豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

ぼくの探偵小説遍歴・その7(補遺)

2024年05月23日 | 本と雑誌
 
 ぼくの探偵小説遍歴(その1~6)の落穂ひろい。探偵小説が並んでいる本棚の写真を中心に。

 ぼくにとって最初の探偵小説は、岩波少年文庫で読んだ E・ケストナー/小松太郎訳「エミールと探偵たち」だった(上の写真)。
 つづいて、同じく岩波少年文庫の A・リンドグレーン/尾崎義訳「名探偵カッレくん」のシリーズ(といっても3冊)。
   

 中学校の図書館で見つけた、あかね書房「少年少女世界推理文学全集」の W・アイリッシュ/福島正実訳「恐怖の黒いカーテン」は、扉に挟んであった黒いパラフィン紙とともに思い出に残っている。あかね書房版は持っていないが、創元推理文庫版は持っている。アイリッシュ/亀山龍樹訳「黒衣の花嫁」(文研出版、1977年)、同/稲葉明雄訳「さらばニューヨーク」(晶文社、1976年)という単行本も見つかった。1976~7年頃は、まだアイリッシュに関心があったのだ。
   

 旺文社の「中学時代3年生」か、学研の「高校コース1年生」の付録についていた「赤毛のレッドメインズ」の要約版を読んだのをきっかけに、E・フィルポッツ「赤毛のレッドメイン家」(創元推理文庫)を読んだ。高1の時の担任の先生が、読んだ本の感想を書いた「読書ノート」を毎週提出させていたが、スタインベックなどの他に、「赤毛の~」の感想文を書いた記憶がある。中身は忘れた。
 この頃から文庫本で探偵小説を読むようになったと思う。
 ドイル、クリスティー、クイーン「Yの悲劇」、カー「火刑法廷」、ダイン「僧正殺人事件」、ノックス「陸橋殺人事件」などから、ガードナー「ペリー・メイスン」、チャンドラー、カトリーヌ・アルレー、セバスチャン・ジャプリゾなども読んだようだが、2冊以上読む気になった作家はあまりなかった。「本格」とか「謎解き」といったジャンルは好きになれなかった。

 ぼくは中学、高校の通学のバスの中ではいつも文庫本を読んでいた。毎日片道30分、往復で1時間である。揺れるバスの中で、よくそんな読書ができたと思う。サラリーマンになって以降も、出歩くときはいつも鞄の中に本を持って出かけた。一度中央線に乗っていた時に停電か人身事故で、国分寺・小金井間で1時間以上車内に閉じ込められたことがあった。たまたまその時は本を持っていなかったので、活字の禁断症状が出た。
 文春文庫か新潮文庫がビル・プロンジーニとコリン・ウィルコックスを派手に宣伝していたので、「容疑者は雨に消える」とか「依頼人は三度襲われる」といった題名につられて読んだが(「失踪当時の服装は」や「事件当夜は雨」といった題名が好きだったので)、ちっとも面白くなかった。これを契機に探偵小説から足が遠のいた。

   
   

 探偵小説を読み始めた最初のうちは創元推理文庫が多かったが、そのうちに早川書房の「ハヤカワ・ポケット・ミステリ」(HPM)で、87分署シリーズや、ファン・デル・ベルク警部(「雨の国の王者」)、ギデオン警部などを読むようになった。シムノンやボワロ = ナルスジャックも HPM で何冊か読んだ。新書版サイズで、勝呂忠装丁の表紙の本を持ち歩くことがお洒落だと思っていた。
 角川書店や早川書房の単行本も何冊も買ったが、定年退職後にかなり断捨離してしまった。ジョゼフ・ウォンボー・村上博基訳「オニオン・フィールド」(早川書房、1975年)と、フレデリック・フォーサイス/篠原慎訳「オデッサ・ファイル」(角川書店、1975年)だけが残っていた。何か捨てがたい気持があったのか・・・。

   
        

 角川書店から出ていたマイ・シューバル、ペール・ヴァ―ルー夫妻の「マルティン・ベック警部シリーズ」は文庫本と単行本で10冊すべて読んだ。第6作の「サボイ・ホテルの殺人」には「1976・4・30 am 0:40 Good !」と書き込みがあり、第9作の「警官殺し」には「1979・3・25(日)pm 6:25 冗漫」と書き込みがあった。 ちょうど飽きが来た頃に、ほどよくシリーズも終わったようだ。
   
   

 河出書房から長島良三の企画で「メグレ警部」シリーズが出た時は、最初の20冊はすべて読んだ。それが全24巻になり、全30巻になり、最後は全50巻になったのだろうか。フランス人(ベルギー人?)なのにワインを飲まずにビールを飲み、サンドイッチを食べて、パイプをくゆらすメグレは好きな探偵だし、事件の描き方もよいが、30冊、50冊も読むほどではない。
   

 犯罪実話もの、クライム・ノベルは、いまだに興味が続いている。
 オカルトものも含めて、コリン・ウィルソンにはまっていた時期もあった。ウィルソンのテレパシー実在説を信じて、吉祥寺の東急通りで、数メートル先を歩いていた成蹊の女子高生の後ろ姿に向かって念力を送ったところ、彼女が振り向いたことがあった。信ずれば通ずる。
 切り裂きジャックもの(?)については前にも書いたが、ドナルド・ランベロー/宮祐二訳「十人の切裂きジャック」(草思社、1980年)という本も出てきた。この本の中に、通称「ヨークシャー・リッパ―」という1970年代にイギリス、ヨークシャー州で13人の女性を殺した連続殺人犯に関する新聞記事が何枚か挟んであった。犯人はリーズ近辺で犯行を繰り返し、最後は何とシェフィールドで逮捕されたのだった。
 現在、BSテレビ 560ch のミステリー・チャンネルで、この実在の事件をモデルにした「ヨークシャー連続殺人事件」を放映している。

   
 
 小津安二郎や西部劇などの映画でも、その他何でも解説本を読まないと身につかないというか、海馬の中の収まるべき場所に収まらない習性がぼくにはある。探偵小説についても、江戸川乱歩「幻影城」や松本清張、有馬頼義らの探偵(推理)小説論を何冊も読んだ。
 以下はその一部だが、シャーロキアン、リッパロロジスト(?)を目ざすほどにのめり込む気質は持ち合わせていなかった。

   
   

 昨日からは、懐かしさもあってアイリッシュの「さらばニューヨーク」を読んでいる。
 結局1960~70年頃から今日まで、数十年にわたって興味が持続したのは、メグレ警部などの警察ものと、ヨークシャー・リッパ―などの犯罪実話もの(クライム・ノベル)だけだった。
 最近は探偵小説だけでなく小説も読んでみたいという気になる作品が見当たらず、ほとんど読まなくなってしまった。「事実は小説より奇なり」で、小説やドラマの「作り物」ぽさがそらぞらしくて、テレビ番組も「映像の世紀」などのドキュメントや、ニュースばかり見ている。
 わずかにテレビドラマでは、ミステリー・チャンネル(BS 560ch)などで放送している「フロスト」「モース」「ダルグリッシュ」「ルイス」「ジョージ・ジェントリー」「ヴェラ」などなど、警察ものばかり見ている。ほとんどすべて見てしまったので、いよいよ最近は見るものがなくなりつつある。

 2024年5月23日 記   
 

三宅正太郎「法律 女の一生」

2024年05月15日 | 本と雑誌
 
 三宅正太郎「法律 女の一生」(中央公論社、昭和9年、婦人公論11月号付録)を読んだ。

 「日本の弁護士」の海野普吉のページを撮影するために、ページを押さえておくだけの目的で書棚から引っぱり出してきたのだが、読んでみると面白いことも書いてあったので、ほぼ全ページを読んでしまった。
 女性の一生の人生行路(ライフ・ステージ)にしたがって、各ステージで遭遇するであろう法律問題を取り上げるという形式を期待したが、残念ながらそうではなく、多少は女性の立場に配慮しながら、法と裁判を概説した法律入門書といったほうがふさわしい。婦人公論編集部と三宅は、女性だからといって特別な法律入門があるわけではなく、女性であっても明治憲法、明治民法下の法律問題について基礎知識を持っていてほしいと思ったのだろう。
 全体は11章からなっている。「結婚と離婚」「親と子」「借地借家人の法律」「証書と証券」「遺言と相続」「戸籍・寄留」「検挙の手続」「刑事裁判」「損害賠償」「保証と抵当」「法律の将来」および(民法を主とした法令集)からなる。「借地借家」と「証書、証券」はスルー。
 なお、「婦人公論の読者方へ」と題した穂積重遠の前書きがついている。私生子保護のために、当時は認められていなかった死後認知の立法の必要などを説いている(死後認知は戦争遺児(胎児)救済のため昭和17年に立法化された)。

 「結婚と離婚」では、婚姻の成立要件、婚姻の法的効果、離婚の要件などが簡単に紹介される。イトコ婚の例として鳩山一郎氏の令嬢と鳩山秀夫氏の令息の結婚が紹介されている。当時そんなことがあったのだ。いわゆる「男子(夫)の貞操義務」を認めた判例の紹介もあるが、当該事案で損害賠償を命じられたのは夫ではなく、不倫相手の女性だった。
 「親と子」では、法的親子関係の種別を概説した後に、私生子(婚外子)問題を検討する。三宅は、私生子の保護をいう一方で、ドイツ1919年憲法の「婚姻は家族生活及び民族の保持並びに増殖の基礎なるを以って憲法の特別の保護を受く」を援用して、婚姻の保護との調整の必要を指摘する。その調整策として、三宅は、婚姻家庭の主婦の処置、すなわち、妻が夫の過ちを許して、夫がその私生子を認知することを認めるか否かに委ねることを提案する。
 私生子を妊娠した女性(西荻窪のカフェ女給とある)が将来を悲観して、(杉並区)上荻窪730番先の中央線踏切で(神明中学校のすぐ近くではないか!)自殺した事件の記事を紹介しておきながら(38頁)、ずいぶん微温湯的な提案ではないか。
 「春の驟雨」という洋画の紹介もある。私生子(娘)を産んが女性がその娘を養育院に奪われ、旅路の果てに命を落として天に召されるが、天国からわが子を見守り、救いの手を差し伸べる。娘が悪い男にだまされそうなまさにその瞬間に、雨を降らせて娘を危機から守るというのだが、その雨が「春の驟雨」だそうだ。映画「ゴースト」のようなストーリーである。

 「戸籍・寄留」は、居住の自由によって戸籍(本籍)と現住所が異なる人間が増えたことによる不便を回避するために、大正3年に制定された寄留法の届出励行を促す。現在では住民票を移すことによって解決される問題である。ぼくも先祖の戸籍を見ながら、寄留地と紐づけされていたら先祖が実際に生活していた土地に近づくことができるのに、と思った。
 戸籍の名の変更に関しては、「山本権兵衛」にあやかって「権兵衛」と命名された子は迷惑をこうむるだろうとある。昭和初期でも「権兵衛」は古めかしい名前だったのだ。シーメンス事件にかかわったのは山本だったか・・・。戦後にも、「角栄」と命名された「田中角栄」くんが、ロッキード事件後に名の変更を申し立てて認められた審判例があった。

 「女の一生」と銘うっているのだから、「検挙、刑事裁判」では女性独自の犯罪を取りあげればよいのにと思ったが、紹介されたのはすべて男の事件である。
 「焼鳥食い逃げ事件」などは悲惨である。親戚に貸した1000円を回収してそれを元手に仕事を始めようと上京した兄弟が、貸した金を返してもらうことができないまま生活に困窮し、目黒区上目黒7丁目の目黒川にかかる東山橋近くの露店の焼鳥店で焼き鳥40串、代金80銭を食い逃げし、追手に捕まった兄は、懐中に用意してあった短刀で自刃したという事件である。不憫に思った警察は弟は訓戒のみで放免したという。
 家族制度の時代に、こんな非情な「親戚」もいたのだ。春になると桜の花見で賑わうあの目黒川の東山橋(あの橋だろうか?)近くで、昭和の初めにこんな悲しい事件があったとは!

 「損害賠償」のうち、義務(債務)不履行による損害賠償の例として、婚姻予約不履行(当時は「貞操蹂躙の訴え」と言われていたらしい)が取り上げられる。
 大正4年の大審院判決までは、婚姻予約の不履行は一切法律上の保護を受けられなかったが、同年の判例変更によって不当な婚約破棄に対して損害賠償の請求ができるようになった。婚約不履行事件153件中、男性が訴えた事件は11件、女性が訴えた事件は142件、うち、同棲前の女性からの訴えが1件、同棲後の女性からの訴えが141件である。
 「婚姻予約不履行」といいながら、実際には同棲開始以後(婚姻届出前)の内縁関係ないし足入れ婚(試し婚)的な関係を不当に破棄された女性からの訴えが圧倒的に多いことが分かる。純粋な婚約(同棲前の婚約関係)の不当破棄の事案は実際にはもっとあったと思うが、「疵物」視されることを恐れて提訴を躊躇する女性も多かっただろう。
 賠償額は、同棲前の女性が原告の場合は、100円以下が1件、100円台が3件、200円台が10件、300円台が23件、同棲後の女性の場合は、500円台が43件、1000円台が19件、1500円台が7件、2000円台が5件、3000円台が2件となっている(166頁)。当時の物価に比べて高額だったように見える。訴えられた男は金持ちが多かったのだろう。「無い袖は振れぬ」だから、貧しい男を訴えても仕方ない。

 不法行為による損害賠償としては自動車事故を取り上げる。
 昭和3年(1928年)当時、わが国の自動車保有台数は約7万台のところ、同年の自動車事故件数は2万7000件、死者617人、負傷者1万9500人とある。自動車3台につき1台以上が事故を起しており、3・5台につき1件の負傷事故を起こしている。驚くべき高い数字ではないか。ちなみに、鉄道事故は8008件、死者2602人、負傷者3119人とある。
  
 「保証」では、保証人になるくらいなら現金を渡して(その人間と)縁を切れと書いて、絶対に保証人になってはいけない、保証は怖いということを諭している。
 最終章の「法律の将来」において、三宅は、明治維新以来わが国はヨーロッパの法律を模倣して、法文至上主義、概念法学の道を歩んできたが、大正デモクラシーの風潮のもとヨーロッパの自由法思想を受け入れ自由主義的法律学が広まったが(借地借家法、調停制度、陪審制、社会法、判例研究など)、最近はそれへの反動から国家主義的ないし唯心論的な議論が起こっている。
 「わが国の法律学はこれまでの自由主義的な明朗さを持ちつづけると同時に、・・・日本の社会のいいところを更に輝かすべき方向に進むべきものと考えております」と結ばれる。東京地方裁判所所長の言葉として、これ以上を期待するのは望蜀の嘆というべきか。

 きょうのNHK大相撲中継で、昭和生まれの幕内力士は3人しかいないと言っていた。昭和も遠くなったのだ。三宅の本書によって、昭和戦前期の日本社会の一端を「法律と裁判」という偏光鏡で眺めた気分になった。

 2024年5月15日 記

アラン・マクファーレン『イギリス個人主義の起源』

2024年04月05日 | 本と雑誌
 
 アラン・マクファーレン/酒田利夫訳『イギリス個人主義の起源--家族・財産・社会変化』(リブロポート、1990年)を読んだ。
 100頁の余白に「'93・9・8」と書き込みがある。20年前にはここで断念したのだろう。

 イギリスの13世紀以降の中世史がテーマで、中世イングランドにおける「小農」(ペザント peasant とルビ)社会は、通説よりも早く13世紀にはすでに消滅していたという主張のようである。イングランドの土地所有の法概念も分からないし、イングランドの地理に関する基本的な知識すらないので、読み進めるのは難渋を極めた。1日に10ページくらいしか進まない日もあり、途中で旅行に行ったりしたので、3週間近くかかったがとにかく読み終えた。字面を追っただけに近い個所も少なくない。
 ※という訳で、以下の記述は正確な要約ではなく、適切な批評でない可能性がある。あくまでも「個人の感想」である。

 ロビン・フォックスの「生殖と世代継承」(法大出版局)は、近代史における「個人主義」の発展という図式および現実の動向に疑問を提示し、「親族」の復権を唱えるものであった(と読んだ)が、今回のマクファーレンは反対に(一昔前の学生だったら「真逆に」というだろう)、イングランドにおける「個人主義」は、他の北欧(西欧)諸国よりもかなり早く、13世紀にはすでに成立していたと主張する。
 主張のメインストリームは、13世紀頃のイングランドは「小農」社会であったという通説を否定し、その当時からすでにイングランドにおける土地所有の主体は「家族」ではなく「個人」であったということに向けられる。

 著者によれば、「小農」社会は「特定の個人に帰属する絶対的な所有が欠如していること」が主要な特徴であり、財産保有の単位は永続的な「団体」であり、個人はこの団体に属して労働を提供するが、個人が家族財産の持分を売却することはできず、息子をもつ父親は(窮乏した場合以外は)土地を売却することができないし、女性は個人的・排他的な財産権をもつことはないという社会である(131頁)。
 マルクスは、中世イングランドにおいては、ノルマン征服(1066年)以降「家族制的生産様式」による「小農」社会が存続し、15世紀後半に至って土地保有上の革命が起って、「私有財産」が成立し、貨幣地代、無産労働者の発生を伴う「資本的生産様式」への移行が始まったとした。
 ウェーバーも、小農者が土地から解放され、土地が小農層から解放されることによって、16世紀に自由な労働市場が成立し、無限の営利追求を特徴とする資本主義が成立したとする。イングランドは17世紀までには貨幣地代に依存する貴族社会となったが、その理由として、イングランドが島国であり、大規模な陸軍が不要だったこと、ノルマン征服後に中央集権国家が成立し、合法的な法と市場が発展したことを挙げる(66~80頁)。

 これに対して、著者は、イングランドにおいては、すでに13世紀には、大多数の庶民は、親族関係、社会生活において自由な個人主義者となっており、居住地域や職業などに関して社会流動性(移動の可能性)をもち、土地を含む自由な市場を志向する合理的で、自己中心的な存在になっていたという(268頁)。
 彼が自説の論拠として提出するのは、土地売買証書や、マナ(荘園)裁判所判決、人頭税徴税簿、教会簿冊など社会史の文献に頻出する古文書や、それらに基づいて統計的、人口学的分析を行った先行研究である。イングランドにおける土地所有や利用制度の変遷にまったく不案内であるだけでなく、イングランドの地名やその地方の特性もよく分からないので、著者が援用する土地の売買や土地利用の記録がその地方の特殊事情によるのか、イングランドに一般的な現象なのかを想像することすらできない。

 13世紀頃から、「家族の土地」という感情をもたずに土地を売却する者がいて、それに伴って所生の土地(故郷)を離れて他郷に移動する者たちが存在したことを示す記録が少なからず残っていることは理解できたが、それが当時のイングランドで普遍的な現象だったのか、特殊な事例だったのかは理解できなかった。さらに「小農」社会の早期の消滅が、その反面において「個人主義」の成立をもたらしたという因果関係も理解できなかった。13世紀から、祖先の土地に縛られない独立覇気のイングランド人が生まれ始めたというくらいのことなら了解できるが、それを「個人主義の起源」とまで言えるのか。

 いずれにしても、あくまでイングランドの13世紀の話であって、日本における「個人主義」の誕生(もし生まれていたとして)に裨益する知見はない(少ない)ように思う。
 個人的なことだが、ぼくの父方の曽祖父(祖父の父。武士階層の出ではなく、維新後の職業も不詳だが、陶工だった可能性が濃厚)が明治初年に居住していた佐賀の本籍地には、150年後の現在でも子孫(祖父の長兄の末娘の子の未亡人)が住んでいるが(末子相続?)、父方のもう1人の曽祖父(祖母の父)は彦根藩の下級武士だったが、祖先が幕藩時代から住んでいて、維新後には曽祖父も住んでいたはずの本籍地の(土地および)住居はすでに人手に渡っているようだった。
 明治民法の家族法では、祖先から子孫へと未来永劫続くべき「家」(団体)が基本とされ、「家」に属する家族が居住する家屋や家族の生計を維持する田畑などは本来は「家」団体に属する財産(「家産」)だが、法形式上は戸主の個人財産とされた。現在では日本の全土地のうち、九州の総面積に匹敵する土地が所有者不明になっているというのだから、明治民法の時代に戸主が独断で(あるいは家族の了解のもとに)譲渡した土地や、150年のうちに誰も居住しなくなってしまった土地も少なくないだろう。
 マクファーレンのような手法で、明治・大正・昭和前期の日本の土地売買の社会史を記述した本はあるのだろうか。

 ブラクトン、メイン、ブラックストン、メイトランド、プラクネットその他、法律の世界でも名前の知れた学者も何人か登場する。中大出版部や東大出版会、創文社などから出ていた彼らの本(邦訳)の何冊かを持っていたが、退職の際にすべて後輩の研究者にあげてしまった。惜しいことをしたとも思うが、ぼくの手元にあったとしても大した役には立たなかっただろう。ぼくが死蔵してしまうよりも、後輩のほうが少しは役に立ててくれるだろうと思って諦めることにする。
 退職前には、定年後にどんな人生が待っていて、どんなことに関心を抱くか、自分自身でも分からなかった。

 2024年4月5日 記

鳥山明「ドラゴンボール」

2024年03月10日 | 本と雑誌
 
 「ドラゴンボール」の漫画家鳥山明が3月1日に亡くなったと、8日のニュースが報じた。
 漫画やアニメには疎いので、「ドラゴンボール」や「Dr.スランプ」「アラレちゃん」やその作者の鳥山明という名前には聞き覚えがあったが、作者のことや作品の中身はほとんど知らなかった。
 3月8日のテレビ・ニュースでは、中国外交部の報道官までもが追悼の言葉を述べているのを見てびっくりした。いつもは厳しい顔をして日本政府の言動を批判しているあの女性が、である。

 「ドラゴンボール」も「アラレちゃん」も、息子たちがテレビで見ていたので、一緒に見たことがあった。
 ぼくの記憶に残っているのは、「ドラゴンボール」の第1回だったかで、悟空がカメ仙人に弟子入りするために貢ぎ物としてエロ本を持参したところ、カメ仙人が鼻血を出して喜んで即入門が認められたシーンと(笑)、アラレちゃんが三輪車に乗った刈上げの女の子のうなじに犬の糞に突き刺した割り箸をなすりつけるシーンだけである。
 中国外交部がコメントを出すほどの、そんな世界中に影響を与えた大漫画家だとは、(申し訳ないことに)つゆ知らなかった。

 わが家には「ドラゴンボール」や「アラレちゃん」の漫画本は1冊もない。ぼくが買ってやらなかったからだろう。
 漫画本はないが、わが家には「ドラゴンボール」にまつわる物品が一つだけある。それは「ドラゴンボール」に出てくる人物のフィギュアである。「BULMA」というネーム・プレートを胸につけているから「ブルマ」という名前なのだろう。息子が、近所の西友OZ大泉店前の広場で開かれた催し物のUFOキャッチャー風のゲームで釣り上げたものである。
 西友OZの隣りは「ドラゴンボール」のアニメを制作した東映動画だったし、こんな景品が当たったことからすると、東映動画主催の催し物だったかもしれない。ほかのフィギュアに比べてかなり大きかったので、周りで見ていた子どもたちが羨ましそうな顔をしていた。
 それから30年以上、息子たちの使っていた洋服ダンスの奥にしまい込んだままだったが、今回の訃報に接してひっぱり出してきて、ぼくの本棚に飾ってやった(上の写真)。
 
 実はもう1つ、息子が中国留学中に買って持ち帰った「ドラゴンボール」の中国語版が1冊あったのだが、見つからない。そんな大漫画家だとは思っていなかったので、放ったらかしているうちに見つからなくなってしまった。 
 「クリリン」という登場人物がいたが、悟空が彼のことを呼ぶシーンの吹き出しが「小林!」だったのが印象にある。「小林」は中国語読みでは「クリリン」に近い発音なのだろう。

 今回、訃報を知らせるニュースで彼の作品を見ていて、彼の描くクルマがきれいな曲線と鮮やかな色づかいで、独特の雰囲気をもっていることを知った。
 濃密な人生を歩んだのだろうが、それにしても68歳は若すぎる。 

 2024年3月10日 記

芥川龍之介「魔術」、太宰治「新樹の言葉」ほか

2024年03月07日 | 本と雑誌
 
 2月末、小学校4年の孫がインフルエンザに罹患し、40℃近い熱が出た。ほどなく37℃台に下がって本を読んでいるというので、寝ながらでも聞くことができるように、短編小説を音読してボイスレコーダーに吹き込んで持って行ってやった。
 定年から4年が経ち、授業で鍛えてきたはずの声にも衰えが目立ってきた自覚があるので、ぼく自身の喉、声のリハビリも兼ねた作業のつもりである。
 息子たちが小学生だった30年近く前に買い与えた本の中から適当なものを探した。

 芥川龍之介「杜子春・トロッコ・魔術」(講談社青い鳥文庫、1992年)は発行年からして、上の息子が中学受験の頃に読ませたものだろう。
 この本から、まず「魔術」を選んだ。ぼく自身が中学校1年の時に教科書で読んで、今でも記憶に残っている短編である。
 本文を(何の注釈も加えないで)そのまま読んでしまったが、分かりにくい言葉や人物などには注釈をつけてやればよかったと反省。森繁久弥やNHKアナウンサーによる「耳で聞く短編小説」風を気取りすぎてしまった。本文約20頁、音読で10分29秒だった。
 
 次は何にしようか。
 芥川なら「杜子春」や「鼻」がいいのだが、登場人物の中国人の名前は音読では分かりにくいのと、インフルで40℃の熱を出した子どもが聞くのには「鼻」は話の内容がつらいかもしれない。「トロッコ」も好きな作品だが、インフルの病床で夕暮れ時に聞いたのでは不安な気持ちがいや増すかもしれないからやめた。この本に収められた12作品をぱらぱらと眺めて、「たばこと悪魔」を選んだ。
 「たばこと悪魔」という小説をぼくは初めて読んだが、なかなか面白い。宣教師に成りすましてザビエルと一緒に日本に上陸した悪魔が日本の牛商人と賭けをした。牛商人が賭けに勝って、悪魔が所有するたばこ畑を手に入れるのだが、その結果、それまでは勤勉だった日本中の農民に煙草の習慣(悪習)が広まってしまうという内容である。
 芥川はヘビー・スモーカーだったようだが、そんな「煙草」観をもっていたとは知らなかった。「たばこ=悪」という図式を今の小学生が理解できたかどうか。本文21頁、音読で12分29秒かかった。

 毎日午前中に1話を音読して孫に届け、2日目のここまでで孫の熱は下がったのだが、ぼく自身の喉のリハビリのためにさらに続けることにした。
 今度は太宰治「走れメロス」(ポプラ社文庫、1992年)。これも発行年からして、上の息子の中学受験の時に買った本だろう。
 「走れメロス」は登場人物のギリシャ人の名前が読みにくかったのでスルー。「思い出」は悪くないが、音読するには長すぎる。「富嶽百景」もいい、ぼく自身が忘れられない井伏鱒二先生が放屁する場面などはとくに小学生に喜ばれそうだが、心象風景が中心で出来事が起伏にかける憾みがある。

 この本の最終ページに、上の息子の「1994年2月18日(金)小6」という書込みと、下の息子の「2001年7月27日(金)小5.「新樹の言葉」が印象に残った」という書き込みがあった。下の息子は兄貴の「お下がり」を読んだのだった。下の息子の言葉を信じて、「新樹の言葉」を読むことにした。
 作家として行き詰っていた太宰が、井伏鱒二の助言を受けて山梨県の甲府に居を移し、下宿を借りて作家修行をしていた時期(昭和14年)の作品である。
 ある時、郵便配達が太宰に話しかけてきて、下宿の近所に太宰の兄弟だという男がいると言う。不審に思いながら会ってみると、津軽で乳幼児期の太宰を育てた乳母つるの息子だと判明する。
 大丸デパートの店員をしているというこの男に誘われて、甲府の高級料亭で酒を飲むことになる。後から男の妹もやって来て同席する。実はこの立派な料亭の建物は、かつては乳兄妹である彼らの実家の呉服屋だったという。乳母が嫁いだ夫は丁稚奉公を経て、甲府で呉服屋を開業して羽振りがよかった時期もあったが、後に没落して家は人手に渡ってしまったのだった。
 その2日後の午前2時ころ、太宰が徹夜で小説を書いていると、町の方から火事を知らせる激しい半鐘の音が聞こえてくる。下宿を飛び出し城跡に登って見物していると、乳兄妹に出会う。燃えているのはあの料亭だった。「全焼ですね。知らずに死んだ父母も幸せでした」と彼がいう。
 家の一軒、二軒などどうにでもなる、自分の小説を期待して待っていると言ってくれたこの乳兄妹のためにも、ぼくはよい小説を書かねばならない、と太宰は心を新たにする。「新樹の言葉」とはこの乳兄妹の言葉のことか、この話の全体が、太宰の心に芽生えた「新樹」の「言葉」ということか。

 下の息子のコメント通り、いい話だった。
 音読も3作目になって少し慣れてきたので、会話の場面は笠智衆と佐田啓二の会話をまねて小津調でやってみたりした(つもりである)。
 「新樹の言葉」は、本文32頁、音読は21分05秒かかった。最後のほうは喉が嗄れて、ややしわがれ声になってしまった。現役時代には90分の授業の間じゅう、一人で喋りつづけて少しも疲れなかったのに情けない。
 しかも、レコーダーを再生してみると、「さ」行の発音が空気が抜けるようで聞き苦しいところがある。さ行が聞き取りにくいなどとは全く自覚していなかった。現役時代から「ふ」の発音が口笛を吹いているように聞こえることがあるのは自覚しており、授業評価で学生に指摘されたこともあった。しかし「さしすせそ」が不明瞭になるとは・・・。
 ぼくの祖父は佐賀出身で、最後まで九州弁が抜けなかったと亡母が言っていたが、ぼくが生まれる前に亡くなった祖父方の先祖の九州弁 DNA が今ごろになってぼくに発現するはずもない。やっぱり、喉と声帯と口元の筋肉と歯の衰えなのだろう。
 ぼくにとって、70歳の定年はいい潮時だったと思う。

 2024年3月7日 記

ぼくの探偵小説遍歴・その6

2024年03月03日 | 本と雑誌
 
 ぼくの探偵小説遍歴、第6回は日本の探偵小説。

 日本の探偵小説作家というと、松本清張が真っ先に思い浮かぶ。
 松本清張の中では「黒い福音」(手元にあるのは文春版全集)と「小説帝銀事件」(同じく角川文庫)が、ぼくとしてはベスト2か。短編ではわが先祖の出身地佐賀が舞台の「張込み」(新潮文庫)がいい。謎解きには興味がないので、「点と線」(新潮文庫)の他は、彼の代表作と言われている小説は読んだことがない。
 「日本の黒い霧」(文春文庫)は探偵小説とはいえないが、著者の推理作家としての才能が戦後日本の歴史に向けられた作品といえよう。昭和25年生まれのぼくは、同時代を生きた者の1人として、戦後日本に垂れ込めていた「黒い霧」をリアルに実感することができる最後の世代かもしれない。「昭和史発掘」(文芸春秋)も同様で、興味のある事件を何冊か読んだ。「日光中宮祠事件」(角川文庫)もノンフィクションだったか・・・。
   

 佐木隆三「復讐するは我にあり」(講談社文庫)は彼の直木賞受賞作で、九州で実際に起きた連続殺人犯をモデルにしたノンフィクション・ノベルズ。その後のこの手のドキュメント小説流行の先駆けとなった。    
 森村誠一も、推理小説で読んだのは「人間の証明」(角川文庫)くらいで、むしろ「悪魔の飽食」などのノンフィクションのほうが記憶に残る。「人間の証明」は舞台が東京の四ツ谷(ニューオータニ)と碓氷峠の見晴台(から霧積温泉)だったので、記憶に残っている。映画化された時のジョー山中の主題歌もよかった。
 最近、というよりぼくが最後に読んだ中で一番のおすすめは、森下香枝「真犯人--グリコ・森永事件「最終報告」」(朝日文庫、2010年)。あの事件の捜査をめぐる大阪府警、京都府警、滋賀県警の確執が印象的だった。リークもあったのだろうが、取材力に感嘆した。著者は日刊ゲンダイ、週刊文春の記者を経て朝日新聞記者になったと紹介がある。

 
 松本清張「黒い手帖」(中公文庫)、江戸川乱歩・松本清張編「推理小説作法」と木々高太郎・有馬頼義編「推理小説入門」(光文社文庫)、佐野洋「推理小説実習」(新潮文庫)などは、いずれも推理小説の創作技法を伝授するような形式をとりながら、内容の多くは各推理作家の推理小説観ないし社会観を伝えている。
 佐野洋「検察審査会の午後」(光文社文庫)は、雑誌連載時に毎回検察審査会事務局の助言を受けて執筆したとある。最近(といっても10年以上前になる)では高村薫「マークスの山」(講談社文庫)が圧巻。これも助言を受けた元刑事への謝辞がある。

   
 まったく傾向は違うが、一時期、小峰元や辻真先の「学園探偵」ものを読んだ。
 小峰は「アルキメデスは手を汚さない」、「ソクラテス最後の弁明」(講談社文庫)など、題名と和田誠が描いた表紙だけは印象に残っているが、話の中味は忘れてしまった。忘れてしまったけれど、3作目くらいまで読んだ記憶がある。小峰は江戸川乱歩賞を受賞したのだったか。
 
 辻真先「仮題・中学殺人事件」(朝日ソノラマ文庫)も小峰と同じく「学園推理もの」とでもいうべき推理小説。最終ページに「1976・10・31(日)、Good! 93点」と書き込みがある。よかったのだろう。朝日ソノラマ文庫のラインアップを見ると、第1作が「宇宙戦艦ヤマト」で、辻のほかにも、光瀬龍、加納一朗、福島正実らの作品が並んでいる。どれも面白そうな感じがする。なお、辻の本職は放送作家だったようで、テレビ番組のタイトルに彼の名前を見つけることが何度かあった。
 辻には「たかが殺人じゃないか--昭和24年の推理小説」(創元推理文庫、2023年)という新作があることを知った。内容紹介を読むと、昭和25年生まれのぼくには面白そうである。 旧制中学が新制高校に移行する時期を舞台にした「学園もの」のようだ。

 ※東京新聞3月7日夕刊に辻真先へのインタビュー記事が載っていた。現在91歳だそうだ! 先日の漫画家の死亡をきっかけに話題になった原作者と脚本家との関係について語っている。
 辻は、子どもの頃にぼくも見ていたテレビアニメ番組「鉄腕アトム」の脚本を書いていたという! その経歴の長さにまず驚いた。時には手塚治虫の原作が間に合わないので、辻が(手塚と協議しながら)オリジナルの脚本を書いたこともあったという。脚本、脚色は原作者と脚本家とのクリエーター同士の信頼関係があって成り立つものであり、その間にサラリーマンにすぎないテレビ局のプロデューサーが介在するようになったことに問題の根がある旨を語っている。
 草創期から長い間テレビの現場にいて経験を積んできた人の発言だけに説得的である。しかしサラリーマンであるテレビ局プロデューサーが、原作者や脚本家よりもスポンサーの意向を忖度し優先する現状が改まることはないように思う。 (2024年3月8日 追記)

 海外では、ジェームズ・ヒルトン「学校の殺人」(創元推理文庫)、ライア・マテラ「殺人はロー・スクールで」(同、読み始めたものの面白くなかったので読んでいない)など。コリン・デクスター「森を抜ける道」(ハヤカワ・ポケットミステリ文庫)などのオックスフォード大学が舞台になった「モース警部」シリーズも、学寮長やチャプレン人事をめぐる殺人事件などの話題が多いから「学園もの」といえるか・・・。
 テレビドラマでは、モースの死後、部下だったルイスが警部になってからの「ルイス警部」や、モースの若かりし日々を描いた「刑事モース」のほうが、ぼくには面白く感じられた。

 2024年3月3日 記

ロビン・フォックス「生殖と世代継承」・その2

2024年02月26日 | 本と雑誌
 
 ロビン・フォックス「生殖と世代継承」(法政大学出版局、2000年)、第2回で取り上げるのは、第1部第1章「一夫多妻のモルモン教徒の事件」について。

 一夫多妻を推奨するモルモン教の信者である警察官(ポッター)が、一夫多妻であることを理由にユタ州マレー市警を1982年に解雇されたため、解雇無効を訴えた(ポッター対マレー市事件)。
 アメリカ諸州では、1862年のモリル法から1887年のエドマンズ・タッカー法に至る一連の法律によって一夫多妻は違法とされてきた。ユタ州では、州に昇格する際の「ユタ州憲章」(1894年)の第1条で、宗教感情への寛容は認められるが、一夫多妻婚ないし複数婚は永久に禁止されると規定した。
 1820年代に東海岸で共同生活、共同農業を始め、最終的にはユタ州に集住することになったモルモン教の信者であるポッターは、モルモン教徒にとって一夫多妻は救済のために必要な宗教的信条であり、解雇は連邦憲法修正1条が保障する信教の自由およびプライバシー権を侵害する、一夫多妻を禁止するユタ州憲章も憲法に違反すると主張した。第1審のユタ州裁判所は即決裁判でポッターの訴えを却下し、連邦控訴裁判所も第1審を支持し、連邦最高裁判所は上訴を受理しなかった。

 ポッター事件判決を検討する前提として、著者が検討したレイノルズ対合衆国事件(1878年)連邦最高裁判決は、一夫多妻制は「良俗」違反であるという理由で、モルモン教徒の一夫多妻を禁止したモリル法を合憲とし、クリーブランド対合衆国事件(1946年)連邦最高裁判決は、一夫多妻はアジア・アフリカでのみ行われることで、西欧では「悪習」である(イギリスでは犯罪である)として、一夫多妻禁止を合憲とした。
 これらの判旨に対して、著者は西欧における一夫多妻(的な婚姻慣行)の実例を多数指摘して、連邦最高裁の「良俗違反」論、「悪習」論に反駁を加える。多数派のキリスト教会は、反セックスの立場から、教会によって聖別された結婚のみが唯一の合法的性交、生殖の手段であるとした。しかしこれも歴史的に一貫したものではなく、グレゴリウス帝が一夫一婦制を強制する600年頃までは、西方・北方民族においても一夫多妻制は「悪習」ではなかったし、その後も教会による禁止は実効性をもつことはなく、貴族や王家の間では複数婚は普通のことであり、複数の女性をもつ法王すら存在した(38頁)。
 一夫一婦制が強制されることになったのはメロヴィング朝の終焉に至った後のことである。キリスト教の一夫一婦制は、女性嫌悪、狂信的な独身主義、反セックスによるものであると著者はいう。イギリスでも、1603年にジェームズ1世が一夫多妻を犯罪化するまでは、(世俗のイギリス)国家は複数婚に関心がなく、教会裁判所の管轄に委ねていたが、1753年のハードウィック婚姻法によって教会は婚姻を完全に支配下に置くことになった。

 レイノルズ判決は、一夫多妻制は家父長制を助長し、独裁専制政治を招くというリーバー説(コロンビア大学教授!)を援用したが、過度の一夫一婦制をとるドイツにおいて独裁者ヒットラーが登場したように、一夫多妻制と独裁政治とは関係がないと反論する。 
 国家が教会とともに一夫一婦制を強制するようになったのは、国家は官僚を必要とし、教会は神職を必要とするが、彼らが(一夫多妻によって)親族集団を形成することを避けるためであったという。
 一夫一婦制の下でも、離婚が増加することによって子どもは両親から引き離され、継親との関係で苦労することになる。一夫一婦制の下で離婚と再婚を繰り返す夫婦は、「時系列的複数婚」と見ることができるし、移動性の高まりによってニューヨークに法的妻をもち、他州に複数の愛人をもつ(著者の知り合いの)弁護士の例などと複数婚的な関係も存在する。
 人類学的には、一夫多妻制のほうが一夫一婦制よりも安定的であったと著者はいう。安定化のための工夫として、複数の妻は原則として姉妹とする、複数の妻は別居するが財産は平等に共有する、複数妻の性的、経済的地位を平等とする、年長の妻に優位な地位を与え若い妻の魅力に対抗させるなどのルールが形成されている(53頁)。複数婚の際には、最初の妻に同意権を与えるとか、女性の婚姻年齢を下げる一方で男性の婚姻年齢を引き上げるなどの方策も書いてあった。
 一夫多妻制は、権力をもった男のための制度であるという批判に対して、著者は、それは一夫一婦制の下で権力のある男が複数性交できるのと同じであると反論する。

 次に、著者は、宗教上の行為に州政府が介入するためには、州は「止むを得ざる理由」が存在すること、すなわち「公共の福利が危険にさらされること」を証明しなければならないとしたウィスコンシン対ヨーダー事件連邦最高裁判決(1972年)などとの整合性を検討する。
 連邦憲法で認められた「結婚の権利」に干渉するためには、州には「絶対不可欠な理由」を示す「厳格な審査」が必要とされるとして(マイヤー対ネブラスカ、スキナー対オクラホマ判決)、ラビング対ヴァージニア判決は、白人と黒人との異人種結婚を禁じた州法を連邦憲法14条違反で違憲無効とした。
 ところが、ポッター事件判決は、「止むを得ざる理由」の審理に際しては近代社会において現に行われている習慣を考慮せよという主張を退け、一夫一婦制はわれわれの社会の中に不可分に組み込まれており、われわれの文化はこの制度の上に築かれている、結婚は家族および社会の基盤であり、この基本的価値に照らして、州は複数婚の禁止を強制し、一夫一婦制の結婚関係を擁護する止むを得ざる必要性があると(根拠を示すことなく)判示した(60頁)。 
 著者は、ユタ州が実際に一夫一婦制の基盤の上の成立しているという証拠は何も示されていないばかりか、離婚の容易化によって一夫一婦制による核家族の終焉に力を貸してきた立法や法廷のほうが、結婚の神聖さを主張する一夫多妻制の擁護者より、「われわれの文化の基盤」に対してよほど深刻な打撃を与えていると批判する(66頁)。

 最後に著者は、一夫一婦制は「自然」であるとの主張を反駁する。
 戦争などによって男女の性比が不均衡になった場合、多くの女性は夫をもてず、女児殺しが増え、独身のままでいるか、売春婦、尼僧になるといった現象が発生するのに対して、一夫多妻制ではすべての女性に家庭と家族を約束できた(一夫多妻のほうが「自然」であった)という議論も可能であるという。モルモン教が一夫多妻制を採用したのも、発足当初は女性信者が男性信者より2000人も多かったからだったという。
 そして一夫多妻のモルモン教徒の養子縁組に関する判例において、変化の兆しが現われていることなどを指摘して本章は終わる。

 ぼくたちは、一夫一婦制の陰に隠れて行われてきた一夫多妻的な現実から目をそらしてはいないだろうか。一夫一婦制を規定したわが明治民法の下でも一夫多妻的な妾を抱えた既婚男性の実例は500例以上紹介されている(黒岩涙香「畜妾の実例」社会思想社)。一夫多妻制を支持するかどうかはともかく、一夫多妻制は検討の余地のない「悪習」であるとか、一夫一婦制でさえあれば無条件で一夫多妻制に優越すると主張するのがはばかられる程度には説得的な論旨であった。
 モルモン教の一夫多妻制は、最近の離婚に許容的な一夫一婦制の婚姻よりはるかに「結婚の神聖」を重視しており、信仰に無縁のぼくなどは世俗化の極点に近づきつつある最近の一夫一婦婚のほうが気楽そうで親近感を覚えるくらいである。

 2024年2月26日 記

 ※なお、第2部「世代継承」の主たるテーマである「母方のオジ」の親族関係上の地位は、著者によればインセスト(近親相姦)禁止よりも人類学上重要なテーマであるというが、ぼくの理解をこえるので省略する。ただ、ここでも著者は、国家法による広範囲に及ぶ近親婚禁止は、近親婚によって親族集団が強大化することを国家が恐れたからであると指摘して、近親婚禁止も「国家と親族集団との戦い」の一端であると指摘していることを紹介しておこう。著者によれば、個人主義の(個人の)ほうが国家にとっては親族集団よりも与しやすいというのである。

ロビン・フォックス「生殖と世代継承」・その1

2024年02月24日 | 本と雑誌
 
 ロビン・フォックス/平野秀秋訳「生殖と世代継承」(法政大学出版局、2000年)を読んだ。
 第1部「生殖」は、第1章「一夫多妻の警察官事件」、第2章「子供を渡さない代理母の事件」、第2部「世代継承」は、第3章「乙女とゴッドファーザー」、第4章「姉妹の息子たちと猿のオジ」という全4章からなる。著者は人類学者らしい。ぼくの恩師だった先生は、アメリカでは法律家以外の、医師や看護師、社会学者、人類学者らが堂々の判例批評を執筆することを羨んでいたが、この著者もその一人であろう。 
 かなり以前に、いわゆるベビーM事件を扱った第2章だけは読んでいたが、それ以外の3章は今回初めて読んだ。モルモン教徒たちの一夫多妻制を擁護する第1章なども大へんに面白かったが、今回は「ベビーM事件」の復習から。

 第2章のベビーM事件も、忘却のかなたにあったが、第1審判決(およびその前段階としてベビーMの身柄を依頼者に引き渡すよう命じた暫定決定。ともにソルコフ判事による判断)の内容に改めて驚いた。著者は(とくに第1審の)判事が採用した「親としての国家(parens patriae)が親に代わって子の最善の利益を保護する」という裁判所の権限、および「契約は履行されるべし」という法律上のルールに対して反対を表明する。
 著者は、代理母(ホワイトヘッド夫人)が、生まれた子Mを依頼者夫婦に引き渡すことができずにアメリカ中を逃げ回った行動に同情を示す。彼が依拠するのは、母親(実母)が妊娠中そして出産時に胎内の子との間に形成する「母と子の絆」に関する心理学的知見である。この「母と子の絆」論に従って、著者は母親という身分から子を奪うことは契約の対象にすることはできないし、インフォームド・コンセントの点からも本件代理母契約は無効であるという。生んだ子を奪われないという母の利益は子の利益でもあるともいう。

 著者はメイン「古代法」が唱えた「身分から契約へ」という法の近代化の図式にもかかわらず、子を産んだ母という「身分」は、「契約は履行されるべし」というルールに優先すべきであるといい、さらにニュージャージー州最高裁判所衡平部家庭部門が1947年に採用した「親としての国家(parenns patriae)」論は、国家が親族組織から子を養育する権限を剥奪する理論であると非難する。
 著者にとっては、近代法の「発展」は、国家が親族組織(家族や親も含まれる)から権限を簒奪して、国家の権限を強化する歴史だった。そもそも近代法は「個人主義」の名の下に、孤立した「個人」を国家と対峙させることによって、(国家にとって最大の敵対者であった)親族組織を弱体化させてきた。ロックら社会契約論者が想定した「個人の個人の間の契約による国家の設立」は歴史的事実ではなく、ホッブズが「自然状態では個人と個人の弱肉強食の闘争状態だった」というのも誤りで、実際の自然状態では「部族と部族の間の闘争状態だった」という。
 中学校の公民科以来、社会契約論になじみ、立憲民主主義を信奉してきたぼくにとってはショッキングな立論である。

 著者は、ベビーM事件の「M」は “money” の「M」であると揶揄した論者の意見を肯定的に紹介する。
 依頼人(スターン夫婦)の妻は実は不妊症ではなかったこと、夫はホロコーストから家族内で唯一生き残ったユダヤ人だったことも忘れていた。
 著者は、代理母であるホワイトヘッド夫婦の親としての不適切さとして裁判所が挙げた「不品行」の数々ーー夫の職業が清掃作業員であり、妻がかつてゴーゴー・ガールをしていたことや、夫婦が居所を転々として親族家庭に居候したり、パンダの大型の縫いぐるみを上の子に買い与えたこと(!)などーーを、労働者階級の文化として文化相対主義の立場から擁護する、というか少なくともマイナス材料として衡量することを批判する。

 代理母契約は、弱者である代理母を依頼人が搾取するものであるという批判は、代理母が臨床で実施され始めた当初はかなり強く主張されたが、その後は(日本以外の諸外国では)議論の主流ではなくなった感がある。「親族」組織の復権を唱えるらしい著者の立場からすると、不妊女性の母親や姉妹(オバや従姉妹なども)が代理母となる代理母契約はどういう評価になるのだろうか。親族間の代理母でも認められないのか、親族間なら認められるのか。
 著者は、金持ちは決して代理母になることはなく、貧乏人が依頼者になることも決してないとして、「搾取」論を補強していたが、親族間での代理母契約であれば、金持ちが代理母になり、貧乏人が依頼者になることもあるだろう。そもそも「無償」の代理母契約であれば認められるのだろうか。

 第1章の「一夫多妻制」、第3、4章の「世代継承」における「母の兄弟(=息子にとってのオジ)」の問題も、「目から鱗」の面白さがあったが、次回につづく。

 2024年2月24日 記

ぼくの探偵小説遍歴・その5

2024年02月19日 | 本と雑誌
 
 ぼくの探偵小説遍歴、第5回

 ★フェーマス・トライアルズ(日本評論新社)
 犯罪実話小説というべきか、法廷小説というべきか迷うが、実際に起きた有名犯罪事件(刑事裁判)のドキュメントがある。英米では、実際の裁判記録(訴訟記録)を、起訴状、陪審員の選定過程、冒頭陳述、証拠調べ(主として証人尋問、とくに反対尋問)、最終弁論、裁判官による陪審への説示、陪審員の評決、そして判決までを、原資料に基づいて記録したシリーズものがいく種類か出版されている。中には100巻近く出ているものもあるらしい。
 「フェーマス・トライアルズ」シリーズ(日本評論新社、1961~2年)はその一部の翻訳である。
 「白い炎」(西迪夫訳)、「浴槽の花嫁」(古賀正義訳)、「S型の傷」(平出禾訳)、「冷たい目」(小松正富訳)、「山に消えた男」(時国康夫、中根宏訳)の全5巻だが、訳者は英米法に詳しい弁護士や検事だけでなく、アメリカに留学した(当時)現役の裁判官まで含まれており、戦後の新刑事訴訟法(英米刑事司法型の当事者主義)に対する裁判官も含めたわが法曹の意気込みが感じられる。「浴槽の花嫁」は副題にもなっているジョージ・ジョセフ・スミス事件の裁判記録で、この事件は牧逸馬「浴槽の花嫁」のネタでもある。

 ★「実録裁判」シリーズ(旺文社文庫)
 法廷小説といえば、ガードナーの「ペリー・メイスン」ものがまず思い浮かぶが、R・トレイヴァ―「裁判(上・下)」(創元推理文庫)はそのものズバリの題名。同書の帯には、「私は本書に想を得て「事件」を書いた」という大岡昇平の推薦文コピーが記されている。大岡昇平「事件」(新潮社、1977年)は、出版当時ベストセラーになり、映画化もされた。後に創元推理文庫にも収録されたようだ(未見)。トレイヴァ―には「地方検事」(東京創元文庫)というのもある。著者はミシガン州の元地方検事、州最高裁判事だそうだ(上の写真)。
 学習参考書の旺文社から出た旺文社文庫というのがかつてあった。漱石、芥川、中島敦など教科書に採用された小説が多かったが、その旺文社文庫から「実録裁判」シリーズという裁判ものが何点か出た。
 E・R・ワトソン編「実録裁判・謀殺--ジョージ・ジョセフ・スミス事件」(1981年)などを刊行した(上の写真)。「謀殺」はいわゆる「浴槽の花嫁」事件の実録。巻末の解説で、平野竜一教授が陪審への不信感を述べている。
 この「実録裁判シリーズ」は、「謀殺」の他にも、「目撃者--オスカー・スレイター事件(上・下)」「疑惑ーーミセス・メイブリック事件」「情事ーージャン・ピエール・ヴァキエ事件」「密会ーーマンドレイ・スミス事件」の全5巻があったようだが、ぼくは「謀殺」しか持っていない。読むのが相当しんどくて、1冊で投げ出したのだと思う。
 実録裁判シリーズのほかにも、F・L・ウェルマン「反対尋問」(1980年)、被告の伊藤整自らがチャタレー裁判を記録した伊藤整「裁判(上・下)」(もとは新潮社)、や八海(やかい)事件や「首なし事件」などで有名な正木ひろし弁護士の戦時下の時評集「近きより(1~5)」も同文庫で復刊した。ぼくは法律雑誌の編集者だった頃に、その旺文社文庫の担当編集者とお会いしたことがあった。エネルギッシュな方だった印象がある。なお、ウェルマン「反対尋問の技術(上・下)」は、わが社の先輩編集者だった林勝郎さんの翻訳で青甲社から出ていた。 

 ★医療(裁判)小説
 日本のものでは黒岩重吾「背徳のメス」(角川文庫)、札幌医大で実施された日本最初の心臓移植に疑問を呈した渡辺淳一「白い宴」(角川文庫、1976)などが思い浮かぶ。
 アメリカでは、マイケル・クライトン「緊急の場合は」(ハヤカワ文庫)が有名だった。ロビン・クック「ハームフル・インテントーー医療裁判」(ハヤカワ文庫、1991年)がぼくが最後に読んだ医療推理小説だった。最終ページに「最後まで読みはしたが、噴飯ものだ! 1991.8.23」と書き込みがしてあるが、内容はまったく覚えていない。訳者は林克己さん。ぼくが1960年代の子ども時代に読んだアームストロング「海に育つ」(岩波少年文庫)の訳者だろう。息の長い翻訳家である。
 帯に「身に覚えのない医療ミスで告発された麻酔医が、病院に潜む真犯人を追いつめる」とあるので、興味をもったのだろう。慈恵医大青戸病院において腹腔鏡手術による死亡をめぐって執刀医が逮捕起訴された実際の事件を想起させるコピーである。この事件については、小松秀樹「慈恵医大青戸病院事件ーー医療の構造と実践的倫理」(日本経済評論社、2004年)を参照。(つづく)

 2024年2月19日 記

ぼくの探偵小説遍歴・その4

2024年02月18日 | 本と雑誌
 
 ぼくの探偵小説遍歴、第4回

 ★「メグレ警部」(河出書房)
 ジョルジュ・シムノン「メグレ警部」シリーズは、第1期の24巻は全巻そろえて読んだが、飽きが来て36作までは数冊だけ、それ以降は1冊も買ってない。最終的には全50巻出たらしい。企画した長島良三さんには敬意を表するが、ぼくにはそこまでの「メグレ」愛はなかった。河出版シリーズの表紙の挿絵は、ぼくが学生時代に聞いた「NHKフランス語講座」テキストの挿絵を描いていた水野良太郎で、懐かしかった。シトロエン2CVも何回も登場した(下の写真)。
          

 「メグレ警部」もののうち、「男の首」「怪盗レトン」「サン・フォリアン寺院の首吊人」などは角川文庫版で、「オランダの犯罪」「サン・フィアクル殺人事件」(創元推理文庫)などの品切れ本も古本屋で買い集めた。「黄色い犬」「港の酒場で」など旺文社文庫や、「メグレ罠を張る」「メグレと老婦人」などハヤカワミステリ文庫からも、メグレものが何冊か出ていた(上の写真)。「罠を張る」巻末の日影丈吉の解説によると、シムノンは1945年から55年の間はカリフォルニアで暮らしており、同地で多くのメグレものを書いたという。パリの空気感が濃厚な小説なだけに意外である。

              
 長島良三訳「メグレ警視」(集英社文庫・世界の名探偵コレクション10、1997年)には本邦初訳の短編が数本収められているほか、長島訳「メグレ警視のクリスマス」(講談社文庫、1978年)には「メグレのパイプ」なども収録されている。長島著「メグレ警視」(読売新聞社、1978年)や、長島編「名探偵読本2・メグレ警視」(パシフィカ、1978年)という解説ムック本も買った。後者にはシムノンのメグレ警部もの全編(確か102作)の刊行年と邦訳の題名が掲載されていて、役に立った。上の写真は、G・Simenon“La pipe de Maigret”(Press de la Cite版、1957年)の表紙>
 ブリューノ・クレメールがメグレを演ずるテレビドラマの「メグレ警部」はよかったし、ジャン・ギャバンのメグレもよかったが、ローワン・アトキンソン(豆豆先生!)が演じるメグレは「?」だった。何でイギリス人の俳優(コメディアン)がフランス人警官役を演じたのか。 

 ★「刑事コロンボ」(二見書房)
 「刑事コロンボ」は、NHKで放映されたテレビドラマが面白かった。コロンボ役のピーター・フォークも好きな役者だった。彼が出演した「グレート・レース」はお洒落な映画だった。主題歌 “Sweet Heart Tree” もいい曲だった(ヘンリー・マンシーニだったか?)。ただし彼の声はダミ声で、小池朝雄の吹替えのほうがよい。
 テレビがヒットしたので、ノベライズ小説も発売された。「刑事コロンボ 二枚のドガの絵」、「別れのワイン」(?)(二見書房)を買った。「二枚のドガの絵」は内容は忘れてしまったが、題名だけは印象に残っている。逆に「別れのワイン」のほうは題名は不確かだが、内容は覚えている。犯人のソムリエがワインセラーのエアコンを一時的に切ったことが決定的な証拠なのだが、自慢家の犯人(ソムリエ)はワインセラーの中のワインを一口飲んで、顔をゆがめて「このワインは温度調整ができていない」とケチをつけたことで、自白に追い込まれるという話だった。
 飽きっぽいぼくは、小説化されたコロンボはこの2冊で飽きてしまった。テレビ番組の方はかなり長い間せっせと見たが、やがて新鮮味はなくなり、コロンボの犯人への詰めより方がまどろっこしい上に嫌味に思えてきた。最近でもミステリー・チャンネルで数十話一挙放送されたりするが、まったく見ることはない。   

 ★犯罪実話小説
 コリン・ウィルソン「殺人百科」(弥生書房)をきっかけに、「スクールガール殺人事件」(新潮社、1975年)など、彼の殺人ものにはまった時期があった。シカゴ大学ロースクールの学生が少年を殺した事件も本書に入っているが、ヒチコックがその事件を映画化した「ロープ」も面白かった。クラレンス・ダロウ「アメリカは有罪だ―ーアメリカの暗黒と格闘した弁護士ダロウの生涯(上・下)」(サイマル出版会、1973年)には、実際の「ロープ」事件で被告のシカゴ大生の弁護人を務めたダロウの回顧談も入っている。
 ジェロルド・フランク「絞殺--ボストンを襲った狂気」(ハヤカワ文庫、1979年)は、当時アメリカで起きた連続殺人事件に取材したノンフィクション。T・カポーティ「冷血」(新潮社)と並ぶ殺人事件ドキュメント小説の嚆矢といえる。青木雨彦「ノンフィクションの楽しみ」は、「絞殺」は私にとってもはや「古典」であると書いている(「ハヤカワ文庫への招待」1979年12月、29頁)。

   
 ★現代教養文庫(社会思想社)
 牧逸馬「浴槽の花嫁」(現代教養文庫、1975年)の牧逸馬シリーズなどをきっかけに(上の写真)、この世界には「リッパロロジスト」なる「切り裂きジャック」の研究者!が存在することを知り、その手の人たちの本も読んだ。
 仁賀克雄「ロンドンの恐怖ーー切り裂きジャックとその時代」(ハヤカワ文庫、1988年)、島田荘司「切り裂きジャック・100年の孤独」(集英社文庫、1991年)、E・B・ハナ「ホワイトチャペルの恐怖--シャーロック・ホームズ最大の事件(上・下)」(扶桑社ミステリー、1996年)、そして、コリン・ウィルソン(仁賀克雄訳)「切り裂きジャック--世紀末殺人鬼は誰だったのか?」(徳間文庫、1998年)などである(下の写真)。
    
 コリン・ウィルソンに挟んであった新聞記事によると、犯行現場に残されていたDNA鑑定の結果、切り裂きジャックの正体はポーランドからの移民「アーロン・コスミンスキ」だと判明したとするラッセル・エドワード氏の新著が刊行されるという(毎日新聞2014年9月8日夕刊)。ぼくは買わなかったが、S・ハリソン構成「切り裂きジャックの日記」(同胞舎)と、B・ベイリー「切り裂きジャックの真相」(原書房)という本の新聞広告の切り抜きも挟まれていた。

 この手の本の遍歴が1990年代末で終わっているところを見ると、1960年代末に軽井沢旧道(本通り)沿いの三笠書房で初めて犯罪実話雑誌を立ち読みした時の恐怖(怖いもの見たさ)から始まったぼくの犯罪小説への関心は20世紀の終焉とともに下火になっていったようだ。
 現実に起きた犯罪を取り上げたドキュメントにまさるスリリングなフィクション小説に出会うことはなかったし、これからもないと思う。 (つづく)

 2024年2月18日 記

ぼくの探偵小説遍歴・その3

2024年02月17日 | 本と雑誌
 
 ぼくの探偵小説遍歴、第3回。

 ★創元推理文庫(東京創元社)
 ようやく大人の本の世界に入った。ぼくにとって探偵小説の入り口は東京創元社の創元推理文庫だった。背表紙に黒猫(ミステリー)か時計(倒叙もの)のマークがついた作品が多かった(冒頭の写真はペリー・メイスンものの何冊か)。
 コナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」は創元推理文庫版でそろえた。当時は短編集は4冊出ていたと思うが(「冒険」「生還」「回想」「最後の挨拶」)、ホームズの短編は2冊で飽きた。長沼弘毅など「シャーロキアン」ものも何冊か買ったが、そんなに入れ込むほどの魅力はぼくは感じなかった。法律を勉強する者にとっては、ホームズと言えば、オリバー・ウェンデル・ホームズだろう。
 アール・S・ガードナー「ペリー・メイスンもの」や、ウィリアム・アイリッシュ「暁の死線」なども創元推理文庫版で読んだ。「暁の死線」は章ごとに時間経過を示す時計のイラストが入っていた。「黒衣の花嫁」式のアイリッシュとは違う一面があった。

          
 ヒラリー・ウォー「失踪当時の服装は」、同「事件当夜は雨」(上の写真)。「失踪当時の服装は」にはぼくが生まれた日、1950年3月20日のことが出てくる。この日付けが出てくる小説は他に知らない。
 W・マッキヴァーン「悪徳警官」など、悪徳警官ものも好きなジャンルだった。
BSのテレビドラマの「警部フォイル」「女警部ヴェラ」「刑事モース」などにも悪徳警官が頻繁に登場する。アメリカだけでなく、イギリス警察でも常態なのだろうか。
   
 ★早川ポケットミステリ(早川書房)
 エド・マクベイン「87分署」シリーズは、事件の背景の何気ない景色や季節の描き方、それと書きだしと結びの文章が好きだった。「明日の新聞の見出しには“熱波去る”の文字が躍るだろう」という最後の一文があったような・・・。
 一番印象に残っているのは「被害者の顔」という作品。平凡な主婦と思われていた女性が殺されたが、捜査が進むとその女性の様々な「顔」が明らかになり、彼女の人生のどの側面(=顔)が犯行の原因になったかの究明が解決につながるといったストーリーだった(下の写真)。
     

 ジョン・ボール「夜の熱気の中で」も印象的だった(シドニー・ポワティエの映画も)。アメリカ南部の、夜になってもじっとりした熱気が伝わってきた。「十二人の怒れる男」(ヘンリー・フォンダ)や「アラバマ物語」(グレゴリー・ペック)なども同じように汗の滲む南部の熱気が印象がある(映画の印象かも)。
 逆に、雨と言えば、ニコラス・フリーリング「雨の国の王者」。
 これを読んだときには「これがぼくの一番好きな推理小説だ」と思った。理由は覚えていないが、感傷的な文章だったのか。ぼくは雨をうまく描いた小説が好きである。雨の日それ自体も好きである、出かける必要がなければ、だが。これ以外のファン・デル・ベルク警部ものは読んでいない。
 BSで放映されているドラマの「ファン・デル・ベルク警部」は主人公のイメージが違いすぎるうえに、時代と舞台が現代の病んだオランダに変更になっていて、1950年代のオランダに対してぼくが抱いた「風車とスケートの国、オランダ」のイメージが粉砕されてしまった。

     
 ウィリアム・アイリッシュ「黒衣の花嫁」「喪服のランデブー」「幻の女」「死者との結婚」(コーネル・ウーリッチ名義かも)などの感傷的な文章、ストーリーも嫌いでなかった(上は、ハヤカワ文庫版の表紙)。
 羽仁未央のエッセイで、「アイリッシュの小説は好きだけど、私が編集者なら表紙に彼の写真は載せない」と書いていたのを読んで笑えた。確かにハヤカワ文庫の裏表紙に載った著者の写真は、内容から想像する作者のイメージとあまりに違いすぎた。「ティファニーで朝食を」のジョージ・ペパードまでの容貌は期待しないけれど。
 マルコ・ペイジ「古書殺人事件」、べロック・ローンズ「下宿人」、レイモンド・ポストゲイト「十二人の評決」はいずれも長らく品切れだったので渇望していたところ、ポケットミステリ1000冊か2000冊突破記念で復刊されたので喜んで買って読んだが、いざ読んでみるとどれもそれほど面白くはなかった。「下宿人」は切り裂きジャックがモデルだが、結局「下宿人」がジャックだったかどうかは分からずじまいでがっかり。

        
 早川ポケットミステリにも、メリー・メイスンもの、メグレ警部ものが何冊が入っている。「モース警部」の原作も何冊か入っているが、テレビドラマで済ませた。
 「フロスト警部」の原作は創元推理文庫(?)に入っているが、これも厚すぎて読む気にならないのでスルーして、テレビドラマで済ませた。

★早川書房ほかのハードカバー
 ドロシー・ユーナック「法と秩序」(早川)、
 ジョセフ・ウォンボー「オニオン・フィールド」(早川)、
 同「ブルー・ナイト」(早川)など1970~80年代に読んだ早川の単行本も悪徳警官ものだったか。
 V・ビューグリオシー「裁判――ロサンゼルス二重殺人事件」(創林社、1979)なんてのも読んだ。実話だったのかフィクションだったのか内容は覚えていない。
 このあたりの単行本はかさばるために断捨離してしまったので確認できない。
     
★スパイ小説
 スパイものは、ジョン・ル・カレ「寒い国から帰って来たスパイ」(早川書房)、イアン・フレミング「007ロシアより愛をこめて」(創元推理文庫)くらいしか読んだことはなかったが、フレデリック・フォーサイスの「ジャッカルの日」は面白かった印象がある。
 「ロシアより愛をこめて」は間違いなく裏表紙につられて買ったのだと思うが、それらしかったのはこのシーンを描いたページだけで期待(?)外れだった(下の写真)。
      

 サマセット・モーム「秘密諜報員アシェンデン」(創元推理文庫ほか)はモームの実体験がもとになっている。第1次大戦中のスイスが舞台だが、スパイのはかなさが印象的。「禿頭のメキシコ男」(だったか?)というエピソードがよかった。モームはぼくが好きな作家で、「木の葉のそよぎ」「コスモポリタン」などの短編がとくにいい。
 「法王の身代金」「ジャッカルの日」など、一時期角川書店から出た単行本も何冊か読んだ。

     
 マイ・シューヴァル、ペール・ヴァ―ルー「笑う警官」など、最初はハードカバーで読んだが、その後のマルティン・ベックシリーズ(全5冊か)は角川文庫版で読んだ。好きなシリーズだったが、パートナーのどちらかが亡くなってしまい、シリーズも終わってしまった。スウェーデンもかつてのリベラリストにとっては理想の国だったが、その後は失楽園になってしまった(上の写真)。 (つづく)

 2024年2月17日 記

ぼくの探偵小説遍歴・その2

2024年02月16日 | 本と雑誌
 
 ぼくの探偵小説遍歴、第2回はラジオやテレビ番組ではなく、いよいよ小説になる。

 ★岩波少年文庫
 中学生の頃のぼくは「岩波少年文庫」を読む「岩波少年文化人」だった。ボール紙の箱に入ったハードカバーの時代だった。箱の中央と表紙の中央にイラストが入っていて、本文の中にも何ページおきかにイラストのページがあった(下の写真)。
 岩波少年文庫の中では、ドラ・ド・ヨング(吉野源三郎訳!)「あらしの前」「あらしの後」が一番好きだった。オランダの片田舎を舞台に、オランダ人の少女と進駐してきたアメリカ兵との淡い恋が描かれていた。軽いタッチで描かれたペン画の挿し絵も好きだった。挿し絵と挿し絵の間を飛び石のように渡りながら文字を読む読書だった。文字だけの書籍は今でも苦手である。
 岩波少年文庫の探偵小説(というか冒険小説)では、エーリッヒ・ケストナー「エミールと探偵たち」(小松太郎訳のもの)、アストリット・リンドグレーン「カッレ君の冒険」、「名探偵カッレとスパイ団」(カッレ君シリーズにはもう1作あったような気がする)、セシル・D・ルイス「オタバリの少年探偵たち」などを読んだ。
        

 ※下の写真は、最近の岩波少年文庫版のケストナー「エミールと探偵たち」。2、30年前に息子に買ってやった本が残っていた。新訳では「エーミール」と表記してあるけれど、ぼくにとっては「エミール」である。「エデンの東」のラストシーンの「ティムシェル」(野崎孝・大橋健三郎訳)を「ティムショール」のほうがヘブライ語の発音としては正しいのだと今さら言われても困るのと同じである。
               

★少年少女推理小説全集(あかね書房)
 中学校の図書館に置いてあった。全10巻程度のハードカバーで、表紙扉の次のページにカラーのパラフィン紙が1枚挟んであった。
 ウィリアム・アイリッシュ「恐怖の黒いカーテン」では黒色のパラフィン紙だった。ガストン・ルルー「黄色い部屋の秘密」、A・A・ミルン「赤い館の秘密」などもこのシリーズで読んだと思う。
 ※ google で検索すると、このシリーズは「少年少女世界推理文学全集」(あかね書房)で、1963~4年に刊行されたというから、まさにぼくが中学2年から3年の記憶と符合している。このシリーズは全20巻で、ホームズ、ルパン、ポー、クイーン、クリスティから、チェスタートン、クロフツ、ヴァン・ダイン、チャンドラー、ガードナー、モーム(アシェンデン)!などまで入っていたらしい。「赤い家の秘密」と「黄色い部屋の謎」は合本で訳者は神宮輝夫、「恐怖の黒いカーテン」は福島正実訳だった。
 全10巻くらいと思っていたのは、ぼくの中学生時代にはまだ図書館には全巻そろっていなかったからだろう。現在は絶版で、ネット上では各巻3000円から3万8000円などというとんでもない値段がついている。「恐怖の黒いカーテン」は後に復刊された際に買った覚えがあるが、あかね書房版だったかどうか・・・。晶文社あたりだったかも。
 ※どうも「黒いカーテン」ではなく、「さらばニューヨーク」(晶文社、1976年)だったようだ。

 中学校の図書館には、別の出版社の児童推理小説シリーズもあった。
 エラリー・クイーンの「色=カラー」シリーズが並んでいて、「青いにしんの秘密」というのを読んだ。死者が遺した「青いにしん(herring=鰊)」というメッセージが実は綴りのミスで、「ニシン」ではなく何か別の物体が解決のカギだったという話だった。翻訳で読む日本の中学生に分かる訳がないだろう。ばかばかしくなって、それ以後エラリー・クイーンは一切読まないことにした。
 ちなみに、ぼくがその論旨に共感するところの多いオックスフォード大学の家族法、医事法の教授に “Herring” という名字の方がいる。

★「中学時代」(旺文社)や「中学コース」(学研)に毎号付録として付いてきた文庫本サイズ、50頁程度の本文はザラ紙の推理小説(抄訳版)も読んだ。
 パット・マガン「探偵を探せ」、同「被害者を探せ」、ジョン・バカン「三十九階段」などはこの手の付録本で読んだ記憶がある。
 イーデン・フィルポッツ「赤毛のレッドメーンズ」もこの手の本で読んだような気がする。後に新潮文庫版の「赤毛のレッドメイン家」(何と橋本福夫訳だった!)を見て、「レッドメーンズ」の「ズ」(s)が(レッドメイン)「家」の意味だということを知った。辞書によると「s」が「~の家」を意味するのは「おもに英国」だそうだ。アメリカにもケネディ一家のように、「~家」はありそうだが。

 ※冒頭の写真は、「探偵を探せ」「39階段」などの創元推理文庫版。残念ながら、旺文社や学研の学習雑誌の付録についた文庫本は手元に残っていない。以前、少年雑誌の付録(や明星・平凡の歌本)などが沢山置いてある神保町の矢口書店や古書会館のミキ書房で探したが、1冊も出会うことはできなかった。  (つづく)

 2024年2月16日 記

ぼくの探偵小説遍歴・その1

2024年02月15日 | 本と雑誌
 
 わが先祖をたどる旅の道すがら、今まで交流のほとんどなかった遠縁の一人と出会った。
 手紙やメールを交換するうちに、彼女が相当な推理小説マニアで、玄人はだしの推理小説に関する書誌情報を作成していることを知った。「玄人はだし」と書いたが、それは推理小説に関してであって、彼女の本職が図書館司書(的な仕事)だったというから、「書誌情報」作成は本職といえるかもしれない。
 その彼女が作成した膨大かつ網羅的な推理小説目録を眺めるうちに、ぼくもごく個人的な(極私的というのか)推理小説の読書遍歴を書き留めておこうという気になった。「遍歴」というほど読んではいないし、ぼくの場合は「推理小説」というよりも「探偵小説」ないし「犯罪小説」と呼んだほうが実体に近いかもしれない。
 ※上の写真は、(信濃)追分宿、旧中山道沿いの木立の中に建つシャーロック・ホームズ像。なんで信濃追分にシャーロック・ホームズ?と訝しく思ったが、碑文を読むと、新潮文庫版のシャーロック・ホームズを翻訳した延原謙がここ追分の地で翻訳作業を行っていたことに因んで建立されたとあった。ついでにロンドンのベーカーストリート駅前に立つホームズ像も(下の写真)。
     

 さて、どのように「ぼくの探偵小説遍歴」を書きはじめるか迷ったが、一応時系列に従って、かつ発表媒体別に書いてみることにした。

 第1話は、探偵「小説」前史として、ぼくが子どもだった頃のラジオ番組から始めたい。
 ★ラジオ番組
 始まりは昭和30年代の小学校時代から。
 江戸川乱歩の「少年探偵団」「怪人20面相」や、南洋一郎の「怪盗ルパン」ものは、貸本屋にたくさん並んでいたが、読んだことはない。おどろおどろしい(まがまがしい?)紙芝居のような表紙の画が嫌いで手に取る気にもならなかった。
 ただし、「少年探偵団」はラジオ番組で聞いていた。ストーリーは何も覚えていないが、主題歌の「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団 勇気凛凛 虹の色~ ♪」は今でも覚えている。「とどろく とどろく あの足音は ぼくらの仲間だ 探偵団 胸に輝く 誓いのバッジ~ ♪」というのもあった。どちらかはテレビドラマの主題歌だったかも。
 当時定期購読していた月刊誌「少年」の広告をみて少年探偵手帳やBDバッジ(少年探偵団の団員章、100円玉ほどの大きさで髭文字風のBとDが刻印されていた)を買った。誘拐された時にこのバッジを道々に落としておいて救助を待つのだが(ヘンゼルとグレーテル!)、1個50円か60円もしたバッジをそう簡単に撒くわけにはいかないだろう。幸い誘拐されることはなかった。
 ※「少年探偵手帳」は後に復刻版が出版された。串間努「完全復刻版・少年探偵手帳」(光文社知恵の森文庫、1999年。下の写真)

     

 ラジオ番組では、「名探偵ルコック」がラジオドラマ化されたのを聞いた(たしかNHKラジオだった)。中学1年生だった昭和37年のことである。中学1年の時だけ同級だった土方君というのと前日に聞いた「ルコック」についてしゃべった記憶があるので、昭和37年だろうと思う。食べ残したパンのかけらに手紙をしのばせて脱獄するとか何とかいうエピソードがあった(ような)。
 ずっと後に国書刊行会から「ルルージュ事件」が刊行された広告を見たが(調べると2008年だった)、その頃にはもはやルコックを読みたいとは思わなかった。
 ちなみに、わが家に初めてテレビが届いた日に最初に見た番組はNHKの「事件記者」だった。昭和33、4年のことで、水曜日の夜8時からだったと思う。
 テレビドラマの「月光仮面」、「まぼろし探偵」(吉永小百合が出ていた)などは「探偵もの」と言えるかどうか。月光仮面の「原作 川内康範」という画面が幼な心に焼き付いていたので、後に「川端康成」と名のる作家がいるのを知った時には、「こいつは川内康範のパクリだ!」と思った。
 「怪傑ハリマオ」も見たが、ハリマオは「冒険」ものか、せいぜい「密偵もの」というべきか。
 ※ヒーロー倶楽部編「君は、ハリマオを覚えているかーーわれらのヒーロー・グラフィティ1953→1969」(PHP文庫、1985年。上の写真)の表紙にハリマオのスチールが載っている。(つづく)

 2024年2月15日 記

エドモンド・カーン『法と人生』

2024年01月22日 | 本と雑誌
 
 エドモンド・カーン/西村克彦訳『法と人生--裁判官の胸のうち』(法政大学出版局、1957年)を読んだ(原題は “The Moral Decision -- Right and Wrong in the Light of American Law”)。
 人が生れてから死ぬまでの人生を時系列に追って、折々の法律問題を考えるという、ぼくの「法学入門」の参考にするために買った古本だった。
 本書では、「人の始期」から「人の終期」までの間は「取引行為」が中心になっていて財産法入門の色合いも強いが、家庭生活をめぐる家族法の問題も含まれており、各節の冒頭で具体的な裁判例をまず提示してから、関係する法的な論点を解説するという記述のスタイルは参考になった。
 著者は20年間の裁判官経験を経て、執筆当時はニューヨーク大学ロースクールの教授という。

 「人の始期」の第1節は、いわゆる「カルネアデスの舟板」のケースである(U.S. v Holmes,26 Fd. Cas.36(1842)。
 リバプールからフィラデルフィアに向かった帆船が氷山と衝突して難破した。水夫と乗客を合わせて40名近くが1艘の長艇(定員は20名だった)で脱出したが海水が浸入して沈み始めたため、航海士の命令でホームズらの水夫が14名の乗客を船から投げ出した。残った乗客らは翌日通りかかった船に全員救出されたが、ホームズは裁判にかけられた(罪名は書いてない)。
 裁判官は陪審に対して、このような場合は必要最小限の水夫を除いてまず水夫を船外に投げ出すべきであり、次には船客の中から「くじ引き」によって犠牲者を選ぶべきであったと説示したという。陪審員はホームズを有罪としたが、情状酌量で9か月の懲役が言い渡されたという。
 著者は、くじ引きによる決定も、余命(の長短)による決定にも否定的だが、ぼくはそのいずれかで決定するしかないと思った。少なくとも、「すべての生命はそれ自体で尊いものである」といった命題では、沈没しかかった船内での最大多数の幸福は実現できない。こんな場合には功利主義のほうが全員が平等に死ぬよりはマシではないかと思うのだが。
 結論はともかく、「法と人生」問題の最初のテーマとしては難しすぎるだろう。このような場面の起こりにくいことを思えば、日常生活における「ありふれた」事件から法律問題を考えるという本書「法と人生」には不要なテーマとも思う。もし起こりうるとしたら、災害時のトリアージの場面だろう。

 「人の始期」につづく「男女の関係」と題する章の第1節は「恋愛の秘密を侵されない権利」である。最初に提示される判例は、男女の婚姻外の性関係が摘発された事件である(Ruby v. State,107P 2nd 813,1940)。
 成人の男女間の合意による性関係に警察や裁判所などの公的機関が介入することは「プライバシーの権利」の侵害として許されないという原則は、後に連邦最高裁判決によって確立する(グリズウォルド事件判決、1965年)が、本件はそれ以前に起きた事件にもかかわらず、「プライバシーの権利」を拡張する論理によらないで、グリズウォルド判決と同趣旨の結論に到達している。
 被告は黒人男性で(著者は「ネグロ」と書いている)、相手の女性が白人だったため、根にもった(?)黒人警官(!)によって密会の場に踏み込まれて逮捕された。第1審では有罪とされたが、オクラホマの控訴裁判所は、個人の住居内で秘密に行なわれた「姦淫」を処罰する法律はないとして被告を無罪とした。

 第2節は「結婚の成立する理由」と訳してあるが、わが国の家族法では「婚姻の成立要件」のことだろう。「婚姻の取消」に関する事件を取り上げる。
 無一文の男が事業を始めるために、資産家だと称する女の財産を目当てにその女と婚姻(の儀式)を済ませたところ、実際には女には資産などないことが分かったので、婚姻の取消を請求したという事件である。第1審は請求を棄却したが、控訴審は4対3で請求を認容した(S v S,260 N.Y. 477, 184 N.E. 60(1933))。
 ぼくにとっては、この節が一番面白くてためになった。

 著者によれば、20世紀初頭のアメリカ法を支配したのは、聖書に示されたユダヤ法とローマ法に由来する考え方だったが、婚姻法だけはいずれの影響も受けなかった(1950年ころのアメリカ諸州では原則として離婚が禁止されていた)。これら古代法は婚姻制度や家庭生活を支持し、姦通を処罰したが、両法とも離婚によって結婚生活を解消することを認めていた。
 キリストの離婚観のうちパリサイの田舎を代表したシャマイ派は窮屈で弾力性に乏しい離婚観を示したが、ユダヤ法の多数派はパリサイの都会のヒレル派の寛大な離婚観を採った。ローマ法も、常に夫婦双方に離婚の自由を認めており、少なくとも帝政初期には「偕老同穴」式の結婚はむしろ異例だったという(125~6頁)。したがって、離婚禁止を免れる便法としての「婚姻の取消」などは主張する必要もなかったのである。
 驚いたことに、著者によれば、ローマ法のもとでは(違法とされた)近親婚でさえも「婚姻取消」を求める民事訴訟ではなく、近親相姦として刑事事件によって処断されたという。近親婚も含めた違法な婚姻の救済方法は「婚姻の取消」ではなく、離婚だったという(126頁)。文脈は異なるが、結論的にはぼくの考えと同じであり、もっと早くに知っていたら原稿に書き加えられたのにと、残念である。ただし、ここで紹介されたローマ法の記述がはたして正しいのかどうかは不明である。現役だったらローマ法専攻の同僚に質問できたのだが、彼もすでに定年退職してしまった。

 著者によれば、19世紀後半から20世紀半ばまでの英米の婚姻制度を支配したのは、ローマ法ではなく、ヴィクトリア時代の思潮だった。著者はその特徴を「清教徒主義(ピューリタニズム)」と「重商主義(マーカンティリズム)」の2つだという。
 ピューリタニズムは離婚を禁止し、その影響力が強いニューヨーク州などの裁判所は離婚自由化に抵抗したが、これに対抗して、「婚姻取消」によって壊れてしまった婚姻から夫婦を解放する圧力が強まった。重商主義によれば、当事者は熟慮の上で婚姻すべきであって(「危険は買主が負担する」)、たとえ婚姻締結時に欺罔があったとしても、それが婚姻の本質的要素に関わる欺罔だった場合以外は当該婚姻は取消すことはできない。婚姻の「本質的要素」とは心身の健全、婚姻に必要な性交、生殖の能力のみである(127~8頁)。
 
 ぼくは、西欧社会が離婚を禁止するようになったのは、古代ローマでキリスト教が普及して、その「婚姻非解消主義」--神が合わせたもうたものは、神のみが死によって分つことができるーーが採用されたからであると聞いていたが(誰かから聞いたのか、何かで読んだのかは今では記憶にないが)、本書によれば、1950年代までの英米の離婚禁止は、ヴィクトリア朝時代のピューリタニズムに起源があるというのだ。
 この離婚禁止法を回避し、破綻してしまった婚姻から夫婦を解放するためには、(唯一の離婚事由とされていた)姦通を当事者が通謀してでっち上げて離婚判決を得るか、相手の属性(資産、家柄、性格、生殖能力など)に関して錯誤があったとでっち上げて婚姻取消の判決を得るしかなかった。夫婦にとって、「姦通」をでっち上げるよりも、「欺罔による錯誤」をでっち上げて「婚姻取消」を申し立てる方が、良心の呵責は小さかったので、何千という婚姻取消判決が集積されることになったという。
 
 著者は配偶者権侵害訴訟(わが国でいう不貞慰謝料請求訴訟だろう。アメリカでは「怒りを鎮める訴訟 “Heart-balm suits”」と呼ばれているそうだ)に批判的で、離婚は協議・調停によって解決すべきであり、当時いくつかの州で認められるようになった離婚要件としての「性格不調和」を「調停不可能」と読みかえて、調停不調の場合には離婚を認めるべきという考えを示している(~151頁)。
 翻訳してくれたことは有難いが、訳文は分かりにくい個所があった。

 2024年1月22日 記

竜崎喜助『生の法律学』、佐藤隆夫『人の一生と法律』

2024年01月16日 | 本と雑誌
 
 竜崎喜助『生の法律学(改訂版)』(尚学社、2002年、初版は1995年)、および佐藤隆夫『人の一生と法律(第3版)』(勁草書房、1999年、初版は1980年)を読んだ。

 ぼくはヒトの発生、成長から死亡に至るまでの時系列で、各時期にかかわる法律問題を取り上げるという内容の法学入門を構想してきた。そのうち、男と女の登場、受精卵の生成から妊娠、そして出産(出生)、子どもの権利条約に示された子どもの法的地位(親を知り養育される権利、名前を得る権利、適切な医療を受ける権利など)、そして少年非行に対する保護処分までを対象とした授業をしたことはあったが、誕生から死亡までを通して扱う授業は、現役時代には結局できなかった。
 テレビドラマの「ベン・ケーシー」は「男、女、誕生、死亡、そして無限」というナレーションから始まったが、法律では「男」とは何か?「女」とは何か?「誕生」とは何か?「死亡」とは何か?だけでも結構話すことは多い。「無限」はないが。
 一般の法学入門では、「誕生」と「死亡」の間の「人生」ないし「社会生活」にかかわる法律問題を概観する入門書がほとんどだが、ぼくはその部分はほぼスルーして(中抜き)、生まれるまでと死亡前後にこだわった。財産法が苦手だったのがおもな理由だが、それだけで半期15回の授業は十分につぶれたのである。

 こういった授業の参考になったのが、竜崎さんや佐藤さんの本だった。
 竜崎さんの本(初版)は1年生向けの「法学の基礎」という科目の教科書に使ったこともあった。同書が出版される以前に、1年生の入門科目で横川和夫「荒廃のカルテ」(共同通信社、その後新潮文庫に収録された)を講読に使ったことがあったが、竜崎さんも「少年非行」の章で同書を取り上げていたので共感したのだった。
 竜崎さんに同書を授業で使用した感想を出版社経由でお送りしたところ、お返事をいただいた。改訂版は竜崎さんか出版社から贈呈されたものだったらしく、裏表紙にそのお手紙が挟んであった。ネットで調べると、97歳でご健在のようである。

          

 佐藤さんの本書も参考にした本の1冊であった。
 表題はまさにぼくが試みた方向と一致するが、内容的はかなり多岐にわたっており、1年生の入門科目で取り上げるには難しすぎるテーマが多かった。むしろ、憲法、民法、刑法などの法学科目を一応履修した後に各科目の連関を、生殖医療、臓器移植などの現代的な課題を通じて復習する場合にふさわしい本だろう。
 佐藤さんは中川善之助さんのお弟子さんだから、家族に関するテーマも多い。氏や子の命名、胎児の法的地位、父の確定 特別養子、離婚の増加と共同親権、遺骨の所有権、死後の財産整理など・・・。
 「親権解体論」という項目もあった。ぼくは、民法が子の養育を「親権」すなわち親の権利(義務)と構成していることに疑問を持っており、本来は養育を請求する子ども権利システムとして規定すべきだと考えているので、久しぶりに再読して大いに期待したのだったが、残念ながら最近では多くの論者が唱える「親の義務論」と大差なかった。「解体」というから大々的なブチ壊しを期待したのだが。
  
 ただし、家族法を出発点とされた点では、同じく家族法から出発するぼくにも参考になった。ぼくも「家族」を縦糸にして、上の書いたように、男・女の定義から、受精卵の法的地位、生殖医療による妊娠、母子保健法による妊娠の保護、胎児治療の患者としての胎児(権利主体)などを経て、ようやく従来の入門書の始まりである「胎児の法的地位」に到達する予定だった。しかも胎児は、出産を前提とする妊娠継続の場合と、妊娠中絶における場合とでは検討事項を異にするので、「胎児」の法的地位一般を論ずることには無理があると考えている。
 なお佐藤さんにも編集者時代にお会いしたことがあったが、ネットによれば2007年に亡くなっておられるようだ。

 これらの本も断捨離のための読書だったが、著者から頂いたものでお手紙まで挟まっている本は捨てにくい。佐藤さんの本も出版社から贈呈された本だったようで、これまた捨てにくい。

 2024年1月16日 記

 ※なお、この他にも、植木哲『人の一生と医療紛争』(青林書院、2010年)という本もあった。生殖医療、周産期医療、成人医療という項目もあるが、基本的には「人の一生」よりは「医療紛争」に重点が置かれた内容だった。
        
        
 エドモンド・カーン/西村克彦訳『法と人生--裁判官の胸のうち』(法政大学出版会、昭和32年=1952年)というのもある。書名を見て古本を買ったのだが、内容の多くは法と道徳、とくに裁判手続における道徳の役割にさかれている。買ったまま放置してあったが、今回眺めてみると、「アメリカ実体法における道徳の手引き」という章に、「人の始期」「男女の関係」・・・「人の終期」という見出しの節があり、特に「人の始期」の節には「子供であるという権利」や「道徳の運用としての家族」という小見出しがあり、「男女の関係」の節には、結婚と離婚を論じる前提として「恋愛の秘密を侵されない権利」という小見出しの小節があった。少なくともここだけは読んでおこうと思う。

 さらに、ロン・L・フラー/藤倉皓一郎訳『法と人間生活』(日本ブリタニカ、1968年)という本も持っていたのだが、見つからない。誰かにあげてしまったのだろうか・・・。表紙の装丁は記憶にあるが、内容の記憶はない。

 2024年1月17日 追記