豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

飯田橋 歴史のプロムナード(その2)

2010年12月17日 | 東京を歩く
 
 天気が良かったので、久しぶりにカメラをもって通勤。
 
 いつもながら、飯田橋から大学までの道端風景を何枚かアップする。
 飯田橋駅前(A2出口。モスバーガー前)を出発。すぐの右手に「飯田橋」の由来を記した石碑(?)がある。

               

  この石碑には、江戸時代のこの辺りの古地図もついている。
 この石碑が立っている辺りは、「中川御番 秋元右近 四千石」の敷地で、向かいは「御小姓組番頭 戸川伊豆守安(草冠に)存 三千石」の敷地、戸川の隣りが「寄合 鍋島内匠頭 五千石」となっている。
 そして現在のホテル・メトロポリタン エドモントの裏手あたりには、「讃岐高松藩 松平讃岐守頼胤 十二万石」の広大な屋敷があったらしい。仰々しく葵のご紋が地図にまで入っている。
 四国、高松の築港に面して玉藻城という、それほど大きくはない城があるが、あの城の城主だろう。
 その他、この地図には、「橋本数馬」「西尾寛一郎」「新見育太朗」などといった石高もない個人の名前が出てくるが、こういった人たちの明治以後の生活はどうなったのだろうか? 今でも子孫が住んでいる家はあるのだろうか。

               

 いつものように、飯田橋三丁目の交差点で新目白通りを左折して、ホテル・メトロポリタン エドモントに出る。
 東京都しごとセンター(旧飯田橋職安)を通り、例の(ぼくが命名した)ホッペマ通りに入る。冬の午前中は正面から低い日ざしが眩しい。(最初の写真)。
 いつも通り、飯田橋アイ・ガーデン エアー、最初のビル、大塚商会。ゼミの卒業生がここに就職したが、元気にやっているのだろうか。10年近く経つが一度も出くわさない。

                

 その隣りは、東京スカイツリーを設計した日建設計のビル。
 1階のショー・ルームのガラスにはスカイツリーの絵が描かれている。以前は同じところに東京タワーの絵が描かれていたが、東京タワーもこの会社の設計だったのだろうか。

                

 ふだんは写真を撮らないのだが、大塚商会の向かいの“シティータワー九段下”と、日建設計の隣りの日立マクセルのそのまた隣りの“東京レジデンス”の写真も撮ってきた。
 最初が、“シティータワー九段下”。

                

 次が“東京レジデンス”。かつては1階が“エディー”というパン屋兼喫茶店だったが(エドモント・ホテルの「エディー」だろう)、今年閉店し、その後は空き家状態のようだ。
 上の方の階は、千代田区のビルはみんなそうだが、都営住宅か何かになっている。

                

 2010/12/17 撮影

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