鮮烈な映像感覚などというとチンプになるが、一見前後の脈絡なくヘリコプターショットが登場したかと思うとそれがいつの間にか屋敷の敷地の広大さの表現になだれこんだり、坂道のえんえんたる移動を路面を傘が飛ばされるクイックカットにつなげたり、白黒画面に赤一色のカラー画面をワンカットだけ投げ込んだりと惜しげもなくエキセントリックなくらい感覚的な表現を繰り出してくる。
篠田正浩監督の「あかね雲」が同じような白黒画面に雲だけ赤くカラーで染めたカットを挿入する処理をしていたので調べたら、こちらの蔵原惟繕監督作は1967年の2月18日公開、「あかね雲」は同じ年の9月30日公開。影響というには時間がなさ過ぎるし、あちらは松竹=表現社(第一作)で、こちらは日活。感覚的な演出を得意とする同志が半ば偶然だぶったか。
三島由紀夫のヒロインがひたすら悶々と過ごすメロドラマの人工性に映画的文体で挑むといった趣。
しかし今の金持ちって、こういう具合に自分の家に使用人を置いていたりするのかな。昔からの金持ちはともかく、ヒルズ族以来にはそういうイメージないが。