五三の桐は豊臣秀吉の家紋です。
木ノ下藤吉郎の時は妻のねねの養家浅野の家紋、沢瀉紋(おもだかもん)を使っていましたが、織田信長から桐紋が下賜されました。
信長は足利義輝から下賜されたもので、元々は天皇家が使用しています。
貢献した武家に桐紋を下賜されるという慣例があったそうです。
そこから中央に5枚の葉のついた桐、左右に3枚葉の桐は関白就任時、秀吉が創作したそうです。
ファニー メンデルスゾーン(1805-1847年)
自由都市ハンブルグ生まれ、プロイセン王国ベルリン没。
フェリックス メンデルスゾーン(1809-1847年)
の姉。
裕福なユダヤ人の銀行家の父の元に育ちます。母の一族はCPEバッハのパトロンの一族で、音楽が根付き、フェリックスとともに音楽教育を受けて育ちます。
しかし、父は女性が職業を持つことに拒否感があり、「お前は弟の天才が理解できるのだから、それで満足しなさい」と言っていたそうです。
フェリックスも積極的に応援はしませんでした。
しかし歌曲ほとんどはファニーが作曲していて
イギリスのヴィクトリア女王
が、「イタリア」を愛唱していて、フェリックスが謁見したときにその歌を称えられたので、「実はその曲は姉が作曲したのです。」と伝えたという逸話が残っています。
1829年宮廷画家のヴィルヘルム ヘンゼル(1794-1861)と
結婚します。
彼はファニーの才能の理解者です。1838年彼に説得されてファニーはピアニストとしてデビューします。
また作曲、楽譜の出版に取り組むようになりました。
1847年弟のカンタータ「最初のワルプルギスの夜」のリハーサル中に脳内出血のため倒れ亡くなりました。
半年後フェリックスも、姉の遺稿を整理中に同じ脳内出血に倒れ亡くなります。
600曲もの曲を作曲し、歌曲、ピアノ曲が多く、無言歌は彼女の考案によるものだと最近の研究で明かされています。
音楽史的にも、その後の歌曲ブームに続く功績も見直されています。