く、特に1960年代はドゴール政権で文化相を務めた世界的有名人だった。ドゴールはいくつもの矛盾があるが、反英米的なところがあったから、よくチャトウィンが会いに行ったと思う。チャトウィンは詩的な紀行作家に思われているが、世界的文豪と文明論を戦わせる素養があったのである。
(アンドレ・マルロー)
 南米、アフリカ、中国、ソ連、豪州などを旅したが、チャトウィンはインドにも行っている。「狼少年」にも会いに行っているのは驚き。それよりインディラ・ガンディー(1917~1984)の選挙運動を密着取材しているのは、もっと驚き。暗殺されて40年近くなってしまって、もう印象を持っている人も少ないだろう。「建国の父」ネルーの娘として人気が高く、1966年に第3代首相となった。当時は女性首相は世界に少なく、非常に話題となった。1977年に選挙に敗北して下野して、1980年に復活する。その間の野党政治家時代に会っている。宗教対立が激しいインドで各地を演説して回る。1980年に事故死する次男サンジャイの子ども時代の話など、今となると痛ましい。インディラ・ガンディーの素顔を伝える貴重な歴史的文献だ。
(インディラ・ガンディー)
 ナスカの地上絵を一生かけて研究した女性マリア・ライヘとか、中国の風水師などにも会っている。武帝が天馬を求めた話は井上靖の本で日本人には知られるが、イギリスにも関心を持つ人がいた。中国雲南省に住み着いて植物を研究した人、フランスでテロを起こしたムスリムのサラ・ブグリン、ヒマラヤで雪男を求めたトレッキング、アフガニスタン哀歌という文は1980年に書かれている。ソ連のアフガン侵攻は79年だった。ドイツ人作家のエルンスト・ユンガーにも会いに行っている。こうしてみると、チャトウィンは意外にも社会的関心も強いことが判る。秘境を旅し、歴史のロマンに思いを馳せたというだけの人物ではない。やはり60年代、70年代の政治的激動期を生きていたのである。
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石田民三監督の映画を見るー「花ちりぬ」「むかしの歌」など

2022年07月03日 22時46分19秒 |  〃  (日本の映画監督)
 石田民三(1901~1972)という映画監督がいたが、ほとんど知られていないだろう。国立映画アーカイブで開かれている「東宝の90年 モダンと革新の映画史(1)」で6プログラムの小特集が組まれている。そこで入手できるニューズレター掲載の佐藤圭一郎石田民三小伝」が初の伝記だという。その小伝で触れられているが、1974年に当時のフィルムセンターで「監督研究ー清水宏と石田民三」という特集上映があった。それ以来の石田民三特集だから、48年ぶりになる。実は僕はその特集で「花ちりぬ」「むかしの歌」などを見たのである。どんな監督だろう、他に作品はあるのかと思いつつ、ほとんど上映機会もないままだった。
(石田民三監督)
 石田民三が活躍した1930年代後半には、すでに日本映画界では世界的な巨匠が活躍していた。まだ世界で認められてはいなかったけれど、溝口健二小津安二郎成瀬巳喜男らはキネマ旬報のベストワンになっている。他にも戦後長く活躍した内田吐夢田坂具隆豊田四郎などの作品がベストテンに並んでいる。48年前に同じ特集が組まれた清水宏も何本もベストテンに入選している。一方で、石田民三作品は一本も入っていないし、戦後映画界でもその名を聞かなかった。一体、どういう人なんだろうと思っていたが、今回見た作品を中心に簡単に紹介してみたい。

 代表作から書くことにするが、まずは「花散りぬ」(1938、74分)。この作品と次の「むかしの歌」は、「女の一生」「華々しき一族」などで知られる劇作家森本薫が脚本を書いている。文学的香りが漂う一因でもあるだろう。「花散りぬ」は画面に女性しか出てこない映画として知られている。(男声は出てくる。)同時代のアメリカにジョージ・キューカー監督「女たち」(1939)というエステサロンを舞台にした女性しか出ない映画がある。ペットの犬もメスしか使わなかったというエピソードがあるが、製作年を見ると「花散りぬ」の方が1年早いのである。

 この映画は元治元年(1864年)の京都・祇園の一角にあるお茶屋(京都で芸妓を呼んで飲食する店。東京で言う「待合」)の2日間を描いている。7月19日に起こった禁門の変(蛤御門の変)の前後である。長州が攻めてきて戦争になると大騒ぎで、お茶屋に来る客もいない。1年前の「八月十八日の政変」までは店に長州藩士も来ていた。お茶屋に生まれて外の世界に憧れる「あきら」(花井蘭子)は長州へ落ち延びる前に手紙を寄こした長州藩士を待ち望んでいる。一方、江戸から流れてきた「種八」は幕府ひいきである。あきらの母の茶屋の女将は、自分らには佐幕も勤王もない(言葉は違うけど)と言っている。
(「花ちりぬ」、左=花井蘭子)
 芸者の世界を描く映画はかなりあるが、客が全く出てこないのは珍しい、というか発明である。カメラはセットを自在に動き、芸者たちを描き分けていく。ただし、もう俳優を知らないので、なかなか見分けにくいが。町では避難する人で混雑という噂、そんな中で夜に戸をたたく音がするが、女将の命で開けない。それは誰だったのか。女たちのいさかいをていねいに描くが、小さな世界にも様々な人間がいて争っている。女将は新選組に呼ばれて帰らないが、あきらは長州の男を待ち続けている。石田監督は長年お茶屋に通い詰めていて理想のセットを作って1ヶ月の稽古をしたという。

 「むかしの歌」(1939、77分)は明治10年の西南戦争直前の大阪を舞台にしている。船場の船問屋兵庫屋のお澪(みお=花井蘭子)は許婚もいるが、実は自分が母の実の子ではないことを知って悩んでいる。ある日、町で倒れた娘を介護して家に連れてきて、その娘お篠山根寿子)をずっと家で面倒を見る。しかし、その篠こそが実の母が江戸で産んだ父親違いの妹だった。昔、頼まれて兵庫屋の子を産んだ母は江戸で芸者になり、旗本と結ばれた。没落して一家で大阪に移るが、夫は西郷軍に参加しようかと悩んでいる。そんな2つの家の細々として事情を、映画は美しい画面構成で描き出す。「浜辺の歌」のメロディが何度も流れて、郷愁を呼び起こす。もっとも「浜辺の歌」は1918年出版というから、大正ノスタルジーには向いても明治情緒の歌ではないけれど。ラストで兵庫屋は没落して、お澪は芸者に出ることになる。家の没落に揺れる女心を水の都の風情に描き出した心に沁みる名品である。
(「むかしの歌」、右=花井蘭子)
 「天明怪捕物 梟(ふくろう)」(1926、59分)と断片「おせん」(1934、17分)はそれぞれ東亜キネマ、新興キネマで作られた無声映画。「梟」はクレジットが欠落して石田作品じゃない説もあるという。何にせよ娯楽チャンバラ量産時代の無声だから、今は触れない。次の「夜の鳩」(1937、70分)は作家武田麟太郎の原作・脚本。浅草の小料理屋「たむら」の看板娘おきよ(竹久千恵子)は、もう年がたって容色の衰えを気にしている。兄嫁の経営方針で、亡父時代の格が失われたと嘆いている。憧れていた劇作家村山(月形龍之介)は今も通ってくるが、どうも妹のおとしに気があるらしい。雇いのおしげは義父と母の間で苦労している。浅草を舞台にした映画、一部ロケをした映画はかなりあるが、この映画のような小料理屋は少ないと思う。普通の風俗映画っぽいが、ジェンダー、ルッキズムなどの観点から見直す意味はあるだろう。
(「夜の鳩」)
 「あさぎり軍歌」(1943、81分)は戦時中の作品だから、冒頭に「撃ちてし止まん」と出る。しかし、内容的には軍部批判的なニュアンスが感じられる。八住利雄脚本。明治初頭、彰義隊前後の江戸が舞台である。旗本の国武三兄弟の生き様を描くが、長兄は芸者(花井蘭子)と結婚して勘当された。今は町人になって、大蔵組で武器を研究している。弟は海軍にいるが、榎本武揚が軍艦を蝦夷地に向かわせることに反対している。日本の軍艦を国内戦争に使うべきではないと言う。一方で兄廃嫡後の当主となった婿は彰義隊に入ろうとしている。長兄辰太郎はこれからは日本人は心を合せて異国と戦うべき時、国内で争う愚を説く。これがタテマエ上戦時下に適合するが、実際は最新武器も知らず精神論だけで戦うと言っている旧幕武士批判がどうしても当時の軍人批判に聞こえてくる。実際にこの映画で上野戦争のさなかに妻が琴を弾く場面が軍に批判され、映画が嫌になったという。

 「花つみ日記」(1939、72分)は大阪ロケも貴重な映画で、お茶屋の娘高峰秀子と転校生の友情を描く。今回はまだ上映がないが、神保町シアターで見たことがある。ガーリー・ムーヴィーの元祖みたいな逸品である。戦後は映画界に復帰せず謎だったけれど、通い詰めた京都・上七軒町(北野天満宮裏)の芸者と結婚し、上七軒の主だったという。芸妓は芸を売る仕事であって、その芸を磨くための「北野をどり」を始めて亡くなるまで座付作家だったという。戦時中にさびれた上七軒復興のため、上七軒芸妓組合を作って組合長になったというから本格的である。「花散りぬ」で助監督だった市川崑などが復帰を勧めて、その気もあったらしい。テレビ演出などもしたらしいが、結局本格復帰はならなかった。

 石田民三は映画の時間も短いように、「マイナー・ポエット」的な映画作家だったと言える。茶屋や芸者の世界につきものの、「色と金と欲」を描いてこそ本格的ドラマになるだろう。しかし、彼にとってお茶屋の世界はもっとロマンティックな情緒の世界であって欲しかったのだろう。凝った構図、映像美、見つめるカメラなどで、人間悲劇を見せる。そういう作風だったかに思える。それぞれの時代に石田映画のヒロインがいるようだが、一番は花井蘭子(1918~1961)だろう。「むかしの歌」の花井、山根姉妹は、1950年の「細雪」第一作でも繰り返された。戦後も脇役ではあるが重要な映画によく出ていたが、健康を害して42歳で亡くなった。戦前は正統的な美女という役回りで人気があったようだ。東宝に入る前には日活で人気女優だった。「花散りぬ」「むかしの歌」は二十歳前後だったが、花井蘭子の映画になっている。
(花井蘭子、当時のブロマイド)
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神道政治連盟議員懇談会の「同性愛差別冊子」問題

2022年07月01日 22時25分35秒 | 政治
 6月12日に開かれた「神道政治連盟国会議員懇談会」の席上で「同性愛差別冊子」が配布されたという問題が報じられている。一部マスコミしか報じてないので、スマホでも朝日新聞でも現時点では見ていない。まだ知らない人もいるかと思うし、記事でも「神政連」については深く触れていない。そこでこの問題を少し調べてみたいと思う。
(6月12日の会合、向こう側で起立しているのは安倍晋三会長)
 まず「神道政治連盟」とは神社本庁と関連の深い政治団体で、その主張を見れば「これが日本の右翼だ」というような項目が並んでいる。「憲法改正」「靖国護持」「男系天皇制維持」「戦争責任否定」などだが、その中に「夫婦別姓反対」などもある。その政治理念に共鳴する国会議員によって作られているのが、「神道政治連盟議員懇談会」である。

 ホームページを見ると、衆参合わせて263名が載っている。安倍晋三会長以下、岸田文雄首相、麻生太郎元首相、菅義偉前首相、茂木敏充幹事長、高市早苗政調会長、松野博一官房長官、林芳正外相、鈴木俊一財務相、萩生田光一経産相、野田聖子少子化担当相、岸信夫防衛相、さらに石破茂河野太郎小渕優子稲田朋美杉田水脈…内閣も党も、多くの問題議員も大体入っている。

 近年アメリカの最高裁が保守化しているが、それはキリスト教右派が支持したトランプ前大統領が保守派判事を任命したからだ。ロシアでもウクライナ侵攻をロシア正教が熱心に支持している。このようにイスラム世界だけでなく、世界的に宗教が政治を動かす力が強まっている。日本だけは違うと思っている人が多いと思うが、実は日本でも宗教界右派の影響力が強いのである。

 神政連議員懇で一番有名な「事件」は、2000年5月15日の「神の国発言」である。調べると、結成30年記念祝賀会を兼ねていたようだが、森喜朗首相(当時)が「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く」と述べて、国民主権に反すると批判されたのである。ウィキペディアには、前日に小渕恵三前首相が死亡して綿貫民輔会長が不在だったため森氏があいさつしたと出ている。いかにもウィキペディアらしく「天皇制そのものを否定する立場に立つ自治労や連合左派労組などの左翼団体、およびそれらの団体を支持母体とする民主党などから激しい反発が起きた」などと記述されているが、神政連を中心に右翼的政治を進めてきたことを自賛しているのは間違いない。

 今回は配布された冊子が差別だと批判されている。松岡宗嗣氏の記事から引用すると、「同性愛は心の中の問題であり、先天的なものではなく後天的な精神の障害、または依存症です」「(同性愛などは)回復治療や宗教的信仰によって変化する」「世界には同性愛や性同一性障害から脱した多くの元LGBTの人たちがいる」「LGBTの自殺率が高いのは、社会の差別が原因ではなく、LGBTの人自身の悩みが自殺につながる」「性的少数者のライフスタイルが正当化されるべきでないのは、家庭と社会を崩壊させる社会問題だから」などの、現在では科学的に全く否定されている言辞が連続している。
(楊尚眞「同性愛と同性婚の真相」)
 その時に配布されたのは、弘前学院大学の楊尚眞氏の「同性愛と同性婚の真相を知る」という講演録らしいという。その冊子は見つからないが、同じ楊尚眞氏による「同性愛と同性婚の真相」という本をAmazonで売っていた。22世紀アートという出版社から、214頁のペーパーブックと電子書籍が出ている。著者の楊尚眞(ヤン・サンジン)氏は米ニューヨーク州立大学バッファロー校を卒業した後、シカゴ神学大学院牧会学専攻牧会学博士課程を修了、引き続きシカゴ神学大学院キリスト教教育学専攻哲学博士課程修了となっている。その後、在日大韓キリスト教会(東京教会伝道師・副牧師、京都南部教会担任牧師)、米国長老教会(シカゴ中部韓国人教会教育牧師、シカゴミッドウエスト長老教会教育牧師)と弘前学院大学のホームページに出ている。

 著者は在日韓国人のキリスト教神学者と思われ、「神道政治連盟」とは相反する宗教的立場に思われる。しかし、自民党右派は昔は統一協会系の勝共連合と深い関係を持っていた過去がある。韓国系キリスト教とはなじみがあるのかもしれない。今回あまり大きな問題になっていないのは、要するに外部の「学者」の冊子が配布されただけだからだろう。政治家のもとには、いろんなパンフや本が送られてくるだろうが、大部分は読まれないだろう。この著者の考え方に同意した発言があったというわけでもない。
(神政連レポート「夫婦別姓問題を考える」)
 しかし検索したら、神政連レポート「夫婦別姓問題を考える」の画像が出て来た。つまり、神政連の懇談会に行くと「お土産」があるわけである。それは読まないかもしれないが、何か事あれば手に取って「教科書」にする可能性はある。これだけ有力政治家が入っている会だから、そこで配布された文書に則っていれば党内では問題にならないと考える議員もいるだろう。それに、こんな本を配布する人々に自民党の大部分が取り込まれているという事態は恐ろしい。今どき「同性愛は依存症」などと書いてあるものを配るなど、日本はチェチェンかという感じ。内容の荒唐無稽性はここで詳しく解説するまでもないだろう。
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