小さな挨拶の原稿を書いたら、1万円足らずの印税が来た。
原稿料など期待していなかったので、前から本屋で気になっていた本を買うことにした。
1冊目は『今よみがえる玉電の時代と世田谷の街』(武相高校鉄道研究同好会編、TAC出版、2009年)。
ぼくが1950年、昭和25年に生れ、1960年まで育った世田谷区豪徳寺(当時は世田谷区世田谷2丁目)というか、「玉電山下」界隈の懐かしい写真が山のように出てくる。
残念ながら、玉電の三軒茶屋~渋谷間が廃線になった1969年頃の写真が多いが、それでもぼくが物心ついた1955年から60年頃の雰囲気は漂っている。
ぼくの玉電にまつわる謎の一つは、玉電の渋谷駅はどこにあったのかということだったが、この謎もこの本で解決した。
今のハチ公広場の南側に「玉電ビル」というのがあって、3階が井の頭線、地下鉄銀座線の渋谷駅、2階が玉電の渋谷駅、そして1階に都電の渋谷駅があったらしい。
ぼくの記憶でも、地面ではなく薄暗いビルの中だったように憶えている。
道玄坂から上り坂になり、今のマークシティー、WEST入り口のあたりから、この玉電ビルに入っていたらしい。現在の写真と重ね合わせると、何とか当時の路線を思い出すことができる。
それに対して、大橋のあたりはあまりに変わりすぎてしまって、まったく再現不可能である。
大橋か池尻のあたりの沿線には、たしか中将湯(津村順天堂)の工場があったはずである。その付近を通過するときは、車内にあの漢方特有のにおいが流れ込んで、我慢できなかった記憶がある。
気になって、津村順天堂をグーグルで調べると、確かに1940~50年代に「目黒工場」というのがあったらしいが、所在地は書いてない。ちなみに、社長の別荘が上目黒にあったという記事もある。
中将湯の「目黒工場」が大橋あたりにあってもおかしくはない。
さて、この本の嬉しかったことの1つは、なぜか「玉電山下」だけ特別のコーナーが設けてあって、山下の懐かしい写真がけっこう多かったこと。
残念ながら、小さい頃の僕や知っている人物、建物(石川屋、ウワボ菓子店など)は出ていなかったが、わが家の裏山、通称「お不動さん」の木立はしっかり写っていた。
* 写真は、武相高校鉄道研究同好会編『今よみがえる玉電の時代と世田谷の街』(TAC出版、2009年)。
2010/1/19