山科疏水とは・・・・琵琶湖疏水の流路のうち、山科区を流れる流路を指しています。
過去には何度も、山科疏水沿いで花見したりウォーキングをしていますが、全て安朱橋から東の方。
今回初めて、安朱橋から西を向いて歩きました(4月6日)。
これで3年続いて山科で花見ウォーキング(^O^)
山科駅で降りて、まずはコンビニでお弁当とお茶、おやつを仕入れ安朱橋を目指します。安朱橋まで歩きで10分あまり。
安朱橋から東を見る(上流)
桜が満開です。上流側は桜が途切れません。広場もあり花見の人気スポットです。
同じく安朱橋から西を見る(下流)
桜は少なめ、もうこの時点で正午を過ぎていたので、数分後にはシートを広げてお昼にしました。
休んだ後、シートをたたんでウォーキング再開。
距離標
琵琶湖まで6kmとありますが、反対側は琵琶湖から6kmと書かれています。このような距離標は至る所にありました。
展望広場より
JR東海道線と京阪京津線が並行しています。6キロの距離標からは3分後です。
馬酔木
山科疏水の西側は東側に比べると桜は少なく、公園などほとんど無いので、家族連れは見ませんでした。ウォーカーばかりでしたね。
ヤマブキ
鳥の名前はわかりません^^;;;
第2トンネル入口
扁額は「仁以山悦智為水歓」 by 井上馨
第2トンネル出口
扁額は「随山到水源」 by 西郷従道
西郷従道は、西郷隆盛の弟です。
第3トンネル手前の橋
日本初の鉄筋コンクリート橋です。
本邦最初鉄筋混凝土橋と記された石碑が近くにあります。
そこからまもなく第3トンネル入口
扁額は「過雨看松色」 by 松方正義
疏水沿いウォーキングはここで終了。このトンネルの出口は900m先で、そこに行くには交通量の多い4車線道路に沿って歩かねばならず、途中見所もなさそうなので取りやめました。
ここからは帰り道というか、地下鉄御陵駅を目指すことにしました。その御陵駅の第2出入口で見たのが・・・
琵琶湖疏水煉瓦工場跡を示す石碑
疏水建設のために大規模な煉瓦工場が建設されました。1886年7月開業し1889年10月に営業終了、閉鎖されました。
足はまだ余裕があったので山科駅まで歩き、ウォーキングはここで終了しました。
過去には何度も、山科疏水沿いで花見したりウォーキングをしていますが、全て安朱橋から東の方。
今回初めて、安朱橋から西を向いて歩きました(4月6日)。
これで3年続いて山科で花見ウォーキング(^O^)
山科駅で降りて、まずはコンビニでお弁当とお茶、おやつを仕入れ安朱橋を目指します。安朱橋まで歩きで10分あまり。
安朱橋から東を見る(上流)
桜が満開です。上流側は桜が途切れません。広場もあり花見の人気スポットです。
同じく安朱橋から西を見る(下流)
桜は少なめ、もうこの時点で正午を過ぎていたので、数分後にはシートを広げてお昼にしました。
休んだ後、シートをたたんでウォーキング再開。
距離標
琵琶湖まで6kmとありますが、反対側は琵琶湖から6kmと書かれています。このような距離標は至る所にありました。
展望広場より
JR東海道線と京阪京津線が並行しています。6キロの距離標からは3分後です。
馬酔木
山科疏水の西側は東側に比べると桜は少なく、公園などほとんど無いので、家族連れは見ませんでした。ウォーカーばかりでしたね。
ヤマブキ
鳥の名前はわかりません^^;;;
第2トンネル入口
扁額は「仁以山悦智為水歓」 by 井上馨
第2トンネル出口
扁額は「随山到水源」 by 西郷従道
西郷従道は、西郷隆盛の弟です。
第3トンネル手前の橋
日本初の鉄筋コンクリート橋です。
本邦最初鉄筋混凝土橋と記された石碑が近くにあります。
そこからまもなく第3トンネル入口
扁額は「過雨看松色」 by 松方正義
疏水沿いウォーキングはここで終了。このトンネルの出口は900m先で、そこに行くには交通量の多い4車線道路に沿って歩かねばならず、途中見所もなさそうなので取りやめました。
ここからは帰り道というか、地下鉄御陵駅を目指すことにしました。その御陵駅の第2出入口で見たのが・・・
琵琶湖疏水煉瓦工場跡を示す石碑
疏水建設のために大規模な煉瓦工場が建設されました。1886年7月開業し1889年10月に営業終了、閉鎖されました。
足はまだ余裕があったので山科駅まで歩き、ウォーキングはここで終了しました。
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