還暦直前に心臓弁膜症(僧帽弁閉鎖不全症弁形成術体験記)

還暦を目前にして滋賀医大の浅井徹先生の執刀で僧帽弁形成術を受けました。
私の体験が同病の方の参考になれば幸いです。

手術翌日--9月15日(水)-2

2010年11月13日 | 入院(手術~ICU)
この日1日もものすごく濃い日になりまして、夕食後知り合いにメールするまでの中身の濃かったことと言ったらなかったです。
もうメールしたのか? と思われそうですが、1人にだけ何とか・・・・
意識があるだけ、手術当日より大変な1日だったかも。

やがて朝食が運ばれてきました。
看護師さんがベッドを起こしてくれましたが、ものすごい目眩がするではありませんか。イヤ、これは参りました。これはたまらないので元の位置まで戻していただきました。
すると目眩は治まりましたが、これでは食事ができません。いやはや困ったものです。
もう一度ゆっくりとベッドを起こしてもらいましたところ、ある角度以上で目が回ることがわかりました。ギリギリのところで食事を摂ることにし、あらためて食事を眺めてみると普通のパン食でした。
えー、いきなり普通のパン?
術後食? というものはないようです。
ヨシと気合いを入れてパンを一かじりと牛乳を一口飲みましたが、それ以上は食べられませんでした。もういいです・・・・食事は片付けられました。

その後うれしいお話が・・・・
水分摂取量の制限ですが、入院時にもらったスケジュールには
術後1日目は500ml、翌日800ml、翌々日1200ml、4日目以降制限無し、となっていました。
摂取水分量の測定は朝食時に開始するそうです。
目覚めてからの水分摂取量は300mlだったそうですが、この朝食でリセットされ次は800mlかと・・・・ところが、もう水分は制限無しになりました。
うれしーーーーい。
飲み放題です(笑)

食後いよいよ投薬が始まりました。どれだけの薬を飲んだのか覚えていませんが、やっと痛み止めの薬にありつけました。痛み止めが効くまでおよそ1時間かかりましたが、待ち遠しかったですね。

またしばらく横にしてもらっていると浅井先生がお越しになり笑顔で、
手術は大成功です、時間も予定の半分でできました。
と仰いました。続けて胸部と腹部のレントゲン撮影と体重測定。レントゲンは乾板を体とベッドの間に敷いて撮影、体重は体をハンモック状のものに吊して測定です。
なんだか生け贄にでもなったような?
体重は56kg、術前より3kg増えています。尿量が1kg余りでしたから点滴などが4kg体に注入されたわけですね。

さて、その後・・・・
右肺が気胸になり潰れていることがレントゲンにより判明したのです。そういえばなんとなくあまり息が吸えない感覚はありました。息するのも胸が痛いので、吸えないのは痛みのせいかと思っていたのでした。
浅井先生の指示により胸腔ドレーン留置が決定し、ベッドの上で処置が始まりました。
ドレーンの管は細い方を入れることに。
細羽先生が処置をしてくださいました。
どのような方法や手順かは良くわかりませんでしたが、胸腔近くまでメスが到達すると痛み止めが届いていないので、歯を食いしばり痛みに耐えていました。
「ぐぐぐぐ・・・・」
やがてプシューという音がしました。
空気が抜けた音だったのですね。これで肺が拡がったものと思われます。
処置が終わると痛みはすっかり消えました。処置時間は30分ほどでした。
痛みが消えたのは、痛み止めのおかげだと思います。
術後はこうやって必ずレントゲンを撮るそうです。これはルーチンですと・・・・
胸腔ドレーンはわずかな陰圧で吸引して肺を膨らませています。その間に肺胞が自然に治るのを待つわけです。
吸引する空気がドレーンパックの水封用の水中を通るためにポコポコ音を立てています。
大丈夫、すぐ治りますから、とは言って下さいましたが・・・・

さて、ICUの退室時刻は早い方で午前10時、大半の患者は朝のうちに病棟に戻られました。私と同室だった方の名前も呼ばれていたので順調に回復されたようでした。
というわけで私は置いてきぼりを食ったわけですが、午後2時には病棟に戻れることになりました。

昼前に妻が面会に来ました。でもまだ余りしゃべれないんですよね。
弁形成後に浅井先生から撮影画像で説明を受けたことや、心房中隔欠損のことなどを聞きました。
その他、手術中どうやって時間をつぶしたかとか。

昼食も余り食べられませんでした。やはり普通食でしたが、半分も食べたかどうか。


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