豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

津田左右吉『建国の事情と万世一系の思想』ほか

2022年05月26日 | 本と雑誌
 
 森達也『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館、2022年)を契機に、ぼくは、自分がいつの間に、そしてなぜ上皇ご夫妻に現在のような思いを抱くようになったのかを探るべく、武田清子の『天皇観の相剋』(岩波同時代ライブラリー)を再読し、そこで紹介された津田左右吉の『建国の事情と万世一系の思想』(世界1946年4月号)を読んでみた(青空文庫で閲覧できる)。

 津田は、皇室の起源と日本国家の起源、さらに日本人の由来は別のものであり、神代に関する記紀の記述は史実ではないとしたうえで、「万世一系」という思想がどのように形成されたかを史実に基づいて推論する。戦後に発表された論文だが、津田の論旨は戦中と変わっていない。よくぞ戦中にこのような考えを発表できたと感嘆するが(ただし起訴された)、歴史的事実に基づいて論ずることこそ真に皇室を尊敬する態度であるという津田の信念の発露だったのだろう。
 ぼくは法的親子関係において血縁(生物学的な親子関係)を重視してきた。法的親子関係をめぐる紛争(嫡出否認の訴え、認知の訴え、親子関係存否確認の訴えなど)において、紛争当事者が重視していたのは「血縁」であり、血縁の存否によって大部分の紛争は解決されてきたと考えるからである。
 しかし、血液型鑑定やDNA鑑定によって生物学的な父子関係が確定できるようになったのはここ数十年のことである。科学的に父子関係が確定できなかった時代に、それにもかかわらず人々はなぜそれほどまでに「血縁」を重視してきたのかはぼくにはよく分からない。
 そのカギとなるのが「万世一系」の思想ではないかと思った。天皇家が「万世一系」という血縁を強調するから人々も血縁を重視するようになったのか、それとも人々が血縁を重視するから天皇家も血縁を重視(「万世一系」)するようになったのか。

 「万世一系」という言葉は『日本書紀』のなかですでに使われているそうだが、日本における「血縁」信仰を辿った研究はあるのだろうか。津田の論文も、表題から期待したのだが残念ながらぼくの疑問には答えてくれなかった。青空文庫版11頁あたりにわれわれが皇室に抱く敬愛の情が養われた起源の説明はあるが、説得的には思えなかった。
 その起源の1つとして、津田は日本人が単一民族であったことも強調するが(青空文庫版8頁ほか)、このような考えは、最近の研究では否定されている。
 かつて読んだ福岡伸一『できそこないの男たち』(光文社新書、2008年)をひっぱり出して再読した(2009年1月28日読了のメモあり)。
 そこで紹介されている近年のDNA研究によれば、最も早くに日本列島に到達したのは、アリューシャン列島および朝鮮半島を経由して旧石器時代に日本列島に到達したC3型Y染色体をもつ男たちであり、ついで縄文文化の担い手となったのがD2型Y染色体をもつ男たちで、このY染色体を有する男が現在の日本でもっとも頻度が高く、アイヌ、東北、日本海、沖縄に多く見られるという(218頁~)。

       
 福岡の記述は他の研究者の引用なので、これも以前読んだ中橋孝博『日本人の起源ーー人類誕生から縄文・弥生へ』(講談社学術文庫、2019年)を眺めた(2019年5月11日読了とメモがある)。森達也の『迷宮』から始まって、ぼくは別の迷宮に迷い込んでしまったようだ。
 中橋の著書は人類の起源に関する学説史から始まって(そこに書かれた研究者間の争い(喧嘩?)も面白い)、頭がい骨、身長、耳垢、腋臭までをも研究対象とした「日本人の起源」に関する科学的研究が紹介されている。
 日本人の遺伝因子の地理的な分布を説明できる統一モデルは未だ解明されていないが、人の移動、混血効果、環境への適応変化などが混合したものと推定したうえで、「日本人の形成に、大陸からの度重なる遺伝子流入が重要な役割を果たしたことは、もはや否定しがたい事実といえよう」、「日本人が、大陸の、特に朝鮮半島や中国の人たちと遺伝的に強い近縁関係にあるということ自体はいわば当然のことである」と結論する(215~6頁)。   
 
 さて、今回のぼくの目標は、天皇(現在の上皇)に対する敬愛の念の起源というか心理的な機序を探ることだから、日本人の起源に関しては、「日本人」は単一の民族(統一的なエスニック集団)に由来するのではないことを確認して、先に進むことにする。

 2022年5月26日 記 

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