11月25日(金)
出発前の東京の天気予報では滞在予定の5日間すべて「☂」マークだったが、見事に外れて、到着した日(東京では朝方みぞれまで降ったのに)もこの日も、台北は天気が良かった。
そして東京に比べると、南にあるだけあって、かなり暖かい。コートは不要である。
朝食を済ませて、9時にホテルを出て、タクシーで故宮博物院へ。
故宮博物院は混雑するから朝一番で行くようにという、台湾通の息子の指示通りに行動。
台北の町中は、おびただしい数のバイクが横行している。よく事故が起こらないと思っていたら、故宮近くで、バイクとボンゴ車の衝突事故に遭遇した。
幸いバイクのお兄さんもけがはなさそうだったが、起こるべくして起きた事故に思える。
到着後、順路もこれまた指示通り3階から下に降りるルートで進む。
事前の知識通り、翡翠の「白菜」も「回鍋肉」も小さいことには驚かなかった。
想像以上に小さかったが、実物大の白菜を想定していた人ほどには驚かない。
とにかく蒋介石が内戦に敗れた際に大陸から持ち去った中国4000年の秘宝の宝庫である。
台湾独自の文物を収集した南院というのが別に建てられた(建てられる)そうである。
世界史の記憶の中におぼろげに残っている夏(西夏?)、殷以来の様々な青銅器、石器から清朝時代のものまで、数多陳列されている。
「お宝鑑定団」に出品したら総額いくらになるのだろうか・・・、などと思ってしまう。
写真は撮らずに鑑賞に専念して、想い出は文物集に任せることにする。
土産物店で、来年卒業するゼミ生たちへのお土産に、故宮博物院のボールペンを購入。申し訳ないが、これが一番安かったので。
昼前に1階の出口に戻る。(写真の時間は日本時間のままなので、1時間進んでいる。念のため)
4、5か所ある入場券売り場すべに20人近い行列ができている。団体客もごった返している。
朝一番というアドバイスに感謝。
帰りのタクシーの運転手さんは、日本語も流暢で(ほぼネイティブ)、あれこれと話題も向こうから話しかけてくる。
嘉儀農林の映画のことや、忠誠祠(忠烈祠?)の前を通った時には日本の靖国神社のようなもので、日本の総理は参拝できないが、台湾では年2回総統がお参りすると言っていた。
蒋介石が大陸反攻を目指して資金を軍事に使ったために、台北の開発は20年遅れたとも言っていた。
人口の4分の1が台北、新北に集中しているため、台北のマンションは東京よりも高く、庶民は台北に家を買うことができないとも言っていた。
台湾は経済発展が進み、物価も東京とそれほど違わないが、タクシー代だけは東京と比べ物にならないくらい安かった。
ホテルに戻り、昼食を済ませ、午後1時にホテルに迎えに来たマイクロバスで、基隆、東北角海岸、九份見物に出かける。
ホテルにおいてあったパンフレットで見つけたコースを当日申し込んだが(ホテルの人が電話してくれた)OKだった。
宏祥旅行社というところの「九份・東北角海岸観光 午後の定期観光コース」、1人1300元だった。これは正解だった。
九份は地下鉄の忠孝復興駅から路線バスで1時間半と案内にはあるが、九份の中を歩き回って、元のバス停に戻るのでは効率が悪いうえに(同じ道を二度歩く)、はじめての者にとっては分かりにくい。
日本語のガイドがついているし、集合場所なども日本語で紙に書いて用意してくれていて助かった。
バスは台北市内のホテルで順次お客を乗せながら、基隆(キールン)に向かう。
総勢6組、12人に、運転手と、ガイドがついた。ガイドさんは中国語はもちろん、英語、日本語で順番にガイドする。
上の写真は車窓から眺めた101タワー。
つぎは、同じく車窓からの眺め。古い建物が結構残っていて懐かしい感じがあるが、台北は地震もあったが、大丈夫なのだろうかと心配になる建物もある。
下は台北市政府庁舎。正面入り口に白いシーサー(?)が並んでいる。
やがて淡水河を渡って市外に出る。
それまでは晴れていたのにこのあたりから次第に雲行きが怪しくなってきた。台湾本によれば、「九份に行く際は雨を覚悟せよ」とあったので覚悟はしており、雨合羽も傘も用意してきた。
基隆はかつては台湾第二の貿易港だったそうだが、今は寂れてしまい、うら寂しい街並みだった。
海岸線に押し寄せる太平洋の波は白波を立てていて、日本の海岸線より厳しい印象。真東はメキシコで、晴れた日には与那国島も見えるとガイドさんが言っていた。
パンフレットによると、金爪石、鼻頭石、南雅風化石、二色湾を回ったらしいが、どれがどれだか記憶は定かでない。
海岸線のすぐ近くまで、岩山が迫っていて、ところどころ山肌から滝のように水が流れ落ちている。
2、3カ所でバスを降りて海岸線を歩いたが、生暖かく湿気を帯びた風が吹いていた。
雨の中、九份に到着。
ウイークデーにもかかわらず、休日の清水寺(九条坂)のように人混みであふれかえっている。日本からの修学旅行の高校生もいた。
多くの人が傘をさしているので、歩きにくく、何かを食べたり、土産物を物色する気にもなれなかった。
ひたすら滑らないように気をつけながら、延々と続く坂道と階段を上って、待ち合わせに指定された九份茶屋(?)にたどり着く。
眼下の集落が雨に煙っていた。
そもそも九份とは9家族という意味だそうで、その9家族が次第に数を増やして現在では2000人だかの家族になっているという。車窓には、家の形をした鮮やかな色彩のお墓が並んでいた。
かつては金山だったそうで、1980年代まで採掘が行われており、現在も坑道の入り口が残っていた。
「千と千尋の神隠し」の舞台になったおかげで観光客が激増したという。ぼくは見ていないが、夜になって、茶屋などに明かりが灯ると美しく幻想的な雰囲気が漂うらしい。
想像できなくはないが、とにかくこの雨では、早くホテルに戻って風呂に入りたい気持である。
夕方4時過ぎに九份を出発して帰路に。
台北に近づくと雨は降っておらず、夕日が沈みかかっていた。
やがて日が落ち、渋滞の台北市内を走る。
台北名物のバイク軍団を車窓から撮った。
夜6時過ぎにようやくホテル到着。
夕食は昨夜の牡蠣オムレツに懲りたので、ホテル近くの「日本食通り」沿いの「哲麺」というところで日本風ラーメンを食べる。
途中で見かけた教会。
地図で調べると「中山基督長老教会」とあった。ネオンが灯っているのはソウルの教会と同じ。
ついでに。
ぼくの海外旅行はなぜか「同性婚」に縁がある。
2014年3月にイギリスに行った際は、ちょうど3月29日が同国で同性婚が施行された日で、テレビがニュースを流していた。
今回の台湾旅行でも、ちょうど同地では同性婚を許容する民法の改正論議が起こっているらしく、テレビで肯定派と反対派の衝突のニュースをやっていたし、ホテルの新聞(中国時報)でも連日報道されていた。
こうして、第2日は終了。
2016/12/5 記