雨が好きだと書きこんだら、本当に雨になった。その雨が小降りになったので、夕方から散歩に出かけた。暑いくらいだった昨日とは一転、寒かったのでマフラーと手袋で出かけた。
本当は少し出かけるのが億劫だったのだが、歩きはじめると、雨に煙った夕暮れの街並みが、なぜか懐かしい風景のように見えてきた。上の写真と下の写真は散歩の途中で立ち寄った公園の風景。実際に見える光景よりも、カメラのレンズ越しの画像のほうが鮮明になってしまった。小雨に煙っている公園をそのまま撮るにはどうしたらよいのか。
小学生の頃の、梅雨時の放課後に歩いた近所の街並みと、大学生の頃の、こちらは五月の雨の渋谷の街並みが思い浮かぶ。
雨の中の散歩というと、リトル・ペギー・マーチの「なぜだか判らない」、ジーン・ケリー(?)「雨に唄えば」、バート・バカラック「雨に濡れても」、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「雨を見たかい?」などを思い出す、と言いたいところなのだが、なぜか三善英史の「雨」がまっさきに思い浮かんでしまう。
しかも、渋谷駅前の “Tea for Two” という喫茶店(今もあるのだろうか?)の2階席から見下ろした歩道と、東武ホテルに向かう公園通りを行きかう人たちのかなり鮮明な画像が思い浮かぶのである。調べると、CCRの「雨・・・」も三善の「雨」も、どちらも1972年の発表だから、ぼくが大学4年のときの思い出と時間的には矛盾しないけれど、「なぜだか判らない」。
もう一つ、きょうの昼間、BSテレビ(501ch)「日本映画専門チャンネル」で、「生きる Living」を見た。黒澤明の「生きる」をリメイクした映画である(2023年)。カズオ・イシグロが脚本を書いたという。背景は1953年のロンドンになっているが、ストーリーは黒澤の「生きる」とほぼ同じである。
あのようなテーマはイギリス人にも通じるのだろう。日本の「生きる」ほどヒットしたかどうかは知らないが。「我等の生涯の最良の年」、「三十四丁目の奇跡」、「素晴らしき哉、人生」などのようないわゆる “Heart-worm Story” の系譜に入る作品だろう。
主人公が後輩の公務員に対して、「何のために生きているのか、考えてほしい」と書き残すシーンがあった。
「ぼくは何のために生きているのだろうか」。そんなことを考えなくなって久しいことに気づかされた。
雨のシーンではないけれど、雨に濡れたような夜の公園で、主人公(ビル・ナイという俳優らしい)がブランコに腰を下ろて歌う回想シーンがあったので(上の写真)。
2024年2月21日 記