ウォーキングと言うほど本格的ではないのですが、大津市内を歩いてみました。天気も穏やかでしたし、最後には目的の常夜燈にたどり着くことが出来ました。
まずは京阪浜大津駅に出て南進し、京町一丁目交差点で左折、東に進みます。
スマホでグーグルマップを見ながらです。
この交差点を基準にすると、
南方面は東海道で京都へ。
東方面も東海道で東京へ。
西方面は北国海道で福井県へ。
北方面はその昔は狭い路地でしかなかったそう。
この京町一丁目交差点を昔は札の辻と言い、江戸時代は高札場でした。
東海道をひたすら東進、途中でレストランに差し掛かり、時計を見ると12時直前だったので予定とは少し違いましたが・・・・
そのお店に飛び込んでお昼ご飯。その後再び東に進むと、右に県庁とNHKの建物が見えました。
しばらく行って、踏切を渡って右に折れ(東海道とはお別れ)、学校の横を通り、粉もんの店をやり過ごしてくねくね歩いて、義仲寺に寄ろうと思ったのですが、道を間違えてしまい行き過ぎてから間違いに気がついた・・・・^^;;;
と言うことで、義仲寺はまたいずれ。気を取り直して今回是非とも行きたかった小舟入(こぶないり)の常夜燈に向かいます。
小舟入の常夜燈
この辺り、江戸時代は港で水運が盛んでした。入港する船の目印(燈台)になっていたようです。写真の両脇にビルやマンションが見えますが、江戸時代は琵琶湖だったのですね。
ちなみに1808(文化5)年の建立です。
時代は下って1880(明治13)年に国が鉄道を敷設しました。
この辺りは入江になっていましたが、線路部分だけ埋め立ててレールを敷きました。そして船が出入りする部分は橋を架け、水運に支障がないようにしたようです。その名残ですね。
他はほとんど埋め立てられて住宅地になったりしていますが、この部分だけ歴史の生き証人として残したのかもしれません。
いまは京阪電鉄石山坂本線ですが、当時は東海道線でした。ちなみに琵琶湖は何度も埋め立てられて、現在のなぎさは線路からは200m弱離れています。
最後に・・・記事のタイトルがコレクションなので^^;;;
他の常夜燈を載せておきます。
逢坂の常夜燈
2020年4月撮影
草津追分の常夜燈
2021年10月撮影
まずは京阪浜大津駅に出て南進し、京町一丁目交差点で左折、東に進みます。
スマホでグーグルマップを見ながらです。
この交差点を基準にすると、
南方面は東海道で京都へ。
東方面も東海道で東京へ。
西方面は北国海道で福井県へ。
北方面はその昔は狭い路地でしかなかったそう。
この京町一丁目交差点を昔は札の辻と言い、江戸時代は高札場でした。
東海道をひたすら東進、途中でレストランに差し掛かり、時計を見ると12時直前だったので予定とは少し違いましたが・・・・
そのお店に飛び込んでお昼ご飯。その後再び東に進むと、右に県庁とNHKの建物が見えました。
しばらく行って、踏切を渡って右に折れ(東海道とはお別れ)、学校の横を通り、粉もんの店をやり過ごしてくねくね歩いて、義仲寺に寄ろうと思ったのですが、道を間違えてしまい行き過ぎてから間違いに気がついた・・・・^^;;;
と言うことで、義仲寺はまたいずれ。気を取り直して今回是非とも行きたかった小舟入(こぶないり)の常夜燈に向かいます。
小舟入の常夜燈
この辺り、江戸時代は港で水運が盛んでした。入港する船の目印(燈台)になっていたようです。写真の両脇にビルやマンションが見えますが、江戸時代は琵琶湖だったのですね。
ちなみに1808(文化5)年の建立です。
時代は下って1880(明治13)年に国が鉄道を敷設しました。
この辺りは入江になっていましたが、線路部分だけ埋め立ててレールを敷きました。そして船が出入りする部分は橋を架け、水運に支障がないようにしたようです。その名残ですね。
他はほとんど埋め立てられて住宅地になったりしていますが、この部分だけ歴史の生き証人として残したのかもしれません。
いまは京阪電鉄石山坂本線ですが、当時は東海道線でした。ちなみに琵琶湖は何度も埋め立てられて、現在のなぎさは線路からは200m弱離れています。
最後に・・・記事のタイトルがコレクションなので^^;;;
他の常夜燈を載せておきます。
逢坂の常夜燈
2020年4月撮影
草津追分の常夜燈
2021年10月撮影