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椿姫

2022-01-23 13:58:04 | ロマン派
肥後椿は紅白の割合が美しいです。

椿姫はアレクサンドラ デュマ フィス(1824-1895年)

の小説です。
父はアレクサンドラ デュマ、三銃士やモンテ・クリスト伯を書きました。

父と区別するために小デュマと呼ばれています。

小デュマはパリで大デュマの私生児として生まれます。

7歳で認知され、母と引き離されパリ9区で最高の教育を受けて育ちます。

20代は父の財産で遊び暮らします。

20歳で1844年クルチザンヌと呼ばれる高級娼婦マリー デュプレシと出会います。

彼女は7人のパトロンを持っていたと言われています。
しかし出会ってすぐに彼女は23歳で肺結核で病死してしまいます。

1848年、彼女との思い出を小説に書き出版すると、すぐに戯曲化を勧められ、1850年舞台で上演され、大成功します。

以来、アカデミー フランセーズに入り、経済的にも文学界でも大きな力を持ちました。

1851年オペラ「椿姫」は、ジュゼッペ ヴェルディ(1813-1901年)がこの戯曲を見て感激し作ったものです。


当時歌手ジュゼッピーナ ストレッポーニと
同棲していたヴェルディは、故郷の人々や、パトロンに冷たい目を向けられていました。
彼女にはすでに三人の私生児がいて、「椿姫」にヴェルディが共感したのは彼女がいたからではないかと言われています。

娼婦が主人公だと検閲が通らないので「トラヴィアータ」(堕落した女)とさげずむ要素を題名に加えたことで通したということです。

愛するアルマンから椿姫は身を引いて、死んでしまい、小説ではアルマンは絶望して墓守りのような生涯を送っています。

ジュゼッピーナはフランス語のできないヴェルディに代わって交渉を行い、生涯ヴェルディを支え続け、死後の資料管理も徹底していたそうで、ヴェルディの成功に多大な影響を与えました。

一方小デュマの方も、ロシア貴族の妻を迎え、子どもを二人もうけ、子孫が今も活躍しています。