ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

志賀城視察@長野県佐久市

2019年05月20日 09時31分15秒 | 思ったこと
 500年ほど前、今の山梨から武田軍が佐久を攻めてきた。それに対抗するために佐久にはあちこちに山城がある。そのうちの1つに志賀城がある。ちなみにこの志賀という地名は志賀高原が有名だけど、そこは佐久の志賀に住んでた人が開発したからそこに志賀という名前がつけられた。そんな話を佐久に住んでから知った。


志賀城跡周辺@長野県佐久市


 志賀城の地元業者が地域を盛り上げようとして志賀城に車で行けるように道を作り出した。初めは唐松伐採のための道かと思った。兎に角実行力のある人だ。周辺の土地を買収したり市役所や市長と相談したりしてあれよあれよと言う間に道が出来ていった。その人、年齢が80過ぎ。自ら重機を操って朝から夕方まで毎日工事。周辺は凝灰岩の垂直の岸壁があちこちにある。途中に行く手を阻む大きな岩壁があればダイナマイトで崩し落とした。

 身近に山城マニアな人が居て山城というのは周辺の地形を含めて評価するものだと言う。まぁ確かにそうかもしれない。でもただ放置しててもやがて風化して跡形も無くなってしまいそう。


稜線直下は岩壁がずっと続く


 そのうちにその工事は他の山城マニアの知るところになり今は工事中断。中断した直接の理由は無許可なんだけど今から許可が出る可能性はある。なんたってまるで勝手に進めてきたわけではないからだ。マニアは元に戻せと言ってる。だけど復旧は無理だしもし可能だとしてもそんなコストをかける価値は無いだろうなぁ。なんて書くと「だから無学な者は…」と叱られちゃいそう。


稜線に向かう道路建設中@雲興寺の反対側


 そんな志賀城を視察。そこに行くには麓の雲興寺からなんだけど道が良く分からない。丁度お寺の人が居たので道を教えて貰った。15分くらい登ると山の稜線に出た。そこから高い方に歩くけど素人目には目立った物は見えない。でもヨメは山城マニアの人とここを歩いてるので説明が出来るようになっていたので単なる散策に終わらずに済んだ。


素人目にも分かる人工物


 上の写真、人工物だというのは分かるけどそれが城に関係してるかどうかは知識が無いと無理。50年くらい前までこの辺りは養蚕のための桑畑だらけだった。桑畑は山の中腹にもあるからこの石垣は桑畑が崩れないようにするための物なんて考える事も出来る。下の写真、階段状になってる地形は自然に出来たものではなく戦うためにわざわざこうしたらしい。でも当事よりは風化しちゃっててなだらかになってるはずだ。だとすると戦う山城の面影は無い。


自然に作られた地形ではない


 城跡周辺は風化が進んで何が何だか分からないけど、学校が休みの時期になると遠い所からここを調べに来る学生がやってくるそうだ。雲興寺と反対側は良く行くけどその辺りでそんな学生や城マニアなど研究者なんて見たことが無い。なので誰も来ない所だと思っていたので意外だった。ちなみに城跡周辺から破壊された部分は見えなかった。





 歴史の事には無知だけど、お寺の人に私が嫁いだ頃はこの辺りは桑畑だったなんて聞くと色々と興味が湧いてくる。そもそも武田軍は何処を歩いて来たんだろ。今の小海線沿いかな。当時、甲斐の国だの信濃の国なんていうはあったのかな。それにしても隣の山梨県から刀や槍を持って攻めてくるなんて恐ろしい時代があったんだなぁとシミジミ。平成の大合併なんてのがついこの間あったけど、戦国時代の合併は恐ろしいの一言に尽きる。





 最近、看護婦が看護師に変わったりする。看護する人は女性だけではないという主張らしい。でも城好きの女性を城女とか言うらしい。他にもナンチャラ女子なんていう新しい言葉が産まれる不思議。で、俺は今日から城男かというと、それは単なるジョウダン。
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これは登れるかなと思ったが…@ビッグプレゼント(5.12b)有笠山

2019年05月20日 09時23分39秒 | 山とか壁を登る、その他運動
 有笠山のサンダンスエリアに18年前に1度来ててその時にこのビッグプレゼント(5.12b)を触ってる。まるで登れる気がしなくて敗退という記憶だけが残っている。

 そんなわけでオンサイト・トライではないけどそんなつもりで登ることにした。核心はボルト5本目辺りで後はウイニングロードと踏んで出かけた。ボルト6本目までクリップした所でレストポイントがあった。後は落ち着いて行けばと思ったけど7本目の所で落ちちゃった。ヌンチャクがかかってたら違ってたかなぁと悔しかったけど、実は本当の核心はそこからだったというオチ。登ってみるとけっこう難しい。なのでそれが分かって落ちた悔しさは一瞬にして消滅。また修行して出直しだ。


ヨメがぶらさがってる辺りで落ちた






 このルート、2012年にボルトが抜けたそうだ。それを知ったのは去年くらいなんだけど、その後誰かがリボルトしてくれたとあったのでこうして登ることが出来た。何処の誰だか知らないけど感謝。でも有笠に限らないけど怪しく錆びているボルトは多いので気をつけないといけない。といってもどう気をつければ良いのか具体的には良く分からない。勘、だな。
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