豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

東京の坂(第1回) 鳥居坂

2007年12月16日 | 東京を歩く
 
 朝起きると天気がいいので、軽井沢に出かけようと思った。しかし、Yahooの天気予報で確認すると、今日の軽井沢は午前9時に-3℃、正午でも2℃という予報だった。ちょっと寒すぎるので中止して、東京の坂道めぐりをすることにした。

 東京の坂道には前から興味があったので、ずい分前に、『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)という本と、山野勝『江戸の坂--東京・歴史散歩ガイド』(朝日新聞社)という本を買ってあった。出てくる坂の数は後者のほうが多いけれど、後者は文章が読みずらく、初めての場所は、文章を読んだだけではどう歩けばよいのか分からない。ガイド本としてはタモリのほうが分かりやすいと思う。

 で、タモリの本を片手に、日ざしが眩しいわりには風が冷たい六本木を歩くことにした。
 六本木は今から約30年前に、われわれ夫婦が結婚式を挙げた場所である。知り合いの方が鳥居坂教会の牧師さんの縁者だったので、鳥居坂教会で式を挙げさせてもらい、これまた知り合いの紹介で国際文化会館で披露宴をした。5月の連休というのに、今にも雨が降り出しそうな曇り空の日だった。それでも最後まで雨は降らず、国際文化会館の庭には、つつじがきれいに咲いていた。
 
 タモリ本の指示通り、大江戸線の六本木駅で降り、3番出口から外に出た。そしてまず、①芋洗坂を下る。雑居ビルの裏通りといった感じで、わざわざ歩く価値はない。②饂飩(うどん)坂も眺めるだけで通過。朝日神社で健康・安全を祈願。つづいて右手に六本木中学校が見えてくる。区立の中学だが、六本木にあるだけあって、まるで私立の名門中学のような雰囲気。日曜日のために閉じられている正門が立派である。芋洗坂を下りきった交差点をV字型に右折。

 テレビ朝日の隣りの毛利庭園を通って、六本木ヒルズに。何年前にできたのか知らないが、初めてのヒルズ訪問である。毛利庭園も大したことはない。池などは水が濁っていて、汚ないくらいである。カローラ・ルミオンの展示会などをやっていたが、この街にカローラは似合わないだろう。立ち寄る人もなく、係員が暇そうにしていた。

 再び芋洗坂に戻る。通り沿いにあるマセラッティだの、ベントレーだのの販売店は、入り口に立っている女性からして、うちの近所の東京カローラとは雰囲気が違っている。つづいて、③鳥居坂を鳥居坂下から外苑東通りに向かって登りはじめる。右手にシンガポール大使館の立派な塀と木立ち。でも、厳めしい警備員が立っていて近寄りがたい。

 左手に懐かしい国際文化会館の石垣がつづく。かつては岩崎弥太郎(小弥太かも)邸だったとか。毛利邸よりはるかに立派で、手入れも行き届いた庭園である。われわれが結婚式を挙げたときは、ここの庭園で記念写真を撮ったが、もっと広かったような記憶なのだが・・。建て増しでもしたために、庭は狭くなったのだろうか。
 
 さらに外苑東通りに向かって北上すると、左手に鳥居坂教会の十字架が見えてくる。われわれが結婚式を挙げた当時の建物は今はなく、近代的な白いビルになっている。
 鳥居坂教会の向かいは、東洋英和女学院のレトロな建物。東洋英和は祖母が大正の末期に卒業した学校である。祖母は、苦学してここで保母の資格を取り、当時としては珍しい職業婦人となった。当時から金持ちの子女の通う学校だったらしいが、それでも、まだ宣教師の創った学校としての特色が残っていたのだろう。
 孫の結婚式のついでに母校を訪れ、懐かしがっていた。

 六本木の坂道めぐりはまだ続くが、字数も多くなったので、今日はここまで。

 * 写真は、国際文化会館の玄関前から撮った東京タワー。六本木はあちこちから東京タワーを眺めることができるが、こんな所からも見えていたのだ。

 

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