原武史『大正天皇』(朝日文庫、2015年)を読んだ。
期待しないで読み始めたのだが面白かった。
図書館の返却期日がきょうなので、きちんと引用ページ数をメモする時間もなく通読したため、出典頁を明記したコメントは書くことができない。
大正天皇の人物に関するぼくの唯一の知識は、親が語っていた「遠メガネ事件」だけである。
本書によれば、この事件は、帝国議会に臨席した大正天皇が詔書を丸めて遠メガネ状にして議場を眺めたというエピソードで、当時議場にいた山川健次郎からの伝聞によればそんな事実があったようだ(17頁)。わが家では、学習院の卒業式のさいに卒業証書を遠メガネにして校長を眺めたと伝わっていた。
大正天皇についてはこれ以上は何も知らなかったのだが、著者の筆にかかると、少なくとも皇太子時代の彼は、洒脱で剽軽で人間的な愛すべき人物に思えてきた。家族思いで子煩悩でありながら、さる皇族の美人の許婚者にアプローチを試みるなど、かなりの女好きでもあったようだ。
生まれてすぐに生死の境をさまよい、病弱だった幼少期、学習院、御学問所における学業不振、奔放な言動の時期を経て、皇太子時代には健康で元気に(地理の実地学習という名目で)全国を旅行して回ったという。
相性が良かった原敬、有栖川宮、大隈重信らと親しく交流し、全国旅行の先々では一般国民とも交流し(地元生徒による寒中水泳を見て「寒かろう」といって中止させたという)、お召列車に地元知事を同乗、同席させて煙草やパイプを勧めた逸話など、明治天皇とも昭和天皇とも違った天皇像をうかがうことができる。
山縣有朋を嫌ったというエピソードも紹介されていたが、それなりの嗅覚があったのだろう。
明治天皇が人前に出ることを好まず、写真も公表しなかったのに対して(「御真影」は肖像画を写真に撮ったものだったという!)、大正天皇については写真だけでなく、ニュース映画の被写体になることさえ許され、その映画は全国で上映されて700万人以上が観たという。
「可視化された帝国」というよりも、大正天皇の場合は、原のことばによれば「生身の身体」をもった天皇ということであろう。
そのような天皇の緩い体制のもとで「大正デモクラシー」も開花できたのだろうか。ただし各地で米騒動が起きたのもこの時代であり、摂政になった後になると治安維持法も制定された。
天皇に即位してからはストレスもあって病状が亢進し、歩行や発語も不自由になり、摂政を立てられ不遇のうちに最期を迎えるのだが、生前は会うこともままならなかった実母柳原愛子(明治天皇の側室)に看取られ手を握られて亡くなる崩御の場面の描写は、原らしくなく情緒的である。沈痛な面持ちで息子を見舞う彼女の写真も添えられていた。
前に読んだ原『平成の終焉』(岩波新書)では、「学術書」であるという理由で明仁天皇や美智子妃を敬称なしで呼び捨てる記述に違和感を覚えたが(未読だが同じ岩波新書『昭和天皇』も同様らしい)、本書では「嘉仁皇太子」「節子妃」、あるいは「皇太子」「大正天皇」、「裕仁皇太子」などと呼んでいる(ごくまれに「嘉仁」という表記が残っている個所もあった。162頁など)。
皇室用語の使用法については原則が明記してあるのに(37頁)、呼称については何も説明はない。この違いはいったい何によるのか。考えられるのは、岩波書店(編集者)は呼び捨てという著者の方針に同意したが、本書の発行元の朝日新聞出版(編集者)は呼び捨てに同意せず、肩書きをつけることを著者に要請したのではないかと憶測する。
岩波新書が「学術書」だとしたら、「朝日選書」はそれよりはるかに「学術書」といえると思うのだが(注のつけ方、注の質や量の多さに注目)。それでも本書のほうがぼくにとっては読んでいておさまりがよかった。
2022年7月21日 記