《 軽井沢高原バス 廃線バス停の旅・5 》
“あやめヶ原”の次は、“横道下”である。
“せせらぎ”、“あやめ”と観光地風の名前が続いた割には、突然雰囲気のないバス停の名前である。
しかも、バス停のまん前はゴミの集積所である。
かつて長野県(軽井沢町?)がゴミの分別収集にうるさかった頃は、収集日には監視員が番をしていて、捨てにきたゴミの中身までいちいち検査された。
あまりに煩わしいので、帰京する時にまとめて東京に持ち帰ったものである。
ここが“横道下”ということは、今までの急坂を右折した、これまた急な上り坂が“横道”なのだろう。しかし、なぜこの坂だけが“横丁”扱いされることになったのか、よく分からない。
“横丁”扱いされた“横道”沿いには、かつては日本航空、日興証券、資生堂、日本銀行など錚々たる企業の保養所があり、朝夕には、(東海林さだおの命名した)“寮家の子女”が楽しげに語らいながら闊歩し、敷地内のテニスコートからはテニス・ボールを打つ乾いた音が響く賑やかな通りであった。
おそらく開発当時の昭和30年代初めには、1000メートル林道がこの辺のメイン・ストリートで、それに続く直進の道のほうが格が上だったのだろう。
現在では、これらの企業の保養所はいずれも撤退してしまい、別の会社になったり、更地になってしまっている。企業自体がなくなってしまったところもある。
その意味では、“横道下”を右折した急な坂道は、開発から50年を経て、ようやく名前どおりの“横道”になったと言える。
* 写真は、“横道下”バス停。
2009/4/1