還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

常夜燈コレクション

2021年12月16日 | ウォーキング
ウォーキングと言うほど本格的ではないのですが、大津市内を歩いてみました。天気も穏やかでしたし、最後には目的の常夜燈にたどり着くことが出来ました。

まずは京阪浜大津駅に出て南進し、京町一丁目交差点で左折、東に進みます。
スマホでグーグルマップを見ながらです。

この交差点を基準にすると、
南方面は東海道で京都へ。
東方面も東海道で東京へ。
西方面は北国海道で福井県へ。
北方面はその昔は狭い路地でしかなかったそう。

この京町一丁目交差点を昔は札の辻と言い、江戸時代は高札場でした。

東海道をひたすら東進、途中でレストランに差し掛かり、時計を見ると12時直前だったので予定とは少し違いましたが・・・・

そのお店に飛び込んでお昼ご飯。その後再び東に進むと、右に県庁とNHKの建物が見えました。

しばらく行って、踏切を渡って右に折れ(東海道とはお別れ)、学校の横を通り、粉もんの店をやり過ごしてくねくね歩いて、義仲寺に寄ろうと思ったのですが、道を間違えてしまい行き過ぎてから間違いに気がついた・・・・^^;;;

と言うことで、義仲寺はまたいずれ。気を取り直して今回是非とも行きたかった小舟入(こぶないり)の常夜燈に向かいます。

小舟入の常夜燈

この辺り、江戸時代は港で水運が盛んでした。入港する船の目印(燈台)になっていたようです。写真の両脇にビルやマンションが見えますが、江戸時代は琵琶湖だったのですね。
ちなみに1808(文化5)年の建立です。

時代は下って1880(明治13)年に国が鉄道を敷設しました。

この辺りは入江になっていましたが、線路部分だけ埋め立ててレールを敷きました。そして船が出入りする部分は橋を架け、水運に支障がないようにしたようです。その名残ですね。

他はほとんど埋め立てられて住宅地になったりしていますが、この部分だけ歴史の生き証人として残したのかもしれません。

いまは京阪電鉄石山坂本線ですが、当時は東海道線でした。ちなみに琵琶湖は何度も埋め立てられて、現在のなぎさは線路からは200m弱離れています。

最後に・・・記事のタイトルがコレクションなので^^;;;
他の常夜燈を載せておきます。

逢坂の常夜燈

2020年4月撮影

草津追分の常夜燈

2021年10月撮影