還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

復帰して1週間

2011年03月12日 | 日記
大変な大地震が発生しました。震度の大きさだけではなく、津波の怖さをひしひしと感じました。
放射能漏れも心配です。
被害に遭われた方に、心よりお見舞い申し上げます。
被害に遭われた方々にどのようなご協力ができるのか、考えていきたいと思います。

比較的震源に近かった阪神淡路大震災の時、我が家周辺では震度5強で経験した地震では最大のものとなり、家の内壁3箇所にヒビが入りました。
しかしこのくらい、直すほどでもないと判断したので、今もそのままになっています。
それを見るたびにあの地震を思い出すので、風化させないためにもかえって良かったのかもしれません。
外壁のヒビははモルタルの経年変化によるひび割れと区別がつきませんでしたが、3年前リフォーム時に修理しました。

現在期末が近づくとともに仕事が少し忙しくなってきており、投稿間隔が空いていますがこの記事より社会復帰です。

生まれて2回目の病気療養生活も終わり、社会復帰初日となりました。
過ぎ去ってみると、早いもので・・・・
健康診断で心雑音を指摘され、精密検査を勧められたのが4月。
指示ではなく勧告のレベルでしたので全く危機感が無く、あれが済んでからこれが済んでからと後回しにして、近所のヴォーリズ記念病院循環器科で受診したのが6月28日。
心エコーにより僧帽弁閉鎖不全症(重傷度は中等症よりやや悪く、おそらくレベル3)を指摘され、手術の出来る滋賀医大心臓血管外科の紹介を受ける。
滋賀医大で再度検査を受け(重傷度は重症)、手術を勧められる。
手術かぁ・・・・少し意識が遠くなりかけましたが、気を取り直しその場でエイヤッと決断したのが6月30日。
入院、手術日程を決めたのが次の受診日の8月23日。
入院したのが9月7日で、その日より毎日検査。
手術が9月14日で翌日ICUを退室。
退院したのが術後十日目の9月24日。
そして初出勤が退院1ヶ月後の10月25日となり、今思うとなんとも慌ただしい半年でありました。

休職に入る前に電車の定期券を解約していたので、新しく定期券を作りました。
自宅療養中は早くても7時起床だったのが、これからは5時15分起床です。
電車を降りると顔見知りに出会ったので、いろいろしゃべりながら会社へ。
仕事は8時ちょうど始まりなのですが、7時55分からラジオ体操があります。
体操は自由参加ですが、私は当分お休みします。

パソコンを立ち上げてメールを開けると、思ったよりは溜まっていませんでした。
100件足らずだったかな?
最後の出勤日に当分病気で休むことを、上司から関係先に連絡してもらっていました。
さらにメールの設定をいじり、11月いっぱい不在通知としました。
もっともこの設定は有効にならなかったのですが、一応解除しました。

メールを一通り読みましたが、今さら私が処理しなければならない案件はないはずなのでほとんど読みっぱなし。その後(あわてずゆっくり)机に溜まっている書類を整理しているうちに1日が終わりました。
初日は私の復帰を知った同僚達が入れ替わり立ち替わり、他の職場からもやってきました。おかげで何度も同じ話をするハメになりましたが、それはうれしかったですね。
初出勤は月曜日でしたが、水曜日までこの状況は続きました。

しばらくは残業しないつもりでしたので、終業のチャイムと同時に帰宅準備。
しかし帰りの電車では疲れが出て途中眠ってしまいました。火曜日も帰りの電車では寝ましたが、水曜日からは起きられるようになりました。
昼の社員食堂ではメニューの列に並ぶのですが、うどんとラーメンの列を間違えたり、なかなか感覚が戻りません。

月と火曜日は慎重にゆっくりと体をいたわりながら仕事していましたが、慣れてくるとついつい大胆になってしまいます。水曜日は体を左にひねる動作を繰り返したため、胸がけっこう痛くなり、まだまだということを思い知らされました。当分は気をつけます。

そして週の終わり、金曜日は計画休暇を取り休ませてもらいました。
私の勤務先では間接部門に計画休暇制度があり、3カ月ごとの初めに計画休暇日を申請することになっています。初出勤の日に金曜日の休暇を申請しました。
したがって復帰一週間目は4日間の出勤でしたが、思った以上に疲れましたので休んだのは正解でした。