わが先祖をたどる旅の道すがら、今まで交流のほとんどなかった遠縁の一人と出会った。
手紙やメールを交換するうちに、彼女が相当な推理小説マニアで、玄人はだしの推理小説に関する書誌情報を作成していることを知った。「玄人はだし」と書いたが、それは推理小説に関してであって、彼女の本職が図書館司書(的な仕事)だったというから、「書誌情報」作成は本職といえるかもしれない。
その彼女が作成した膨大かつ網羅的な推理小説目録を眺めるうちに、ぼくもごく個人的な(極私的というのか)推理小説の読書遍歴を書き留めておこうという気になった。「遍歴」というほど読んではいないし、ぼくの場合は「推理小説」というよりも「探偵小説」ないし「犯罪小説」と呼んだほうが実体に近いかもしれない。
※上の写真は、(信濃)追分宿、旧中山道沿いの木立の中に建つシャーロック・ホームズ像。なんで信濃追分にシャーロック・ホームズ?と訝しく思ったが、碑文を読むと、新潮文庫版のシャーロック・ホームズを翻訳した延原謙がここ追分の地で翻訳作業を行っていたことに因んで建立されたとあった。ついでにロンドンのベーカーストリート駅前に立つホームズ像も(下の写真)。

さて、どのように「ぼくの探偵小説遍歴」を書きはじめるか迷ったが、一応時系列に従って、かつ発表媒体別に書いてみることにした。
第1話は、探偵「小説」前史として、ぼくが子どもだった頃のラジオ番組から始めたい。
★ラジオ番組
始まりは昭和30年代の小学校時代から。
江戸川乱歩の「少年探偵団」「怪人20面相」や、南洋一郎の「怪盗ルパン」ものは、貸本屋にたくさん並んでいたが、読んだことはない。おどろおどろしい(まがまがしい?)紙芝居のような表紙の画が嫌いで手に取る気にもならなかった。
ただし、「少年探偵団」はラジオ番組で聞いていた。ストーリーは何も覚えていないが、主題歌の「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団 勇気凛凛 虹の色~ ♪」は今でも覚えている。「とどろく とどろく あの足音は ぼくらの仲間だ 探偵団 胸に輝く 誓いのバッジ~ ♪」というのもあった。どちらかはテレビドラマの主題歌だったかも。
当時定期購読していた月刊誌「少年」の広告をみて少年探偵手帳やBDバッジ(少年探偵団の団員章、100円玉ほどの大きさで髭文字風のBとDが刻印されていた)を買った。誘拐された時にこのバッジを道々に落としておいて救助を待つのだが(ヘンゼルとグレーテル!)、1個50円か60円もしたバッジをそう簡単に撒くわけにはいかないだろう。幸い誘拐されることはなかった。
※「少年探偵手帳」は後に復刻版が出版された。串間努「完全復刻版・少年探偵手帳」(光文社知恵の森文庫、1999年。下の写真)

ラジオ番組では、「名探偵ルコック」がラジオドラマ化されたのを聞いた(たしかNHKラジオだった)。中学1年生だった昭和37年のことである。中学1年の時だけ同級だった土方君というのと前日に聞いた「ルコック」についてしゃべった記憶があるので、昭和37年だろうと思う。食べ残したパンのかけらに手紙をしのばせて脱獄するとか何とかいうエピソードがあった(ような)。
ずっと後に国書刊行会から「ルルージュ事件」が刊行された広告を見たが(調べると2008年だった)、その頃にはもはやルコックを読みたいとは思わなかった。
ちなみに、わが家に初めてテレビが届いた日に最初に見た番組はNHKの「事件記者」だった。昭和33、4年のことで、水曜日の夜8時からだったと思う。
テレビドラマの「月光仮面」、「まぼろし探偵」(吉永小百合が出ていた)などは「探偵もの」と言えるかどうか。月光仮面の「原作 川内康範」という画面が幼な心に焼き付いていたので、後に「川端康成」と名のる作家がいるのを知った時には、「こいつは川内康範のパクリだ!」と思った。
「怪傑ハリマオ」も見たが、ハリマオは「冒険」ものか、せいぜい「密偵もの」というべきか。
※ヒーロー倶楽部編「君は、ハリマオを覚えているかーーわれらのヒーロー・グラフィティ1953→1969」(PHP文庫、1985年。上の写真)の表紙にハリマオのスチールが載っている。(つづく)
2024年2月15日 記