先日岐阜県の揖斐川町コミュニティバスに関する記事を公開した際には、旧名鉄谷汲線駅舎と、かつて活躍していた車両が保存されている事にも触れましたが、MAKIKYUが谷汲山でバスを乗り継ぐ際には、乗り継ぎ時間に余裕があった事もあり、旧谷汲駅舎と保存車両を視察する機会がありましたので、少々取り上げたいと思います。
旧名鉄谷汲線・谷汲駅は旧谷汲村(現在は揖斐川町に合併)の中心部に位置し、現在谷汲地区を発着する揖斐川町コミュニティバスのターミナルになっている谷汲山停留所からも徒歩で数分、また樽見鉄道谷汲口駅からのバスで谷汲山の一つ手前の停留所「谷汲」の目の前にあります。
谷汲線の末期は名鉄一の閑散路線で沿線も非常に侘しく、現在谷汲の地では鉄道(少々離れた谷汲口駅を発着する樽見鉄道はありますが…)はおろか路線バスすら廃止→コミュニティバスに転換、また谷汲線のルートを辿る代替バスも路線廃止となっている状況です。
そのため趣味的には非常に面白く趣のある路線であった半面、MAKIKYUが廃止確定後の末期に一度だけ乗車した際には、21世紀初頭まで残り、それも概ね1時間間隔で列車が運行されていた事には感心させられた程です。
その使用車両も末期は専らモ750形と呼ばれる戦前製の古豪が用いられ、時にはこれまたモ750形に劣らぬ相当な年代物の、丸みを帯びた優美なスタイルを誇るモ510形と呼ばれる車両も運用される状況でした。
谷汲線廃止後もモ750形は21世紀まで生き延びた希少な古豪という事もあって、谷汲線廃線時まで活躍した車両の内1両(モ755号)が谷汲駅跡に保存されており、もはや稼動する事は叶わないものの、現役時代を上回る程の美しい姿となっているのは喜ばしい限りですが、末永く良好な状態で保存するには止むを得ないとはいえ、車両上部に設けられた屋根の支えが車両側面にもあるために、全貌を眺めたり、現役時代さながらのシーンを撮影するのが難しいのは難点です。
また谷汲線廃止の頃には想像できなかった事ですが、その後谷汲線と接続していた揖斐線・黒野~忠節間と岐阜市内線も2005年に廃止となっており、これによって用途廃止となったモ510形(514号車)も新たに保存車両に加わっていますが、こちらは比較的撮影しやすい状況となっているのは喜ばしい事です。
あと旧谷汲駅跡は現役当時の車両だけでなく、駅舎や駅構内の表記なども現役時代さながらの状況ですので、今でも電車が発着していても…という雰囲気を漂わせており、駅構内こそ架線が撤去されている他は往時のままといった印象ですが、駅舎の看板は「赤い電車(旧)谷汲駅」(現行ロゴ入りの名鉄谷汲駅看板も駅舎内には存在していますが…)となっており、駅構内を外れた所で線路も途切れている様を見ると、随分寂しいものです。
ちなみに谷汲駅舎は現役時代末期の運賃表なども残っており、これを見ると現在の谷汲は鉄道廃止後、岐阜・名古屋方面との公共交通のアクセスが随分不便になったと感じさせられ、今では随分足を伸ばし難い状況の谷汲ですが、「MAKIKYUのページ」をご覧の皆様も岐阜を訪問され、樽見鉄道や養老鉄道などに乗車される機会がありましたら、是非揖斐川町コミュニティバスで谷汲の地を訪れ、「赤い電車(旧)谷汲駅」で谷汲線が走っていた頃を偲ばれてみては如何でしょうか?
ついこないだまで(感覚的にですが)あの過疎地域を走っていたのだから本当に驚きです。
一方黒野以岐はまだ頑張れたような気もするので今でも悔やまれます。
北方千歳にこの谷汲電車を利用したパン屋さんがあり、黒野在りし日に訪れたことがありますが、台車は無いものの、室内保管だからか緑のボデーはとても綺麗でした。
谷汲駅にある保存車両の状態が良好な事、それと比較的近年まで谷汲線が走っていたのは驚き…という事はこちらも同感ですが、谷汲駅の保存車両の状態の良さを見ると、谷汲口駅前にある旧型客車(今日の記事で取り上げています)の状態の悪さには閉口させられます。
また黒野以東や美濃町線は、廃止そのものが不適切だった気がしますし、旧揖斐線沿線の北方辺りも随分影響が出ている様で、樽見鉄道乗車中に話をした地元住民の方もボヤいていた状況でしたが、揖斐・美濃町線で活躍した車両は、一部の老朽車を除いて第2の地で再活躍している事(先日の記事で取り上げた車両などが該当しますが…)がせめてもの救いです。
あとこちらは北方の街中を歩いた事は無く、機会があれば旧型車両の車体を活用したパン屋への訪問も面白そうですが、揖斐線無き今は交通アクセスの悪さが辛い所ですね。