豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

『新・もういちど読む山川日本史』

2022年05月30日 | 本と雑誌
(承前)
 ということで、天皇家の「万世一系」の歴史を古代にさかのぼって勉強し直すことにした。
 まずは「錆落とし」として、ぼくの高校時代には知られていなかった吉野ケ里遺跡だの、稲荷山古墳だのといった考古学的な新知見を知るために、五味文彦他編『新・もういちど読む山川日本史』(山川出版社、2017年)の古代の部分を読んだ。
     
 基本的には、『日本書紀』『古事記』などの記述を、『漢書』(後漢書)『魏志』(倭人伝)『宋書』など中国の歴史書や考古学上の発見と照合しながら、史実を確定していくという方法に変化はなかった。ただ、埼玉(さきたま)古墳から出土した鉄剣や木簡の銘文など最近の考古学上の発見から判明した事実がいくつか加わっている。
 逆に、定番だった仁徳天皇陵が「大仙陵古墳」に改められ、聖徳太子像が「伝聖徳太子画像」と改められ、ともに写真がなくなっていた。以前にゼミ生の教育実習を参観した際、先生(ゼミ生)が仁徳天皇陵の航空写真を見せながら「これは何だったかな?」と質問したところ、一人の男子中学生が大きな声で「鍵穴!」と叫んだ。思わず吹き出してしまった。
 仁徳天皇陵、聖徳太子像だけでなく、教科書に載っていた源頼朝や足利尊氏らの肖像画も本人かどうか怪しくなっているらしい(山川の本には「伝」として載っている)。彼らは実際にあんな顔をしていたのだろうと、中学、高校時代のぼくは単純に信じていたのだが。

 なお本書は、かつては「大和朝廷」と呼ばれていた4世紀から7世紀の中央政府を「ヤマト政権」と表記する。その理由は、「大和」の表記が出てくるのは養老令(757年)以後であり、初期の勢力は大和国全域に及んでおらず、「朝廷」の実態はなかったことが挙げられている(27頁)。

 2022年5月29日 記

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