国立映画アーカイブの上映前に音声のボリュームレベルが低いのは元からの指定によるものという意味のアナウンスがあったけれど、これがなかったら確実に上映ミスだと思ってクレームをつけに行っていただろう。
それくらい音が小さくて、セリフもまるで聞こえず、効果音もついているのかどうかわからないくらいの実験的な作り。
完全なサイレント映画というのならまだわかるのだが、なまじっかぼそぼそ言っているのはわかるので正直かなりのストレスになる。
本当にここまで小さいのかとも思ったが、初公開('80)当時の批評からも、監督の矢崎仁司がデジタルリマスターDVDのHPで「聞こえてくる音を幽かに残し、『観る』ことの映画を作りたかった。上映中の音量を下げるために、すべての上映に付き添った。」と書いていることからもあれでいいらしい。
上映されたのはデジタルリマスター版で、リマスターにあたったスタッフもエンドタイトルに出た。
しかし監督がすべて上映に付き添うとは、自主映画らしい。というか、それができるのが物理的にできるできないは別として本当という気もする。
日本の同性愛映画としてはエポックメーキングな作品だと早稲田大学のLGBTQ映画展の展示で紹介されていた。
同じ頃('79)カナダ人のクロード・ガニオンが日本の若い女性(スズキケイコという思いきり平凡な名前にしてある)を主人公にして、日本人が気づかない日本の日常を描いた「Keiko」でも自然に同性愛が出てきて、日本の若い女性の仲のよさというのは外国人には同性愛的に見えるのではないかという意見も出ていた。
今の目で見ると、同性愛自体それほど特殊でもタブーでもないので、当時のちょっと気だるいようなリアルな日常の空気感を定着させたものと見える。
出だしでシャボン玉を吹いている女の子の髪型が中森明菜みたいと思ったら、明菜は1982年5月1日デビューなので逆に当時の髪型に寄せていたということか。
協力タイトルに山本政志など後年も映画に携わり続けている名前が散見する